第3話




 太陽が昇る。そうすればここも美しい光景だった。地方に眠る200カラットのダイヤの原石。ただ誰も磨かないからくすんだままの壮観を背景に、一行はひたすらまっすぐ真っすぐ目的地へ向かったので、注目すべき点は、その最終目的地に、黒い車体にロゴTシャツみたく赤いワンポイントの入った軽バンが停まっていて、壁に書かれた竜のうち最後に書き入れるべき瞳のように、ちんまり路肩についていたから皆見落としていたことくらいである。


 さて事の起こりは中世盛期にまでさかのぼる。ご存知の通り、近代郵便サービスの起源は500年ほど前——騎士は甲冑、農民はいつもの服を着てスパイクや剣を取り、相手の眼が見え鼻が見えその間にあるが見え、という距離まで近づきぶつかり合う、真摯かつ情熱的な戦場から、火薬で砲弾をぶっ飛ばし馬や人や畑をみな引っくり返す、野蛮で浅薄な、とんでもない戦場へと変貌し共通点はである所だけ、となっていく時代の少し前に整備されたもので、郵便局が各地に設置され定期便が開始し、皇帝は動員令を四日と経たず、大西洋から本拠地オーストリアまで伝えられたので益々ますます戦争をやりやすくなったというし、おかげ様で傭兵も職には困らないから野盗に落ちぶれて郵便馬車を襲ったり自由農民を襲って農作物や金品を強取する訳もなく——少なくとも数十年は平和にやっていけたから、ローマからブレーメンまで、熱々のピザだって郵送できた。残念ながら当時、まだピザは発明されていないので、代わりに王宮での権謀術数がしたためられた手紙や毒の入った小瓶、遠北の貧しい島国で書かれた「アーサー王の死」とかいう物語まで、様々なものがしょっちゅう運ばれたのだった。


 一方その頃、赤い制服を着た配達員が乗り込んだバンは路肩から緩やかに離れていきました。まるで蛇行した川岸から引き込まれるように流れに乗る一枚の枯れ葉が描く軌道そっくりに。そして私たちの心に留めるほどの光景でないのもまた、明らかでありました。なぜなら枯れ葉が流れていった後に残された世界、つまりそれはあまり広くない公道、その南側にある教員用駐車場、そして道路の向かいにある高い囲障壁がずっと伸びていき、遂にぱったり止むと現れる校門のほうがよっぽど、この物語にとって重要であるからです。

 

 校門には柵がある。なぜかよく見知ったものだ。柵の上には有刺鉄線が張ってある。さっき見た気がするが。外周を回る高壁もひたすらずっと同じ調子。同じフレーズ。しかし無傷では飛び越えることのできない強固なリズム。近くに門番として立ちっぱなしの老警備員は、最近の趣味の一環で、入ってきた車両数と出ていく数との間に等式を成立させるという代数的課題に取り組んでおり、ちょうど最近やり始めた脳トレの延長線として自らに課す一種の鍛錬であった。


 この麗しき城壁都市——名をK学園といい、その響きにはいささか現代的すぎるがあるが、ともかくその内側には学生用の駐輪場があって、何本も柱が立ち、それらが支える巨大な長屋根は角度をつけて垂れさがっている。奥には厳めしい校舎がひかえている。その合間、隅の空いた区画にはテントの幕や支柱、長机やのぼり用の注水タンク、等々などなど並び、学生たちがみな忙しなく行き交う。

 一行の面々は、定期市やカーニバルの見せ物小屋に迷い込んだ野良犬と同じように辺りをぐるぐる見渡して事態の手掛かりを求めた。その行動は徒労というのでもなく、ちょうど五、六人規模の小隊がいくつか、巨大な張りぼての入場門を解体し、ばらばらになった欠片を脇に抱え駐輪場を遠回りしていくのが見えた。側面に「第72回文化祭」とかなんとか、色々書かれてある文句はまばらな人波の所為せいで余りよく見えない。左リは液晶を叩き検索ボックスに思い浮かんだ単語を打ち込む。そして検索。ほぼ同時に表示されるトップページの詳細欄には9月吉日。来校者様各位。文化祭を開催する運びとなりまして、云々うんぬんとそれらしい字句が並ぶのをみて、準備日だよ今日はとつぶやくと、横にいた朝倉が不承不承に頷く。


「じゃこれからどうするの」といって彼女が持ち上げますのは、来客用の小ぶりなゲートの通過するため彼らが手に入れたウエハースみたいなボール紙製の保温容器で、中にはペパロニとマルガリータが数枚入っておりました。残念ながら彼女の嗜好であるプルコギ風ではありません。あんなの後から焼肉ダレでもかければ一緒だ、などと左リがうそぶくのをはたから、どういう原理か声の聞こえてくる魔術的仕掛けの施された手鏡と一緒に黙って聞いておりました。その手鏡は「スマートフォン」と呼ばれており、向こう側は異界に通じていて、一行がこの地に降り立ってからずっと声が聞こえっぱなしでありましたから随分ずいぶん暇な奴も居るものだなと皆そう思いました。声の主は実熊ミクマ俊浩という名でありました。


「ねえ久しぶりじゃない?」と今更ながら彼女が尋ねた。なぜなら不良在庫のように重ねられたピザを奪い取った左リが突然テントの方へ向かって行ってしまって、後に続く気力もなく放っておいたら取り残されてしまったからだった。このようにある集団が不意に分割されたとき、一方に残された人間たちがとくに理由もないのに気まずい状況になるのは一体どういう仕組みなのだろう。トーストを落としたらジャムを塗った面が床にべっとり付いてしまうくらいに有り触れた現象だが全然説明がつかないと彼女は思った。

〈そうかな——あんま久しぶりって感じもないね〉

「なんで」

〈それって、まずしょっちゅう会うのが前提みたいな言い方でしょ〉といたが、なにか問いかけているのではなく彼女もそれを分かっていて何も言わない。

「他に誰か、会ったりしてないの」

〈いやあんまり。会えたら誰でも良いって訳じゃないし〉

 彼女は少し笑った。「そりゃそうだわ。実熊ミクマくんって今も東京?」

〈いや〉

何処どこ?」

〈いまは上海〉発信地との距離の所為せいか、電話口の声はいくらか震えて聞こえた。〈研修で……なんていうか、留学してるんだよ〉

 彼は、新卒二年目で研修に出させられたのは、部署内のくじ引きの結果だったということまでは口にしなかった。

「へえじゃあお疲れさま。そんな時に電話してて良いの?」

〈丁度いまはね、熱が出て休んでるから〉

「駄目じゃない」

〈いやいいんだって。結局家から出られないんだから、気がまぎれるだろ〉

「ふぅぅん」

〈なに?〉

「何でもないわ」

〈そっちは、なんで高校そんなとこに居るんだ?〉

「私、いま休学中だから」

〈ああ、そう……?〉

「歯切れが悪いけど」

〈いやまあ、たぶん理由にはなってないだろ〉

 彼女は少し逡巡しゅんじゅんして、どう応えようか考えた。つまりそれらしい答えをでっち上げたり借りて来るのか、冗談めかして誤魔化すのか、それとも自分に、というより自分の発言に対して正直に振舞うのか——結局選ばれたのは三択のどれでもなく、ただ時間を浪費しただけだった。

「なんていうか——大した理由がなかったってだけよ」そう言うとふと、休学のとき書かされた理由書にでっち上げた内容が脳裏をよぎった。「私がどうやってここまで来たか知ってる?」

〈そりゃあね〉

「こうやってここに来るなんて思ってなかった」

〈まあ、そうかな?〉

「全然、これっぽっちも予想がついてなかった。だから当然なにも期待してなかったし、望んでもない。理由がないってのはそういう訳」

〈にしては、あんまり驚いてないけど〉

「ずっと驚いてるんだって。でもそれを表現するのに準備がいるでしょ」とそういったが、これは彼女が今まで話してきた中で唯一本当のことだった。というのもそんな風に話していると突然何か彼女の背中に体当たりしてきて、勢いで危うく倒れ込みそうになった時も、その瞬間腕を捕まえられて乱暴に支えられ引き起こされた時も、けっして驚いていない訳ではないのにも関わらず、ただ目を見開くばかりで全くものを言えず、とんでもない間抜けに思えるくらいの沈黙しかできなかったからである。


「大丈夫ですか」とテノール風の声が投げかけられ、氷水でも浴びた気分になった彼女はいやいやと手を振りながら立ち上がり、自分を押し倒してから引き起こしてくれた救世主を眺めやった。はてさて、救世主という者がたとえどんなに尊く、後光や光背が差し込んだり天使の輪っかがつくようなことはあっても、全身がくまなく鏡面反射しているものか——いやありえまい。だが目の前には、素材感までは再現できてはいないが少なくとも、胴に頭に手足は木型のようなもので固められ、細かく貼られた鉄板が鈍く光る、間に合わせの全身装甲が立っている。

「ちょっと、悪いけど離れてくれない?」

「ええまあ」と甲冑姿がふごふごと揺れながら後ずさる。「今そうしようとしてたんです。なんたって危ないですから」

「分かってるじゃない」

「さっきは済みません」と甲冑姿は限界まで頭を下げたが、いびつな向きで曲がってうたた寝しているようにしか見えない。「前が見えてなくて」

「あなた学生?」

「そりゃまあ。失礼ですけどあなたは?」

「えーと、どう見えてるの」

 思ってもない返答に甲冑の騎士は居心地悪そうに体を揺らし、装具同士がじゃらりと鳴る。

〈——それで、前が見えてないってどういうこと?〉と電話からの声。

「いや見えないってことはないでしょ」

「もちろん見えないことはないですよ。薄っすら、ドアスコープみたいな穴から光が漏れているのは判ります」

「それは、見えてないんじゃない」彼女はそういってつま先立ちになり長身の騎士に寄りかかると、あごを上げてヘルメットを確認し、きりで突いたような穴が内張りのガムテープが垂れてきてふさがりかかっていると分かった。「ちょっと待ってて」

「ええ待ってますよ。当分予定もないですし」

〈どこの部活?〉と騎士の手元に預けられたスマートフォンが尋ねる。

「演劇部です。自分は二年の——」

〈そんな姿で、他の奴は何所どこに居るの〉

「それが、気が付いたら居なくなってて」甲冑の鉄板同士がぎりぎりと噛み合ったがどうやらうな垂れている仕草らしい。「これ着るのも大変でしたけど、自分じゃ脱げないんですよ」

〈ああ。見たまんまだね〉

「やっぱ、あのまま待ってれば良かったですかね。でも動かないとあちこち痛くて、あと何だか歩くと足裏のトコが抜けてて気分も良くて」

〈——うん、じゃあ仕方ないよな〉

 お待たせ、といって朝倉が再度走り寄ってきた。そのまま騎士の頭部を両手で掴み、屋台から拝借したニッパーを目に押し込んで穴を食い破った。「これで大分だいぶマシね」


「え?」

「どうかしました」

 この左リという男は自分で名乗ったばかりの偽名に思い入れがあった訳ではなく、北陸自動車道のICから取っただけの名前を呼ばれても反応できませんで、「ちょっとね」と付け足すようにいってもう誰も立っていない柱のそばを見返しました。あのお嬢さんはどこに行ったんだ? と、半分ほど設営が進んだのにまだ、竜巻が通りすぎたように繊細なバランスでたたずむひとつのテントの下にいた彼は思いました。お揃いのTシャツを着た学生たちはついさっきまで警戒した態度を崩さなかったのが、名前と卒業生の身分を詐称し、にこやかに保温容器を突き出し供物くもつのようにかかげればすぐに懐柔されて、さっきからうるさいほど話しかけてくるのでした。OBなんてのは嫌われたり煙たがられてなんぼの立ち位置だと彼は思いましたが、あまり歳の差が無いように見えるからでしょうか。「こんなものまで頂いて……」とか「プルコギじゃないのか」と好意的な感想が聞こえる中、机に置かれたままのTシャツを一枚手に取って、彼はそっと場を離れます。


 


 

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故障につき、ただ今修理中。 三月 @sanngatu

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