第5話

◆◆◆ 第5章 影の終点



◆ 駅で待つ人影


あきる野市・東秋留駅。

夜のホームはほとんど人影がなく、

自販機のライトだけが淡く光っていた。


電車がゆっくり停まり、

中山真子(19)が降りてくる。


風が吹いて、制服の裾が揺れた。


その時だった。


「中山さん」


優しい声がした。


街灯の下で、佐伯が手を振っていた。

コートの襟を立て、

まるで父親が娘を迎えに来たような佇まい。


「遅くまで大変だったね。

 ちょうど、仕事が終わって、、車で送っていくよ」


真子は胸がほどけるような安心感に襲われた。


(助かる……

 本当に……守られてる……)


その気持ちは、あまりにも純粋だった。


佐伯は微笑み、ドアを開けた。

その動きが、あまりにも自然だった。


「さあ、乗って。

 大丈夫だから」


真子は疑うことなく乗り込んだ。


ドアが閉まった瞬間、

小さな「カチリ」という音が車内に響いた。


ロック音。


真子の表情が一瞬揺れたが、

佐伯の横顔は穏やかすぎて、

違和感はすぐに霧散した。


車は静かに夜の道へと消えていった。


◆ 無人工場の白いライト


無人の工場跡。

天井の蛍光灯が、乾いた白色で作業台を照らしている。


金属が擦れる音。

骨の上を刃物がすべる音。

滴る液体が床に落ちる音。


そのすべてが、冷たい空気の中で異様に鮮明だった。


佐伯は、ゆっくりと刃を持ち上げ、

作業台に縛られた少女の胸を静かに見下ろした。


「……本当に、来てくれてありがとう」


温度のない声。


刃が皮膚に触れた。


◇ 切り替え:海斗の部屋・静かな光


同じ頃。


村井家の二階。

真っ暗な部屋の中、ひとつだけ青白い光が揺れていた。


ノートPCのモニター。

そこには、佐伯のスマホから吸い上げた位置情報のログがリアルタイムで表示されている。


海斗は、キーボードを静かに叩く指を止めない。


「……先生」


呟きは、ほとんど呼吸よりも静かだった。


画面のルートは、ひとつの点から動かない。


“旧南原工場跡”


(思った通りだ)


海斗は、佐伯がGPSに仕込んでいた暗号化をすでに全て解除していた。


◆ 工場:切開


刃が胸骨の上を滑る。

皮膚が開き、淡い色の脂肪が光を反射する。


少女の体が震え、押し殺した悲鳴が喉の奥で崩れた。


佐伯は、目元だけが恍惚とした色を帯びている。


「やっぱり若い身体は違う……

 筋膜の張りが均一で、まるで教科書みたいだ」


骨のきしむ音。

臓器が空気に触れる湿った音。


白い手袋が血に染まる。


◇ 海斗:坐標の切り分け


海斗の手元のモニターでは、

佐伯のスマホと車載ナビのデータが二重に重なっている。


彼は、ウィンドウを分割しながら呟いた。


「左折の角度、経路の“癖”……

 先生、とても分かりやすいですよ」


指がキーボードを叩く。

古いナビアプリの更新ファイルが、海斗の手でゆっくりと書き換えられていく。


佐伯が普段使う道。

その当たり前を、海斗はひっそりと分解し、組み替えていく。


「ナビのおすすめルートは、

 先生には信用しすぎなんですよ……」


キーボードの音だけが、落ち着き払って響いた。


◆ 工場:臓器の並ぶ音


佐伯は、取り出した臓器を透明の袋に入れながら、

ひとつひとつにラベルを書いていく。


「肝臓……綺麗だ。

 お酒はあまり飲まないタイプだね」


「腎臓……少し冷え性。血流が悪い」


傍らの机には、部位ごとに並べられた袋が淡く光っている。


佐伯の呼吸は、次第に早まっていく。


「……やっぱり、生きているうちに触らないと駄目だ。

 死後硬直では、この美しさは出ない」


刃を置き、佐伯は少女の髪を撫でた。


「ありがとう。

 君は僕の本当の仕事を最後まで理解してくれたね」


◇ 海斗:数字の解体


海斗はGPSデータの「癖」を削除し、

まったく別の道路に“自然な分岐ルート”を生成した。


山の奥、ガードレールのない細い旧道。


画面には、新しいルートが青く光る。

佐伯のスマホはそれを「最短距離」として認識し始めていた。


「あとは……帰り道で誘導されるだけです」


その声に幼さはない。

ただ、透明な支配者の響きがあった。


PC画面には、

佐伯の現在地が点滅し続けている。


海斗の瞳に、その小さな点が映った。


「先生……

 興奮しすぎて、崖から落ちないでくださいね」


◆ 工場:最後の手順


佐伯は、手袋を見つめた。


真っ赤に染まった白い手袋。

そこに滲む温度に、彼はうっとりとする。


「これで……君たち三人の“順番”は終わった」


机の脇には、

偽装したUSB、

夫婦の行動ログ、

遺書の草案。


すべてが完璧に整えられた罠。


「さあ……最後は村井夫婦だな」

「優しい物語にしてあげよう」


工場のライトが彼の影を伸ばす。


佐伯は荷物をまとめ、ゆっくりと車に向かった。


◇ 海斗:小さく、クリック音


海斗は最後のキーを押した。


「……書き換え完了」


古いナビアプリの最短ルートが、

崖のある細い山道を選ぶように書き変わった。


わずかに、海斗の口元が動いた。


「先生。

 優花姉ちゃんの世界を壊した順番……

 あなたは少なく見積もりすぎたんですよ」


画面の点が、工場を離れ動き出す。


「本当に順番は……

 イジメの張本人、その後は

 優花姉ちゃんを見ていなかった大人なんです」

「そう、これで終わりではない」


その声は、夜の静けさより冷たかった。


◆ 工場を離れる車


佐伯はエンジンをかけ、

何も疑わずにナビを起動した。


“最短ルートを案内します”


画面に従い、車は山の奥へ入っていく。

道路は次第に狭くなり、街灯はなくなる。


その頃、

村井家の二階では、海斗のモニターにだけ

赤い点が静かに点滅していた。


海斗は、ただ静かに囁いた。


「……先生、気をつけて」


◆ 崖の闇


ガードレールのない細い道。

落葉で滑りやすく、夜は真っ暗だ。


ナビが言う。


“この先、左折です”


佐伯はブレーキを踏み、ハンドルを切った。


直後。


タイヤが湿った落葉を踏み抜いた。

車体が傾き、ライトが虚空を照らす。


「……あ?」


その声が空中でちぎれた。


闇へ滑り落ちる車。

ガラスが砕ける音。

金属の軋む音。


すべてが、山の底へ吸い込まれていった。


◆ 海斗、静かなる観測


村井家。


PC画面の点滅が消える。

海斗はキーボードに触れたまま、動かない。


村井夫婦が2階に上がってきた。


ただ一言。


「中山真子の対処は──終わりました」


一瞬安堵の空気が流れた。

和也と美沙が震えた声で問う。


「せ、先生は……」


「事故ですよ。

 山道は危ないですから」


海斗の声は、揺れなかった。

その目だけが、どこか遠くを見ていた。


「優花姉ちゃんのために必要な最後の影でした」


◆ エピローグ


村井家。


夜の静けさの中で、

海斗は優花の部屋の前に立った。夜。優花の部屋。


海斗は、机に置かれたスマホを見つめていた。


そして、スマホが光る。


《予約投稿を送信しますか?》


海斗は、伯父と伯母を振り返る。


「押しますか?」


美沙が泣きながら頷いた。


──投稿。


《本当に助けてほしかったのは、最後まで誰だったと思う?》


和也の肺の奥で、何かが崩れた。


海斗は、ふと微笑んだ。


「伯父さん、伯母さん」


二人は怯えた目で見つめた。


「優花姉ちゃんのところに行かなければいけない人は、あと2人残っていますよ」


「だ……誰……?」


「優花姉ちゃんをちゃんと見なかたた大人達です」


海斗は、優花の部屋を出る前に言った。


【 完 】


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