第1章 静寂の都市、メジナ

 メジナ──人類が目指したあらゆる理想と、理想のために切り捨てた現実が入り混じる都市。


 無数の車が空を走り、建造物は雲を貫くほど高くそびえたっている。


 町の中心に位置する「コア・アーカイブ」は、あらゆる知識と人間の記憶が集約され、ありとあらゆる情報がデータ化されている。


 人は病にかからず、老いや死という概念すらも制御できるようになっていた。


 しかし、その幸福は所得によって定まっていた。


 上層区で暮らす者たちは、死んでも保険システムによってよみがえることができる。


 身体をデータ化し、記憶をバックアップし、再び「同じ自分」として呼び戻される。


 彼らにとっての死は単なる更新作業に過ぎなかった。


 一方。下層区に住む人々には蘇生の権利などない。


 死体はリサイクル資源として処理される。


 エネルギー施設の燃料として還元され、都市の明かりの一部となる。


 ”死んでも都市の役に立てる”──それが彼らに与えられた最後の誇りでもあった。


 そんなメジナの中層区にある古びた研究棟。


 窓からは常に冷たい光を放っている場所が、カイトのいる場所だった。


「……カイト、もう三日目になる。少しは休まないと」


 扉がきしむ音がする。


 中に入ってきたのはカイトの幼馴染であり、旧研究所のメンバーの中でカイト以外での唯一の生き残り、リムだった。


 かつて、二人は同じ中層区で育った。


 はがれかけたコンクリートの壁に囲まれた町、そこでは天にまで伸びる上層区のビル群の中に入ること、それが中層区に住む人の夢であった。


 カイトはその中層区に住みながら、その夢をかなえることに成功していた。


 優れた頭脳と執念に似た努力で、上層の研究所へとスカウトされた。


 そして彼は、推薦という形でリムをその研究所に引き上げていた。


 リムを上層区に引き上げて、リムがよい生活を送れるように、という思いで彼は上層の研究所に推薦した。


 それから数年、現在は二人とも中層の研究所で研究を続けている。


 彼らが望めば、もともと上層の研究所に入っており、成果を確実に上げていたことから上層で遊んで暮らすことも可能だっただろう。


 しかしカイトはモニターをじっと見つめ、仲間がいたころに戻ろうとしている。


「もうすぐなんだ。あと少しで、並行世界の観測の補正値が修正できるはずなんだ……」


 リムは机の上の殻の栄養パックをいくつか拾い上げながら

「もうすぐって昨日も聞いたよ。ねぇカイトしっかり食べ物を食べてよ、ここ最近まともな食事をしていないでしょ?」

 と、ため息をつきながら床にいくつも敷かれたコードを避けながら歩み寄った。


 カイトはやっとモニターから目を離し、リムのほうを向いた。


 その瞳には疲れというより何かにとりつかれたような熱を帯びていた。


「……料理をしたら、思い出しちゃうんだよ。あの時のことを……みんなと楽しく笑っていた時のことを……」


「……じゃあせめて、ボクを作るから」


 リムはそう言って少し微笑んで見せた。


 一時間後、リムはカイトを机に机に座らせ、机の上におかゆを乗せた。


「……リム、これは……お前が作ったのか?」


「うん、ちゃんと食べないと倒れちゃうからね、何日も栄養パックだけでまともな食事をとれていないから消化にいいものを作ったんだ」


「……いただきます」


 かすれた声が、静かな研究室にこぼれた。


「うん、めしあがれ」


 リムは隣の椅子に腰を掛けて、少しだけ微笑んだ。


 そこには小さな安堵が混じっていた。


「……すこし、しょっぱい」


「え、うそ……ちゃんと量ったんだけどな……」


「でも、悪くない。おいしいよ、昔、研究所で俺が作ったおかゆに似てる」


 そういった瞬間、カイトの瞳が揺らいだ。


 スプーンを持つ手が止まり、手のひらが震える。


「……ごめん、やっぱりまだ駄目だな」


 カイトからは大粒の涙と、大きな後悔がゆっくりとあふれてきていた。


「うん、大丈夫。焦らなくていい食べられる分だけで今日は十分だから」


 ………


 おかゆを食べ終えると、カイトは椅子を引き何かにせかされるように端末のもとに戻ってしまっていた。


「……カイト、食後くらいは少し休んだほうがいいよ。ちゃんとベッドの上で寝たの、もう相当前になっちゃうでしょ。ゆっくり休んでよ」


 リムの声には不安がよく出ていたが、それでもカイトは振り返ることはしなかった。


 端末に並ぶ並行軸のコードを見つめながら、ゆっくりと数式を書き込みなおしていた。


「大丈夫、あと少しだから」


 モニターに映る小さい進捗バーを見つめる。


 観測の相違点の修正状況58%、3日間かけたにもかかわらず、この程度の進捗状況。


 いまだに並行時空の観測すらままならない状況を見て、リムはため息をつく。


「まだ観測装置が形にもなっていないのに、そんなに焦らなくても……」


「焦ってなんていないさ」


 カイトは手を止めず、数式を書き換えながら付け加える。


「理論上……別の俺は確実に複数存在している。数多ある並行世界の中には研究所のメンバーをまだ失っていない並行世界もあるはずなんだ……罪を背負う前の世界に行って俺があの時に自分の保身のために研究所を引き渡していなければ、この世界は研究所のメンバーが死んでいなかった世界になるはずなんだ……」


「……でもその世界って、カイトはいないんだよね? キミは自己犠牲の果てに、研究所のメンバーを生き返らせようとしている……ボクはキミがいない世界なんて嫌だよ」


「それでも──俺が消えてしまっても俺の罪が消えるのならば、それでもいい」


 観測装置の進捗バーが少し進む、少しの休息をとったからだろうか。前日の三日間よりもはるかに作業ペースが速かった。


 進捗バーは70%のところを指し示し、カイトは観測を進められる準備を着々と進めていた。


 ──3日後、ついに完成した多重並行世界観測装置を見て、カイトは恍惚とした表情をしていた。


「完成しちゃったんだね……」


 リムはカイトがこれによって苦しまなくて済むという安心感と、この観測が成功したらカイトがいなくなってしまうことを否定したかった。


「ねぇカイト、やっぱりやめない? キミが全部背負うことはないじゃん。ボクだって……」


 リムはそう言って、口をつぐんだ。


 今のカイトに何を言っても届かないこと、そして自分ではカイトの罪をどうやっても消したり、代わりに背負うこともできないことが分かってしまっていた。


「多重並行世界観測装置、起動」


 最後のプログラムを打ち込んで決定ボタンを押す。


 カイトの指は強い意志のようなものが含まれていた。


「プログラム、起動、反応値、正常値を突破、並行軸に設定された番号1292、観測を開始します」


 機械音声が流れた後に、画面のノイズがゆっくりとなくなっていく。


 やがて向こう側の世界とつながった光景が、画面から飛び出してきた。


 そこに映っていたのは、暗い部屋。


 床には敗れたメモ、倒れた機材、焦げた壁、そしてその中央には──人影が一つだけあった。


 髪は伸び放題で、目は何日も食事をとっていない獣のようにひどく濁っている。


 その男は床に散らばった写真や、書類を集めて何度も、「ごめんなさい……」とつぶやいて頭を壁に打ち付けている。


 少し笑ったかと思ったらすぐに泣きだして、また笑ってを繰り返している。


 壊れた機械のようなしぐさを見せる彼の首にはカイトと同じ、十字のネックレスがかけてあった。


「俺だ……」


 この世界は一体何なんだろうか。


 映像は部屋の全体を映し出した。


 中には研究所のメンバーの死体が散乱していた。


 そしてその中には……。


「リム……?」


 リムの姿も映し出されている。


 頭部が弾丸によって撃ち抜かれ、地に伏して倒れこんでしまっている。


(確かこの世界の番号の割り振りは、1291……もし違っていた場合はこの世界線になっていたのか……)


 数秒程度の鳴き声がした後に、画面にはノイズが走り、その世界を見ることはかなわなくなってしまった。


「……や、やっぱり……並行世界ってすごいんだね……いろんな可能性があるって……本当に……すご……」


 リムのほうを見たら、ひきつった笑顔と、今にも泣きだしそうな眼をしていた。


 カイトが見ても、その表情は無理に作られた笑顔であるというのがわかってしまった。


「……リム、無理しなくていい」


 リムは膝から崩れ落ちてしまった。


 肩が落ち、作り笑いの膜がはがれ、表情が崩れる。


「……ごめん……ボク……カイトだって見たくないような……カイトが苦しんでるのに……こんな……」


「いや、いいんだ」


「いつもみたいに……明るくしなきゃって……カイトの支えにならなくちゃって……でも……うまく笑えなくって……」


 昔の研究所ではだれよりも快活で、場を和ませていたリムでも、自分が少しでも違えば死んでしまったことのショックを、ぬぐい切れなかったようだ。


「カイト……無理していろんな世界を見なくても……少なくてもあの世界よりもこっちの世界のほうが……」


 リムの言葉にカイトは明らかに迷いが生じた。


 これ以上続けて、リムに苦労を掛けてもよいのだろうか……。


 しかも、数多ある並行世界には、ここの世界線よりもひどい世界があることを知ったのが、カイトに迷いを生じさせる理由にもなっていた。


「……それでも、俺は前に進まなきゃならない。他の世界で研究所が崩壊しなかった世界線で運命を変えることができたら。きっとここの世界もよみがえるはずだから……」


「カイト……お願いだから消えないでほしいよ……」


「大丈夫だよ、リム……少なくともこの世界の俺はまだ、ここにいるから」


 そこにはカイトのやさしさよりも、一種の別れの宣告のように響いた。


 外から聞こえた雨音が少し大きくなったような気がした。

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ホープ・ゲート ユミル @ymir_0521

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