第十六話「アウトプット」

講堂裏の廊下を、マーティアスはゆっくりと歩いていた。


 白衣ではなく、少しよそ行きのジャケット。その背筋は、年齢を感じさせない、まっすぐなものだ。


「お疲れさまでした、オルガン博士」


 待ち構えていた職員が深々と頭を下げた。


「何か用事かな?」

「はい。理事長がお待ちです」


 案内されたのは、校舎奥にある重厚な扉の一室だった。

 木製の扉をノックすると、中からくぐもった声が返る。


「入りたまえ」


 中には、白髪をオールバックに整えた老人が座っていた。

 帝国陸軍大学付属高等学校――帝国軍学校の理事長、ヘルマン・クロイツナー。


「久しぶりだな、マーティアス」

「本当に久しぶりだ、ヘルマン。こんな立派な椅子に座る男になるとは」

「君こそ、“伝説の亡霊”がひょっこり講義に来るとは思わなんだよ」


 二人は笑い合い、握手を交わした。


「今日は、本当にありがとう。君の名前は、今でも軍学校では半ば神話だ。

 生徒たちにとって、いい刺激になったはずだ」

「礼を言うのはこちらだ。……ラボの提供、助かっておるよ」


 マーティアスは、ふと表情を和らげた。


「オルゴール1号の修理も、マキの義手や人工心臓の調整も、あの設備がなければ難しかった。

 おいぼれに付き合ってくれる変わった連中も多いしな」

「整備科の連中は、君の機体に触れるのを誇りに思っているよ。

 ――彼女も」

「マキか」


 孫の名を口にした瞬間、マーティアスの目にほんのわずかな陰りが差した。


「あの子は、君が思っている以上に背負わされている。

 だからこそ、この学校に預けた。ここなら、機械も、人も、あの子を鍛えてくれる」

「当然だとも」


 理事長は、静かに頷いた。


「我々は、君の残した“遺産”と、“あの子”を、決して粗末には扱わない」

「頼むぞ、ヘルマン。あの子は――」


 マーティアスは、言葉を飲み込んだ。

 代わりに、窓の外の演習場へと視線を向ける。


「……君たちの時代より、いい未来に連れて行ってやってくれ」





 その頃、校舎の中庭では、マキたちが木陰のベンチを囲んで座っていた。


「……すごかったね、さっきの講義」


 アナが、ノートをぱたんと閉じながら言う。


「うん。ボクの中で、“なんとなく”で済ませてた部分が、全部言語化された感じ」


 マキは、自分の右手――義手の指を軽く動かしてみた。

 金属の関節が、わずかに音を立てる。


「“迷った動きも、そのまま記憶する”……か」


 ミレーネが、腕を組んで空を見上げる。


「前回のチーム演習、モロにそれだったものね。

 前に出るか、下がるか、決めきれない時間があった」

「俺もだな」


 フリッツが、ベンチの背にもたれながら言った。


「ヤツの盾の受け方が変わった時、体が反応したのに、マスのほうが一瞬“いつものやつ”を出してきた。あれで一拍遅れた」

「バルクホルンさんも、撃てる場面で撃たなかったってラーデル教官に言われてましたね」


 アナが言うと、エリーゼが少しだけ肩をすくめた。


「……あれは、私の判断。けど、“黙って判断した”のは失敗だった」


 それぞれの顔に、悔しさがちらついている。


「で――」


 しばしの沈黙の後、フリッツがにやりと笑った。


「こういう時に取る手段って、一つしかないよな」

「……嫌な予感しかしないんだけど」


 ミレーネが眉をひそめる。


「そりゃあ――特訓だろ!」


 案の定だった。


「出たわね、“脳筋”!」

「いやいやいや、ミレーネ。マスの話聞いたろ? “何度も繰り返して擦り合わせる”って。

 なら、ひたすら戦うしかねえじゃん。体と機体とマスを、全部まとめて叩き直す」


 フリッツは、拳をどんとベンチに打ちつけた。


「……理屈としては、間違ってないのが腹立つわね」


 ミレーネがため息まじりに言う。


「でも、ボクも賛成」


 マキが手を挙げた。


「ボクとオルゴールも、…ちゃんと向き合わないといけないし。

 それに、さっきの話、整備科から見ても、試せることがいっぱいある」

「そうだね!」


 アナが目を輝かせる。


「クラウス先生にお願いして、整備科のメンバーにも協力してもらおうよ。

 マスのブロックの入れ替えとか、ログの解析とか……。

 パイロット科だけじゃ見えないところ、絶対あるもん」

「整備科目線の特訓、か」


 フリッツが楽しそうに笑った。


「いいじゃねえか。俺たちが前で暴れて、その裏で整備科が“どこで迷ってるか”見つけてくれりゃ、効率もいい」

「バルクホルンさんは?」


 ミレーネが問いかけると、エリーゼは少しだけ考えてから頷いた。


「……参加する。長距離もだけど、市街戦での立ち回り、もっと詰めたい」

「決まりね」


 ミレーネが立ち上がる。


「じゃあ、まずはクラウス先生とラーデル教官に相談して、演習場を押さえないと。

 勝手に殴り合ってたら、今度は本気で怒られるわよ」

「怒るのはクラウスで、殴ってくるのはラーデルだな」

「それは嫌ですね……」


 アナが肩をすくめる。

 マキは、そんな仲間たちを見回して、小さく笑った。


(……特訓か)


 人工心臓が、胸の奥で小さく脈打つ。

 あの講義で聞いた言葉が、頭の中で繰り返される。


『よく迷い、よく転び、よく考えろ。それが、君たちの機体の“性格”になっていく』

(だったら――何度でも、迷って、転んで、そのたびにオルゴールと一緒に立ち上がればいい)

「よし。やるぞ」


 マキは、ぎゅっと右の義手を握りしめた。


「マスにも、ボクたちが“どう戦いたいか”ちゃんと教えてあげないとね」

 その言葉に、フリッツが拳を突き出す。

「おう、じゃあ決まりだ。特訓第一弾――“前衛と中衛と後衛、全部まとめて叩き直し作戦”!」

「名前が雑!」

「ま、仮称ってことで」


 笑い声が、中庭に広がっていった。

 次の演習では、今日よりも一歩前へ。

 機械の中の“記憶”も、自分たちの“覚悟”も、少しだけ更新するために――。

 彼らの小さな決起は、やがて大きな戦いへと繋がっていくことになるのだった。


 つづく

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