第4章 数値を超えて -4

4 観測の消失



その晩は、ふたりでお料理をした。

ナスとキノコとベーコンを切って炒めてパスタに絡めるだけ。

それだけなのに、とても楽しい。


「うち、たいした台所用品無くて」

ボウルの代わりにお鍋を使って、切った野菜の水を切る。

「普段は外食か、どっかから買ってきて食べてるだけで」

田村さんが、まるで言い訳でもしているかのように話す。

「全くちゃんとしてないんだ」


「ちゃんとしてんじゃん……」

私はその様子に呆れる。

「男の人の一人暮らしで、お鍋とヤカンとフライパン、それに包丁まな板があるでしょ、十分ではないかしら」

私が一人暮らしをしても、これよりまともな台所である自信はない。

しかもそれが綺麗に並べられている。


フライパンで野菜とベーコンを炒めている間に、お鍋でスパゲッティを茹でる。

炒めたものに塩胡椒をして味を整えて、お鍋からお湯を切りすぎないスパゲッティをフライパンに移す。

軽く炒め合わせて、火を止める。


「上手ね」

私は彼のその様子を、横で見てるだけだった。

「いやあ」

少し照れながら、お皿に盛る。


お皿とマグカップは、私の分としてさっき買ってきてくれたらしい。

「これで、コーヒーを茶碗で飲まなくてもよくなった」

ってさっき言ってた。

それに、ペットボトルのお茶を入れてくれる。

「さて、食べよう」

私に私のお皿とカップを預け、彼は自分の分を持ってテーブルに移動する。


「ねぇ」

私はそれをいただきながら、つい思ったことを口走る。

「本当に、彼女いたことないの?」

「ないねぇ」

彼は笑う。

「要らなかったわけじゃないんだけどね、気づいたらずっと」


「なんでだろうなぁ」

私は、少し気が大きくなっていたかもしれない。

「女の人達、見る目がなかったんだね、きっと」

そう言うと、彼は顔を赤くする。


「いや、研究ばかりしててそれ以外に興味なかったし、見た目から何からコレだから」


「えー、私は」

好きなのにな。


そう言おうとした時。

また、視界がブレた。ノイズが入る。

おかしい。


彼も怪訝そうな顔をしていた。

「あれ、なんか、やっぱり目が変だな」

目をゴシゴシと擦る。

しかし、治ってないらしくて、首を傾げる。

「なんか、秋元さんだけが……ほんの少し、透けてるように見えるんだ」


「田村さん、大丈夫?」

減っていた彼のカップにペットボトルのお茶を注ぐ。

「僕、頭でもやられてるんかな……」

彼は頭をブルブルと振る。

「なんか、きみのことをよく見ておかないと、きみが消えてしまいそうで」


「もし僕が体調壊したら、室長を呼んでバトンタッチするから、君は絶対ひとりにならないでね」

そして、自分の手のひらを見つめる。

「大丈夫だと思うんだけどなぁ」



私達は、本当に何もないまま朝を迎えて、車に乗って出勤した。

田村さんは、自分の視界がおかしいことを気にしていたけど、運転に支障はないと踏んだらしい。

私だけが薄く見える、としきりに言う。


庁舎に着いてエレベーターに乗ろうとする。

「どうぞ」

中ですでに乗っていた人が、田村さんを手招きする。

「ありがとうございます」

ふたりでそう言って、その人が「開」ボタンを押してくれてるのを確認しながら乗り込もうとする。


ところが、その人は、田村さんが乗った瞬間、──私はまだ乗り切れてないのに、「閉」ボタンを押した。

エレベーターの扉に挟まれそうになる。

「痛っ」


田村さんは、その人を睨む。

でも、その人は表情を変えず、ボタンを押し続ける。

まるで私が見えていないかのように。

田村さんが「開」ボタンを押して、私を中に入れてくれた。


なんだろう……完全に、私はその人に無視されていた。

気持ちが悪い。


私達は執務室に入った。

「おはようございます」

ふたりで入って行ったのに、デスクを拭いていた室長は

「おはよう、田村くん」

と言う。


「秋元さんもいますよ」

彼が室長に文句を言うと、室長はポカンとした顔をした。

「秋元くん?」


目の前にいる。

それなのに、室長は私を見てくれない。

「どこに?」

本当に目の前にいるのに、室長は完全に私を見ていない。


飯島さんが、執務室に顔を出した。

「おはようございます、高槻室長、田村係長」

私の名前は、呼ばなかった。

それどころか、

「秋元ちゃんはお休みですか?」


田村さんは、私を見る。

「なんで……」

そして二人に向かって叫ぶ。

「秋元さん、ここにいるじゃないですか!」


「何を言ってるんだ」

室長が首を傾げる。

「ここには誰もいないぞ」


私は──

トイレに駆けていった。

鏡を見る。

私の姿は、なかった。


部屋に戻ってみると、田村さんが私を見つめる。

「秋元さん、君の姿が、他の人に見えない」

「なんで……」

私は呆然とする。

「鏡にも、私の姿が映らなかったの」


「僕の目にも、君が透けて見えるんだ」

ゾッとする。

誰も見てくれなくなったら、私はどうなるんだ?

「大丈夫、僕には君が見えている」

田村さんは、私の手を握ってくれる。


「まさかと思うんだけど」

そして、険しい顔をする。

こんな顔をするこの人を見たのは、初めてかもしれない。

怒りを感じる表情。

「飯島くん」

「はい」

飯島さんが、ビビる。そうだよね、普段の表情からは想像もつかない。

「ちょっとFORTUNAを見せてくれないか?」

田村さんの切羽詰まった表情に、飯島さんが圧されるように動き出す。


ぼんやりしている私に

「秋元さんも来て」

と、田村さんは私の手を握って引っ張った。



情シスでPCに齧り付く田村さんの姿には、鬼気迫るものがあった。

私のためにやってくれてるのはわかっているけれど、何をしているのかはわからない。


「秋元さん」

ヒリつくような声だ。

「あんまり聞いちゃいけないことかもしれないけど」

私を見る。

飯島さんは──私が見えていないから──不思議な表情で田村さんを見る。


「マイナンバー、教えてくれないかな」

「うん」

私は、ポケットの中のパスケースを出して、彼に見せる。

彼は、そのケースの中のカードを、眇めながら見る。

「だいぶ薄くなってる。読みづらい」


そしてそれを検索にかける。

しばらく考えているようだった。


「not observed……」


彼の顔色が変わる。

「飯島くん」

「はい」

飯島さんは、気圧されている。普段ならもう少し親しげに話す人が、ビクッとして返す。


「ここに、秋元さんがいる。『見よう』と意識して見てくれないか」


「意識、ですか」

難しい顔をして、飯島さんがこちらを見る。集中して、見て、一度しっかり目を閉じて、また見る。


「……あ」

飯島さんが「私を見た」。

「秋元さんだ。うっすら見える」


「やっぱりそうか」

田村さんは、しっかりと頷いて、種を明かす。


「FORTUNAは、物理的に『不安定』を取り除くことを考えていた。でも、それでは失敗する」

私が彼に守られていた結果、ここに居られているということだろう。


「でも、FORTUNAが消したい人は他にもいる。リストにマイナンバーがたくさん並んでいる。ゾッとするよ」

私にパスケースを返す。

「これだけの人を物理的に消すのは、しんどいね」


田村さんは、私の目をじっと見つめた。

「奴は、きみを『観測させない』ようにしてる」

「観測……?」

見られない、ということか。これは、FORTUNAの仕業?


「人の意識に上らなければ、きみは『存在できない』」

田村さんの言葉に

「そういうことか」

と、飯島さんが小さく呟く。


「飯島くん」

彼は、飯島さんの肩に手を置いた。

「頼む。飯島くんも、秋元さんを『見よう』のして見ていてほしい。誰の意識からも消されたら、お終いだ」

飯島さんは強く頷く。


そして。

「あとは室長だな」

田村さんは私の手を引いた。

「室長にも『見て』もらわなきゃ」

そして、情シスを出た。


「私、消えちゃうの?」

廊下を歩きながら、私は不安を口にした。

「みんなから見えなくなっちゃうの?」

「それはさせない」

彼は、しっかりした口調で言い切った。


「秋元さんがこの世からいない世界なんか、そっちが消えちまえばいいんだ」


しばらく、言葉が出なかった。

世界が静かだった。

その沈黙の中で、私は確かに『見られている』と感じた。

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2025年12月9日 21:00
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クロノ・レコード ──特別対策室捜査譚2── 八重森 るな @Runa_yaemori

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