(仮)圧倒的不遇者の信教領域

透明カルボナーラ

第一筆 記録

  夏の朝は早い。


 冬には眠る太陽も、共に寝る毛布も、夏の早朝では疎遠になる。

寒さやだるさによる二度寝も、今となっては効果は失われる。



 夏の朝は六時に起床。朝日を浴び、珈琲を飲んでタスクをこなす。


 自分にとって最も効率的かつ効果的な習慣で夏を過ごす。朝食はバナナとヨーグルト、時に食パンも食べるが、今日はこの二つ。そして毎朝ブレンダーで珈琲を作る。夏でも冬でも、僕が飲むのはホット珈琲だけだ。


 一気に飲み干すのを避け、少しずつ味わって豆の渋みを味わうのが僕のポリシー。


 このベトナム産の豆には苦みとコクが味の深みを増す大きな渋さを味わわせてくれる。やはり酸味が少ないことからも、一気に飲めないという一見弱みに見える特徴は、僕の日課では大きな役割を担っている。



 珈琲一杯には二時間の作業効率化の効果がある。


 カフェイン摂取が大きな理由だが、気分的な効果も十分に発揮している。


 日は既に僕の部屋を照らしつくしていた。インテリア化したギターも、読みかけの小説も、その光によって少しずつ劣化していく。


 しかし、僕の生活にそれらは必須ではないものだった。正直になればそれらの趣味の時間というのは僕のタスク遂行の邪魔になる。


 しかし、それは時間的観点に視点を置けば、という話だ。得られる知識や技術という点で観れば、それらはタスク遂行の要ともなり得る。


 今日も今日とて、木製の広いデスクはスマホからのバイブ音による振動が止まらない。そしてそれは、僕に非常に大きなプレッシャーを与えていた。


「あー、なんだこれ。締め切りいつまでだっけ?」


 未読に溢れたメールボックスには仕事の依頼から締め切り間際の急かす文言で埋まっている。文頭には『明日までの~』や、たまに『昨日までの』『先週までの』などの見たくなかった地獄現実が嫌でもこの目に留まる。


 しかし、そんな早朝から数時間後。頭の容量が限界に達しそうな今、僕は過去一番の大仕事を終えてひと段落つくことができていた。


 日本というアニメや漫画大国と呼ばれるこの地において今年度最大級のノベルコンテストが来月、横浜を舞台にして開催される予定だ。



 僕にはこのコンテストの参考資料、言い換えればすべての参加者にとっての目標であり代表的な原稿の制作を頼まれていたのだ。


 彼ら参加者は僕の原稿を参考にし、コンテストに挑戦する。数千作品が集まるこのステージにおいて、僕の役割というものはたった一人の一般人が背負っていいものではなかった。


『もしもし秋山先生?原稿、とりあえず現段階でいいので一度こちらに送ってください。構成を考えてカットできそうなところを後からお伝えすることも可能ですので。』


 切羽詰まった気怠そうな女性の声は電話越しにため息をついた。それもそのはず。二十歳という若き大学生フリーライターにとってこんな大仕事は身に余る光栄となる以前に、大きな代償を払うことを強制させられる縛りと化していたのだ。


 それでも青年は筆を止めなかった。


「松井さん。最終段階書き終えました。推敲すいこうも三度は通りましたし、もう完成に近い形だと思いますよ。」


 スピーカー越しには何も聞こえなかった。僕の耳が疲れ果てていたのか、編集担当の松井さんが無言の時間に変えたのかは今では考える余裕すらなかったのだ。


 二日間の不眠状態は大きな代償を払うことになる。人間の三大欲求のひとつとされている睡眠欲も今となってはその次元に留まってはいなかった。


 いつもなら徹底する節電も、今日だけは意識する余裕も失っている。

意識は既に深い眠りについていた。窓の小さな隙間からなびく風も、心地よい毛布の役割に専念していた。



 そして、僕が精神と身体の休みを取る間に、松井さんたち編集者は地獄の第二フェーズを開始していた。





 ✕✕✕



「ただいまより、表彰式を行います。」


 広々とした宴会場は百を超える小説家とその編集者、コンテスト運営者達で埋まっている。しかしその中には唯一、若き天才小説家が混じっていた。

 

特別賞から銅、銀、金賞という順に表彰されていく。五十を超えた男性から、OLの女性までもが大きなステージに立っていた。


 作品の表現は無数の試行錯誤によって創作可能な技術だ。それらは執筆者の経験、それぞれの『人生』という大きな資料によって成り立っている。


 そして、僕の参考原稿にもは存在する。



 長い人生に勝る資料はどのように収集すればよいのだろうか。僕は考えた。歴史を振り返り、過去の彼らと自分を照らし合わせて。


 結果、模倣もほうという手段が最も効率的だという結果にたどり着いた。


 例えパクリという卑怯的手段であったとしても、それらを積み重ねていけば大きな力となる。


 一視点からの百の情報量よりも百視点からのそれぞれ一情報の方が圧倒的に価値のあるものだ。


 僕は集めるというインプットを他人の経験値を応用することでまかない、アウトプットをその経験値で得られた武器で裁いていく。


 これが頭の賢い人間の生き方というものだ。


「そして本コンテストにおいて最上級特別賞を受賞し、資料原稿を担当された秋山先生に登壇していただきます。おめでとうございます!」


 身に余る拍手も数十秒もすれば鳴り止んだ。


高さが微調整されたマイクで、僕はたった一つを伝えたかった。


「我々人間には限界があります。しかし、その限界は自分で決めつけるものではない。あなたが諦めない限り、あなたの限界は無限に伸びていきます。以上です。」


 優秀な人材に言われる言葉以上に悩まされることはこの業界では存在しない。それがあるべき形で伝わっているかは分からないし、最悪の形で届いている可能性だって捨てきれない。


しかしそれは当然のこと。耳を立てる人は一人ではなく無数であるのだから。


 だから今までのの積み重ねが執筆者にとって殺意のチャッカマンの役割を担っていることだって、想定すべき可能性だったのだ。


 賑わいの中を、一つの強い意思が暴走してしまった。

 

発砲された拳銃には秋山を正確に貫いたというだけが確定していた。



 円卓を囲み、苦笑いでその場をしのいでいた彼らも、今となっては混乱の嵐。大切に頂戴したはずの名刺達も、靴跡だらけでカーペットに取り残されていた。


 ガラスが割れ、ワインが染みる。人々は逃げ、その会場は二人の著者だけの空間となっていた。


「秋山先生は、僕の作品ちゃんと読んでくれましたか?」


 銀賞受賞者、早川みずほ容疑者によって、その問いかけがで伝わっていた。


 死にかけの秋山に話しかける彼には余裕があった。



 自分が尊敬し、恨んだ星をこの手で見つけ出して自分の手で飾ったのだから、それこそあるべき最悪の形で伝わったのだろう。


「みずほ先生、人の憎しみから生まれた邪神の物語・・・」


「そうですそうです!やっぱり読んでくれてたんですね光栄です!」


 両手を広げ、すべてを手に入れたと勘違いした彼はとち狂った裏声を交えながらその感情を響かせた。銃は玉切れまで乱射され、シャンデリアは僕の上向いた背中を勢いよく潰す。



 私利私欲を行使することはすべてを成し遂げた者にのみ与えられる特権だ。そこにたどり着いていない人間に化身けしんが許すことはあれど、天使が許可することはあり得ない。



 その晴れ舞台で秋山著者は若き早川みずほ青年に殺害された。

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