童話「かなしみ風船」

金子よしふみ

第1話

 めずらしい商品が売られるようになりました。商品名は「かなしみ風船」と言いました。この風船を、悲しいことを想像しながらふくらませると、風船は空に飛んで行き、みるみるうちにその人のかなしみが消えてしまう、という商品でした。

「ああ、すっかりいい気持だ」

「こういうのを待っていたんだ」

 人々は口々にかなしみ風船を評価し、受け入れました。かなしみが消えてなくなってしまえば

「嬉しい、こんなに嬉しいなんて気分は初めてかもしれない」

 とか、

「楽しい気分てのはこんなにも痛快だったろうか」

 とか、人々は喜びや楽しさを満喫することができました。

 かなしみ風船は爆発的に売れまくり、男も女も年を取った人も若い人もみな買ってはふくらませて空に飛ばしました。人々からかなしみはなくなっていきました。

 すると、人々から笑顔が少しずつなくなってまるで無表情な顔つきになって行きました。

人々は、

「嬉しいことは嬉しいんだが、こんなことが嬉しいって言っていいのだろうか」

 とか、

「楽しいってもっと心が弾んだ気がするんだが、同じことをしていると言うのに、どうも楽しいと感じられない」

 とか言い始めました。

「かなしみが懐かしい」

 そんなことさえいう人が現れました。他の人もかなしみがどういう感情だったのか思いだそうとしました。人のかなしみはもう空に飛んで行ってしまっています。

 かなしみ風船を売っている会社に、

「どうにかして風船を取り戻すことはできないのか」

 とか、

「かなしみを感じられる風船の開発はできないのか」

 とか問い合わせや訴えをしてみました。

「申し訳ありませんが、会社としてはどうすることもできません」

 会社の答えは変わりがありませんでした。

 そもそもかなしみを要らないものとして放ったのはそれぞれの人々です。今になって取り戻したいと言ってももう遅いのでした。

 喜びも楽しみもあるというのに感じられなくなってどれくらいか経って、かなしみを懐かしむ時がしばらく続いたある時のことでした。

 ある人は、もう何度か読んだ本を、持て余した時間で読みなおし始めました。すると、胸のあたりが熱くなり、顔も赤くなるような気がしてきました。ページをめくりめくり、書かれている文章を追いかけて読み進めました。それから胸が苦しくなってきて、目のあたりはぎゅうっと力がこもりました。本は、楽しく、嬉しく、そしてかなしみを感じさせてくれたのでした。切ない涙があふれて来てティッシュを探して鼻をかんで、目頭を拭きとりました。

 ある人は、親しい人との別れがありました。思い出が、笑いあった、おしゃべりをした、一緒に遊んだ思い出が思い起こされて、この別れがかなしくてしかたありませんでした。どこからか知れない涙がとめどもなく流れ出て来て止めようがありませんでした。

 人々は風船なんかを求めなくても、かなしみを取り戻すことができるのだと気づきだしました。同時にかなしみがあるからこそ、喜びも楽しさも感じられるのだと気づいたのでした。かなしむからこそ喜びを感じ、楽しさを感じられる。

 もう誰もかなしみ風船を買う人はいませんでした。

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童話「かなしみ風船」 金子よしふみ @fmy-knk_03_21

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