第10話 世界の意志
エスカレーターを上り切ると、シャッターの降りた売店と、並んだ自動販売機が目に入ってくる。自動販売機は明かりこそ点いているものの、商品ボタンのすべてに赤い光が見えるので、おそらくは全て売り切れの表示になっているのだろう。
ホームを少し先頭側に歩き、その一角にあるベンチに腰を下ろす。パチモンもすぐ隣のベンチに飛び乗るとそのままお尻を落としてお座りの姿勢を取る。そして、そのパチモンを待ってから改めて先ほどの切符を取り出す。
「ねえパチモン、この切符だけど」
手に持ったそれを、パチモンにも見えるように差し出す。ちなみにこの切符、サイズ感や裏側の磁気印刷などから一見して切符だと判断できるのだが、その実表側の印刷は通常のそれとはまるで違っている。それというのも、まるで読める文字がないのだ。
私自身、普段は交通系のICカードを使うので、今までも含めて切符を購入する機会というのは多くない。それでもゼロではないし、おぼろげながらもどんな印刷がされていたかは覚えている。そして、その記憶を辿るには確か発行した駅名と、何円の切符なのかが表記されていたように思う。
対して、手元の切符はどうだろう? 見るに漢字のような何かと、同じく数字のような何かが書かれている。ただ漢字のようなものは偏も旁も滅茶苦茶で、そう見えるというだけで文字として成立していない。数字の方はもっとひどくて、適当な一筆書きの線が三つ並んでいるだけだ。
そしてなによりこの文字のようなものは目を切ってから再び見ると――その度に変わっているのだ。それでもしかし、改札を抜けられたという事実がある以上、これが切符であるのは紛れもない事実なのだろう。
そんな切符にパチモンは匂いを嗅ぐように顔を近づけると、それから「なんだい?」とばかりに私を見上げる。
「パチモンが用意してくれたわけじゃないのなら、どうして制服のポケットに入っていたのかな?」
「なんでだろうね? でもおそらくは、それがないとあかねが改札を通れないからだと思うよ」
パチモンの答えに、一瞬「ん?」と固まってしまう。確かにその通りなんだけど、それが切符の入っていた理由にはならないだろう。
「あかね、またどうして? て顔してる」
「そりゃするでしょ」
「それもそっか。そうだね、ちょっと説明が簡潔すぎたね。もっと正確に言うなら、おそらく切符はもともと制服のポケットには入っていなかったと思うんだ。ただ改札でそれがないと通れないことがわかったときに、世界の側が用意したんだよ。それこそ、あかねがポケットに手を入れたタイミングでね」
「手を入れたタイミングで、て、そんなことあり得るの?」
「もちろんあり得るさ。なんたってここは、僕ら以外世界の夢の中なんだから」
ごしごしと顔を洗うパチモンに、果たして本当にそんなことあり得るのだろうかと考える。
「でも、パチモンさっき言ってなかったっけ? 確かに今は世界の夢の中だけど、私たちは眺めているだけだから、自分の意志で好きなようにはできないって」
「そうだね。確かに僕らの意志ではできないよ。だからそれは、世界の意志なのさ」
「世界の?」
再び手に持った切符に目を落とす。相変わらずそれはまた新たな文字らしきものを浮かべていて、一体どこまで行けるものなのかまるで見当がつかない。
「きっとね、世界は観てもらいたがっているんだよ。自分の夢をね」
「観てもらいたがっているって――でも、夢なら私を含めてみんな毎日見ているんじゃないの?」
「うん、そうだね。でもあかね、じゃあその夢ってどのくらい覚えている?」
「どのくらいって、ほとんど覚えてないよ。だって夢ってそういうもの――」
言い切る前の気付きは、そのまま「あ」と感嘆符に変わる。そうなのだ、夢は毎日見こそはすれ、そのほとんど全ては記憶に残ることなく消えてしまう。
「観てもらいたがっているって意味、ちょっとわかったかも」
観て、感じ、記憶する。日常生活であれば意識すらしない当たり前のことでありながら、こと夢であっては困難なそれら。だが今、眺める私たちにとってのそれはひどく簡単なことになる。
切符をなくさないようにポケットにしまうと、自然と笑みが口を吐く。
「どうしたの?」
「うん、なんか私、ちょっと楽しくなってきたかも」
「それはよかった。でもあかね、本当に楽しくなるのはまだまだこれからだよ?」
挑発的に語尾を上げるパチモンの頭をチョイチョイと指で撫で、さらに「ふふ」と笑って見せる。
今だって、変わらず動揺や恐怖はある。それでも、見も知れない世界がどんな夢を見せてくれるのかと考えると、嫌が応にも興奮が高まっていくのだった。
微睡む世界とスニーカー 水澄 @TOM25
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