第4話 Let.アメリカ

 「上手く逃げれたみたいだな」

 ジャックが安堵の息を吐いた――その刹那だった。


 みぞおちに、鈍い衝撃が突き刺さる。

 息を呑む暇もなく彼は膝をつき、「気をつけろ、睡蓮」とだけ告げて、地面に崩れ落ちた。


 冷気が、ひたりと肌にまとわりつく。

 まるで空気そのものが凍りついたかのような気配だった。


 その中心に立っていたのは、一人の老人。

 白い毛が目立ち、今にも倒れそうなほど痩せ衰えている――だが、首には刃物で切られたような深い傷痕があり、その佇まいには歴戦の猛者だけが持つ“圧”が宿っていた。


 睡蓮は言葉を失う。

 まるで、死者が現れたかのような錯覚に。


 「まさか……」


 老人はどこか嬉しげな笑みを浮かべた。


 「50年ぶりだな、アルテイシア」


 アルテイシア――

 それは彼女の、かつての名。

 知る者はごくわずか。司令と、刀匠の老人ぐらいしか知らないはずの名だった。


 それだけではない。

 睡蓮の身なり、歩き方、太刀筋――そのすべてを理解している者が、ただの偶然で現れるはずがない。


 「その身なり、その歩き方、その太刀打ち……50年前。私が殺したはずの」


 老人は、不敵な笑みを深く刻んだ。


 「一試合、願おうか」


 そう言うと、腰の刀を静かに抜き放ち、刃先を彼女へ向ける。


 「亡霊め……」


 睡蓮は短く息を吸い込み、瞳の色が変わった。


 「ノバク。貴様をこの手でもう一度――殺す」


 その声音は先ほどまでとはまるで別人のもの。

 殺気は鋭さを増し、一瞬で場の空気を張り詰めさせた。 睡蓮が放った殺気は、鋭い刃そのものだった。

 その気配に耐えきれず、ノバクを除いた者たちは我先にと逃げ出し、瞬く間に戦場から姿を消した。


 残されたのは、ただ二人。

 老人と――かつて“アルテイシア”と呼ばれた女。


 ノバクはその場に立ちながら、胸の奥の熱を押し殺せずにいた。

 (私は今、ものすごく興奮している……こんな楽しいこと、二度目だよ、アルテイシア)


 睡蓮は一歩踏み込み、静かに問いかける。


 「貴様は敵か」


 老人は呆れたように肩をすくめた。


 「服見ればわかるだろ。あの有象無象の仲間だ」


 睡蓮はほんのわずかに眉を下げ、「そうか」と呟くと、すぐに刀を構え直してノバクに突きつけた。


 その刃はボロボロに欠けていた。


 「ほほほ、そんなボロボロな刀でわしが切れると思っているのか。たまげたな」


 挑発に対し、睡蓮は冷たく吐き捨てる。


 「うるさい。黙れ」


 次の瞬間、世界がかき消えた。

 両者の斬撃が交錯し、音だけが爆ぜる。誰一人としてその動きを捉えられず、ただその場に釘付けになるしかなかった。


 ノバクは刃の流れを見極めながら、愉悦の色を目に宿す。


 「前より技の精度が桁違いに上がっておる……それにしても、刃毀れが酷い。こんなんで今までよく戦ってきたものだ」


 砂埃が舞い、金属音が重なり、殺気が渦を巻く。

 火花だけがチッと弾け、瞬間瞬間だけ二人の姿を照らした。


 睡蓮が斬り結びながら声を放つ。


 「いつからあの悪魔と協力した」


 ノバクは口元を歪めて答えた。


「親友とやり合うためにと決まっておる。六日後に地球が滅ぶと言われてな、少し急いでおるのだ」


 その異様な言葉に、睡蓮の瞳が揺らぐ。


 「どこから聞いた」


 その刹那――ノバクが踏み込んだ。


 「ほれ、少し邪念が入っておるぞ」


 重い衝撃が叩き込まれ、睡蓮の刀が折れた。

 耳障りな音が響く。


 「もらった!」


 勝利を確信した声が上がる――が。


 「ウザい」


 睡蓮は折れた刀を逆手に取り、迷いなく振り抜いた。

 ノバクの刀は一瞬で切り裂かれ、宙を舞う。


 驚愕に固まった老人は、しばらく言葉を失い――やがて静かに呟いた。


 「……ここまでか」


 背を向け、闇へと歩み去る。

 二人の因縁が残した余韻だけが、その場に重く沈んだ。


 ノバクが消えると同時に、残っていた敵たちが「作戦失敗」「作戦失敗」と繰り返しながら撤退していく。


 戦場には鉄と血の匂いが立ち込め、赤黒く染まっていった。


 その中で、彼女は小さく呟く。


 「レックス……上手く振り切れたのかな」


 気を失ったジャックを肩に担ぎ、彼女は静かにその場を後にした。


◆◆◆


「着いたぞ、パンピーボウイ」


 レックスの声が雑に響く。


 「その名で呼ぶな。僕は橘 温だ」


 そう言い返したものの、正直それどころじゃなかった。

 胃の奥から何かこみ上げてくる。

 まさか――人間が時速二百キロで走るなんて想像できるわけがない。


 「空港に着いたけど……飛行機乗って大丈夫なの?」


 震える声で問うと、レックスは呆れ半分、ため息半分で答えた。


 「心配症だな、きみは。まず俺たちが乗るのは一般の飛行機じゃねぇ。俺も詳しくは知らんが、日本からアメリカまで十時間弱で着く代物らしいぜ」


 そんな会話をしているところに、職員らしき人物が近づいてきた。

 胸元のネームプレートには「Vulx(バルクス)」と書かれてある。


 「本日は、当便〈ヴァルクス・シャトル〉が皆様を安全にお送りいたします。ところで、予約は四名と伺っていたのですが……何かトラブルでも?」


 丁寧な声だが、目だけは状況を探っている。


 レックスはヘラヘラと笑いながら肩をすくめた。


 「問題ないっすよ、バルクスさん。ちょっとした事情ってやつっす」


 バルクスは一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに笑みを整えた。


 「……承知しました。では、すぐに離陸の準備に入ります」


 そう告げると、彼は滑らかな動作で案内を始めた。


 ――そして僕は、日本を後にした。          


  十時間のフライトを終え、レックスと僕はようやくアメリカの空港へ降り立った。

 人でごった返す到着ロビーの中、レックスが腕時計をちらりと見る。


 「もうすぐ迎えが来るみたいだ」


 その言葉に、僕の胸は少し高鳴った。いったいどんな人たちが待っているのだろう――未知の環境に対する不安よりも、期待の方が勝っていた。


「レックスさん、いったいどんな人たちがいるのですか」


 問いかけると、レックスの表情がわずかに険しくなる。


 「世界中から色んな奴らが集められているからな。確か今年の新人にお前と同じ日本人が三人ほど入ってくるらしいが……その中に少し気の強い女がいたら近づくな。奴は危険だ」


 ――それフラグじゃね。

 心の中で突っ込みつつ、念のため胸の片隅にとどめておく。


 レックスはスマホを確認し、「あいつら無事だってさ」と短く告げた。


「良かったー」


 その一言に、張りつめていた肩の力が少し抜けた。


 ところが次の瞬間、レックスの目がスマホ画面に釘付けになり、驚いたように顔を上げる。


 「ちょとすまねぇ用事ができた。パンピーボウイ、俺は此処でお別れだ。黒いベンツが来たらそれに乗ってくれ。くれぐれも迷子になるんじゃねぇぞ」


「もう子供じゃないんだし迷子になんかならないって。あと誰がパンピーボウイだゴルァ」


 そう言い返す僕を見て、レックスは豪快に笑いながら背を向けて去っていった。


 ――しばらくして。


 レックスの言った通り、黒のベンツが静かに停車し、クロスーツに身を包んだ男女が降り立った。どこか無機質で、訓練された仕草だ。


「橘温様で間違いないでしょうか」


 丁寧な確認のあと、女が携帯端末を差し出す。


「では、こちらに手を置いていただけますか」


 指示に従うと、機械音が鳴り響いた。


 《認証が確認できました》


 直後、車のドアが自動で開く。


「橘様、車にお乗りくださいませ」


 僕はこころがわくわくした。


「日本語お上手ですね」


 思わず返事すると、二人は軽く会釈して車内へ促した。


 そして――しばらくして車が停車すると、目の前に巨大な建物が現れた。

 その威容に圧倒されていると、入口で六十半ばほどの貫禄ある老人が、なぜか拡声器を握りしめて立っていた。


「ようこっそ秘密防衛組織ウラノスへ――やっべ舌噛んだ」


 盛大に舌を噛んだらしく、口から血を垂らしながら震える拡声器を抱えている。


 ……大丈夫なのか、この組織。

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禁術の魔術士 肯定羽田 @raw090vrb

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