第十八話「アナの裏切り!?」
”ハンガーから、リーゼが一機盗まれたらしい”
その知らせは、朝の号令より早く軍学校中を駆け巡った。
「整備棟のカーゴごと、夜のうちにだってさ」
「黄色いのヤツ、あったろ? あれだよ、“テロリストブチのめしたってヤツ”」
ざわめきとささやきが、寮の廊下から食堂、校庭へと波紋のように広がっていく。
誰も、本当の理由など知らない。
ただ“一度テロを撃退した機体が盗まれた”――その事実だけが、尾ひれをつけて膨らんでいた。
「内部の誰かが、テロリストに通じてたんじゃないかって話もあるぜ」
「整備科にいるらしいぜ」
「名前、もう出てるのか?」
噂は、残酷なほど早く形を持つ。
「……アナスタシア・ミューレ、って聞いた」
「一般推薦の? 一緒に試験受けたわ……」
「嘘だろ……?」
――その噂は、すぐに当事者たちの耳にも届いた。
「ホフマン先生!」
整備科の教室。
始業のチャイムが鳴る前から、マキは教壇の前に詰め寄っていた。
クラウス・ホフマン軍曹は、いつもの作業着ではなく軍服を着ている。
顔つきもどこか硬い。
「……どうした?まだ講義は始まってないぞ?」
形式ばった言葉を軽く流しながらも、その目は笑っていなかった。
「先生!」
マキが、机に手をつく。
「アナが……オルゴールを盗んだって、嘘ですよね!!」
教室の空気がピンと張り詰める。
アナスタシア・ミューレの席は、今朝から空いたままだ。
「……あの子がそんなことするわけないです! 昨日だって、ボクたちと一緒に――」
「マキ」
ホフマンが、静かに手を上げた。
「落ち着け」
「落ち着いてなんか――」
「落ち着けと言っている」
一段低い声に、教室中の生徒が息を呑む。
短い沈黙ののち、ホフマンは黒板の前に立ったまま腕を組んだ。
「事実だけを言う。今朝、巨兵整備棟からオルゴール1号が消えていた。運搬用カーゴごとだ。――以上だ」
「それって……やっぱり、誰かが動かしたってことですよね」
ミレーネが眉をひそめる。
「出入り記録や警備記録から、“関わったと思われる生徒”はいる。だが、その名前を俺の口から軽々しく出すつもりはない」
「でも、アナが――」
マキの声が震えた。
「あの子が、そんなことする理由なんて……」
「理由は、あったのかもしれんし、なかったのかもしれん」
ホフマンの目が、ほんのわずか揺れる。
「だが、今あるのは“外形的な事実”だけだ。憶測で断じるな」
「じゃあ、アナの無実を証明する手だって――」
「今日の整備科の授業は、自習だ」
その一言に、教室がざわつく。
「自習って、こんな時に?」
「先生は、捜索とかには……」
「俺にもやることがある」
ホフマンは短く言う。
「お前たちは学生だ。学生として何ができるかを考えろ。それ以上は――俺の仕事だ」
そう告げると、彼は教室を後にした。
閉まる扉の音だけが、いつもより重く響いた。
同じころ、別棟の会議室では、大人たちが重い沈黙を囲んでいた。
「……状況は以上です」
報告を終えたのは、軍学校警備隊の士官だった。
机を挟んで座るのは、帝国軍学校の理事長、パイロット科教官のラーデル大尉、整備科のホフマン。そして、白髭を撫でる老紳士――マーティアス・オルガン。
「まさか、あの機体が盗まれるとはな」
理事長が渋面で言う。
「軍本部には?」
「“報告を検討中”の段階です」
ラーデルが肩をすくめた。
「テロ事件で目立ちすぎた。“一度テロを撃退したリーゼ”がどこかへ消えたとなれば、軍が黙っているとは思えません」
「……オルゴール1号は、あくまで“作業用機”だ」
マーティアスが静かに口を開いた。
「少なくとも、表向きはな」
「つまり?」
「軍本部にも、”コア”の仕様までは伝えておらん。そうしておいたのは、私の我儘でもあるがね」
マーティアスの目は細く笑っていたが、その奥には固い光が宿っていた。
「“なぜ盗まれたか”は、今の私には何も言えん。テロ事件での戦闘が目に付き、“縁起物”か“象徴”として欲しがったのかもしれんし、単にデータが欲しかっただけかもしれん」
「いずれにせよ、軍が本格的に動けば、学校に完全に介入する口実を与えることになります」
ラーデルが言う。
「“学校が保有していた機体がテロに使われた”なんて話になれば、犯人を決めるまで帰らせてくれないでしょうね」
「……それに」
ホフマンが、低く続けた。
「昨夜、整備棟の裏で、ミューレを見かけた。声をかけたが、“何でもない”と言って立ち去った。――そこで踏み込めなかったのは、俺の判断ミスだ」
握りしめた拳が白くなる。
「何か抱えている顔だった。気づいていながら、深く聞かなかった。教師として、見逃した」
「クラウス、それは結果論だ」
ラーデルが目を細める。
「生徒の全部を背負うなんて、誰にもできん」
「結果論でも、だ」
ホフマンは唇を噛んだ。
「このままでは、アナスタシア・ミューレは“犯罪者”として軍に渡される。オルゴール1号も、どこかの倉庫で分解されて終わりだ」
マーティアスは、黙ってそれを聞いていた。
彼だけが知っている。
あの機体の中に、孫娘の命と繋がる“何か”があることを。
それを、ここで口にするつもりはない。
秘密は、少ないほどいい。
「……打つ手が、全くないわけではない」
理事長であるヘルマン・クロイツナーが重い口を開ひらいた。
「”彼”に頼むしかないだろう‥‥」
帝都北方の山間部。
古い鉱山跡を改造した倉庫の中。
重い鉄扉が開き、運搬用カーゴを載せた牽引車が暗い空間に停まっている。
「こいつが……“例の黄色いの”か」
数人の男たちが、カーゴを取り囲む。
腕の腕章には、黒い矢――アトラスの矢の紋章。
固定具を外されると、黄色い鋼の巨体が姿を現した。
「本当に、頭が付いてやがる」
「派手な塗装だな。作業機じゃあるまいし」
「うるさい」
冷ややかな声が、ざわめきを切った。
黒いコートを羽織った長身の女――ヘルガ・リンドベルクが、倉庫の奥から現れる。
「情報では、“アーヴェ・フォルクを叩き潰したリーゼ”らしいね。詳細はわからないけど、上はこの機体がよっぽどほしいみたいだよ」
「なにか特別なんですかね?」
「“何かしらの実験機らしい”とだけ。具体的なことは何一つ」
ヘルガは、黄色い機体を見上げた。
「……なにが特別なのか、今から確かめるよ」
技術担当の男が、機体のパネルを開く。
「電源系統、問題なし。油圧も、許容範囲。……主電、オン」
カチ、とスイッチが倒される。
――沈黙。
「……?」
「もう一度やりな」
再びスイッチを入れる。
何も、起こらない。
「おかしい。出力計そのものには反応がある。けど、起動シーケンスが走らない」
「つまり?」
「動力が“息をしてる”のに、機体が“起きない”。そういう状態です」
「どういうことよ、それ」
ヘルガの眉間に皺が寄る。
「情報には、“起動条件”なんて一言も書いてなかったよ」
「情報が抜けてたのでしょうか、わざとなのか……」
「黙りなさい」
ヘルガの視線が、倉庫の隅に縛られている少女に向いた。
アナスタシア・ミューレ。
両手首を荒い縄で縛られ、口の端には乾いた血の跡。
まだ幼さの残る顔が、苦痛と恐怖で強張っている。
「ミューレ嬢」
ヘルガが、つかつかと歩み寄る。
「あなた、整備士なんでしょう? この機体に“何か”仕込まれているとしたら、知っているはず」
「……知りません」
かすれた声が返る。
「知らない、じゃない」
顎を掴まれ、強引に顔を上げさせられる。
「昨夜、あなたがこの機体を動かして持ち出した。それは事実。――どうやって動かしたの?」
「‥‥し、しらない…」
アナは、震える声で言った。
「この子は……今は動かない……」
「つまり、“鍵”はあの学校に置いてきたってわけ」
ヘルガの目が細くなる。
「上は、“持ってきさえすれば使える”と言っていた。こっちは命を賭けて学校に潜り込ませたっていうのに」
「そんな……私は、“機体を持ってこい”ってしか……」
次の瞬間。
「っ……!」
背後から、誰かの足がアナの脇腹を蹴りつけた。
乾いた衝撃が身体を貫く。
「ヘルガ様の前で嘘つくなや、小娘」
「本当に……知らなかったんです……! 家族を……この子を持ってくれば助かるって――」
アナの目から、ぽろぽろと涙がこぼれた。
「家族、ね」
ヘルガは、つまらなそうに肩をすくめる。
「“助かる”って誰が言ったのかしらね。本当にそうするなんて、誰も言ってないはずだけど?」
「うそ……!」
頭の中が真っ白になる。
(家族は……もう?)
(友達も、機体も、全部……)
喪失感が、胸の奥をえぐった。
「もう一度聞くわ、ミューレ」
ヘルガがアナの耳元に顔を寄せる。
「この機体が動かないのは、なぜ? 起動条件は? 何か特別な“認証”でもいるの?」
「……し、知らない」
「まだ言う?」
拳が振り上げられた。
痛みが再び走る。
それでも、アナは首を振り続けた。
(ここで全部話したら、本当に終わりだ)
(マキの大事なものまで、全部奪われる)
オルゴールが“マキと一緒じゃなきゃ本気で動かない”ことを、彼女は知っていた。
整備の現場で見てきた。
試験で、特訓で、何度も。
それを、ここで口にしたら――
本当に、取り返しがつかなくなる。
(もう友達でもないかもしれないけど……)
(せめて、それだけは――私が黙っていれば守れる)
それが、アナに残された、最後の“罪滅ぼし”のように思えた。
「……し、知らない‥‥」
血の味が口に広がりながらも、アナはそれだけを繰り返した。
一方そのころ、整備棟裏の空き部屋には、見慣れた顔ぶれが集まっていた。
マキ、ミレーネ、フリッツ、エリーゼ、ナーシャ、オットー、ヴァルター。
「じっとしてろってのが、一番無理な話だよな」
フリッツが机に腰かけて嘆息する。足はちゃんと床に置いている。ミレーネにさっき叩かれたからだ。
「対処するから待て、って先生たちは言うけど」
マキが拳を握る。
「このままだと、アナは“テロリストと組んだ裏切り者”ってことにされる。オルゴールも、どこかに運ばれて――」
ナーシャが不安げに言う。
「学校がどこまで対処してくれるかは分からないし」
「どうにかして、アナの無実とまでは言わなくても、“状況”くらいはひっくり返したい」
ミレーネが腕を組む。
「オルゴールの奪還もセットでね」
「でも、どこにあるのか分からないよ」
ナーシャの言葉に、皆が黙り込む。
何案も出ては、現実味のなさに消えていく。
「……ひとつ、可能性があるかもしれません」
しばらくして、ヴァルターが控えめに手を挙げた。
「昨日の特訓で、オルゴール1号に“遠隔MMAS≪マス≫グラフ収集装置”を取り付けたの、覚えてますか?」
「あ、うん。踏み込みの波形取ってたやつ」
マキが頷く。
「外しましたっけ?」
その一言に、皆の視線がマキとナーシャに集中する。
「えーっと……」
「最後にログだけ抜いて、そのまま……」
「付けっぱなしだな」
オットーが額を押さえた。
「付けっぱなしですね」
ナーシャが認める。
「あの装置、自分の動作確認用に、常時ごく微弱な周波数を出してます」
ヴァルターが続ける。
「本来は整備棟内で拾う前提ですから、出力はかなり小さいです。でも、受信側を強化してやれば――外からでも拾えるかもしれません」
「つまり、“オルゴールが今どこにいるか”、そこから割り出せる可能性があるってこと?」
ミレーネの目が光る。
「理論上は、はい」
ヴァルターは頷いた。
「整備用カーゴに大型アンテナと受信機を載せて、校外を走らせる。――もっとも強く反応する方向に、オルゴールがいるはずです」
「アナも、そこにいる可能性が高い」
エリーゼが低く言う。
「軍に言えば――」
「軍に言ったら、“じゃあ装置ごと預かる”で終わりじゃない?」
ナーシャが遮る。
「“学生が勝手に事を起こした”って話にもなりますし」
「怒られるのは確実だな」
フリッツが苦笑する。
「……でも」
マキは、ゆっくりと顔を上げた。
「何もしないで、アナが裏切り者のままになるのは、もっと嫌だ」
短い言葉に、部屋の空気が変わった。
「で、どう動くかだな」
フリッツが口の端を上げる。
「リーゼ何機、カーゴは一台。乗るなら誰だ?」
「前衛は、ボクとフリッツ」
マキが真っ先に言う。
「オルゴールを見つけたら、動かせるのボクだけだし」
「俺も行く。マキだけ前に出して、後ろで見てるとか性に合わねえ」
「中衛兼指揮は私がやるわ」
ミレーネが続ける。
「カーゴの護衛と、全体の動きの整理が必要。パイロットは4人が限界」
「後方からの援護射撃と警戒は、私が」
エリーゼが静かに名乗りを上げる。
「長距離からなら、カーゴを守りつつ動ける」
「受信装置の調整は僕がやります」
ヴァルターが眼鏡を押し上げた。
「アンテナの設計、全部把握してますから」
「じゃあ俺は運転だな」
オットーが立ち上がる。
「装備と予備部品、集めとくね」
ナーシャが胸を叩く。
いつの間にか、全員の目から迷いは消えていた。
「……決まりね」
ミレーネが息を吸う。
「これは、正式な任務じゃない。ただの“勝手な暴走”よ。停学どころか、罰せられるかもしれない」
「それでも行く」
マキが言う。
「ボク、アナをこのままにはしたくない」
「俺も」
「わたしも」
「……同じく」
次々に重なる声に、ミレーネは小さく笑った。
「じゃあ、怒られる覚悟くらい、最初から決めておきましょうか」
「……生徒たちが?」
教官棟の一室で、ホフマンは耳を疑った。
「整備用カーゴ一台と、試験用フロッグⅡ四機が無断出撃しました。乗っていたのは、おそらく――」
警備担当の兵は、何人かの名前を挙げた。
聞いた瞬間、ホフマンは顔をしかめる。
「くっ!あいつらっ!」
「北門から北の街道へ向かっています」
「北か」
昨夜見たアナの背中。
その向こうに広がる丘陵地帯を、ホフマンは思い浮かべた。
「止めに行かないのですか?」
「行くに決まってるだろうが」
ホフマンは立ち上がる。
「ハンガーを開けろ。フロッグⅡを一機。俺が出る」
「ご自身が?」
「生徒が勝手をするなら、止めるのが筋だろう」
自嘲気味に笑うと、ホフマンは歩き出した。
(アナを追ってるのか、オルゴールを追ってるのか)
(あいつらも、俺も、きっと両方なんだろう)
帝都北門。
重い扉の脇を、整備用カーゴが一台、ぎしぎしと音を立てて通り抜ける。
荷台には、大型の即席アンテナと金属箱の受信装置。
その周囲を、四機のフロッグⅡが護衛するように走っていた。
『受信装置、まだノイズだらけです。周波数を少しずつ絞ります』
カーゴの後部座席で、ヴァルターがダイヤルを慎重に回す。
『……北北西方向、微弱反応あり。完全に消すのは怖いので、この帯域を中心に行きましょう』
『了解。前衛二機、左右に展開。カーゴは中央。バルクホルンさんは後方からカバーを』
ミレーネの声が無線に乗る。
『了解』
『了解』
門番の兵士が、「本当に許可出てるのか?」と半信半疑で見送る中――
マキたちの“小さな遠征隊”は、軍学校を後にした。
その数分後。
別の巨体が、学校のハンガーから飛び出していく。
「本当に、ばかやろうどもだ」
クラウス・ホフマンの乗るフロッグⅡが、ホイールを唸らせる。
「だが、師ってのはな――生徒を殴りに行く前に、生徒を助けに行く商売なんだよ」
小さく呟いて、スロットルを踏み込んだ。
帝都の北の空に、巨兵たちの影が、ひとつ、またひとつと伸びていく。
オルゴール1号とアナスタシア・ミューレの行方。
少年少女と一人の軍曹は、山間の闇へと走り出した。
つづく
オルゴール戦記 ファナ少佐ちゃん @Fanac
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