第二筆 結果

 ここまでがの話。そしてここからがの話だ


 早川みずほは23歳だったらしい。実家は母子家庭で、決して裕福ではなかったと聞く。毎日が質素な食事と使い回しのシャツで暮らしていたという噂話もあったが、今となってはそれすらも本当の記録かどうかは怪しい。


 記録はあやふやだ。

 さらに、結果が全てを物語るということは有り得ない。物語とは主人公視点で語られることが大前提だが、それ以外にも副次的視点も不可欠になってくる。


 あの事件現場には、が欠落していた。


 事件後の記録によって残った結果はこうだ。


 一 秋山著者が早川みずほによって銃殺されたこと。

 二 早川みずほには銃痕が残り、遺体として発見されたこと。

 三 秋山著者の遺体の所在が不明であるということ。


 世の中に出回る完全犯罪を遥かに上回り、まるでその存在自体を消滅させてしまうようなこの事件は、後にさえも動かしてしまう事になる。



 事件の現場に残されたのは、早川みずほ氏の遺体と大量の秋山著者の血痕の上に落ちていたシャンデリアだった。周囲には銃痕が残っており、早川氏が銃を乱射していたであろうということもこの証拠からとして残っている。


「はて、これは本当に人間による殺人事件なのか?」


 ベテラン刑事がその現場を目にして初めにそう口にした。隣にいる部下よりもふた周りほど大きなお腹を持ち、葉巻をチラつかせる彼には、やはり大きな威圧感を感じる。


「と、いいますと?」


 隣に立つ部下の石川が彼に問いかけた。


「まず、不確定要素が多すぎる」

最初にそう言った。そして後から結果の詳細を推測を交えてこう語る。


「この巨大なシャンデリアは確実に秋山氏の体を貫通した跡が残っている。しかしその下に遺体はなく、隣で早川氏が死亡している。早川みずほが何らかの理由で秋山氏の遺体を隠したのであれば、早川みずほ本人の死亡の説明はつく。秋山著者の殺害での完全犯罪が目的ならな。しかしだ。その説明には大きな矛盾点が存在する。このシャンデリアはたった23歳の青年ひとりで持ち上げられるほど軽くは無いということだ。」


事件現場の状況を冷静に観察し判断することはベテランの彼であるからそこできる技術である。しかしその熟練された技術でさえ、この事件の真相は解き明かせない。

「だから犯人は人間ではないと?」


 疑問点は事件現場にも無数に存在するが、それと同様に刑事の推測にもあった。彼は部下には端から端までを説明することはしなかったが、その端的な推測によって大凡おおよその現状はその現場にいる人間達は把握したように見えた。


 鑑識課の職員が早川氏とその周囲に夢中になっている最中、そのベテラン刑事だけは未だにこの完全犯罪を解き明かそうと諦めていなかった。


 開いた窓から下を眺める。

あるな」


 すぐに、石川が駆けつけた。

「窓の下、路地裏ですよ?別になにか落ちてても違和感はないはずです。」


 薄暗い路地裏にそのが落ちていたが、この高さからはそれを視認できない。しかし、ベテラン刑事が見ていたのはそのなにかではなかった。


「すぐ下の壁を見てみろ。血が付いている」


 僕たちが今頭を出しているこの窓の数メートル下。約十センチほどの血液が壁に付着していた。それを確認したベテラン刑事はすぐに近くの非常階段を駆け下りた。

「待ってください!なんですか!?」


 僕には何が起こっているのか分からず、遅れて上司の後を追うことしかできなかった。



 事件後の記録、

 四 銃には秋山氏の血液と早川みずほと何者かの指紋が残っていたこと。



 僕にはまだ、現場の状況確認能力が劣っているのだと実感した。

「はぁ、はぁ」


 二十五という若い僕でさえ、息を切らすほどに階段を駆け下りた。しかし、五十近くの上司はそのなにかを見下ろしながら既に葉巻を吸っている。

「拳銃だ」


 そのなにかは、早川みずほが殺人のために使用した四十五口径型の拳銃が、秋山氏の血液と、早川と何者かの指紋が付着していたものだった。



 彼は、瞬時の状況判断力でこの結果を予想していたのかもしれない。もちろん、現場に殺害時に使用された拳銃が発見されていなかったことも気にかけていた。しかし、窓下の血痕からここまで予想できるのはやはり歴の違いだろうか。


「回収するぞ」

「はい!」

 彼の行動は今まで見てきたどの刑事よりも圧巻だった。僕はこの現状にどこかほっとするような気持ちを抱かされた。


 そして、僕が布を手に当ててその拳銃を回収しようとした時、大きな銃声が僕の鼓膜まで届く。見たくなかった。その最悪な結末は、誰にも予想できなかった。


 まだ正午だ。

「あなたもその上司のような醜い肉塊になりたくなければ、それを置いて立ち去った方がいい」


 その誰かは、もう僕の上司を殺してしまった。昼間の銃殺は、容疑者の逃亡するという目的には最悪の時間帯であるはずだ。


 顔をフードで覆った男の銃口は僕を一直線に見つめている。何も考えられない。僕にはこの状況を冷静に整理する力は備わっていない。それが現状で、僕の限界。

「いずれ真実を知るだろう。しかし、その頃にはすべてが終わっている。」


 その男はそう言い残し、拳銃を回収して立ち去った。


 八月十九日に発生した事件は一人の容疑者と行方不明の被害者、そして一人の刑事の犠牲で、未解決事件として未だ完全犯罪と唄われている。

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