第4話
◆◆◆ 第4章 優しい顔の包囲網
東京・あきる野市。
11月の冷たい風が山から降りてきて、街はどこか冬の匂いを帯び始めていた。
一人目の“死亡報道”。
二人目の“行方不明”。
優花を追い詰めた3人のうち、すでに2人が姿を消した。
そしてーー
残る1人が、その事実にいち早く気づき始めていた。
◆中山真子の違和感
中山真子(19)は、アパレルショップのストックルームで段ボールを運ぶ手を止めた。
SNSの通知欄。
そこに出てきたのは、数日前のニュース記事だった。
《一ノ瀬加奈子(19)行方不明》
《加藤玲奈(19)山中で死亡》
真子の心臓が、冷たい手で掴まれたように止まる。
(……まさか。
いや、そんな……)
ふたりは、高校時代の「グループ」のメンバーだった。
少しした沈黙のあと、真子は喉を鳴らした。
(ねえ……まさか……私たちが……狙われてる?)
その瞬間、店長が声をかけた。
「中山、大丈夫か? 顔色悪いぞ」
「は、はい……すみません」
笑顔を作ろうとしたが、口角がうまく上がらなかった。
休憩室に戻ると、真子はスマホを握りしめた。
高校時代のグループラインを開く。
既読はつかない。
加奈子も玲奈も——もういない。
胸がざわつく。
何かが迫っている。
(どうしよう……私、どうしたら……)
真子は、救いを求めるように連絡先をスクロールした。
そして、ひとつの名前で指が止まる。
佐伯先生
(……先生なら……)
佐伯、ゆっくりと微笑む
その日の夕方。
高校の職員室の一角で、佐伯のスマホが震えた。
「……ほう」
佐伯は画面を見た。
差出人は中山真子。
《先生、相談があります。
今日、学校に行ってもいいですか?》
佐伯の口元に、ゆっくりと笑みが浮かんだ。
(いい子だ……
来てくれるとは思っていたよ)
その笑みは、教師としての優しさに見える表の顔と、
快楽を必死に抑え込む裏の顔の狭間で、危うく揺れていた。
「もちろん、大丈夫ですよ」
と返す。
その指は、わずかに震えていた。
◆ 相談室での会話
放課後の相談室。
夕陽の光が細いカーテン越しに部屋を淡く染めていた。
真子は落ち着かない様子で、椅子に座っている。
手元のスマホを握りしめ、見るたび指が震えている。
「……中山。
まずは、落ち着いて話そう」
佐伯が優しく声をかけると、真子の目から涙がにじんだ。
「……先生、
私……変なこと思ってるのかもしれないけど……」
「なんでもいいよ。
僕は味方だから」
その一言で、真子は堰を切ったように話し始めた。
「玲奈が……死んで……
加奈子も、いなくなって……
なんか、怖くて……
もしかして、私たち……
誰かに恨まれてるんじゃ……」
佐伯は、静かに頷いた。
「君たちは……優花さんと、仲が良かったよね?」
その名が出た瞬間、真子の身体がびくりと硬直した。
「……先生……どうして……」
「教師には、見えるものがあるんだよ。
言わなくても。」
真子の瞳が揺れる。
佐伯は、机の上にそっとハンカチを置いた。
「大丈夫。君は大丈夫。
犯人はもう捕まるよ。
でも……用心の為、保険をかけておこう」
「……何を……?」
佐伯は柔らかく微笑んだ。
「そのスマホ。
位置情報をGPSで設定するのも悪くないが、プライバシーの観点があるから、良いアプリ入れてあげるから、ちょっと貸して」
真子は、迷った。
だが、恐怖の方が強かった。
「……お願いします……」
差し出されたスマホを受け取ると、佐伯の目がわずかに光った。
(やっぱり……素直だね)
指先が画面を滑る。
「セキュリティ設定」と「防犯ブザーアプリ」。
その奥に、佐伯が独自に組んだGPSトラッカーを忍び込ませた。
三分ほどで作業は完了した。
「終わったよ。
会社、実家にいる時は安心だよ。怖いのは夜道に襲われることだ。だから、シンプルに防犯ブザーアプリが役にたつ。
防犯ブザーがなると爆音だ。しかもご家族と僕に、連絡が来るようにした」
真子はようやく涙を拭った。
「……ありがとうございます……先生……」
彼女は、本気でそう思っていた。
佐伯は一瞬だけ微笑んだあと、
その表情をすぐに消した。
職員室を出ると、外はすでに雨上がりの夜気に変わっていた。
グラウンドの照明は落ち、校舎の窓だけがところどころ四角く光っている。
佐伯は傘をたたみ、ゆっくりと正門へ向かって歩き出した。
ポケットの中で、スマホが震えた。
(……中山さんかな?)
そう思いながら画面を覗くと、見覚えのないアイコンとアカウント名が表示されていた。
白いシルエットに、意味のない英数字の羅列。
《先生は、順番を守ってくれてありがとうございます》
佐伯の足が、ほんのわずかに止まった。
(順番……?)
続けて、すぐに次のメッセージが届く。
《一人目も、二人目も。
優花さんが壊されていった順番のとおり》
喉の奥で、小さな笑いが漏れそうになった。
(……村井さんたちか?
いや、この文体じゃないな。もっと素朴で、もっと迷いがある)
画面をスワイプする指先に、かすかな汗が滲む。
《二人目の後始末、とても綺麗でした。
昔のお仕事の経験、活きてますね》
佐伯の表情から、一瞬だけ血の気が引いた。
(……見ていた? どこからだ?)
廃作業小屋の位置、時間帯、車の出入り。
頭の中で、いくつかの「監視ポイント」が高速で並べ替えられていく。
《先生は観察するのが上手いけれど》
最後の一文が届くまでに、数秒の間があった。
《そろそろ、観察される側に回っていることも自覚した方がいい》
メッセージを読み終えた瞬間、画面が一瞬ちらついた。
トーク一覧に戻ると、そのアカウントは跡形もなく消えていた。
検索しても、履歴には何も残っていない。
ただ、通知欄にだけ、
さっきまで存在していたはずの差出人名が、ぼんやりと残像のように焼き付いていた。
佐伯は、しばらく無言で画面を見つめ、やがてスマホをポケットに戻した。
「……いいね、面白い」
誰に向けたとも知れない声が、夜気に溶けた。
「観察者を観察する、か」
「それより、あいつはホントに中学生か」
口元に浮かんだ笑みは、恐怖よりも先に、純粋な興味を帯びていた。
(なら……もう少し丁寧に、見せてあげないといけないな)
足取りは、来たときよりも軽くなっていた。
◆軌道修正
秋の雨が、図書館の窓ガラスに細かく斜線を描いていた。
和也は閉館作業を終え、ゆっくりと自宅へ歩いていた。
道の端の街灯が、濡れたアスファルトに揺れて映る。
視界の端で、誰かの影が立ち止まった。
「……伯父さん」
海斗だった。
白い息を吐きながら、小さな紙袋を持っている。
「遅くなって、すみません。
あの……先生から預かってきたものがあって」
「先生……?」
和也の眉が動いた。
海斗は紙袋の中から、茶封筒を取り出した。
中には、整然と並ぶプリントアウトされた相関図、SNSログの復元データ。
そして、優花のDMに残っていた削除跡の断片。
「佐伯先生が……
『これは優花さんのためだから』って」
和也は、その言葉だけで胸が熱くなった。
「……先生が……優花の?」
海斗はうなずいた。
「伯父さんたちが一人目をやったと聞いて……
“このままじゃ捕まる”って。
だから、二人目の時は……
先生が後で“後始末”をしたって」
和也は息を呑んだ。
「……後始末?」
「ええ。
二人目の時……伯父さんたち、かなり動揺してたでしょう?
証拠が残りすぎてたらしいんです。
だから、先生が……
昔、特殊清掃で働いていた経験を使って、
全部消したって……」
雷に打たれたように、和也は立ち尽くした。
美沙の震える声が背後から届く。
「……そんな……
あの先生が……?」
「懺悔の意味もあるそうです。
優花姉ちゃんを救えなかったこと……
ずっと悔いてたって」
夫婦は同時に、胸の奥が痛むほどの安堵を覚えた。
(中学生の海斗に背負わせたくなかった……
でも、先生が……
大人が……やってくれているなら……)
美沙の目から涙が落ちた。
「……ありがとう、海斗くん。
そして……佐伯先生……」
その表情は、長い間凍っていたものが、ようやく溶けはじめるようだった。
──しかし。
海斗がその後ろに何を見ているかまでは、二人にはわからなかった。
◆ 村井夫婦は、救いの大人を信じる
その夜。
村井家のテーブルに佐伯が来ていた。
湯気の立つ湯呑み。
暖かな照明。
しかし、空気だけが異様に静か。
佐伯は、ゆっくりと告げた。
「……中山真子さん、
かなり怯えています。
優花さんの件を、薄々察しているようでした」
美沙は息を飲んだ。
「気づかれたら……」
「大丈夫です。
僕が、彼女の味方のふりをして近づきます」
和也は感動したように言った。
「先生……
本当に……ここまで……」
佐伯は穏やかに微笑みながら、
夫婦の信頼をさらに深く掘り下げる。
「あなた方は、優花さんのために正しいことをしています。
僕は、それを手伝っているだけです」
美沙の目に涙が浮かぶ。
(この先生が、優花を見捨てなかったんだ……)
夫婦の表情は完全に救われた人間になっていた。
その様子を、海斗は静かに見つめていた。
◆ 海斗の「わずかな観察」
佐伯が帰ったあと。
村井家の居間に、静かな空気が落ちた。
海斗は椅子に座り、
爪先でカーペットの端をゆっくり撫でながら言った。
「……中山さん、
先生に相談したんですね」
和也が頷く。
「怖かったんだろうな……
あの子が……優花にしたことを……
やっと自覚したか……」
海斗は、ふっと笑った。
「先生、優しいですよね。
動きも早いし、痕跡も残さないし。
伯父さんたちは、運がよかったと思います」
その声はいつも通り静かで、
いつも通り優しい響きを持っていた。
だがーー
海斗の視線は、佐伯を解析している目だった。
それでも、
表情だけは無害な中学生のまま。
「三人目は……
先生に任せるんですよね?」
和也と美沙は頷いた。
「……ああ。
先生なら、大丈夫だ」
海斗は、机の上のUSBメモリを指で弾きながら言った。
「じゃあ……
三人目のデータ、まとめておきますね」
その声は、
まるで“準備は整った”と宣言するように静かだった。
◆ 包囲網は完成した
夜。
あきる野の街に冷たい風が吹く。
佐伯は、自宅で一人、真子の位置情報が表示されたPC画面を見つめていた。
点滅する小さな赤い光。
「……いい子だ。
逃げないで、ちゃんと見えるところにいる」
佐伯は、ゆっくりと手袋を撫でた。
(次は……必ず生きて手に入れる)
その狂気は、
まだ誰にも届かない。
“そろそろ……切除してもいい時期だよ、先生”
海斗からの狂気のテレパシーか。
ほんの一瞬だけ、佐伯の指先が止まった。
だがすぐに、鼻で笑って流した。
夜はただ、静かに深まっていく。
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