第29話 毒の沼を攻略せよ!

俺とノーズは地下二階の通路にいた。

目の前にあるのは鉄格子だ。

俺はノーズに言った。


「やるぞ。プレデター・ラットが来ないか、見張っていてくれ」


「わかっている」


ノーズの返事を聞いて、俺は手元にあった袋を開いた。

中にはどでかいハサミムシが何匹も蠢いている。

酸吐き虫だ。

俺はその一匹を摘まみ上げる。

長さ三十センチ近いそいつは、身体をくねらせて必死に逃げようとする。

俺はそのお尻の部分を鉄格子の下の部分に向けた。

その状態で酸吐き虫の頭を叩いて怒らせる。


 プシュッ!


酸吐き虫の尾部から液体が噴射される。

それが鉄格子にかかると、シュワシュワという音と共に白い泡が吹き出す。

やがて泡が収まると、直径一センチの鉄棒が三分の一ほど溶けていた。

俺はそれまで掴んでいた酸吐き虫を放すと、袋の中から次の酸吐き虫を取り出す。

先ほどと同じようにして虫に酸を吹き出させ、鉄棒を溶かしていく。

だいたい三回くらい繰り返すと、その部分の鉄棒は溶かし切る事が出来た。

同じようにして鉄格子を次々に切っていく。


ここまで三か所の鉄格子があったが、それも同じ方法で突破して来たのだ。

とは言っても一か所の鉄格子を破るのに、ほぼ一日の時間を使ったが。

プレデター・ラット対策については、ヤツラが集まって来た時に俺がプレデター・ラットの嫌がる超音波を聞かせる事で解決する事が出来た。


一か所で四本の鉄棒を焼き切る。

鉄格子の間隔は約十五センチ。

つまり七十五センチの穴が開く事になる。

これで身体の大きなタイガも通る事が出来るだろう。


「よし、行くぞ」


俺はノーズにそう声を掛けて、鉄格子を抜けた。

先に進むにつれ、段々と刺激臭が強くなってくる。


(この臭い……刑務所に入る時に嗅いだ臭いだ)


「どうやら出口が近くなってきたようだ」


ノーズが顔を顰めながらそう言った。

直角に折れ曲がっている所を曲がると……その先に光が見えた。


「あれは……出口か?」


思わず俺が走り出そうとすると、ノーズが俺の腕を掴んだ。


「迂闊に走って下水の中に落ちたら大変だぞ。ここの水はもう毒の沼と繋がっている」


彼の言う通りだろう。

地下通路を流れる下水は出口からそのまま毒の沼に流れ込んでいる。

そして出口は水路部分のみだ。

つまり毒の水に入らずに外に出る事は出来ない。

出口の高さは水面から約六十センチ足らず。

その上、ここにも鉄格子が取り付けられている。


「くっそぉ、ここまで来て」


俺は悔しさを滲ませて水路横の通路部分にしゃがみ込み、出口から鉄格子越しに外を伺い見た。


「仕方がない。まさかこの毒水の中に入って出口を通る訳にはいかないだろ。残念だが他を探すしかない」


「だが他を探すと言っても、下水はここに集まっているんだ。他に外に出られるような場所は……」


そこまで言った時だ。

俺の目は毒の沼の水面に釘付けになった。

どんな動物も数日で腐り死ぬという毒の沼の上に、何羽かの鳥が浮かんでいたのだ。


(なぜ、あの鳥は毒の沼に浮かんでいられるんだ?)


「どうかしたのか?」


そう尋ねて来たノーズに、俺は外に居る鳥を指さした。


「毒の沼って、どんな動物も数日で肉と骨が腐るって言っていたよな?」


「そうだ」


「じゃああの鳥は、なんで毒の沼に浮いていられるんだ?」


ノーズもかがんで、出口から外を眺める。


「ああ、ヨゴレカモか。あのカモは毒に耐性があるらしい。それで敵が襲って来ない毒の沼なんかで眠っているんだ」


「そうなのか?」


「それでもたまに耐性が弱い時があるのか、毒に当たって死んでいる個体もいるそうだ」


その話には何か響くものがあった。

だがそれは何かハッキリとは思い浮かばない。


「それじゃあそろそろ戻ろう。看守が回って来るかもしれない」


ノーズはそう言って、俺に立ち去る事を促した。



監房に戻った俺は、さっそく今日の経過をアイに話した。


「そうか、地下通路の最後は、やっぱりあの毒の沼に続いているのか」


「予想通りな。でも出口の所で毒水の中に入らないとならないってのは難問だ」


「あの沼の水は、触れただけで数日で死ぬって言うからな。実際に処刑で使われる事もある。そんな中に入って沼を泳いで渡るなんて無理だろ」


俺は今日見た『沼に浮く鳥』の事を思い出した。


「それであのヨゴレカモって奴は沼の上を泳いでいたんだが、どうして平気なんだ?」


「さあな。毒に対する免疫でも持っているんだろ。それともカモ自体が毒を持っていて慣れているのか」


「でもあのカモは他の動物に狙われないように毒の沼の上に居るんだよな? という事は他の動物が食べる事ができる、つまりカモ自体には毒はないって事じゃないか?」


「そんな事を言われても、俺は動物の専門家じゃないから知らないよ」


「あのカモ、真っ黒だけど光の加減で紫色に見えるよな。キレイな色なのになんでヨゴレカモって名前なんだ?」


「それはあのカモの死骸には、体中にゴミや汚れが付いているからだよ」


「アイは見た事があるのか?」


「時々、運動場や建物の周囲にも死体が落ちているからな。あのカモは体中から大量の油が出ているんだ。それで生きている時は黒い羽がキレイに見えるけど、あの油のせいで死ぬとゴミや汚れがくっつくのさ。それでヨゴレカモって呼ばれているんだよ」


(体中から大量の油が出ている?)


その言葉に閃くものがあった。俺はアイに飛びつくように言った。


「アイ、確か工作室には工業用のグリスやワックスがあったよな?」


俺の勢いにアイはビックリしたような顔をする。


「あるけど……なんだよ、いきなり」


「それを大至急、手に入れてくれないか? 出来るだけ沢山だ」



その五日後、俺はアイが手に入れてくれたグリスを持って、ノーズと一緒に再び地下通路に潜った。

ノーズが一緒なので道に迷う事はない。

難なくこの前と同じ毒の沼に続く出口にたどり着いた。

ノーズが怪訝な目で俺を見る。


「いったい何をする気なんだ? ここが毒の水である以上、どうする事もできないと思うが?」


俺は彼の言葉を聞きながら、左手にグリスをたっぷりと塗りつけた。

そして武器として作っておいた、山刀をノーズに手渡す。


「俺は今から左手だけ、この毒の水に入れてみる。もし俺が苦しむようだったら、引き上げて俺の左手を切断してくれ」


ノーズが顔色を変えた。


「何を言ってるんだ、君は? 正気か? この毒の水は数日で骨も肉も腐らせて死ぬって言っているじゃないか。まさかウソだと思っているんじゃないだろうな?」


「そうは思っていない。だけどヨゴレカモは毒の沼でも平気に泳いでいる」


「だからアレは、カモが毒に対する耐性を持っているらしいって説明しただろ」


「確かにその通りかもしれない。だけどあのカモは他の動物に食べられるんだよな? だったらカモは体内には毒は持っていないはずだ」


ノーズが驚いたような顔をした。

俺は先を続ける。


「俺はカモが毒の沼でも浮いていられるのは、身体中を油でコーティングしているからだと思うんだ。この毒は水溶性で油を通る事ができないんじゃないかと考えている」


ノーズが唸るように言った。


「確かに、その可能性もあるが……だとしてもただの推測に過ぎない。間違っていたら君は死ぬ事になるぞ」


「だからテストしてみるんだ。ここまで来て『やっぱり脱出できません』なんて事にはしたくない。それでもし俺の予想が外れていたら、アンタに腕を切り落としてくれって頼んでいる」


ノーズはしばらく目を閉じて考え込んでいたが、やがて諦めたように俺を見る。


「わかった、君がそこまで言うならやってみるがいい。だが腕を切り落としても、毒が全身に回る方が早いかもしれないぞ」


「そうなったとしても、アンタを恨みはしないよ」


そう言って俺は笑って見せたが、ノーズは笑わなかった。


「どのくらいの時間、腕をつけてみるんだ?」


「スキンの話だと一分と経たずに毒で苦しみ出すと言う。だから一分以上、毒の水に手を入れてみれば分かるだろう」


「わかった」ノーズは自分の腕の脈で時間を計り始めた。


「それじゃあ、行くぞ」


俺は大きく深呼吸した。

そして静かに、グリスを塗った左手を毒の水に入れる。

濁ってはいるが手を入れた感触は普通の水と同じだ。

特に変化は感じない。

だが俺も緊張はしていた。


(もしこの毒が痛みを感じるものではなくて、いきなり内臓や中枢神経にダメージを与えるものだったら……)


そう考えると冷や汗が出て来る。


「十五秒経過」ノーズがそう告げる。


けっこうな時間、手を入れているように思ったが、まだ十五秒しか経っていないのか。


「三十秒経過」


手を入れた部分の水に、僅かに油が滲んで浮かんでいる。

だがグリスはかなり粘性が高い。

この程度で水に溶けたりはしない……はずだ。


「四十五秒経過」


気のせいだろうか、少し指先がピリピリするような気がする。

だがこれは緊張のため、そう感じるだけだろうか。


「一分経過。もう手を出してもいいだろう」


だが俺はまだ手を入れ続けた。


「もう一分だけ試してみる。排水のせいでここだけ毒が薄まっている可能性もあるからな」


ノーズは小さなタメ息と共に「一分十五秒経過」と言った。

そのまま無言の時間が流れる。

やがて「二分が経過した」とノーズが告げる。

俺は左手を毒の水から引き上げた。

持って来た革袋の水で、よく左手を洗い流す。

それでもグリスは落とさず、後は大浴場で洗い流すつもりだ。

ノーズが安心したような顔つきで言った。


「どうやら君の推測が正しかったようだ」


俺も安堵のタメ息を漏らした。


「危険な賭けではあったけどな」


ノーズが肩を竦めて首を左右に振る。


「まったくだよ。自分の身体を使って毒の性質と、その対処法をテストしようなんて……」


彼はそう言った後で、俺の肩を軽く叩いた。


「でも君の言った通り、図書館で本を読んでいるだけでは分からない事だったな。生物学は実際に現場に出て観察するフィールド・ワークが必要だ。私はそれを改めて感じたよ」

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2025年12月29日 12:04

異世界プリズン・ブレイク――亜人がひしめく最悪の刑務所を脱出せよ! 震電みひろ @shinden_novel

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