進撃の熊

NiHey

進撃の熊

第一章:あの日


「あの日、人類は思い出した。自分たちが、この国の食物連鎖の頂点ではなかったことを。アスファルトという名の薄い境界線の内側で、生かされていただけの屈辱を……」


「また山で出たってさ。今年、ヤバくない?」

スマホのニュースを見ながら、いつものカフェで呟いた。画面には【速報】の文字。専門家は『山のドングリ不足が原因か』と分析。

ここ、地方都市の市街地は、今日も平和だ。 「かわそうだけどさ…」 俺はアイスコーヒーをかき混ぜる。まさか、このアスファルトで固められた街の中心部まで、ヤツらが来るはずがない。誰もがそう信じていた。この国の安全神話という名の、うっすい壁の内側で。

その時だった。

キキィィィッ! 外で、車が急ブレーキを踏む甲高い音が響いた。続いて、ドン、という鈍い音と、女性の短い悲鳴。

俺が窓の外に目を向けた、その瞬間。黒い塊が、信じられない速さで歩道を横切った。四駆の軽自動車くらいのサイズだ。

「え……?」

それは熊だった。間違いなく。 動物園でダラダラ寝ているアレじゃない。時速40キロでアスファルトの上を疾走する、飢えた獣。そのマジな姿に、カフェの中の空気が凍りついた。

次の瞬間、街のあちこちから、パニックに陥った人々の叫び声が連鎖していく。

カフェを飛び出すと、目の前には地獄が広がっていた。 河川敷の方から、次々と黒い影が市街地になだれ込んでくる。一匹や二匹じゃなかった。これは「群れ」だ。

ケモノどもは人を恐れず、明確な殺意を持って人々を狩りに来ていた。

その群れの後方、河川敷の土手の上に、一際大柄な個体が静かに立っていた。全身に古傷を刻んだ、異形の「ヌシ」。異色のケモノは市街地の混乱を、まるで指揮官のように冷徹な目で見下ろしていた。

ヌシが、低く咆哮する。それが、本格的な侵攻の合図だった。

「ギャアアアア!」

俺の目の前で、逃げ遅れたサラリーマンが熊に追いつかれ、無慈悲に引き倒される。 その血飛沫が顔につく。目の前で喰われる男を後ろに、俺は震える足で路地裏に逃げ込んだ。スマホには「政府は専門家会議を招集し、慎重に対応を検討中」という、絶望的なほどスローモーな文字列が流れていた。

「撃て! なぜ撃たない!」

逃げ惑う人々の向こうで、数名の警察官が拳銃を構えたまま動けずにいた。

「だめだ!市街地での発砲許可は下りていない!」

「鳥獣保護法はどうなってるんだ!」

無線の向こうで怒鳴る上司の声が、警察官のトランシーバーから漏れている。

目の前で人が引き裂かれているのに、彼らは「人」を守るためではなく、ルールを守るために立ち尽くしている。

法律という名の、ガチガチの壁が、人類の手足を縛り付けていた。

「遺憾の意で熊が帰るかよ!」

俺は、声にならない声で叫んだ。

「奴らが会議してる間に、何人死んでると思ってるんだ!」

その日、俺たちの街は「放棄」された。「仕方なかった」と呟く大人たちの声が、やけに耳障りに残っている。

数日後。生き残った人々を乗せた避難列車が、首都圏へと向かっていた。 窓の外には、静まり返った故郷が小さくなっていく。

「駆逐してやる……。この世から……一匹残らず!」故郷を背に、血反吐を吐くように心の中で誓った。

第二章:首都(カベ)の内側


あの日から、数年。 日本は変わってしまった。東北地方、北関東をはじめとした地方の多く、さらには都内でも多摩の一部が「熊管理区域」として放棄され、多くの人々が「国内難民」として首都圏へと逃げ込んだ。

皮肉にも、人類は自らを守るため、埼玉北部に巨大な物理的な壁「防熊ウォール」の建設を開始。さらには23区外周にはさらに高層の壁を建設する予定をしていた。人類は熊から逃れるために、自ら檻に入ろうとしているのだ。

首都圏南部は、流入した難民と、異常高騰した不動産価格でスラム化していた。

俺たち難民が押し込められたコンテナハウスの横で、タワマンの建設ラッシュが続く。困難に喘ぐ生活の裏でインフレは加速し、治安悪化に伴って円の価値は下がり続け、なぜか首都圏のインフラ企業やゼネコンの株価を筆頭に日経平均株価は9万円台にまで高騰していた。人々はこの状況にクマフレーションと名付け、一部の投資家たちは歓迎していた。

テレビは「力強い首都経済」「ウォール建設は順調」と、笑顔のアナウンサーが報じるばかり。俺たちが住むスラムの現実は、決して映し出されなかった。

「治安維持局」の連中が、警棒を持って難民キャンプを巡回する。あの日、俺たちを守らなかった「秩序」が、今度は俺たちを「管理」していた。

俺は、あの日を生き延びた元自衛官が、私財とコネを叩いて結成した、唯一の攻める民間武装組織――『領土奪還友志の会』、通称『領友会(リョウユウカイ)』の訓練場にいた。


政府は効果的な熊対策は行わず、壁の内側で防御に徹するだけ。だから、俺たち「物好き」がやるしかなかった。 集められたのは、元自衛官、警察の特殊部隊、そして故郷を奪われたマタギの末裔。皆、熊を殺すことに人生を賭けた「変わり者」ばかり。


「いいか!ヤツらはただの獣じゃない!人も文明も恐れず、知性を持った敵だ!」

元自衛官で、クソがつくほど真面目な「班長」が、集まった訓練生たちに檄を飛ばす。

「我々の武器は、その知性を上回る知恵と、この槍だけだ!戦わなければ、勝てない!」


そう。槍だ。

21世紀の日本で、俺たちは本気で槍の訓練をしていた。 市街地での銃器使用が厳しく制限される中、領友会に与えられたリーサルウェポン。それは、対熊用に開発されたカーボン製の特殊な槍だった。

「おい、見たかよ!」訓練の後、俺の隣で同期の男が、やけに興奮した様子でカーボン製の槍をブンブン振り回していた。「今の俺の突き! 超カッケーだろ! これ持ってりゃ、熊なんて余裕っしょ!」

こいつは、まだアレを間近で見たことがないんだ。 首都の、カベの内側で退屈していたヤンキー上がりにとっちゃ、この『領友会』は、ちょっとスリルのあるチャンバラごっこか何かに見えているらしい。

他にもヘラヘラした顔で談笑に興じているやつらがいた。


しかしそうではない者たちがここもはいる。一目見ればわかる。

隅っこで訓練用の丸太に、寸分の狂いもなく槍を突き立てている。顎には森のようにたっぷりの髭が蓄えられている。髭のおっさんが 槍を突き立てるたびにその暗黒森がユサユサ揺れていた。 「チッ…軽すぎだ。これじゃやった感覚が掴めねえ」

その横では、獣医学者を名乗っていた眼鏡の男が、訓練そっちのけでバケツに入った黒い塊を棒でつついている。 「この粘度、この臭気! 間違いない! このクマはドングリではなく動物性タンパク質をより多く補給している」

青バケツに顔を突っ込まんとするメガネの姿に周りは人が離れていた。

そして、腕を組んでそんな二人を誇らしげに見ている、我らが「班長」。

こいつらは面構えが違う。おそらくあのヤツらは熊を間近でみてきたのだろう。


俺は、もう一度、隣で槍を振り回す同期を見た。

「いやー、マジで23区内の内側より、こっちのが刺激的だわ!早く熊掃除してぇぜ」

ほざいていられる今が幸せのうちだと静かに思い俺は同期の肩を黙って叩いた。

第三章:初めてのお掃除


「第3次 熊管理区域 奪還作戦を開始する!」

班長の声が響く。俺たちを乗せた装甲バスが、「防熊ウォール」の巨大なゲートをくぐり抜けた。数年ぶりに見る「壁の外」。俺の故郷だった場所だ。

バスが停まり、俺たちは放棄された市街地に足を踏み入れた。 静まり返っていた。アスファルトの隙間からは雑草が茂り、信号機は虚しく点滅を繰り返している。

「索敵開始!ドローンを上げろ!」

俺たちは、あの頃通っていた商店街を、槍を構えて進む。

「まさか、地元に槍持って帰省する日が来るとはな……」 俺が軽口を叩くが、誰も笑わない。

『目標補足! Aポイント、デパート屋上! ターゲット、3体!』 ドローン操縦士から無線が入る。

「よし!新入り、それからそこの髭!第一班はAポイントの高層デパートへ!」

俺たちはデパートの非常階段を駆け上がった。 「新入り、お前がまずやれ」 領友会最強とも謳われる、髭が冷静にいってきた。

「落ち着け。狙うは眉間。あそこが一番脆い」

俺は震える手で槍を構え、屋上の縁から身を乗り出した。

「死ねぇ!」

投げつけた槍は熊にまっすぐ向かっていく。

だが、熊の分厚い背中の肉に弾かれた。

「グオアアア!」 熊がこちらに気づいた。まずい。

『班長!Bポイントにも別動隊!ヤツら、陽動を無視してます!』

『なんだと!?』

地上の第二班から悲鳴が上がる。 「マズイ!こいつら、ビルを警戒してる!」「まさか、待ち伏せか!?」

「グオオオオオ!」 俺たちがいるデパートの真下から、熊の雄叫びが響いた。

「新入り!下だ!ヤツら、このビルに入ってきたぞ!」

「嘘だろ!?俺たちが上にいるって、なんで……」

「こいつら、"学習"してるんだよ!」

ケモノ風情が、かしこく立ち回りやがって。

階段を駆け上がってくる獣の足音。絶体絶命の言葉が頭に浮かぶ。 その時、髭が動いた。彼は屋上の手すりを乗り越え、デパートの壁面にある看板の縁に飛び移った。

「新入り。よく見とけ」

髭は、階段から飛び出してきた熊の、ちょうど真上から飛び降りた。

「ケモノはケモノの。それにあった殺り方があるっんだよっ!」

ヒュッ、と空気を切り裂く音。髭の槍は、寸分の狂いもなく熊の眉間を貫いていた。

「これが……」 俺は、髭の圧倒的な「掃除」の技術に呆然としていた。

その混乱のさなか、俺の視界に入った。

「もう無理だ!こんなの勝てるわけねえ!」 同期のアイツが槍を捨て、恐怖に顔を引きつらせながら、一人、戦場から脱走していくのを。

その後の髭の奮闘も虚しく、劣勢をひっくり返すことはできずに結局この作戦は、多大な犠牲を出し、失敗に終わった。



第四章:獣を喰らう


「……何の成果も! 得られませんでした!」

壁内に戻って最初に声を上げたのは班長だった。

多くの戦友たちを失い、命からがら生き残った俺たちを出迎えた家族や友人たち。彼らに向かって班長は頭を下げて懺悔の咆哮をあげた。

重い空気が市中には漂っていた。こちらに罵声を当てる者もいた。

ただただ失意が漂う中、隣に立つ髭のおっさんがぼそりと言った。

「戦果ならあるさ。ここに」

髭が言う戦果が何を指しているのかはすぐにわかった。

倒した熊の死骸。過度な人口集中と農村地域の減少から都市部では食糧難が蔓延っている。そんな中この熊の死骸が貴重なタンパク源になるのだ。

その夜の兵舎。俺たちの夕食は、その戦果だった。 焚き火で炙られ、脂が滴る黒い肉塊。


「……食えねえ」

俺は、槍を握ったまま動けなかった。

脳裏に、あの日、人間を貪り食っていた熊の姿がフラッシュバックする。

こいつは……人間を食った熊かもしれないんだぞ……。

「ブツブツ言ってねえで食え、新入り」 髭が、骨についた肉をナイフで削ぎながら言った。「明日死ぬかもしれねえんだ。食える時に食っとけ」

「だけど……これは……」 俺がためらっていると、獣医学者でもある眼鏡の分析官が、ずれた眼鏡を押し上げながら冷静に口を挟んだ。

「栄養学的には完璧ですね。高タンパク、高脂質。加熱処理さえすれば、病原菌のリスクより生存のリターンが上回ります」

そういう問題じゃねえんだよ

「ヤツらは人間(エサ)を食って血肉にした。俺たちはその熊(エサ)を食って血肉にする」

髭は、焼けた肉片を無造作に口に放り込んだ。

「生きるってのは、そういうことだろ。食わねえならそこで震えてろ」

俺は、吐き気をこらえながら、震える手で黒焦げの肉片を掴んだ。

生きるためだ……生き残って、このケモノどもを一匹残らず駆逐するために……。涙をこらえながら、初めて熊の肉を飲み込んだ。獣の臭いと脂が口に広がる。

……あれ。思ったより、イケるな……。ビールを喉に通したい欲望に駆られた。

第五章:聖域の謎


壁の内側では、俺たちの立場は最悪だった。 「あいつら、熊の肉を食ってるらしいぜ」 「人食い熊を食うなんて、あいつらはもう人間じゃねえ」 そんな噂が流れていた。俺たち領友会はすっかり「ケダモノ」扱いだ。

作戦会議室も、重い空気だった。 「これが、今回の戦闘データです」 眼鏡が、重い口を開いた。

「熊どもの動きは、明らかに組織的でした。我々の補給路を的確に狙い、陽動を看破しています。まるで、誰かが指揮しているようです」

会議室がざわつく。 「そして、最も不可解なのがこれです」 眼鏡が、スクリーンに映し出された地図のある一点を指し示した。 「熊の侵攻ルートです。見てください。あの日から今まで、ヤツらはなぜか、この『A地区』だけを、不自然なまでに避けて通っている」

「A地区…? あそこは確か、『山の恵み教』のデカい聖地がある場所だ」 壁の内側で、「熊は神の使い」と騒いでいる連中だ。

「まさか。熊が宗教を理解して、忖度してるとでも?」

俺の皮肉に、髭が冷たく応じた。

「神の使い、か。連中が言ってた通りかもしれねえな。ご丁寧にお仲間は避けて通るらしい」

「次の調査目標はA地区だ」 班長が、机を叩いて立ち上がった。 「何があろうと、あの『聖域』にドローンを飛ばす。真実を確かめる」


「待ったをかける、領友会」

その言葉を待っていたかのように、会議室のドアが開いてスーツ姿の男たちが入ってきた。 すぐにどこの奴らかはわかった。治安維持局の連中だ。

これまでにも何度も領友会に査察と称してやってきては邪魔立てをしてきたからいやでも顔は覚えてしまった。先頭に立つ、いかにもエリート然とした七三分けの男が、冷たい目で俺たちを見下ろしながら言った。


「A地区への侵入は許可できない」

「なぜだ!」班長が詰め寄る。

「信教の自由だ。それに……」 七三は俺たちを侮蔑するように見回した。「貴様ら『非合法』の武装集団が、政府の管轄区域でこれ以上嗅ぎ回ることは許さん。世論が黙っていないぞ」

「我々は国土を取り戻すために動いてるんだ」

「その前に秩序を守ってこそだ。それが人間と、獣の違いだろうが」

さっさと解散して大人しくしておけと言い残して、踵を返し出て行った。

俺は思った。敵は、熊(ソト)だけじゃない。この壁の内側にも、存在していると。

第六章:内側のケモノ


「公式の『作戦行動』としては、確かに不可能です」 会議の後、眼鏡が俺たちに近づいてきた。

「ですが、もし。もしもですよ? 我々が『熊管理区域』の調査中に、ドローンが『事故』で操縦不能になり、『偶然』A地区に墜落したとしたら?」

眼鏡が、悪魔のように囁いた。

班長は「今夜は機材のメンテナンスを『入念に』行うように」とだけ告げる。それがGOサインだった。


その夜。俺と髭、眼鏡の三人は、非公式車両でA地区の境界線近くの森に潜んでいた。 「熊よけの鈴、鳴らすなよ新入り」

「んなこと分かってる! それよりアンタがさっき枝折った音の方がデカかったぞ!」 俺たちは小声で罵り合った。

『ドローン、発進させます。例のジャミングには気をつけて』 ドローンが聖域の本殿上空に差し掛かった時、映像が途切れた。

「チッ、やっぱりか」 髭が舌打ちする。

「こうなったら、直接行った方が早え。行くぞ、新入り」

「は? それ、マジで不法侵入だって!」

「熊に食われるか、七三に捕まるか。大差ねえだろ!」


俺たちはフェンスを乗り越え、聖域の敷地内に侵入した。本殿の裏手、倉庫のような場所から明かりが漏れていた。息を殺し、その窓から中を覗き込む。

そして、見てしまった。

「……嘘だろ」

中にいたのは、「山の恵み教」の信者たち。 そしてあの七三男だった。彼らは、トラックから大量の「ジビエ肉」を降ろしていた。俺たちが食ったのより随分と上等そうに見える

ヤツらが会話しているのを遠くで眺めていると、森の暗闇からヤツらが現れた。何十頭もの熊たちが。

教団の信者たちは首を垂れながら、熊たちにジビエ肉を渡していき、熊たちはそれに群がって大人しく食べていた。そして、奥から熊どもをかき分けて前に出てきたのは大きな個体。ヌシ熊だった。

ヌシは、七三の前まで来ると堂々と落ち着いた風貌で立ち上がった。静かに佇みながら小動物を見るかのように七三を見下ろす。七三は、汗を拭きながら、熊に向かって言う。


「約束のブツだ。君らの領地にも引き続き手は出さん。今後も変わらず『掃除』を頼む。おかげで、人口リソースも順調に都市部へ集約できているからな。ただ、君らが不要とした一部の空いた土地は、メガソーラーとして有効活用させてもらおう。そこは荒らさないでくれたまえ」

ヌシ熊は応えるように低く唸ると、信者たちが差し出した肉を咥えた。他の熊どももそれぞれ肉を加えて森の奥へと戻っていく。

目の前の光景に俺は、頭を殴られたような衝撃で、その場にへたり込みそうになった。

熊災は、天災じゃなかった。 ヤツらは……人間は、明らかに熊と「取引」をしていた。


「畜生どもがッ」髭が、殺意を押し殺した声を漏らす。

「あいつら、繋がってやがった。本当の"ケモノ"は、壁の内側にいやがった」

第七章:地下牢の真実


ばぎりと怒りと動揺から足元の枝を折った音が鳴った。

「誰だ!そこにいるのは!」七三にこちらを気づかれた。

「侵入者だ!捕えろ!」

すぐさま目がイッてる信者たちが追いかけてきた。

「チッ…!逃げるぞ、新入り!」

「で、でも、あの熊は……!」俺は、まだそこに佇んでいるヌシを指差した。

ヤツは、唸ることもせず、俺たちと追ってくる信者たちを、ただ冷ややかに見ているだけだった。まるで、「人間同士の揉め事には関知しない」とでも言うように。

「ヤツは来ねえ!」 髭面が俺を蹴飛ばすようにして走らせる。

「ヤツにとっちゃ、俺らもあの七三分けも、同じ『人間(ゴミ)』なんだよ! どっちが掃除されても構わねえのさ!」

背後からは、「神罰を!」「異教徒め!」という、熊より恐ろしい信者たちの声が追いかけてくる。


「くそっ。害獣退治をするはずが、まるで宗教戦争じゃねえか!」

「黙って走れ!あの七三分け、絶対に俺たちを『事故』で消す気だぞ!」

俺たちは死に物狂いでバンまで逃げた。突っ込んできた俺らに向かって眼鏡が叫んだ。

「何があったんですか? たった今、通信で領友会がテロリストとして指名手配されたと傍受しました」

「話は後だ!出せ!全力で壁まで戻るぞ!」


バンはタイヤを軋ませて発進する。俺は、息も絶え絶えに後部座席で呟いた。

「な……なんだよ、それ。俺たち、もう……」乾いた笑いしか出ない。

「熊どもと戦うために槍を持っていたのに、いつの間にか国家反逆罪者か」


バンが「防熊ウォール」のゲートに着くと、壁の上はサーチライトと治安維持局の小銃で埋め尽されていた。『そこにいる領友会車両! 貴様らは、国家への反逆、及び"敵性存在"(熊)との内通容疑で拘束対象となっている!』

あの七三の声だ。

「チッ……」髭が、運転席でハンドルを握りしめた。

「どうする。ここでヤるか?」

「無茶です! あの数相手は」眼鏡が叫ぶ。

絶体絶命の瞬間、別の方向から装甲バスの猛烈なエンジン音が響いた。

俺たちのバンとは別のゲートに、班長が一人で運転する装甲バスが突っ込み、バリケードを破壊したのだ。

「そ、そっちもだ! 班長の車両だ! 押さえろ!」 サーチライトと銃口の大半が、陽動を起こした班長のバスに集中する。

その一瞬の隙。

「おい新入り!」 髭が、俺の胸ぐらを掴んだ。

「俺と眼鏡は『外』で動く。お前は班長と合流し、『内』で時間を稼げ!」

「は!? なに言って」

「いいから行け! 投降するフリをして、班長と捕まれ! 七三は『主犯』二人を捕まえれば満足する!」

髭は俺をバンから蹴り出すと、眼鏡と共に、サーチライトの死角となっている暗闇へと消えていった。あいつら。俺を囮に逃げやがった、、、。

「逃がすな! 逃げたぞ! 二手に分かれろ!」七三の怒号が響くが、治安維持局の連中は、目の前でバリケードを破壊した班長のバスの制圧で手一杯だ。

俺は髭たちの意図を理解し、両手を上げながら、班長が制圧されたバスの方へ向かって走った。

「俺も投降する! 撃つな!」

七三は、逃げた髭たちの方を忌々しそうに睨んでいたが、主犯格の班長と、聖域侵入の証拠を拘束できたことで、ひとまず良しとしたようだった。

「…チッ。残党は後で掃除すればいい」

俺と班長は、持っていたヤリを捨て、囚人として治安維持局本部の地下牢にぶち込まれた。


独房は、床がコンクリでメシがマズイ。

カツ、カツ、カツ…。 独房の前に、七三が一人で現れた。

「気の毒に思うよ、新入り君。君の故郷が"掃除"されたのは、不運な事故だ。……いや、必要な『コスト』だったかな」

コスト? 黙っているままの俺に向かって男は、まるで株価のチャートでも読むように、淡々と続けた。

「この国は詰んでいたんだよ。地方の高齢化、維持できないインフラ。これらにかける年間費用がいくらか君は知ってるかい? そこで我々は『決断』した。優秀な頭脳が集まるこの首都を生かすために、不要な四肢を切り捨てる、と」

涼しい目元をこちらに向けながら不敵に笑い続ける。

「熊どもは、都合の良い"メス"だった。ヤツらが欲するのは領地そして、あの聖域である山が欲しかった。我々は『地方』が邪魔だった。そしてエネルギー問題この利害が一致したのさ。ヤツらのおかげで国のお荷物は綺麗に掃除されたよ」

「ふざけるな!それが人間のやることか!」俺は鉄格子に掴みかかった。

「人間だからさ」

七三は俺を鼻で笑って答える。

「我々は人間だ。ケモノのようにその時だけの感情・損得で動かず、未来のために『大局』を見る。それが我々、秩序(カベ)を守る人間の仕事だ。現実を見てみろ。無駄が省かれ、首都圏への一極集中によって日本経済は大きく成長した。そして次はこのエネルギー不足もメガソーラーの増設で解消される。明るい未来が君には見えないのかい。私から見ればそれを邪魔しようとする君たちこそ駆除されるべき害獣なのさ」

「そのせいで多くの市民が、人々が苦しんでいるんだぞ」

「それも必要なコストだよ。苦痛を伴わない改革はないからね。大切なのはその先だ」

言いたいことを散々言ってやつは離れていった。遠くなっていく革靴の音を聴きながら 俺は独房の冷たい床に崩れ落ちるしかなかった。

第八章:クーデター


独房でふてくされていると、遠くからけたたましい警報音が響いた。

「緊急事態だ!ウォール・ゲートが…!」 「なんだ?! まさか……ヤツらか……!?」 看守たちが地上へ駆け上がっていく。

次の瞬間、凄まじい爆発音が、俺の独房の扉を吹き飛ばした。

「ゲホッ、ゲホッ…」

煙の中から現れたのは、髭と眼鏡だった。

「おい新入り。いつまで寝てやがる。掃除の時間だ」

「VIPルームにご招待とは、いい御身分だ」

「班長がこっそりこちらに送ってきたメッセージで『テロリストらしくクーデターしてやれ』と息巻いてましてね。七三が全権を掌握する前に、我々が首都の指揮権を奪取する、と」

俺たちは武器庫を襲撃し、班長とも合流した。班長の独房は何故かカーペット敷きで、食いかけのカツ丼が置いてあった。

「班長……アンタ、食ってたのか……」

「うむ。七三も、元同僚への最低限の礼儀は忘れていなかったようだな。さあ、行くぞ!」

俺たちが地上に出た時、首都は地獄と化していた。「防熊ウォール」が、無残にも破壊されていた。無数の熊が、市街地になだれ込んでいる。

首都を護るはずだった防壁が、まるで湿ったクッキーのように砕け散っていた。濛々と立ち上る粉塵と、そこかしこから響く絶え間ない悲鳴が、床が傾いだこの高層フロアまで這い上がってくる。

「あり得ねえだろ。あの壁があんな簡単に」

俺の乾いた呟きに、分厚いレンズの奥の目を細め、「眼鏡」がタブレットをタップしながら答えた。

「どうやら手抜き工事のようです」

「あの七三、自分の息のかかった業者に工事を発注して、予算を横流ししてたんだ」髭のおっさんがニンマリと嫌な笑みを向けた。

「あのクソ七三野郎……! でも何で熊たちは首都を襲ってきたんだ?」

「その原因は政治家たちと資本家どもが密約を破ったからです」

眼鏡は忌々しげに、傍受した通信記録の音声を再生した。スピーカーから、聞き覚えのある政治家のヒステリックな金切り声が漏れ出す。

『……だから私は悪くない! ケモノがどうしてたかが山一つにこだわる!』

『聖域に手を出せばどうなるか、分からなかったのか! 国内情勢も知らん外資連中に唆された結果だぞ!』

『聖域だの何だの、私は何もそんな話を聞いていない。知らんことを責めるな』

ノイズ混じりの醜い罵り合いを、眼鏡が冷たく断ち切った。

「……聖域(A地区)に、手を出した」

「ええ。メガソーラー開発の拡大と銘打ってね。熊たちとの不可侵の密約を、金のために破った。……それが、引き金です」

……そりゃ。キレるわな。自業自得だ。だが、そのツケを払わされているのは、今この瞬間も瓦礫の下敷きになっている市民だ。

「当の政治家どもは?」

「ご覧の通り」

眼鏡がタブレットの画面を俺に向ける。赤外線サーマル映像だろうか、地下シェルターへ続く通路らしき場所で、十数人の小綺麗な人影が、我先にと押し合いへし合い逃げ惑っている。

「『私は悪くない』『私を誰だと思ってる』『謝罪なぞせんぞ!』……自己保身の言い訳だけは一丁前に繰り返しながら、このザマです。滑稽ですらありますね」

その時、地鳴りのような咆哮がビル全体を揺るがした。 俺たちを覆っていた煙が、まるで巨大な何かに息を吹きかけられたかのように、一瞬で晴れる。

「……!」

視界が開けた先。首都で最も高いはずだった電波塔の、ねじ曲がった残骸の上に、奴がいた。他の熊たちとは比較にならない巨躯。月光を鈍く反射する、無数の傷に覆われた黒い体毛。

あの巨体の「ヌシ」が、二つの紅い瞳で、自らが招いたのではないこの崩壊を、ただ静かに見下ろしていた。

第九章:五つ巴と偽物のケモノ


テレビ局のビルが熊に破壊されるのを横目に、俺たちは奪い返した槍を握る。

治安維持局は、俺たち難民が住むスラム街を緩衝地帯にして、「超富裕層エリア」のタワマンだけを必死で守っていた。

「班長!どうすんだよ!」俺が無線で叫ぶと、班長の咆哮が返ってきた。

『我々の目的は三つ! 一つ! 熊の群れを食い止め、市民の避難経路を確保! 二つ! 混乱に乗じて市民を見捨て、逃げようとする政府役人と資本家たちの捕獲! 三つ!暴れる害獣どもの掃除だ!』

その時、俺たちが見捨てたはずのスラム街から、新たな叫び声が上がった。

「俺タチ、熊モ人間モ信ジナイ! ココガ、俺タチノ国ダ!」

ウォール建設のために酷使された「外国人労働者」たちが、生き残るために武装蜂起したのだ。

「冗談じゃねえ…!」 俺は、乾いた笑いを漏らした。

「どこもかしこも敵だらけじゃねえか!」

熊、政府、宗教、第四勢力。そして俺たち。五つ巴のバトルロワイヤルが始まっていた。


七三のいるビルを目指す途中、やたらとタフで、槍が浅くしか通らない「熊」が立ちはだかった。

「チッ…硬えな、コイツ」 髭が舌打ちする。


「新入り、足を狙え!」助言に従って俺が下半身を突き、ヤツの体勢が崩れた瞬間、髭が首筋(関節部)に槍を突き立てた。


「グオ……」 ヤツは倒れた。だが、血が出ない。

それどころか、首筋の破れた「毛皮」の隙間から、見えたのは……。


「……は?」

人間の目だった。俺がよく知る、恐怖に歪んだ目だった。

「うわっ!?中から人が…!」

俺は思わず後ずさる。

「ケッ、面倒くせえ」髭は、その男の「着ぐるみ」を槍で引き裂いた。

「本物じゃねえ、フェイクだ」

「お前……まさか!?」見覚えのある顔に俺は叫んだ。

毛皮の奥から出てきたのは、戦場から逃げ出した、あの「同期」だった。

「お前、なんで」

同期は、血を吐きながら俺を見つめ、狂ったように笑った。

「あの戦場で……知ったんだよ」

「何をだ!」

「圧倒的な暴力こそが……救いだってな……! このクソみてえな日本を救うには……獣にならなきゃいけねえんだ」

同期はその身に着けている毛皮を誇らしげに掴んだ。

「壁の内側で助けを待ってたって、誰も来やしねえ! だから俺はケモノに!……」

最後の言葉を言い残してアイツは、そのまま動かなくなった。力に憧れ、ケモノに溺れた男。俺たち人間に「掃除」され、偽物の毛皮の中で死んでいった。

「……」

「こんっ……裏切りもんが……」俺は、死んでいった愚かな同期に向かって吐き捨てるように呟いた。結局、こいつも「壁」から逃げたかっただけじゃねえか。やり場のない怒りを、槍の柄に叩きつけるしかできなかった。


「なるほど!」いつの間にか隣にいた 眼鏡が、同期の残骸を冷静に分析する。

「特注の防弾・防刃繊維アラミドを編み込んだ熊着ぐるみですか。なかなか、これは合理的ですね!」感心しながら眼鏡は目を輝かしていた。

第十章:進撃の熊


戦いは激化し、俺たちの槍は穂先が欠け、防具もボロボロだった。 その時、さっき倒した同期の残骸……その血と泥に汚れた「熊の毛皮」が目に留まった。

「……おい」

髭の静止を振り切って、俺はその特注の毛皮を剥ぎ取り、羽織った。獣の生臭さと、元仲間の汗が染みついた「裏切り」の臭いが混じり合い、反吐が出る。

「……おいお前、趣味が悪いぞ。追い剥ぎで獣のフリか?」

髭が、片目を眇めて俺を見る。

「ああ、」俺は、剥き出しになった槍の柄を握り直す。

熊どもも、政府も、宗教団体、外国人労働者。壁の中も外も、どこ見てもケモノだらけじゃねえか。


「ヤツら全員駆逐するためなら、俺はケモノでも熊にでもなってやる」

毛皮を纏った俺が、槍を構える。ケモノたちが暴れ回る地獄の楽園に向けて。あのクソ七三と、ヌシのいる場所へ。

「行くぞ!」

俺たちは、この理不尽な壁もろとも全てを破壊しようとするケモノどもに向かって、突撃していった。

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進撃の熊 NiHey @jantyran

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