第十七話「特訓開始」
朝靄が、演習場の端でまだ薄く漂っていた。
帝国軍学校の整備棟へと続く石畳を、二つの影が並んで歩いていく。
「ね、マキ。本当に今からやるの?」
「うん。せっかくオルゴール、やっと直ったし。早く慣らしたいなって」
マキとアナは楽し気だ。
「特訓って言うから、てっきり授業終わってからだと思ってたのに……」
「クラウス先生、言ってたでしょ。“朝に整備、昼は学び、夜に反省”が秘訣だって」
「全部やれって意味だったの!? あの人、さらっと怖いこと言うよね……」
そんな他愛のない会話を交わしながら、二人は整備棟の裏手にそびえる巨大ハンガーの扉を開けた。
金属と油の匂いが、ひんやりとした空気と混ざって流れ出してくる。
そこに――黄色い巨体が、黙って立っている。
「……おはよう、オルゴール」
マキは、自然とそう声をかけていた。
オルゴール1号。
修理と補強を終えたその機体は、以前と同じようでいて、どこか逞しくなった印象を与える。
胸部装甲には新しいリベットの列、関節には調整された痕跡。
そして何より、“人の頭のような部分”――複合スコープを備えた、特徴的部位。
「やっぱり……マキの機体、他のリーゼと全然違うね」
アナが見上げてぽつりと言う。
「うん。お爺ちゃんが独自開発したって言ってたからね。それに顔が付いてるの、可愛いでしょ?」
「……可愛いって表現、リーゼに使う?」
アナが苦笑する。
「使うよ。ボクの家族だもん」
マキは、胸の奥がじわっと熱くなるのを感じながら、コクピットへ続く梯子を登った。
「じゃ、行ってくるね」
狭い操縦席に身体を滑り込ませる。
右の義手でスイッチの並びをなぞり、左足のペダル位置を確かめる。
胸が、いつもより少しだけ早く脈打っていた。
「電源、通電……出力計、安定範囲。油圧、良好。制御系――」
ひと通り計器を確認してから、マキは小さく深呼吸をした。
「オルゴール、起きて」
胸部ランプが、淡く光り始める。
低い駆動音が機体全体を伝わり、関節部に力が満ちる。
オルゴール1号が、ゆっくり膝を伸ばして立ち上がった。
「……動いた」
マキの喉が、かすかに鳴る。
「うん、“ちゃんと”動いてる」
アナが、下から嬉しそうに手を振った。
「じゃあ、まずは歩行からね」
マキがそっとレバーを押し出すと、オルゴールは一歩を踏み出した。
左足の義足に伝わる振動は、以前よりも重い。
シールドを左腕マニピュレーターに固定し、右手には巨大レンチ。
いつもの“マキ仕様”の構成だが――
「……ん」
一歩、二歩。
踏み込むたびに、わずかな“ぎこちなさ”が残る。
動作イメージと、機体の反応が半歩ずつずれているような感覚。
「ちょっと、溜めが大きくなってるかな。装甲と補強分かな……」
アナが、メモ片手に首をひねる。
「オルゴール、ちょっと調整必要かも」
マキはコクピット脇の小さなパネルを見る。
そこには、新しく取り付けられたプレートが光っていた。
『試験用MMAS≪マス≫ポート』
「……アナ」
「うん。試験用フロッグⅡのヴァンガード・データ、用意してある」
アナがハンガーの隅に置かれた試験用フロッグⅡの制御コアへ向かい、太いケーブルを取り出す。
片側をフロッグⅡの端子に、もう片側をオルゴールの腰部パネルに接続した。
「ヴァンガード標準の踏み込みパターンと、シールド受けのパターンB、あとバックステップパターンF……この辺を流し込むね」
「お願い」
短い待ち時間のあと、パネルのランプが緑に変わった。
「――もう一回、歩いてみる」
マキがレバーを倒す。
さっきとは違った。
足が出る直前の“溜め”が短くなり、シールドを構えたままでも、前に出る動きがスムーズになる。
巨大レンチを振り上げた状態からの一歩も、以前のフロッグⅡの感覚に近づいていた。
「わぁ、さっきより全然いい!」
コクピットの中で、マキが目を輝かせる。
「うん。標準ヴァンガードの“型”と、マキとオルゴールの“癖”の中間、って感じかな。あとは、こっち側に寄せていけばいい」
「ボクとオルゴール用に、だね」
その時だった。
「おーい! 朝っぱらからこそこそ楽しそうなことしてんじゃねーか!」
ハンガーの扉が勢いよく開き、赤髪短髪の――フリッツ・ハーゲンが、胸を張って突入してきた。
「ほんとにやってる……」
ミレーネ・フォーゲルが、少し呆れたようにため息をつきながら続く。
その後ろには、長身のエリーゼ・バルクホルン、工具箱を抱えたオットー、分厚い記録板を抱えたヴァルター。
さらに、エプロン姿で大きなバスケットを抱えたナーシャもいた。
「お、おはようございます……あの、みんな分のお昼、作ってきちゃいました」
「ナーシャ、そのバスケット……」
「サンドイッチと、ソーセージと、ゆで卵と……あと、パンをちょっと……」
「“ちょっと”って量じゃねえ!」
フリッツが叫び、ハンガーに笑いが広がる。
だが、その笑いはすぐ別のざわめきに変わった。
「なあ、あれ……」
フリッツが見上げる。
初めて間近で見る、オルゴール1号。
黄色い装甲。背中の作業用ラック。
そして――コクピットの上に載るように突き出た、“頭部スコープ”。
「……付いてるの頭か? でも、フロッグって普通、胴体にスコープ埋め込まれてんだろ。なんだよあの“人の顔みたいなやつ”」
「変な顔って言わないでよ!」
マキがコクピットから身を乗り出して抗議する。
「もともと作業用だから、あそこにスコープがあって、細かい作業しやすいようになってるの。昔の人形劇のからくり見て、じいちゃんが真似したって」
「からくり人形……」
ミレーネが、興味深そうに目を細めた。
「戦場で見ると、結構目立ちそうね、その頭」
「黄色とセットで、ヴァンガードなら目立ってよさそう」
エリーゼがぼそりと言う。
「褒めてる?」
「半分は」
「それ、褒めてないやつ!」
また笑いが起きた。
「よし――じゃあ、改めて特訓開始だ!」
フリッツが両手を打ち鳴らした。
「俺とマキでヴァンガード組。ミレーネとアナとエリーゼは“連携強化”。整備はナーシャ、オットー、ヴァルター。三十分ごとに休憩と≪マス≫調整!」
「了解!」
全員の声が、重なった。
こうして、彼らの長い一日が始まった。
午前中、演習場の一角は、ひたすら“盾のぶつかり合い”の音で満たされていた。
「マキ、今度は“受けながら前”! 後ろに下がるな!」
「わ、分かってるけど……!」
フリッツのフロッグⅡが、シールドを構えて突進してくる。
マキのオルゴール1号も、同じようにシールドを前に出す。
(前に踏み込む……前に――)
踏み込む瞬間、足がわずかにすくむ。
(あの暴走の時みたいに、また“何か”が出てきたら――)
ほんの一瞬の迷い。
オルゴールの内部で、MMAS≪マス≫が“いつもの安全側”にブレーキをかける。
結果、オルゴールの踏み込みは、わずかに浅くなる。
「押し負けてるぞ!」
「くっ……!」
シールドとシールドがぶつかり合い、オルゴールが後ろへ弾かれる。
休憩。
「ここ、見て」
ナーシャが、記録紙をライトに透かして見せる。
フリッツとマキの“前進”の波形が重ねられていた。
「踏み込みの深さ自体は同じなんだけど……マキのほう、“ブレーキの山”がひとつ増えてる」
「……踏み込む前に、一回足が止まってるのか」
アナが、紙を覗き込んで呟く。
「怖かったら、怖いって言っていいんだぞ」
フリッツが、頭をかきながら言う。
「別に……怖くないわけじゃないよ。ちゃんと怖い」
「そこは否定しないのね」
ナーシャが苦笑すると、マキは少しだけ肩をすくめた。
「でも、その“怖さごと”整えていきたいからさ。ナーシャ、そのブレーキ、完全に消さないで。条件、狭めて」
「了解。『敵が三機以上前にいるときは残す』『一対一の時は全部前に出す』……こういう振り分けならできるかも」
ナーシャが、端末のダイヤルを器用に回す。
「MMASは曖昧な命令だと曖昧な動きしか返さないからね。ちゃんと条件つけてあげないと」
アナが、自分のノートにさらさらと書き込んだ。
別のエリアでは、ミレーネ、アナ、エリーゼが“走らせて撃つ”訓練を繰り返していた。
『ミレーネ、右側の路地にダッシュ。アナはその頭上、二秒後に牽制弾』
『了解!』
『分かった!』
二機のフロッグⅡが、障害物の間を走り抜けていく。
ミレーネ機が敵役の“視線”を引きつけるように動くと、その上をかすめるようにしてアナのライフル弾が飛ぶ。
「射線クリア――今!」
ナーシャの声に合わせて、エリーゼが遠距離から一発を放つ。
ターゲットパネルが、きれいに撃ち抜かれた。
「ふう……」
コクピットの中で、アナが息を吐いた。
(前までは、“自分だけが撃てればいい”って思ってたけど……)
今は違う。
(ミレーネさんの走りと、エリーゼさんの狙いと、ナーシャのマップが揃って、やっと“当たる弾”になるんだ)
そんな感覚が、少しずつ身体に染み込んでいく。
昼過ぎ。
「……なるほど。やらかしてると思ったが、案外ちゃんとやってるじゃないか」
演習場を見下ろす通路で、クラウス・ホフマン軍曹が腕を組んでいた。
「止めるのか?」
隣のラーデル大尉が問う。
「内容次第だな。――少なくとも、“俺が混ざる余地”があるなら、止めない」
そう言って、クラウスはにやりと笑った。
数分後。
「おい、ヴァンガード組」
クラウスが緑のフロッグⅡに飛び乗る。
「クラウス先生も参戦っすか?」
「当たり前だろうが。整備科のガキどもに、“いいログ”を見せてやらんとな」
クラウス機がシールドを構えた瞬間――
マキとフリッツは、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
(……動きが、違う)
クラウスは、一歩目から“完成されたヴァンガード”だった。
前に出るときの踏み込みが、まったく迷いなく、しかし過剰でもない。
シールドの角度も、重心の移動も、“こうしてほしい”という理想のタイミングで入ってくる。
「さあ、来い! 黄色いのと赤いの!」
「黄色いのって呼ばないでください!」
「赤いのって雑ッ!」
叫びながらも、二人は全力でクラウス機に向かっていく。
しかし、クラウスは常に“半歩だけ先”を取っていた。
「マキ、今のは良かった。もう一歩、“怖さ”を後ろに残せ!」
「そんなこと言われても……!」
休憩のたびに、クラウスは整備エリアにも顔を出した。
「ここ、マキのログ。踏み込みの前に“揺れ”が出てるだろ。これを完全に削るんじゃなくて、“こういう状況のときだけ出る”ようにしてやるんだ」
「はい!」
ナーシャが真剣な顔で頷き、端末を操作する。
オットーとヴァルターも、黙々とグラフを印刷し、線をなぞっていく。
「整備科も、“戦ってる”って自覚、持っていいからな」
クラウスがぽつりと言うと、ナーシャは少しだけ目を見開いた。
「……はい」
午後には、2対3のミニチーム戦も始まった。
マキ+フリッツの前衛ペアに、ミレーネ中衛。
それを後ろから支えるのは、エリーゼとアナの狙撃・牽制コンビだ。
『右からレオンハルト達が来るって想定。前衛、十秒で接敵』
『了解!』
『分かった』
ミレーネの簡潔な指示。
それに応えて、前衛二機が前へ走り出す。
(今度は――)
マキは、前に出る足が震えないことに気づいた。
怖さは残っている。
けれど、その怖さは“踏み込むための合図”として、身体の中に位置を変えていた。
「前に出ろ、オルゴール!」
シールドが、まっすぐ前に突き出される。
何度も倒され、何度も調整され、何度も笑い合った一日の成果が、少しずつ形になり始めていた。
太陽が傾き、空が茜色に染まり始めるころ。
「――はい、今日のところはここまで!」
ミレーネの号令で、最後の模擬戦が終了した。
「はぁ……はぁ……もう動けない……」
「嘘。あんた、まだ二、三戦できそうな顔してる」
「できねえよ!」
フリッツが大げさに叫ぶ隣で――マキは、コクピットの中で静かに目を閉じていた。
「マキ?」
アナが呼びかける。
「……すぅ……」
「寝てる!」
ナーシャが梯子を駆け上がろうとするのを、フリッツが手で制した。
「いいよ。俺が下ろす」
慎重にハーネスを外し、マキを背負い上げる。
「うお、意外と重いな‥‥!」
「起きてたら絶対怒りますよ、それ」
「たぶん、義手義足が相当重いんだと思う」
ミレーネが解説する。
「オルゴール1号はカーゴに載せろ。今日はもう動かすな」
クラウスの指示で、オルゴールは運搬用カーゴに固定されていく。
チェーンでしっかり縛られた黄色い巨体は、静かに夕焼け色の光を反射していた。
「本当に、“マキが乗らないと動かない”んですね、この子」
ナーシャが、カーゴの横から見上げながらぽつりと言った。
「どういう仕組みなんだろうな?」
ヴァルターが記録板を片付けながら答える。
「良くも悪くも、専用機……って感じだ」
「じゃ、今日は解散!」
ミレーネが言うと、皆それぞれの方向へと散っていった。
フリッツはマキを背負ったまま、寮の方へ。
エリーゼとアナは、銃器類を武器庫へ運ぶ。
ナーシャとオットー、ヴァルターは、整備ハンガーの片付けに戻っていく。
夕闇が、ゆっくりと校舎を飲み込んでいった。
夜。
整備棟の照明は落ち、誘導灯だけが煤けた鉄骨をぼんやりと照らしている。
そんな中、まだ一人残っている影があった。
アナスタシア・ミューレ――アナ。
彼女は、胸元で一通の封筒を握りしめていた。
少し前。
皆で後片付けをしていた時に、物資搬入用の通路で見知らぬ作業服の男に声をかけられた。
『アナスタシア・ミューレか』
人手不足で入り込んだ臨時補助員、そう言われれば納得してしまいそうな、ごく普通の格好。
アナは、特に疑いもせずに頷いてしまった。
『君の家からだ。手紙を預かっている』
差し出された封筒の中身を見た瞬間――アナの顔は青ざめる。
「……っ」
手にした封筒を握りしめてしまう。
(どうして……どうして、こんな……)
足音が近づいてきた。
「ミューレ」
振り返ると、クラウスが立っていた。
「まだ残ってたのか。お前、今日一日でだいぶ動いたろ。もう戻れ」
「……は、はい。今、帰るところです」
アナは、努めていつもの調子で答えた。
「顔色が悪いな」
「大丈夫です。ちょっと、疲れただけで」
「本当か?」
クラウスの目が、暗がりの中でも鋭く光る。
「……本当に、大丈夫です」
アナは一歩、後ろに下がった。
クラウスは、しばらく彼女を見つめていたが――やがて、小さく息を吐いた。
「無理はするな。何かあったら、俺か皆に言よ」
そう言い残し、背を向ける。
その背中に向かって――アナは何も言えなかった。
整備場の奥。
運搬用カーゴの上に、オルゴール1号が眠っている。
アナは、ゆっくりと近づいた。
「……マキ」
誰もいないはずの夜の整備場で、そっと名前を呼ぶ。
黄色い装甲は、薄暗い光の中で鈍く光っていた。
“頭部スコープ”は閉じられ、ただ黙って前方を見つめているように見える。
「今日も、すごかったね……」
アナは、カーゴの縁に手を置いた。
「ボク、最初は、ただの整備志望でさ。
“パイロット試験なんて無理です”って泣きそうになってたのに……」
特訓の光景が頭の中を駆け巡る。
マキの背中。
フリッツの笑い声。
ミレーネの指示。
エリーゼの静かな視線。
ナーシャが振る舞ったサンドイッチの味。
「……ごめんね」
ぽつりと、言葉が零れた。
封筒を握る手が震える。
「許して、マキ……」
カーゴの固定具に手を伸ばす。
何度も扱った金具。
手順は、整備実習で叩き込まれている。
「みんなも……ごめん」
固定チェーンが外れ、カーゴがわずかに揺れた。
牽引用の小型車両が、すでに整備場の入口近くに待機している。
誰がそこに置いたのか――考えるまでもない。
(やらなかったら……)
(やったら、マキたちが……)
何度も、何度も同じ問いが頭の中で反芻される。
答えなんて、どこにもなかった。
ただ――紙に書かれた“最後の一文”だけが、頭の中で焼き付いている。
それは命令であり、罰則でもあった。
「……ごめんなさい」
アナは、最後にもう一度だけ呟いた。
牽引車のエンジンが、小さく唸りを上げる。
カーゴが、ゆっくりと走り出した。
オルゴール1号は、マキのいないコクピットで沈黙したまま、
夜の闇の中へと連れ去られていく。
つづく
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