第2話
まず、丘があった。
ずっと昔に、地殻変動があって一帯が隆起したのがことの始まりである。大抵の丘はそうやって出来るものだ。思うに極東にぽつんと浮かぶ三千キロに及ぶ列島でさえ、地殻変動とやらが起こるまでは大陸のすく
今はもう、そうではないが。
車窓から見えた丘は何の変哲もない。つまり特筆するものがなく、とはいえ馬鹿には見えないだけで経済的価値か政治的コネが
第一の丘の名は「運命」というが、数時間前に始まったばかりの安っぽいものだった。阪急三国駅から数十分やって来てさすがに疲れ果てた彼女が、
彼女は次にベージュのストッキングを引っ張って直し、その下に
顔を上げ背面を見やると鉄柵の続く先に両開きの扉があり、ラミネート加工された「進入禁止」の張り紙が掲げられている。扉は錆と
「誰だ」と奥から呼びかけがあったものの彼女は構わず突き進んで、横数メートルに渡るブルーシート製の幕の目前まで迫り、昔文化祭なんかで教室の仕切りに段ボールを代用したことを思い出しながら、同じ役目を果たすシートの切れ目を分けて
「勝手に入るな」
「座っていい? 疲れちゃって」といい彼女はシートで区切られた一応の部屋らしき空間のなかに並んだ椅子たちを指差した。それはいわば追い剥ぎや非正規軍のようにまとまりのない集団で、指の先を追うとその中でもひときわ凡庸なキャスター付きの事務椅子に行き当たった。この提案が彼女なりの、初対面の相手に対する
「疲れてたらアメーバ赤痢みたいに、こっそり他人の家に押し入って、そのまま勝手に居座っても誰も構わないって訳だ」といって男は
「言うなら、破傷風菌のほうがそれっぽい」
「へえ。独創的な発想だな」
「ここってあなたの家なの?」
「表札が出てたか? こんなとこ住んでる訳ないだろ」
「じゃあ別にいいじゃない」
男は足を組み直してから口を開く。「住んでないからって、何の権限もないっていうなら大間違いだ」
「それは何?」という朝倉の
「拾ったんだよ」男はそういうと、コードを一本取り糸を
「オシロスコープっていうんだが、あいにく俺は電気技師じゃないから、こんな使い道しかない」
「高く売れそう」
「売らないさ。こうやって」男は意味深長に目盛りの付いたダイヤルを
朝倉は自分の名前を舌の上で転がしてからガムみたいに吐き出した拍子に、なにか失念していたことを思い出し、けれども忘れていたものそれ自体が思い出せず、思考だけが
「昨日、いや今日かもしれないが、ともかく俺に電話したのは覚えてるか」
「いやあんまり」と朝倉はいったが、それでも少し、いやかなり見栄を張っていた。
「まあ構いやしないさ」と液晶画面を見せつけ軽く叩いてみせる。「履歴は残ってるだろ」
彼女は一旦考えを打ち切りたかった。
「えっと。悪いんだけどちょっと寝ても良い?」
「駄目だ」
「なんでよ」
「ここは借りてるんだよ。レンタルオフィスだからな」といって男は立ち上がる。
「誰だって職場じゃ寝泊まりしたくないだろ」
「ここが『オフィス』?」といいながら彼女は空っぽな胃の痛みに顔を
さて、第二の丘はたった今、現実の時間軸というやつで、とうとう名も無き丘が
「それって割に合うの」
「合わない。でも副業だから」
「本業はなに」
「
「へえ」
「青色申告もしてる」
「ほんと?」
「いや嘘だ。税金を払ってないからな」
「あっそ。そんであなたの
「頼んだ奴だよ」と左リはいった。「つまりアンタだ」
「私はなんて言ってたわけ? その……電話口で」
「あんまり覚えてないな。近々アンタの母校が大規模改修でみんな一旦取り壊すって話で、まずそれは改修ってか新築だし、アンタらが卒業しきった後に、自分が毎年払ってた学費でその分を
「へえぇえよく覚えてんね——冗談はもういいんだけど」
「始めはみんな、決まってそう言う」といい左リは
「じゃあほっときなよ」
「ああ。付いて来てくれなんて頼んでもないしな」
朝倉のあまり大きくない(いえ、小さく可愛らしい)頭に収まった脳の機能ですら、いくらでも言い返す余地があったし、なんなら怒ってすらいなかった。まるで怒り心頭の際、それを悟らせない為の苦しい出まかせみたいに聞こえる文句だが、本当のことだった。しかし実際に彼女がやったのは「付いて来たのはあなたでしょ!」とかいって
第三の丘は、まだしばらく見えてこない。
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