「人像」
@Bonno10sha
ー人像ー 煩悩吐瀉
幼い頃のことを、ふと思い出す。
あの家の光埃*を。
いまではもう、跡形も残っていない家だ。
柔らかな日が差し込む部屋で、
私は親戚に囲まれ暮らしていた。
母、叔母、叔父、祖父、祖母。
そして、白い犬のシロ。
誰もが優しく、温かく、
そしてどこか愚直なほど
“家族らしい”人たちだった。
朝、布団から這い出ると、
山風が窓の隙間を抜け、
川の冷気を連れてくる。
ザザザザザ、と川は鳴き、
遠くでは国道の車輪が、
眠気の底をなぞるように響く。
私はただ、ぼやける瞼を擦りながら、
舞いあがる埃をじっと眺めていた。
そのひとつひとつが、
あの頃の私の
“時間”だったように思える。
いま思えば——
あれが、私が最後に
“孤独ではなかった”朝だ。
夏休みも終わり自宅に帰ることになった。
皆は暖かく見送ってくれ、
シロはいつもより念入りに私の口を舐めた。
叔父に「シロとキスしてる」と揶揄われ、
恥ずかしかった事をよく覚えている。
新学期が始まり、級友とくだらない冗談を言い合いながら、秋も深まった頃だった。
ふと昼休み中、教師に呼び出された。
神妙な面持ちで、
いつもは横一文字の口を、僅かに開いた。
祖父が死んだ。と
瞬間脳は全てを閉ざしたらしく、
微かに覚えているのは、
黒い服の人の群れと、
祖父の燃え殻を箸で拾い集めた事のみだった。
葬式も終わり、また学校に通い出した頃、
級友たちはどこかよそよそしかった。
優しさだったのかもしれないが、
「お前は可哀想なのだ」と
態度が突きつけてくるようなので、
かえってお道化を演じる事にした。
どうも私はお道化が上手らしく。
演じ始めてからは、
以前よりさらに人気者になれた。
しかし、仮面の壁を増やしていくうちに、
友と呼べる者は徐々に減っていった。
母に白髪が増えた。
私も徐々に祖父の死を飲み込む事ができた頃。
祖母が転んだと、母から聞いた。
勝手口の段差につまづいたらしい。
大したことはない、と最初は言っていたが、
入院するうちに風邪を拗らせた。
「死んだらいかんよ」という声が
白い壁に木霊する。
布団を握る手に囲まれた、
無機質な白い部屋で
ーー祖母はあっけなく死んだ。
帰り道、母は運転席でずっと、
何かを噛み締めていた。
信号の光が、母の横顔を通るたび
その皺が一つ、
増えたように見えた。
その冬、母はよく怒鳴るようになった。
最初は些細なことで、ドアの閉め方や、
宿題の字の汚さ、食べこぼしたごはん。
怒ってる最中、母の声はどこか浮いていて、
聞いていると胸がびりついた。
ある夜、初めて手が上がった。
鈍い音だった。
頭を走る衝撃よりも、
「この手は、昔私を撫でた手だ。」
という事実とチラリと見えた水切れの方が、
私を傷めつけた。
それから私は、
布団の中で過ごす時間が増えた。
息を潜め、母が玄関を開けるたび、
布団の端を、汗が滲むほど握りしめた。
温かいはずの布団は、
その頃にはすっかり避難所の匂いがしていた。
あの家の光埃を
ふと 思い出す。
あれが、
私に残された“最後の光”だったのだ。
*光埃… (こうあい)埃や塵が光を受けキラキラと光って見える様子。
「人像」 @Bonno10sha
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます