第5話 王座への導火線
遠くで唸りを上げる夜風は、すでに過去のものとなっていた。僕の周りの空気は、リーネの報告が示した事態の**『加速』**により、張り詰めた緊張感に満ちている。バルドの動きは警戒レベルを上げ、エリサの野心は隣国ゼーリオンへとその手を伸ばし始めた。僕に残された時間は、前世の記憶が示すよりも遥かに短い。
(バルドの不正契約書は確かに強力な**『導火線』だが、僕が七歳の王子であるという現実は、その爆発をコントロールするための『火打石』を欠いている。公爵家という『最強の盾』を得るための、最初の『心理戦』**が、すべてを決する)
その時、離宮の扉が控えめにノックされた。
「入れ」
僕の静かな声に、入ってきたのは、顔見知りの離宮の使用人だった。彼は、僕の前にひざまずき、畏まった様子で言った。
「エリオス殿下。ただ今、陛下よりの御内命が届きました。セリナ・フォン・ヴァロア公爵令嬢との**『婚約の顔合わせ』**について、明後日、公爵家の私邸にて行われるとのことです」
僕の小さな心臓が、一瞬、強く跳ねた。前世の記憶には存在しない、**『非現実』**の響きを持つ言葉。
(顔合わせ? なぜだ。前世では、僕が離宮で憔悴しきった姿を見て、セリナが憐憫から救いの手を差し伸べる形で、婚約は形式的に進んだはず。公爵は王家とのパイプを確保するために了承したにすぎない)
僕の頭の中で、前世と今世の**『時間軸のズレ』**が、激しい音を立てて軋んだ。
「その顔合わせの**『理由』**は何だ。公爵家から、具体的な言及はあったのか」
「はい。ヴァロア公爵閣下は、**『時期国王の第一候補たる殿下の御人柄を、娘と共に見極めたい』**と、正式な文書にて申し入れておられます」
僕は、使用人の言葉に背筋に冷たいものが走るのを感じた。公爵は、僕の**『印象操作』に動揺し、僕の『真の器』を探り始めたのだ。僕の知略が、彼に『賢王の光』**を予感させた証拠に他ならない。
使用人からの報告を聞き終えた僕は、すぐにリーネに指示を出した。
「リーネ。公爵家に連絡を取れ。僕の体調が優れないという**『事実』を伝え、一刻も早く会いたいという『嘘』を、セリナに伝えてくれ。公爵が、僕の『噂』**をどこまで信じ、どこまで警戒しているか。そして、バルドやゼーリオンの情報を掴んでいるか…すべてを、この顔合わせで探り出す」
僕の小さな体には、未来の知識を持つ**『大人』の精神が宿っている。この肉体の限界と、未来の記憶の『非現実』を、いかにこの世界で『事実』**として機能させるか。この対峙が、その成否を分ける。
明後日の午後。ヴァロア公爵家の私邸は、王宮とは比べ物にならないほどの重厚な威厳に包まれていた。面会室に通された僕を待っていたのは、ヴァロア公爵、公爵夫人、そして、僕の婚約者となるセリナだった。
セリナは、僕を見るなり、安堵と愛情の入り混じった瞳を向け、すぐに僕の隣へと駆け寄った。
「エリオス様! お変わりなくてよかったですわ。お身体は…」
「セリナ。僕は大丈夫だよ。君の顔を見たら、体調なんてすぐに良くなったよ」
僕は、セリナの手にそっと自分の小さな手を重ねた。彼女の瞳は、僕の顔を覗き込み、わずかに**『疑念の影』**を宿した。
僕がセリナの**『わずかな迷い』と、その後の『決意』を瞬時に読み取った時、僕は彼女の『覚悟』の深さに、胸を打たれた。セリナは、前世の『憐憫』ではなく、今世の『確信』**に基づいて、僕を支えようとしている。
「セリナ、安心して僕は、君が考えているよりも、ずっと**『強い』**から」
僕が**『強い』という言葉を選ぶと、セリナの瞳の奥の疑念は消え、深い安堵と、僕への強い『信頼』に変わった。これで、僕の『聡明な王子』**という印象は、彼女の純粋な反応によって、公爵に対して補強されたはずだ。
一方、正面に座るヴァロア公爵は、僕とセリナの**『一連のやり取り』**を、静かに、そして鋭く観察していた。
(孫の反応は**『本物』だ。病弱の七歳児に、これほどの『信頼』と『安堵』を示すとは、尋常ではない。…この王子は、言葉や態度だけでなく、『周囲の人間を本能的に惹きつける力』を持っている。あの『強い』という言葉は、七歳児が言うには不自然すぎるほど『自信』に満ちていた。我々が知る現国王や第一王子に、この『器』はない。しかし、どこまでが『本心』で、どこまでが『演技』だ? 七歳の体で、王国の運命を背負おうとするなど…正気の沙汰ではない。彼の瞳に『大人の知恵』が宿っていることは疑いようがないが、その根源、『秘密の書物』の正体を見極めねば、この公爵家すべてを『賭け』**に出すことはできない)
公爵は、両手を膝の上で**『深く』握りしめ、一度、『深く、ゆっくりとした呼吸』**を挟んだ。その動作一つ一つが、彼が内に抱える緊張と、僕に対する警戒心の高さを物語っている。
「エリオス殿下。単刀直入にお話しさせていただきます」
公爵は、その厳格な表情を崩さぬまま、僕をまっすぐに見つめた。
「殿下は、**『秘密の書物』をお読みになっているとか。そして、その内容が、亡きシルフィア様の『遺志』**である、と。この噂は、すでに王宮内に深く浸透しています」
「公爵。僕が何を読んでいるか、それは**『正妃派の監視の目』から僕を守るための、小さな『子供の戯れ』**にすぎません」
僕は、敢えて**『子供の戯れ』という言葉で彼の警戒心を緩めようと試みた。しかし、その後の言葉で、僕の『王族としての誇り』**を示した。
「ただ、一つだけ真実をお伝えしましょう。僕の母、シルフィア様は、この国を心から愛していました。そして、僕は、母の**『国を愛する心』**だけは、誰にも奪わせません」
僕の言葉は、公爵の最も触れたい**『王国の安定』**という核心を突いた。
公爵は、僕の言葉に反応せず、数秒間の**『沈黙』を置いた。この沈黙は、僕にとって、自己の内面と向き合う『時間』**となった。
(僕は今、七歳の体で、王国最強の貴族を相手に、**『王』になろうとしている。この行動は、あまりにも傲慢ではないか? 僕の未来の記憶は、本当にすべてを救えるのか? もし、僕が間違っていたら。この『子供の戯れ』**が、セリナやリーネ、そして公爵家を破滅に導くとしたら――)
一瞬、僕の小さな体は、**『七歳の恐怖』に支配されそうになった。しかし、僕の胸には、前世で守りきれなかったセリナの『涙』が焼き付いている。その『痛み』が、僕を再び『未来の覚悟』**へと引き戻した。
僕は、公爵の視線をまっすぐに受け止め、逃げなかった。
公爵は、僕の目の奥に宿った、一瞬の**『迷い』と、その後の『揺るぎない決意を読み取った。彼は、この王子が『人間的な恐怖』を知りつつ、それを超える『覚悟』**を持っていることを理解したのだ。
彼は、ゆっくりと息を吸い込んだ。そして、その重い言葉を口にした。
「エリオス殿下。失礼を承知で申し上げます。この国には、今、**『王』**がいません」
公爵は、現国王への明確な**『不信任』**を表明し、長年の中立を貫いた理由を語った。
「しかし、殿下。あなたには、**『賢王の光』**がある」
公爵の視線は、僕の七歳の体を完全に無視し、僕の**『知恵』**にだけ向けられているのがわかった。
「殿下。私は、殿下を信じます。なぜなら、私が得た情報が、殿下の**『危機感』を裏付けているからです。ヴァロア公爵家は、長年『中立』**の立場を守るため、王宮内の派閥争いから距離を置いてきました。その代わりに、**隣国との『交易路』**を監視する独自のネットワークを持っています」
公爵は、言葉に力を込めた。
「三年前、シルフィア様が亡くなられる直前から、私の情報網は、正妃エリサが、隣国**『ゼーリオン王国』の国境貴族と、『不自然な規模の鉱物資源の取引』を秘密裏に進めていることを掴みました。その取引は、単なる不正では終わらない、『国の血脈』を売るような『危険な条項』**が秘密裏に含まれていると、私は当時から危惧していた」
公爵の言葉は、僕の未来の記憶と完全に**『一致』した。彼は、僕の知らない『前段階』**から、エリサの陰謀を察知していたのだ。
公爵は、テーブルを軽く叩いた。
「ヴァロア公爵家は、この国を**『売国協定』という名の破滅から救わねばならない。そのためには、『力』と『知恵』、そして『覚悟』を持った『王』**が必要です」
「エリオス殿下。我々ヴァロア公爵家は、あなたを**『時期国王』として、全勢力をかけて担ぎ上げます。この婚約は、単なる形式ではありません。それは、殿下が『王国の真の光』となるための『血の誓約』**となる」
僕の想像を遥かに超えた、**『時期国王』**への提案。
(公爵の瞳は、僕の**『知恵』に完全に賭けている。だが、僕がこれから提示する証拠は、彼の『信頼』を裏切るものではないが、彼の『安穏な日常』を破壊するものだ。この場で一族の不祥事を切り出せば、彼は一瞬でも『保身』に傾くかもしれない。これは、彼が協力体制に入った後で、この『爆弾』**を投下すべきだ)
「代わりに、殿下。私たちに**『確かな証拠』を見せていただきたい。正妃エリサの陰謀、そして、ゼーリオン王国との『売国協定』の、『決定的な証拠』**を」
僕は、その提案に、言葉を失った。僕が持つ**『ヴァロア公爵家/建国記念日取引』の契約書が、公爵家を動かすための『切り札』**となる。
僕の喉から出た声は、驚きと興奮で震えていた。前世ではなかったこの**『展開』**。僕の運命は、今、確実に、そして大きく、変わり始めている。
僕は、セリナから手を離し、ゆっくりと立ち上がった。
「公爵。僕があなたに提示する証拠は、あなた方が憂慮している**『売国協定』へと繋がる、『導火線の始まり』です。これには、エリサの陰謀の『資金源』と『実行者』**が記されています」
僕は、懐から厳重に仕舞っていた羊皮紙の写しを、取り出した。
「この写しは、王宮内の古書庫から、僕自身が探し出したものです。これには、エリサが、**『特定の貴族』を利用し、王国の美術品と、僕の母の領地からの『鉱物資源』を、『予備経費』**と偽って横流ししていた詳細が記されています」
僕は、羊皮紙をテーブルの上に滑らせ、公爵の正面に置いた。公爵は、そこに書かれた**『ヴァロア公爵家/建国記念日取引』の文字と、『特定の署名』**に、鋭く目を凝らした。
(**『ヴァロア公爵家』の名を冠した契約書…。そして、この『特定の署名』の筆致には、見覚えがある。…いや、今は、目の前の『王国の危機』**が最優先だ。私情を挟んでいる場合ではない。しかし、この筆跡が誰のものであるかは、後で極秘に調べさせねばならない…)
公爵の顔に、一瞬の疑念が走ったが、すぐに**『王国の危機』という重圧によってかき消された。彼は、僕の『知恵』と『勇気』**に、改めて深い信頼を置いた。
「…殿下。この写しは、あなたが王国の真実を知っている**『絶対の証』です。我々ヴァロア公爵家は、この証拠を受け取り、殿下の『王権奪還』**のために、全勢力を動かしましょう」
公爵は、そのごつごつとした手で、僕の小さな手を包み込むように差し伸べた。
(公爵は、**『特定の署名』に気づきかけた。彼の瞳の奥に走った『一瞬の動揺』を、僕は見逃さなかった。彼が協力体制に入った今、この『身内の不祥事』を突きつけるタイミングは、次の作戦会議が最適だ。この『弱み』を共有することで、公爵家は後戻りできない『血の誓約』**を結ぶことになる)
「我々が求める**『決定的な証拠』、すなわち『最終的な売国協定書』は、必ずこの不正のルートの先にあるはず。殿下、この写しを切り札として、我々に『作戦の全権』をお預けください。我々は、あなたのために、『王権奪還』に必要なすべての『力』**を提供しましょう」
僕の小さな体には、公爵の差し伸べた**『大きな手』**の影が落ちた。その手は、冷たく、そして強靭だった。
僕は、迷うことなく、その手を取った。僕の小さな手が、公爵の大きな手を包み込む。それは、七歳の王子と、王国最強の公爵が交わした、**『血の誓約』**の瞬間だった。
「感謝します、公爵。僕の**『誓い』は、この国の『血の誓約』となる。僕が示す『証拠』は、貴方の『賭け』**が、正しかったことを証明するでしょう」
僕の喉から出た声は、もはや七歳児のそれではなく、**『王』**の決意を宿した、静かで冷徹な響きを持っていた。
ヴァロア公爵家という強大な後ろ盾を得たエリオス。公爵は、契約書に記された*『特定の署名』*の正体をまだ知らない。
か?
――七歳の王子の決意が、静かに、しかし確実に、王国の未来を揺るがし始めた。
沈んだ王国で、君と誇りを拾う 白瀬 柊 @siraseshu
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