絵のある星
形霧燈
絵のある星
なんで、こんなすごい景色の前をただ通り過ぎてたんだろう。
どうかしてた。
商店街の向こうに、赤が沈んでく。
のっぽのビルが、燃えさかるろうそくみたいだ。
アーケードも図書館も工場も逆光で黒くなって影絵みたいにつながってる。
空の上にはネイビーが残っていて、オレンジとのグラデーションがなめらかすぎる。
わたしは、川を挟んだ土手から夕焼けに染まる街を眺めてた。
絵を描くようになってから、世界が違って見え始めた。
ぼーっと毎日歩いてた帰り道。
とんでもないことが、わりと起きてた。
超キレーとか映えとか、風景を見ながら友達や家族につぶやいたことは何回もある。
けど、なんつうか浅かったな。
見てるようで見てなかったわ。世界。
息を吐いて、わたしは二つ折りのケータイをばちっと折りたたんだ。
ストラップをじゃらじゃら鳴らしながらスカートのポケットにねじ込む。
片目をつぶる。
開いている方の目の前に、両手の人差し指と親指で、長方形をつくった。
ずばっ。
世界が切り取られる。
1:1.236のF号縦横比で描きたい構図を探す。
指のファインダーをのぞくと、風景に集中できた。
電線の絶妙なたるみ、水面に映る鉄橋、屋上にある表彰台みたいな工事の足場、風にたなびくようにめくれたガードレール。
発見だらけ。細かいところまで、くっきり世界が見える。
この夕焼けの土手に、誰を置こうかなあ。
キャッチボールしてる親子? 買い物帰りのおばあさんとおじいさん? わたしみたいな女子高生?
誰を描いたなら、わたしの絵になるだろう。
そんなことを考えながら、構図を探してたときだった。
「……は!? あれなに?」
指のファインダーの、右上のはじっこ。
オレンジがネイビーに溶け出すあたりに、そいつは飛び込んできた。
白くて平べったい円盤。
「――UFO?」
そいつは、長方形のど真ん中をこちらへ突き進んでくる。ありえん速さ。
やばい。
って思ったときすでに『UFO』は真横を通り過ぎてた。
すごい風圧で髪がばたばたした。
そいつは土手に着陸して、ふわっと砂煙を巻きあげている。
幸い、まわりには誰もいなかった。
逃げることも忘れて、つい観察してしまう。
円盤は意外と厚くて、プリクラのブースくらい? 中に人が入れそう。つるっとした見たことのない素材。
切れ目のない壁が下に開いて、『UFO』から何か生き物が出てきた。
腕も足もある。
でも、全身ごてっとした白い服で包まれてて、顔に当たる場所には、ゴツいヘルメットみたいなのをかぶってる。そこにはデカいサングラスみたいのがついてて、見たことのない記号が浮かんでた。
前にムーで見た地球外生命体まんまだ。
「宇宙人!」
勝手に声が出てた。
宇宙人さんは、まわりをきょろきょろして、わたしに顔を向けた。
「あー! いた! いきなり発見!」
「えっ、日本語しゃべんの、この宇宙人!?」
「宇宙人、ってわたしのこと? ……ああ、そう、宇宙人! うん、わたしは宇宙人である、ごほん」
「うわ! すげえ。どうしよっ、人類初の遭遇じゃん。写メ撮っていい?」
あわててポケットのケータイに手を伸ばした。指先が震える。
ストラップが引っかかって、うまく取り出せない。
「ダメ! そういうの残したらカイヘンしちゃうんで」
「カイヘン?」
「とにかくダメ。――すっごい怖いこと起こるよ。宇宙的な罰がくだります」
「宇宙ヤバい」
「それに、あなた絵描いてるんでしょ。描く人なら、観たものを覚えて、手で残しなよ」
「なんで知ってんの!? 絵描いてるって」
バッグを肩から外して抱える。スケッチブックも色鉛筆もはみ出てない。
「そりゃまあ、宇宙的な技術で」
「宇宙ヤバい」
「――ねえ、絵は好き?」
「? うん、大好き」
「いいね」
「ってか、あなたの星にも絵があるの!?」
「あるよ」
「へええ。なんか原始的な文化とか言われんのかと思った」
「ないない。絵ってね、フヘンテキなのよ」
「フヘンテキって、宇宙語?」
「日本語でしょっ。いつでもどこでも変わらないってこと」
ヘルメットに隠れてるのに、宇宙人さんは苦笑いしてるみたいに見えた。
「ふうん、絵ってやっぱすごいんだなあ。じゃ、あなたの星でも絵を描いてる人いるんだ?」
「……いるよ、まだ」
「『まだ』って?」
「昔ほどはいないかな」
「フヘンテキなのに?」
「フヘンテキになりすぎたのかな」
「よくわかんないけど」
ヘルメットの頭は、夕陽が落ちる街の方を見てる。「なんか、宇宙人さんさびしそうだね」
宇宙人さんはバッグを指差した。
「ねえ、絵を見せて」
「え?」
「入ってんでしょ。その中に、スケッチブック。知ってるんだよ」
変なサングラスでバッグを透かして見てるみたいな視線を感じる。
「うわ。ヤバい通り越してこわい」
「……どぞ」
おそるおそるスケッチブックを差し出すと、宇宙人さんは手袋をした手で受けとった。真剣に(顔は見えないからそう感じただけだけど)スケッチブックをゆっくりめくっていく。
わたしは訊いてみた。
「地球人の絵は、どう?」
「下手だねえ」
「えー!」
「すっごい下手。パース崩れてるし、立体感も怪しい」
「ぐう」
「……でも、いい絵だね」
「え?」
「まっすぐで、必死で。自分の目で観てるね」
「ありがとう……でいいのかな?」
宇宙人さんは小さく何かをつぶやいた。鉄橋を渡る電車の音に紛れて、懐かしい、って言葉が聞こえた気がした。
ぴゅうっと風が吹いて、川に波紋が広がる。風は土手をかけあがって、頬をふわっと撫でた。
「ねえ、宇宙人さんの星ってどんなところ? 教えてよ」
「いつかね、わかるよ」
「えー!」
「それまで、ずっと絵を好きでいてね」
「……? うん、もちろん」
宇宙人さんは、スケッチブックを返すと背を向けて『UFO』に歩き出した。
「えっ、もう帰っちゃうの?」
「うん」
ふわりと『UFO』のドアが開く。
けど中に一歩、足を踏み入れたそのとき。
宇宙人さんは、勢いよく振り返った。
「これからつらいことが、いっぱいあるよ」
声は、風に紛れずまっすぐに届いてきた。
「賞や試験に落ちて、いっぱい泣くよ。認めてくれない人を恨んで、前を行く人に嫉妬して、そんな自分を嫌いになるよ。
うまくならない絵に吐き気がして、それでも向き合わなくちゃいけないよ。
クライアントの希望と、描きたいものがぶつかるよ。何度もやり直しするうち正解がわからなくなるよ。
エックスやピクシブやインスタに嫌なコメントがつくよ。たくさんのうれしいコメントが、一つの嫌なコメントで真っ黒に塗りつぶされるよ。
パクられるよ。変な加工されるよ。ぜんぶは消せないよ。
勝手にエーアイにガクシュウされて、よく似た、けどぜんぜん違う絵が量産されちゃうよ。
そんな絵が、願わない欲望に使われてしまうよ。
エーアイ使ってるって決めつけられて、使ってないって言っても信じてもらえないよ。
ずっと続けてた仕事が、エーアイに取られちゃうよ。
誰でもエーアイで絵がすぐ手に入るようになって、描くことの意味が軽くなってくよ。描く仲間が減ってくよ。
でも、」
宇宙人さんは、地球の空気をいっぱいに吸って言った。
「描き続けて」
わりと言ってる意味がわからなかった。後半特に。
けど聞き返すことも迷うこともなく、わたしはうなずく。
「うん。描き続けるよ、楽しーもん」
「よし」
宇宙人さんは、そっと手袋の手をわたしの額にかざした。
ヘルメットを気持ちよさそうに脱ぐ。
ミディアムのグレーヘアーがふわっとこぼれる。
顔は大人の人間の女性そのものだった。初めて見る顔なのに、なんだかとても見覚えがある気がする。
満面の笑顔。
「なにがあっても?」
「なにがあっても、描き続けるってば」
彼女は、親指と人差し指でファインダーをつくった。
わたしにそれを向けて、片目をつぶる。
長方形のあいだから、大きな瞳がこちらを見ている。
「いい顔。自分と世界を信じてる顔だ」
強い風が吹いた。砂煙が舞い、思わず目を閉じる。彼女の声だけが耳に残った。
目を開くと、彼女も『UFO』も、姿を消してた。
雑草だけが押し倒されてて、なにかがあったことを少しだけ伝えてる。
わたしの頭のなかも、なんだか変で。
彼女の言葉も、不思議な出来事も、ぼんやりしてもう忘れかけてる。
でも、確かに残ってる感覚がある。
あったかくて自分の内側から膨らむ、なにか。
あ。めっちゃいい感じの風景じゃん。
気づけば太陽が、アーケードの真ん中に沈み込んでる。
ガーネットの指輪みたいな光をこぼしてる。
この風景は残さなきゃ。
わたしは両手でファインダーをつくって、世界を切り取った。
残りの太陽を頼りにスケッチブックを広げる。
夕焼けの土手に誰を重ねるか、なぜだかもう決まっていた。
わたしは、満足げに笑ってる女性の横顔を、紙の真ん中に描きこんでく。
絵のある星 形霧燈 @katagirit
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