特別を探して

幸まる

探しもの

領主館の厨房の隣には、使用人達が休憩をするための広間がある。


使用人達は担当する部署や仕事によって、休憩時間はバラバラだ。

その為この広間は、常に誰かが入れ代わり立ち代わりやって来て、食事をしたりお茶を飲んだりしている。

そして、その時々に顔を合わせた者同士が会話を楽しむのだ。

情報交換をしたり、交流を深めたり、時には口喧嘩から発展して問題が起きたりもするが、この場での交わりを多くの使用人が楽しんでいることは確かだった。




「はあぁぁ…」

「おいおい、なんだその深い溜め息。せっかくの美味うまい料理が不味まずくなるだろ」


長テーブルの真ん中で、遅い昼食にサンドイッチを齧っていた副料理長は、目の前で辛気臭い溜め息をついた男に口を歪めて見せた。


溜め息をついたのは従僕のカイだった。

いつもはパンと具沢山のスープが使用人のまかないだが、今日は珍しく燻製肉を挟んだサンドイッチが出されたというのに、この溜め息だ。

副料理長が文句を言いたくなるのも頷ける。


「ああ、悪い。料理に不満があるわけじゃなくて、領主様の溜め息を聞き続けてたら、つい……さ」


カイが前髪を掻き乱して、椅子に座り直した。


カイは、領主付きの従僕の一人だ。

この領主館の主である、領主の身の回りの世話をしている。

その為、公私に関わらず、ほぼ一日中領主の近くにいるわけだが、領主は最近非常に沈んでいて、溜め息の量が半端なく多いのだという。


「ああ、クラウディアお嬢様の出発が近いからか」

「そうそう。もう、奥方様が呆れる程の落ち込みようさ」


領主の長女クラウディアは今年で十七歳を迎え、今月末頃に嫁いで行くことが決まっている。

領主にとっては初めての子であり、自慢の娘だ。

彼女が嫁いでいくことは、父親にすればなかなかのダメージなのだろう。

しかも嫁ぎ先が、王都を挟んで反対側の辺境領地なのだから、尚更だ。

孫が生まれても、そうそう顔も見に行けない。



副料理長は、ひょろりと長い身体を小刻みに揺らして笑い、手に持ったサンドイッチをひと齧りした。


「まあ、こればっかりは仕方ないよなぁ。そういえば、大旦那様はどうなんだ?」


口をもぐもぐとさせながら、三席ほど離れて座る年増の侍女を見遣る。

そこには、前領主である老紳士大旦那様の専属侍女ルイサが、背筋を伸ばしてお茶を飲んでいた。

声を掛けられて、彼女は片眉を上げる。


「ポンコツよ」

「ポンコツ?」

「ええ。部屋にある暦を見ては、この世の終わりみたいに嘆いているの」

「そっちもか」


カイがサンドイッチ片手に呆れた声を出せば、ルイサは鋭く目を細めた。


「『二度と会えないわけではありません』と言ったら、亡くなった大奥様の姿絵を抱いてメソメソメソメソ。まるで蛞蝓ナメクジみたいに湿っぽいものだから、放っておいて休憩に来たの」

「おいおいおい」


苦笑する副料理長をジロリと見て、ルイサは短く息を吐いた。


「いい加減そろそろメソメソするのにも飽きた頃でしょう。ハイスにホットミルクを入れてもらうわ」

「あ〜、ハイスね。もなかなかポンコツになってるぜ」


副料理長がカイの後ろを顎で示す。

振り返れば、どよんとした空気を纏ったハイスが隣の列のテーブルに突っ伏していて、カイは驚いてガタンと椅子を鳴らした。


「うわ、びっくり! なんなの!?」


くくっと笑った副料理長が、もう一口サンドイッチを齧った。


「そいつね、最近サシャに夜の逢瀬を断られることが多くて落ち込んでんの」


ガバとハイスが勢いよく顔を上げた。


「副料理長、言い方! 変な言い方しないで下さいよ!」

「間違ってないだろ? 二人きりの手伝いを断られてるんだから」

「うっ……」


ハイスは製菓担当料理人の一人だ。

恋人は厨房の下女であるサシャで、ハイスが好んで行う夜の仕込み作業を、時々善意で手伝ってくれていた。

それは仕事の延長ではあっても、日々忙しい二人が二人きりになれる、貴重な時間でもある。

しかしここ最近、ハイスが手伝いを頼むと、サシャが断ることが増えた。

二ヶ月ほど前に厨房に入ったメリンダと、女性用の使用人宿舎で勉強会を行う為だ。


カイが口の中のサンドイッチを飲み込んで、怪訝そうな顔をした。


「メリンダって、新しく入った下女だろ? 確かサシャとは上手くいってないんじゃなかったっけ?」

「よく知ってるな」

「あ? ああ、まあ、噂としてね」


副料理長の突っ込みに、カイは軽く目線を泳がせる。

噂好きの侍女コリーは、カイの幼馴染だ。

厨房のあれこれも、コリーを経て館内の使用人達の耳に入っているのだろう。



ハイスは頬杖をついて、食べ終えて空になったスープ皿を指でなぞった。


「メリンダと上手くいかないことが続くなら、何かしら手助けしようと思って構えてたのに、いつの間にか仲良くなっちゃってたんだよ」

「あれはサシャの素直さの勝利だね」


副料理長が笑う。


他の貴族屋敷から移ってきたメリンダは、前の職場でのやり方を変えようとせず、ここでのやり方を指導するサシャとぶつかっていた。

このまま険悪になるかと思えば、ある時からサシャが関わり方を変えたのだ。


成人前からこの領主館で働いていたサシャは、他の厨房でのやり方を全く知らない。

だから、メリンダに教えて欲しいと乞うた。

『他の職場のやり方を知ることで、もっとこの職場で私が役立てることが増えるかもしれないから』と。


メリンダは元々世話焼きタイプの女性だったようで、年下のサシャがそう言って真っ直ぐに教えを乞うたことで、親しみを持って接するようになった。

しかもその過程で、サシャが文字や計算をきちんと教わったことがなく、厨房で困らない程度にしか理解していないと知り、憤慨した。

『サシャの恋人は、自分の仕事を手伝わせるだけで、他に必要なことは教えてくれないの!?』と迫り、サシャに読み書きと計算を教えることにしたのだ。

商家の生まれのメリンダは基礎をよく理解しており、学び足りていない下女達が他にも集まり始め、今では女性用宿舎で週に二、三度勉強会が行われているのだった。



「はぁ……。俺は特別だと思ってたのにさ。俺に先に言ってくれたら……」

「側にいて気付かなかったのだから、不満を口にするのは不様だわ」


不満を滲ませて呟いたハイスを、容赦なくルイサの言葉が抉る。


「大体、夜に作業をするのはハイスあなたの勝手で、手伝ってくれていたのは彼女の善意の奉仕でしょう。ずっと同じように続けてくれなんて、随分な甘えだわね」


奉仕と言われて、ハイスは顔色を変えて口を開きかけたが、ぐっと言葉を飲み込んだ。


確かに、静かな夜に集中して仕込み作業をしたいのはハイスのこだわりであって、サシャには関係ないのだ。

普段は口に出来ない食材を味見したり、試作を食べさせてあげることは出来ても、報酬らしいものがあるわけではない。

今までハイスが何かお礼をと言っても、サシャは二人の時間が嬉しいからいらないと笑って断ってきた。


サシャの優しさに甘えていたのは事実なのだ。



項垂れるハイスを横目に、カイは指に付いたソースを舐めながら肩をすくめた。


「ま、気持ちは分かるよ。使用人俺達は、恋人との二人きりの時間なんてそうそう持てないからな」

「……そうなんだよなぁ」


仕事の内容にもよるが、朝から晩まで忙しく働いている使用人達は、なかなかゆっくりした時間を持てないことが多いのだ。



「いっそのこと、結婚しちまえば?」



スープを美味そうに飲む副料理長の言葉に、残りのサンドイッチを口に入れていたカイがむせた。

ハイスもスープ皿に手をぶつける。

皿に置かれたスプーンが、焦ったようにカチャンと音を鳴らした。


「けけけ結婚!?」

「ハイス、お前狼狽うろたえすぎ。いいじゃん? 職場でも家庭でも一緒。サシャとの時間、いっぱい持てるぜ?」

「そ、そうですけど……」

「何も言わなくも仕事内容までぜーんぶ分かってくれて、家庭でも職場でもサポートしてくれる嫁さん、最高だろ。オルガを見ろよ」


副料理長は、開いた扉から見える厨房を指差す。

奥の炉の前で、料理長とベーカリー担当の女料理人オルガが、レシピのメモを見ながら何やら話している。

年が明ければ、二人が結婚してから二年経つが、公私共に良い関係を維持している。


「家庭でも職場でも一緒ってのはどんな気分なのかとも思うけど、二人を見れば悪くはないと思わねえ?」

「確かにそうですけど」

「だろ? もうプロポーズしちゃえよ」



ハイスの喉がゴクリと鳴った。

しかし、固い表情でゆっくりと視線を落とす。


「……そんな、勢いで決めることじゃないでしょ。俺だけの問題じゃない」

「そうか? 結婚なんて勢いないと出来ないと思うけど?」


軽く副料理長が言えば、ルイサが片方の口端を上げる。


「勢いだけで結婚してすぐ破局、なんて話も聞くけれどね」

「確かにそれもあるなぁ。一緒にいる時間が増えて、付き合ってた時には見えなかった嫌な部分が見えたりとかな」

「でも、長く付き合えば良いというわけでもないわ」

「あ〜、馴れ合っちゃって、今更結婚しなくてもいいやって、なったりな」


楽しそうに好き勝手話して笑う二人に、お茶で口の中のものを流し込んでいたカイが顔をしかめた。


「ちょっと二人共、他人事みたいに」

「だって、他人事だもん」


何か言いた気なカイにウインクし、手に付いたパン屑を落として副料理長は立ち上がる。


「だってそうだろ? 他人の俺は好きなこと言いながら見守るだけだもん。もちろん俺はこの職場がすごく好きだからさ、必要ならいくらでも手助けするよ? でも、別にハイスには今必要ないでしょ」


必要ないと言われて、固い表情になっていたハイスは視線を上げる。

その視線を受け止めて、副料理長はニヤリと笑った。


「お前はさ、俺が他人事だからって茶化しても、じゃあ結婚……なんて勢いに乗ったりしない。自分のことだけじゃなくて、ちゃんとサシャのことも考える、そういう奴さ。第一さ、そこでポンコツになってるのも、本当は逢瀬が減ったからって理由じゃないだろ」

「それは……」


確かに、二人だけの時間が減ったことは寂しい。

けれど本当に落ち込む理由は、サシャが学びたいと思っていたことを察することが出来なかったことが悔しいのだ。

一番近くにいて、一番彼女を理解していると自惚れていた自分が、恥ずかしかった。


“特別”であるということは、そういうことではなかったのに。




副料理長がテーブルの端を回り込んで、ハイスの肩を叩いた。


「さ、俺達の仕事をしようぜ。ルイサが大旦那様にホットミルクを持って行くってさ」

「……はい。すぐ作ります」


ハイスは深呼吸して気合を入れ直した。

皿を持って立ち上がり、厨房へ戻る。


自分で食べた皿は、原則自分で洗う決まりだ。

洗い場へ寄ると、ちょうどサシャが食器を洗っているところだった。

ハイスに気付き、サシャは微笑みかける。


「一緒に洗うわ。そこに置いておいて」

「ありがとう」


ハイスが流し横に皿を置くと、サシャが少しだけ顔を寄せた。


「今夜手伝えなくて、ごめんね」

「いいよ。……それより、勉強は楽しい?」

「ええ、とても! もっと難しい文が読めるようになったら、製菓の本も読めるようになるかしら」

「え?」


ハイスが瞬けば、サシャは栗色の瞳を嬉しそうに細めた。


「ハイスがどんな仕事をしているのか、もっと詳しく分かるかと思って。そうしたら、手伝えることも増えるかもしれないでしょ? 私、もっとハイスの手伝いが出来るようになりたいの」


真っ直ぐな好意と愛くるしい笑顔が、ハイスの胸を撃ち抜く。


「……サシャ、好」

「はい、仕事ーっ!」


ベシ、と空の皿で副料理長がハイスの頭を叩いた。




「いてーっ!」という叫びを聞きながら、カイが溜め息をつく。


「結婚ねえ……」

「あなたも考えてみれば?」


気付けば、側にルイサが立って見下ろしていた。


「そんな相手、いませんよ」

「そう?」

「…………そうです。っていうか、ルイサさんも副料理長も独身なのに、好きなこと言いますよね。二人こそ、良い相手はいないんですか。ずっと独身を貫くつもりで?」


言い返して立ち上がれば、それ程背の高くないカイの目線は、女性にしては背の高いルイサの目線と同じくらいの高さだった。

型通りの美しい立ち姿勢で、ルイサは淡々と言葉を口にする。


「さあ。結婚したくないとか、そういうことじゃないわ。ただ、私も副料理長も同じなのよ、きっと」

「同じ?」

「ええ。領主館ここ以上に欲しい場所がないの。得難いもの特別を、見つけてしまったから」


誰かと得られる温かい時間も、癒しの空間も必要とは思えない。

が、自分らしく在れる“特別”な場所だから。


「あなたはどう?」


問い掛けに、カイは考えに沈むように視線を逸らした。



ルイサは話を終わりにし、滑るように足を踏み出してホットミルクを受け取りに厨房へ向かった。

冷める前に、大事な温もりを老紳士に届けてやらねばならない。

それがルイサの、“特別”の一部だ。


副料理長が、料理長とオルガの隣に並んで立つ。

ここが、彼の“特別”な位置。


皆それぞれが、必要な人や場所を探しながら生きていくのだろう。

それが結婚というものであっても、なくても。


いつか、その人なりの、“特別”を手に入れて。




《 終 》



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