第4章 数値を超えて -3

3 EXIST



私は田村さんに連れられて、彼の車で彼のアパートに帰った。

泣き続けている私を暖房の部屋に置いて、彼はお風呂場で何かしていた。

「お風呂入れるから、入ってきてよ」

そして、バスタオルとハンドタオルを出してくれる。

「冷えたでしょ」


「先に入んなよ」

私はタオルを彼に押し付ける。

「冷えたのは田村さんも一緒でしょ。私は後でいいから」

「そういうわけにはいかないよ」

押し付け返される。

「女の子が体を冷やしちゃダメだって、ウチの祖母ちゃんが言ってた」


お祖母ちゃんまで持ち出されたら、しょうがないな。

ありがたく、先にいただくことにしよう。


お風呂で温まっていたら、少しずつ心がほぐれてきた。

加瀬くんは、確かに存在していた。そして、確かにあの場所で亡くなったのだ。

それは悲しいことだった。

しかし、私が見たものは確かだった。


湯船でお湯に浸かりながら、顔を洗ってみる。

鏡を見ると、泣きすぎて腫れぼったくなった顔があった。

泣き疲れた。


お風呂から上がって、スウェットを着て部屋に戻る。

いい匂いがする。

「これ、飲んで」

田村さんが私にマグカップを渡し、お風呂に入って行った。


マグカップの中身は、インスタントのお味噌汁だった。

田村さんらしいな、と思う。

多分、聞けば「塩分と水分の補給」とか言うんだろうな。いくら泣いても塩分が足りなくなるほどの涙は流してないけどね。


マグカップで飲むお味噌汁は、案外美味しかった。

ふわっと心が温かくなる。

本当に優しい人だ、と思う。


私は歯を磨いて、お布団を彼のベッドの隣に敷いて、そこに潜り込んだ。

気持ちがいい。


でも、眠気が来ない。


彼がお風呂から上がってきて、フリースに半纏の姿で現れる。

「まだ寝てなかったの?」

そして座り込んで靴下を履く。


「これから寝るのに靴下履くの?」

布団の中から、私はそれを見ている。

「え、履かないの?」

彼は少し驚いたような顔をする。

「だって、足冷たいじゃない」


「私、裸足じゃないと眠れないや」

「そうなのか」

ふーん、と彼は鼻を鳴らす。


そして彼は、リモコンを握って電気を消す。エアコンのリモコンも構える。

「エアコン、消していい?」

「うん、空気乾くし」

私は布団の中でぎゅっと丸くなる。


「おやすみ」

彼がそう言ったのは、そろそろ夜が明けようという時間だった。

すぐに寝息が聞こえ始める。


私は──

眠れなくて、ぱたんぱたんと寝返りを打つ。

ああ、そうだ。パパの時計の音が聞こえてこない。

あの時計が、なぜか止まってしまった。あれを枕元に置いてコチコチという音で眠っていた私は、寂しくなっているのかもしれない。


FORTUNAがいろんなネットワークに侵食している。だから、インターネットすらまともに見られない、気がしている。

スマートフォンを持つのも怖い。


彼の寝息に、呼吸を合わせてみる。

吸って、吐く。

吸って、吐く。

そのリズムが心地良くて、やっとウトウトできた。



目が覚めたら、田村さんがいなかった。

部屋のどこを探しても、いない。

時間を見た。昼の1時半だ。


寝過ごしたか──

昼には出勤しているはずだった。

私は、頭を抱える。

社会人としてあるまじきことだと思う。


ガチャリと、玄関で音がする。

「ただいま」

田村さんが、エコバッグを3つ抱えて部屋に入ってきた。

「あ、起きたね、おはよう」


「起きたけど、あの、仕事」

慌てる。彼は、ジーンズにニットのプルオーバーを着ていた。仕事に出ようという格好ではない。

「ああ」

笑顔を見せてくれる。

「連絡入れておいたよ。今日は休むって」


「田村さんも?」

「うん、君を一人にはできないからね」

そして彼は、テーブルに荷物を広げ始めた。

「これ、お昼のお弁当ね。夜は僕がなんとかするよ。パスタでいい?」


「夜くらい作らせてよ」

焦る。全く完全に面倒見てもらってるじゃないか。昨日もそうだったし、一昨日も。

「私、実家住まいで料理には自信無いけど」


「じゃあ、一緒にやろう」

彼は大真面目に応える。

「たいしたことやんないけどね」


ああ……私、ダメ人間だ……。

甘えっぱなしだ。彼氏でもない、なんなら職場の上司に。

ってか、彼氏だったらもっとダメか。


ってか、私──


「あれ、これ止まってる」

田村さんは、テーブルの上の私の時計に目をやった。

「これ、自動巻きだよね?」

「そうなんだけど、一昨日あたりから動かなくなって」


彼は、竜頭をいじったりしながら何か考えていたけれども、ふと、

「これ、開けてみてもいい?埃が入ってるかも」

と言った。


「そんなことできるの?」

「できるよ、僕を誰だと思ってる?」

笑う。

「アンドロイドの修理屋さんだよ。時計を修理したことはないけどね」

そう、彼の副業は機械いじりだった。

このアパートの1階駐車場部分に工房を借りているのは、見た。


「来て」

時計の蓋を開けた彼は、私を呼び寄せる。

「見て、ここ、埃が入ってるでしょ」

細いピンセットでそれを取り除く。

「これで動くと思うよ」


「それと」

蓋を私に差し出す。

「これ、見てよ」


蓋に、何か彫ってあった。

『You exist beyond numbers.』


「きみは、数値を超えて存在する」

彼が翻訳する。

「数字が全てじゃないよ、ってとこなんだろうけど」

穏やかな声だ。

「きみのお父さんか、お祖父さんかが、彫ったんだろうね」


パパ──


私は、蓋をしてもらって動き出した腕時計を抱きしめた。

私は守られている。

私はここに存在しているんだ。

ここに存在してていいんだ。



その瞬間。

私の視界が、ブレた。

「え」

めまいがしたのかと思った。

違う。

ブレたのだ。うまく受電できなかった時の画像のように。


「え」

同じタイミングで、田村さんが私を凝視した。

「あれ、なんか、目が」


私達は、目を見合わせた。

いや、今は視界はまともだ。

なんでだろう、まるで、私という画像が消えでもするかのような、そんな視界だった。


なんでもないのかもしれない。

私はもう一度、お布団に倒れ込んだ。

「なんか私、疲れてるかもしれない」

「僕もちょっと疲れてるかも」

目を抑えながら、彼はテーブルの前に座る。


「ってか秋元さん、お昼ご飯だよ」

お弁当をテーブルに広げてくれる。

「いつまでもゴロゴロしてると」

割り箸をそのお弁当の上に置く。

「襲っちゃうぞ」


「襲われてもいい……」

私はつい、そう答える。


「やめてよ、少しくらい警戒して」

田村さんが苦笑する。

「安全扱いされてるのはわかるけど、少しだけ傷つくかも」


「そんなんじゃない」

私は布団から起き上がる。

「そんなんじゃないんだ、あの」

口籠る。

そんなんじゃなくて、──じゃあ、なんなんだ?

私は二の句を継げない。


「まぁ、いいや」

彼は元のように微笑む。

「お昼食べよう。朝も食べずに寝てるんだから、お腹空いてるでしょ」

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