「COUNT DOWN」(8ヶ月)

ナカメグミ

「COUNT DOWN」(8ヶ月)

1978年3月(8)

 季節の変わり目は、昔から得意ではない。落ち着かない。

 先月34歳になった。若いころはもっと明るかった。

心臓肥大で、激しい運動は高校時代から禁じられた。でも漫画を呼んだり、パチンコしたり。長身で腰高だから、田舎で目立つおしゃれをして飲みに行ったり。

 20代のころ。真っ赤なシャツを着て連日、友達と遊んでいたら、気性が荒い母親が「おまえはチンピラか」と言って、高かったシャツをストーブに入れて燃やした。 

 

 今の楽しみは、テレビを見るくらい。仕事の負担が増えたせいか。

 24歳で、同じ高校だった妻と結婚。この港町に移り住んだ。

 商店の一角で、2人で果物屋を営んだ。取り引きがあった青果の仲卸の会社の社長に気に入られて、勤め始めた。小規模な会社だが専務になった。取引先を拡大する成果は求められる。

 社内の年上の社員への気遣い、取引先への接待が増えた。

     * * *

1978年4月(7)

 5歳の1人娘が幼稚園に入園した。1年保育。

 家を建てたのは、いわゆる新興の文教地区。周りの子どもたちは、3年か2年保育らしい。俺も妻も、子どもの教育にはあまり興味がなかった。だから1年。

 入園式には行かなかった。青果卸の仕事は、早朝3時に車で1時間弱かけて出社する。入園式で休暇を取る余裕はなかった。


 1人娘は結婚4年目で授かった。

 幼いころのおたふく風邪の高熱のためか、俺の精子の数は乏しかった。妻も造影剤を流して検査したら、子宮頸管が詰まり気味だった。諦めたころに授かった。

 男の子が欲しかった。一緒にキャッチボールをする過ごし方が浮かびやすかった。

 世の中を騒がせた「あさま山荘事件」の年の11月。女の子が生まれた。 

 名前は、漢字1文字の2つの候補で最後まで悩んだが、自分と同じイニシャルになる1つを選んでつけた。

     * * *

1978年5月(6)

 ゴールデンウイーク。妻は娘が喜ぶからと、朝早くから弁当を作って動物園に行こうと計画した。1時間半以上運転して着いたら、駐車場が満車だった。せっかく来たから、空くのを待とうという妻を無視して、そのまま帰途につく。車内での口論。困惑してる娘。怒りっぽくなった。

 下旬。久しぶりに楽しい休日だった。地元のチューリップまつり。この季節特有の鉛色の空で肌寒い日だったが、公園に咲き乱れるチューリップを、娘と手をつないで見た。

 2人ともしゃべる方ではない。妻だけが「きれいだね」「もう少しゆっくり見よう」とはしゃいで、結局ひとりで迷子になる。

 娘と2人で屋台に入って、炭火で焼いたツブを食べる。巻き貝の中に一滴、醤油を垂らす。つまようじでひねり出す。娘もうまそうに食べている。

     * * *

1978年6月(5)

 青果の仲買人は、頭が命。割り当てられた数字が書かれた帽子をかぶる競り市場。

せり人が競りにかける青果を、品種、産地、質、販路、利益を組み立てて「買い」か判断。希望の買い値を、声を出さずに指で示す「手やり」と呼ばれる方法で、競り落とす。

 数字が命。 同僚が「人間計算機」と冗談でおだててくれた脳みそが、最近、うまく働かない。頭の中に霞がかかったようで、数字が瞬時に出てこない。

 同僚も気づき始めた。

     * * *

1978年7月 (4) 

 中旬。これまでの小規模なものとはちがう、大きなミスをした。

幼稚園が休みに入ったと同時に、家族3人で海沿いの故郷に帰る予定だった。車で3時間以上、運転して毎夏行く。

 でも仕事のミスのあと処理に時間がかかった。妻と娘に、列車を乗り継いで2人で行ってもらった。遅れて着いたが、いとこの子どもたちが集まってやかましい。親に会って、早めに帰ることにした。


 ある日曜日。妻が近所の葬儀の手伝いに行った。1日中、娘と2人。昼食に、当時売り出し中だった冷たいラーメン「つけ麺」を作って食べた。麺を茹でて、ザルにあげて、水で冷やす。ついている麺つゆにつけて食べる。具材も薬味も野菜もなし。

俺も娘も麺好き。黙ってすすった。

 3時のおやつに、近くのスーパーにショートケーキを買いに行った。

ついでに、幼稚園に通うためのカバンも。最初は妻が縫ったものを持って行っていたが、みんな市販のキャラクターものらしい。

 娘は、「キャンディ♡キャンディ」という漫画のキャラクターが描かれた赤いバッグを選んだ。

     * * * 

1978年8月(3)

 上旬。漁業で栄えるこのまちの海は、夏でも冷たい。故郷の海は比較的温暖だったから、健康だった子どものころはよく泳いだ。

 海水浴など普通はしないが、珍しく暑い日曜日があった。妻と娘と海に遊びに行った。娘は水着を着ているが、泳げない。波打ち際で砂遊びをする程度。

 ただの思いつきで、娘が大事に遊ぶ赤いミニバケツを、海に放り投げた。娘は泣き叫びながら海に向かって走る。どうせ返す波で、すぐに戻ってくる。戻ってきた。

 久しぶりに腹の底から大笑いした。妻はなにをするのかと、本気で怒っていた。

     * * *

1978年9月(2)

 1つの歌が気に入って、繰り返し、買ったばかりのレコードプレーヤーで聴き続けた。地元の有名な女性シンガーソングライターの歌。「わかれうた」。B面は「ホームにて」。早朝の勤務から帰宅するのは昼過ぎ。それから繰り返し聴く。

 娘が幼稚園から帰ってきた。

 ある日、娘が聞いた。

「よそのパパは夕方まで働いているのに。どうしてパパは幼稚園から帰ってきたら家にいるの?」。

 説明するのが面倒くさくて、苦笑いした。

 このまちの秋の空気は涼しいが、家の中を風が通ると気持ちよい。窓を開けて、大音量で歌を流し続けていたら、隣りの家から苦情が来たと妻に怒られた。

     * * *

1978年10月(1)

 初旬。新車を買った。車は好きだ。

 若いころの一時期、故郷でトラックの運転手をしていた。

 この家を建てる前は、濃紺のスカ✕ラインに乗っていた。

今回はいすゞのジェ✕ニ。流行っているらしい。白っぽい銀色。支払いは現金一括。本当は分割払いの方が手数料が入るから、車を売る側としてはそちらの方がありがたいらしい。でも商売のならい性として現金払い。

 運転は好きだから、これで気分転換ができるといい。

 

 中旬の休みの日。中心街に家族で買い物に行った帰り道。スピード違反で捕まった。新車を路肩に止めて、妻と娘を残してパトカーに乗った。点数を引かれた。 

 

 下旬、悪い夢を見るようになった。森の中で自ら首をつる夢。決まって首をつる瞬間に、叫び声をあげながら目が覚める。妻が病院に行くようにといったが、どこの病院に行けばいいのか、わからない。

 接待で飲む外での酒の量が増えた。玄関先で正体をなくし、介抱する妻。様子を見に来た娘に、「部屋に戻りなさい」と叫んでいた。

     * * *

1978年11月(0)

 初旬。早朝に起きるのがつらい日が増えた。ベッドの中から起き上がれない。会社に迷惑をかけない日に、欠勤する旨の電話をかけてくれるように、妻に頼んだ。妻は

「自分でかけなさい」と言ったが、ベッドから起き出して電話をかける気力が、もうない。

 歯医者から再三、来院するように電話がかかってきた。先月下旬、虫歯が痛んで治療に行った。詰め物の型を取った。詰める銀のパーツが出来上がったから、早く来るように、とのこと。妻が、ついていってもいいから早く行くように、という。

もうその気力がない。


 10日。娘の6歳の誕生日。いつも集まる会社の同僚5人が祝いに来てくれた。

プレゼントを持ってきてくれる人もいた。いつもの宴。飲んだら必ず泣き出すヤツ。いつもの光景。グラスに、炭酸が既に抜けたビールが残っていた。奥の和室で人形遊びをしていた娘を呼んで、リンゴジュースだからと、飲むように言った。娘はいぶかりながらも飲んで、苦さに泣きそうな顔になった。その様子を見て、同僚と笑った。

 

 11日。会社でナイフを買った。青果の現場で、梱包の箱を開けるナイフは必需品。今、愛用のものも十分に切れる。でも新品の方が、もしもの時にはよいかもしれない。

 12日。妻に、娘と家族3人でドライブに行こうと誘った。妻は用事があるからと、断った。

     * * * 

 14日、午前3時前。出社の準備をした。丸首のトレーナーは嫌いだ。競り市場は寒いから、肌着を重ね着して、襟が立ったワイシャツを着る。裏地がついた厚手のえんじ色のジャンパーを着る。ズボンは、お気に入りの2本で迷った。濃いグレーの1本を選んで、ベルトを締めた。

 妻が見送る。娘はまだ寝ている。新車のエンジンをかけて家を出た。

 

 会社に顔を出したあと、競り市場に行くのがいつもの流れ。海を左手に見ながら走る1本道を行けば、会社に着く。そのかなり手前で左折すれば、またちがう道。

 どちらか。

 左にハンドルを切った。


 午前6時50分。岸壁。真正面に朝日に輝く海。海は好きだ。煙草も好きだ。

 右手にナイフ。終わらせるには、小さすぎた。

 数字の計算とちがう。合理的な判断はもうできない。家族の顔も浮かばない。

 楽になりたい。

アクセルを踏んで、車を前進させた。

(了)











 







 

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