とある異世界の妖精診療所

風丘 春稀

カルテ1:グールの保護

1. 孤独の夜明け

 グールとかいう生き物を保護することになった。そう、あの伝説上の生き物『グール』のことだ。診療所の近くの山で、弱っているところを見つけて連れてきた。


 奴らは死肉を貪る化け物で、墓を荒らして死体を食うといわれている。言い伝えでは、体は半分腐っていて、頭は人間と犬の間のような顔をしているというが、実際出会ったグールは想像とは真逆だった。彼の容姿はほとんど人間と変わらなかった。違うところと言ったら、金色の目と尖った八重歯が目立つくらい。


 俺の身長が176cmで頭ひとつ分小さく、色白で凄く痩せていていた。皮膚は腐ってはいなかったが、土と糞尿を体に擦りつけたようなひどい獣臭が漂ってきたので、まずやることは洗浄だった。


 バスルームに連れて行こうとしたら出入り口で粗相をされ、その掃除をしている間に四つん這いになりながら出て行こうとするので慌てて連れ戻す。


 何とか羽交い攻めにしてバスルームに連れて行き、全身にシャワーを被せる。お湯に慣れていないようで、熱すぎたせいか「クゥークゥー」と泣き始めた。その図体でどこから出ているのか分からない子犬のような泣き声でつい水を止めてしまいたくなったが、心を鬼にして洗い続けた。


 何度もバスルームから脱走しようとするので、可哀想だとは思うが無理矢理浴槽に体を突っ込み、柔らかめのスポンジとタオルを使ってゴシゴシと体を擦る。何度もシャンプーをしていると髪にこびりついた汚れが取れ、焦げ茶から金髪に近い髪色に変わった。これが本来の彼の髪なのだろう。


 ここまでしなければならないのは、何らかの病原菌に感染している可能性があるからだ。我々〈ヒム族(人間のこと)〉に伝染する恐ろしい病気もあるため、この工程は絶対に手を抜いてはいけない。


 無事に洗浄が終わっても、まだやることが山ほどある。感染症の検査、そして糞尿検査。通常、ヒム族が触れても良いと判断されたら診療所から看護施設に移動される。だが、グールは攻撃性があるため、施設に入ることは許されない。診療所に特別に設置された個室で経過観察をすることになっている。


 俺がグールを見たのも保護したのもこれが初めてだった。人形をした妖精は山ほど診てきたが、こんなに手がかかったことはない。妖精にも多数の種族がおり、個々の文明の中で生きているからだ。独自の言葉を持ち、ヒム族の言葉を理解できる種族もいる。


 おとぎ話に出るような、魔法で火を操ったり、天変地異を起こしたり、派手な能力を使える種族はいない。あれは所詮、おとぎ話の中の存在に過ぎない。彼らはヒム族とは似て非なる身体構造をしており、体格や大きさも違えば、住む環境まで様々。


 グールは正式な種族名がついているわけではない。その理由は数が少ない希少種で、群れを作らず、同族間で言葉を持ったり文明を築くことがないため、観測するのが非常に困難だとされているからだ。


『グール』は文字通り実際に存在する伝説から当てつけられた仮称に過ぎず、不遇な扱いを受けている。そう、まるで一匹狼のような、哀れで可哀想な妖精なのだ。


 グールを専門に研究している【ノルカ・キュール】という学者がいる。彼女曰く、グールの精神年齢は成体でも1〜3歳程度しかなく、言葉を覚えることはほぼ不可能だといわれている。警戒心が強く、特にヒム族が近づくと逃げていくか、歯を剥き出しにして威嚇体勢に入る。スイッチが入ると相手の体の一部がぶっとぶか死ぬまで攻撃をやめない。だが、本来は温厚でビビりな弱い生き物なのだ。


 今から500年前、この小さな村〈サトラ〉では、かつてグールの乱獲が行われていた。家畜を襲い、土葬された死体を掘り起こして食べたりすることがあるため、駆除対象にされてしまったのだ。そうなるとどんどん生存数が減り、絶滅寸前だったところを妖精保護団体〈FPT〉に保護された。


 ところが、彼らに残した傷は深く、それ以来ヒム族をひどく恐れるようになってしまったのだ。被害に遭ったグールたちが我々を「自分たちを傷つけてくる種族だ」と覚えてしまい、その警戒心が子孫にも受け継がれてしまったのだ。


 だが、現在はグールの駆除は法律で禁止され、FPTの保護枠に入っている。だからハンターは余計なことはできないはずだ。ノルカもFPTの役員で、グールを保護したら即彼女に連絡する必要があった。


「こんにちは〜。あららららら、かわいいグールちゃんねぇ」


 ノルカが猫撫で声で診療所に入ると、廊下を突き進み小さな個室に入った。端にある格子付きベッドに座り込んだ小便小僧にゆっくりと歩みを寄せていく。


 シャワー戦争の後で威嚇する体力すらないようで、体を丸めて、金色の目を光らせながら彼女を睨みつけるだけだった。


「この子、とても痩せてるわね。ごはんは?」


「まだあげてないんだ。ちょっと休憩……。もう……大変だったんだぜ。森の中ではあんなにうずくまってて辛そうにしてたのに。こうなったらエンジェルたちにヘルプ出すんだったぜ」


 エンジェルとはグリッフ族という妖精の愛称で、背中に鳥のような翼が生えているのが特徴だ。彼らは賢く、ヒム族の言葉を理解し喋ることもできる。唯一の難点と言えば、ヒム族の平均身長の3倍はあるということだ。それに比例し、筋力も強い。


 あんなもんが診療所に入ってきたら医療器具が悲惨なことになるため、基本的に成体のグリッフ族の診療は野外でやることになっている。


「ダメダメ! あの子たちに任せたらこの子がぺちゃんこになるわ」


「冗談だよ。ああ、もう日が暮れるなぁ。飯何か食ったか?」


「まだよ。今日はちょっと忙しくてね」


「保護要請が続いてるのか?」


 ノルカはグールの顔を覗き込みながら、不安そうに眉を垂らして「そう」と答えた。


「実はね……また始まったみたいなの。『グール撲滅運動』。最近この近くであったでしょ。農家が襲われる事件」


「ああ、ナタで追い払おうとしたら返り討ちにあったってやつか」


 彼女は再度深く頷くと、俺の向かいにある丸椅子に座り込んだ。


「その襲ったグール、一歩手前で射殺されたわ」


 涙を堪えているのか、震える唇に力を入れているように見えた。


「それは……気の毒に」


 俺がそう言うと、ノルカは俯いて頬にこぼれ落ちた涙を拭った。


「でも、その農家は亡くなったみたいだし、襲ったグールも味を占めて他の村人を襲うかもしれなかっただろ?」


「そうなんだけど……。本当の問題はそこじゃなくて、無害なグールたちも、その撲滅運動で駆除されるかもしれないってことなの。またハンターたちが動き出した」


「グールハンターなんてもうとっくにいないはずじゃ──」


 俺がそう言いかけると彼女は強くかぶりを振った。


「あいつら、法を免れて密猟してたみたいなの。今までもたくさんのグールがその犠牲になってきた。この子も例外じゃない。もし元気になっても森に放ったら狙われる」


「だけど、グールは看護施設には入れないよ。ずっとここに置いておくわけにもいかないし。それに……俺らに上手く手懐けられるかも分からない。今は噛まれやしなかったけど、これからどうなっていくか分からないよ」


「分かった……」


 彼女は立ち上がると深く息を吸い、俺を真っ直ぐに見た。


「私が引き取る!」


「お前バカなのか!?」


 あまりに突拍子もないことを言い出したため、つい大きな声を上げてしまった。その直後、横から「グス……グス」と鼻を啜るような音が聞こえ、俺たちは同時にベッドの方を向いた。


 グールが泣いていた。背中を震わせて、枕元の近くで丸くなっていた。目からは大粒の涙が流れていた。


「ああ、ごめんね。君に怒ったわけじゃないんだよ? 怖かったね。ほら、お姉ちゃんは何もしないよ。叩いたりしないから、おいで」


 ノルカはそう言いながら、右手を格子の中に突っ込んだ。


「おい、やめ……」


 危険と判断し彼女の手を引こうとすると、左手を立てて遮った。


「大丈夫だから……」


 ノルカはどんどん手を奥に入れていく。グールの顔の前まで伸ばしていた。ところが、グールは威嚇する素振りを見せず、滴が垂れる目をパチパチさせながらその手を見つめていた。


「触ってごらん。怖くないよ」


 彼女の言葉に反応し、グールがそろそろと恐る恐る距離を詰めてきた。


「おかしい」


 俺はその違和感を見逃さなかった。こいつは、言葉を理解している。研究では、普通のグールは言葉を話すことも、理解することもないといわれている。だが、彼は言葉を言葉として受け入れているのだ。


「……ねぇ、見て」


 いつの間にかノルカの手のひらに、グールの頬が当たっていた。彼女は頬を優しく撫でながら、彼の頬に残った涙跡を拭っていた。


「いい子ね。お腹空いたでしょう? ごはんあげるからね」


 彼女は立ち上がり、俺の肩を軽く叩くと部屋を出て行った。一緒に来いの合図だと分かった。彼女も違和感に気付いたのだろう。


 診察室に入ると、彼女は手を口元に当てながら何か考え事をしているようだった。


「やっぱりね……」


「おかしいだろ、あれ」


「あら、あなたも気付いてた?」


 俺が違和感に気付いたことに少し驚きを感じていたようだった。あのグールは普通ではない。少なくとも、自然にいるグールではない。


「人に飼われてたのか?」


「おそらくそうだと思う」


 大まか考えていることは一緒だったようだ。


「怪我はしてた?」


「ああ、お腹と背中にいくつかアザが……。それに、これも見てほしい。後で送ろうと思っていたんだが、来てくれたからちょうど良い」


 俺は印刷した写真をいくつか見せた。妖精を保護した際、体に怪我があれば必ず写真を撮り、カルテと一緒に看護施設に送付する。だが、これはFPTの役員であるノルカに送ろうと残したものだった。洗浄して、着替える間に撮っておいたものだ。


「これは……手枷かしら?」


「手だけじゃない。足首にも……。暴れて皮が擦り切れたんだろう。怪我してるところはカバーして洗浄したから大丈夫だと思うが、内臓はこれから診てみないと分からない。こいつは拘束されていたのかもしれない。どういう目的があったんだか知りたくもないが、どうやら猟奇的な奴がいるらしいな。これは虐待だろう。一刻も早くお前に伝えたかったが、もう疲れ果ててしまってな。偶然だったが、お前が来てくれて助かったよ」


「野崎先生、本当にありがとう」


 ノルカは俺の肩に手を乗せ感謝を述べると、感極まって涙ぐんでいた。


「とりあえず、まだやることがある。その前に腹ごしらえだな」

 

「それなら任せて! この子のごはんも作っちゃおう」


 俺たちは診療所の2階に上がった。2階は居住スペースになっており、俺の家でもある。


 ノルカは早速リビングに入ると、真ん中にポツンと置かれた正方形のテーブルにガスコンロを置き、その上に水を張った土鍋を置いて火をつけた。


「先生の好きなうどんにしようと思って。具材買ってきておいたんです。でも、凄いですね。先生がいた世界には、こんなに美味しい料理があるのね」


「ああ、まあな」


 俺はこの地域、いや、この世界の住人ではない。初めてこの世界に来た時、なかなかコミュニケーションが取れず右往左往していた。そんな時、FPTのノルカと出会った。


 実はノルカも元々この世界にいた住人ではない。俺は日本人で、彼女はポルトガル出身。動物病院で獣医師として働いていた。昔から度々俺たちのような異界の人間がやってくることがある。だが、よくある転生とか、何らかの事故でここに落とされてしまったわけではない。ちゃんとした経緯がある。


 俺の親父もこの世界で妖精の医者をしていた。この診療所は代々俺の家系が継いでおり、その歴史は200年前、俺の先祖が深い森の奥で光る池を見つけたところから始まる。


『シャイニーポンド』と呼ばれたその池は世界中で見つかっており、現れたかと思うと忽然と干上がる幻の池として都市伝説化していた。俺の住んでいた日本でも、何十年と語り継がれる言い伝えがあった。


 とある娘が、誤って池に転落してしまい、見つからないままその池は干からびてしまったという。両親は彼女が死んでしまったと思い悲しみに暮れていた。ところが、数年後に少女は大人の姿となって村に帰ってきたのだ。話を聞いてみると、あの事故の後、違う場所の池から弾き出され、通りすがりの妖精に助けてもらったのだというのだ。


 この話はあくまで伝承として語り継がれていたが、長年の研究で、その水には次元を操る力があることが判明した。その効果を発見したのが俺の先祖たちなのだ。


 先祖はその水を回収し、100年以上かけてとある装置を発明した。『次元転送装置』である。


 風呂のような長方形の桶に光る水を張り、身を沈める。俺は、その装置を使ってここに来た。この世界にも同じ装置があり、水が存在する限り行ったり来たりできる。現存している池や装置の場所を記憶していれば、考えただけでその場所に行くことも可能なのだ。


 だが、俺は当分元の世界に戻るつもりはなかった。それはノルカも同じようだ。現実世界に良い思い出がないのはお互い様だった。


 ノルカと出会ったのは、怪我をした子供の妖精を手当てしていた時だった。彼女はすでに役員として活躍しており、妖精たちとも難なくコミュニケーションを取っていた。それから俺は彼女から妖精の言語を教わり、今は不自由なく現地の言葉も話すことができている。


 この世界には妖精という種族がいても、それ以外摩訶不思議なものはなく平凡であった。異族間の摩擦はあっても、大きな争いには発展せず、比較的平和な世界である。


 だが、この世界の妖精は異様に抵抗力が弱い種族が多い。特に皮膚病や呼吸器疾患が多く、特定の種族にしかからない未知の病気まである。まだ全ての種族の身体的特徴を把握しているわけではなく、診察と同時に、日々の研究は欠かせなかった。


「ちょっとあの子にごはんあげてくるね」


 ノルカが下に降りようとしたので、呼び止めた。


「その前に少し中身を見せてくれないか?」


 ノルカはプラスチックの器に入ったものを見せてきた。だが、そこには野菜や肉をペースト状にしたものが入っていただけだった。


「なるべく消化を良くしようと思って、ミキサーにかけたのを冷凍しておいたの。怪我以外で、どこか痛がってる様子もなさそうだし、これなら食べさせてもいいかと思ってね」


「そうだな。これなら与えても大丈夫かもしれない。でも、何かあったら心配だから一応俺も行くよ」


 個室に入ると、グールはさっき同じ位置にちょこんと座ったまま、首だけ動かしてこちらを見つめていた。その表情にはもう恐れや怒りは出ておらず、無表情だったが落ち着いているようだった。ノルカが近付くと、くりっとした目を瞬きさせ持っている器に興味を示していた。


「お腹は空いてるみたいだな。扉、俺が開けるよ」


 大きな音を出さないように、格子扉の錠をそっと外し開いた。ノルカが中に入ると、びっくりしてベッドから飛び降り、格子の隅に蹲った。まだ多少警戒しているようだが、牙を剥くことも、最初の時みたいに睨みつけることもなかった。


「君もおいで。美味しいよ」


 ノルカはそう言いながら、ペースト状になった食べ物をスプーンですくい上げ、自分の口の中に入れた。この行動には意味がある。


 グールの中には、悪意のあるハンターに神経毒や睡眠薬が混ざったものを食べさせられる個体がいる。後々処分しやすくするために、至る所に罠を掛けておくのだ。何も入っていないことを証明するために、まずは自分が食べて安全であることを教える必要がある。


 こいつはノルカが怖いわけではなく、その容器に入った食べ物の匂いを嗅ぎ取り警戒したのだろう。食べ物を怖がるということは、過去にそれで嫌な思いをさせられた可能性があるということだ。


 その様子を見て警戒が解かれたのか、細い足で踏ん張ってよろよろと立ち上がった。左、右と足を引きずりながらゆっくりと近づいていく。ベッドに備え付けられたテーブルに乗った容器に顔を近づけ、クンクンと匂いを嗅いた。


「はい、どうぞ」


 ノルカはペーストをすくい直し、グールの顔の近くに寄せた。彼は再度匂いを嗅いで、安全を確認するとゆっくりと口の中に運んだ。モゴモゴと口を動かし、出さずに飲み込んだ。次は自らスプーンに口を近づけた。


「成功したみたいね。あ、いけない。お鍋見てこないと。先生、お願いできる?」


「いいけど……」


 不安がよぎった。さっき洗浄であんなに乱暴に扱ったものだから、きっと嫌われているに違いないと思った。言葉を続ける前に、ノルカはもう部屋を出てしまっていた。仕方なく、テーブルに置かれたスプーンを手に取ろうとした時だった。


「……ま……んま」


 口をパクパクさせながら、声が混じった息を吐いていた。


 何か喋ろうとしている。俺にはそう思えた。もどかしくなったのか、今度は机に置いていたスプーンを手に取って、俺のそばに歩み寄ってきた。


 二つの足首に残った痣が痛々しく、枯れ枝のような脚を小刻みに震わせながら、スプーンを俺の胸に押し付けた。


「食べさせてほしいのか? それとも、俺に食えって?」


 彼は俺の目を見ながら右手を閉じ、指先で自分の口元を突いた。


(食べさせて)


 そういう意味だと受け取り、ペーストを一口分すくって彼の口元に寄せた。そうすると、嬉しそうに目を細めてそれを口に入れた。


「……ちい……(おいしい)」


 目を光らせながら、もぐもぐと口を動かしている。どこか愛らしく、俺が想像していたグールとは一線を画していた。


「お前、言葉が分かるのか?」


 俺の言葉に、彼は小さく頷いた。


 前代未聞である。まさかこの世界に、人語を理解できるグールがいるとは。確かに伝説には、言葉を理解し操るグールが存在する。だが、現実のあの有様を見て以来、そんなグールは存在し得ないと思っていた。


「なぁ、分かるなら教えてくれ。君はどこの家にいた? 君に乱暴したやつは誰だ? 話せないなら、さっきみたいに手で。簡単でいいから、教えてくれないか?」


 複雑な言葉の意味は理解できないらしい。その質問に対する彼の返答は、首を傾げただけだった。ただ、何か俺が喋っていることは理解できるらしい。スプーンを持つ俺の手を引き寄せ、スプーンを口に近づける。そんなことよりも早く飯が欲しいようだ。


「そうか……。そうだよな」


 やはり、人間並みの知能を持っているとは言い難い。訓練をすれば、ある程度のやり取りはできるだろうが、自立して人と同じ生活をすることはおそらく一生できないだろう。


 さっきバスルームで粗相をした時もそうだ。トイレに行きたい。お腹空いた。そんな当たり前の言葉さえも出てこない。他の種族からも馬鹿にされ、森の中にも人間社会にも居場所がない。


 胸の奥から込み上げてくるものがあった。言葉がないだけで、彼らにも心があり、それぞれの考えがあり、精一杯生きようとしている。『喋れない』というだけで、生きていく資格がないというのだろうか。


 もし話せていたら、コイツの運命は変わっていたのだろうか。俺たちとほぼ変わらない見た目をしているのに。一言でも、二言でも話せていたら──『人間』として見てくれるのだろうか?


 この世界のヒム族は現実世界の人間よりも平坦だが、時に冷酷な決断をする。妖精は妖精、人は人。太古から共存を拒み、自然と街を分断してきた。どちらかが侵略してくることもなければ、有効な関係を築くこともない。環境にとっては良いのかもしれない。だが、この悲劇はその無関心から起きているのだ。


 彼らの心を理解しようとする者はノルカを除いてはひとりもいなかった。俺もかつてはそうであったが、今は違う。ノルカはいつも、なぜグールが人里に降りてくるのか、その答えを探していた。


 彼らは居場所が欲しいのだ。何かに怯えず、飯にも困らず、ただ安心できる場所を探していただけなのだ。


 誰かが言っていた。グールは殺戮を好み、まるで生き物を玩具のように扱うと。仮にそれが、人間に対する『報復』であったらどうだろうか。苦しみをわかって欲しい。いつでも暖かい場所で、いつでも腹一杯に飯を食える俺たち人間を、妬んでいるのではなかろうか。


 もしコイツが人間の言葉を理解し、話せるようになったら、いつか俺たちの考えも彼らに届くのではないか。残酷なことを考える人間だけではないということを、分かってくれるかもしれない。


 俺はもう片方の空いている手をそっと伸ばし、首筋まで垂れ下がった彼の黄金色の髪に触れた。ピクリと肩を痙攣させたが、敵意はないと分かると、さっきと同じように顔を預けてきた。撫でられるのが好きらしい。


「俺のところに来るか?」


 一瞬だけ目を見開いた気がした。まるで、その言葉を待っていたとでもいうように。いい子にしていれば助けてくれる。前の主人からそう刷り込まれていたのかもしれない。だが、今は全てを受け入れる覚悟はできているつもりだ。


 お前の苦しみ、怒り、悲しみ。全てを受け入れる主人になろう。


 孤独のが明ける。ポルトガル語で『夜明け』を意味する〈アウロラ〉と名付けた。その名前を呼ぶと、アウロラは美しい艶やかな髪をなびかせてこっちを振り向いた。

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