薄明光線

譜久村 火山

薄明光線

 この街から太陽が消えたのはいつの時代の事だろうか。太陽を見せることもなく、ただ雨も降らすこともない。青空と自分たちの間に絶え間なく立ちはだかる灰色の雲を眺めながら、アサヒは教室の壁に体重を預ける。四六時中外は夜みたいにどんよりとしているのに、教室の中は蛍光灯の光で眩しかった。まるで、この世界にも光はあるのだと必死に主張しているようで、どこか滑稽である。同じく窓際に集まって駄弁っていたミユキとミユという2人の同級生が言う。

「アサヒはさ、奥さんのこと一生大事にしそう」

 とミユキ。こちらは黒の長髪である。

「分かる。真面目だもんね」

 とミユ。こっちはボブだ。

 アサヒのリアクションを待つ間もなく展開して行く2人の会話に、アサヒは違和感を覚える。特に真面目と言う言葉には引っかかった。「何言ってんだよ。こいつは意外と夢みがちなタイプだぜ。俺と一緒で」とやたら高いテンションで会話に入ってきたのは馬場だ。こいつは掃除道具の箒で魔法使いのように空を飛べると信じ窓から飛び降りたことが原因で教師に説教をされていた。窓から飛び降りたと言っても、一階の窓からだ。怪我はしていない。

「こいつはこう見えても度胸あるぞ」

 と馬場に背中を叩かれた。痛かったので怒る。

「何言ってるの。堅実に生きる方が勇気がいるのよ」

 とミユは言った。その言葉の意味は分からなかった。


 その日の帰り道も、馬場と一緒だった。幼稚園からの腐れ縁である。ミユキとミユはまだ教室に残って受験勉強の続きをするらしい。やがて2人が育った住宅街に向かう山の途中で、雲の隙間から太陽光が漏れて地上に降り立っているのが見えた。2人は思わず、自転車を止めた。

「薄明光線だ」

 馬場が言う。言われなくても、分かっていた。

「あれ、俺たちの家の方じゃね?」

 確かに薄明光線は、アサヒ達が住む住宅街を照らしているように見える。だが重要なのは、そんなことじゃ無かった。薄明光線はまるで夢のような輝きを放っている。教室を照らす外連味に溢れた蛍光灯とは違う。本物の輝きだった。そして、その中に幻覚を見せるほど薄明光線はアサヒを魅了する。雲の隙間から地上に伸びる光の筒の中を天使が降りてきているのがはっきりと見えた。遠目だから、表情までは見えないけれど、それは紛れもなく天使である。幻覚だとは分かっていても、美しい光景だった。

「なぁ、天使がいるぞ」

 薄明光線に魅了されたのはアサヒだけでは無かったようである。

「行こう」

 慌てて馬場は自転車に跨った。

「行こうってどこへ?」

「決まっているだろ?あの光の下だよ」

 言うや否や、馬場は自転車を急発進させる。だが、アサヒの自転車はスタンドに支えられたままである。正直、馬場のことを馬鹿だと思った。馬ばっかりでややこしい。

「間に合うわけないだろ」

 馬場の後ろに向かって叫ぶ。

「間に合うかもしれないだろ」

 馬場の声が木々に反射して返ってきた。

「そんなに急ぐと、事故って死ぬぞ!」

 そう言ったけれど、馬場には届かなかったらしい。


 結局、薄明光線は馬場の姿が見えなくなったのとほぼ同時に消えて無くなってしまった。だがアサヒも、あの光の下に行きたいという欲求が無かったわけじゃない。むしろ、馬場のそれより強いと確信していた。馬場を馬鹿だと思ったのは、そのやり方である。闇雲に走っても、あの光に辿り着ける訳がない。そこでアサヒは、まず知識をつけた。スマホで色々調べた結果、薄明光線は太陽に角度のある早朝と夕方に出来やすい事を知った。また、たまたま犬の散歩をしていた同じ地区に住む知り合いに聞いたところ、この前の薄明光線は住宅街の一番上にある桜公園という小さな公園を照らしていた事が判明する。だからアサヒは、それから毎日朝6時に起きて、桜公園に行くことを決めた。学校から帰って日が沈むまでの間も同様である。

 一方でBは無策のまま、町を駆け回り薄明光線を探した。今日も授業が終わるなり、ミユキとミユに「もし薄明光線を見かけたら、すぐに連絡してくれよな」と言い残して教室を飛び出していく。窓際の壁にもたれかかり、ミユキとミユと駄弁り始めたところで、学校横の道路を爆走する馬場の姿が見えた。すると交差点に差し掛かったところで、青いトラックに衝突されかけクラクションを鳴らされている。

「危ない!」

 届く訳がないと知りながら、本気でミユキが叫んだ。

「馬鹿なんだから」

 大事に至らなかったことに胸を撫で下ろしつつ、ミユが呟く。

「面白いね馬場くんって」

 ミユキがそう言って笑う。

「本当に馬鹿」

 とミユ。

「薄明光線なんて、追いつける訳ないじゃん」

 アサヒはふと気になって聞いてみた。

「2人は、追いかけたりしないの?薄明光線」

 するとミユキが真剣そうな表情で腕を組みながら眉を顰めた。

「確かに憧れはするんだけどね〜」

 ミユキがそこまで言って、続きをミユが引き継ぐ。

「憧れは憧れのままで良い」

 そうだよねと笑って、ミユキがミユを抱きしめる。

「外から眺めているくらいが丁度いいよ」

 というミユキの意見に心のない相槌を打ちながら、アサヒは馬場が消えた窓の外を眺める。外は相変わらず、どんよりとしていて暗かった。


 それから少しして、アサヒにようやくチャンスが訪れる。それは学校から帰って桜公園に自転車を止め、東屋の下で本を読みながら薄明光線を待っていたある夕方の事だった。なんとなく気配のようなものを感じて、栞を挟み、空を見上げると雲がわずかに割れたのである。そこから溢れ出すように一筋の光が伸びて、すぐ近くを照らした。この前よりも薄明光線は間近にあって、迫力がある。残念ながら桜公園では無かったけれど、陽だまりがすぐ近くに出来ていることは明らかだった。

 すぐに自転車を走らせ、隣の地区に入った所でついに薄明光線が照らす場所を見つけ出す。こちらも住宅街となっている坂の途中。道路の止まれという文字が、ある場所を境にしてくっきりと明るい白と暗い白に分かれている。見上げればすぐそこに天使がいるような気がして、アサヒはさらにスピードを上げようとした。だがその薄明光線のすぐ手前の道から二つの人影が現れて急ブレーキを踏む。遠目に見ても、それがミユキとミユであることが分かった。2人の家は、この地区である。

 そして途端に、こちらから2人の姿が見えているということは逆もまた然りだということを意識した。2人に見つかってはいけないという緊張感で汗が垂れる。踵を返すようにUターンをしたところで、前から「おーい」という声が聞こえてきた。見ると、遠くの方から全速力で自転車を漕いでくる馬場の姿が見える。馬場の姿はどんどん大きくなって来た。

 するとアサヒまで後十数メートルのところで脇道から青い運送会社のトラックが飛び出してくる。お互いが慌てて急ブレーキを踏んだので接触は免れた。だが、バランスを崩した馬場は自転車から投げ出される。自転車を降りて、慌てて駆け寄ると馬場は「イテテ」と手首を押さえながら笑っていた。運転手も降りてきて、「怪我はないか」と聞かれると、「はい。大丈夫です!」と快活に答えている。電話番号を残して、運転手がトラックごと去っていくと、入れ替わりにミユキとミユが走ってきた。

「なんかぶつかるのが見えたけど、馬場くんだったの!?」

 ミユキが心配そうに馬場に駆け寄る。

「大丈夫。ぶつかってないから。こけただけ」

 ミユに自転車を立ち上がらせてもらい、ミユキと馬場は落ちた鞄を拾った。

「そんなことより、薄明光線は?」

 急に思い出したみたいで、馬場がミユキとミユの来た方向を指差すも、すでに光は消えている。

「なんだよ。つまんねぇな」

「ほどほどにしてよ。怪我したら、どうするの」

 ミユキが少し頬を膨らませて、馬場に怒っている。だが馬場には全く響いていないようだった。

「そんな事より、アサヒ」

 馬場が肩に手を回してくる。

「やっぱりお前も、薄明光線を探していたんだろ?」

 一番言われたくないことを、言われてしまった。ミユキとミユが驚いたようにアサヒのことを見る。

「ここにいるってことは、やっぱりそうだろ?」

 イエスともノーとも言えず、アサヒは黙る事しかできなかった。

「なんか意外だね」

 とミユキ。

「うん」

 とミユが頷く。

「でも、アサヒならいつか薄明光線に追いつけそう。なんか天才っぽいオーラあるし」

 ミユが言うと、「分かる〜」とミユキも賛成した。

「え、俺は?俺は?」

 と馬場が自分の鼻を指差すが、ミユキに「馬場くんは無理だよ」と言われ、ミユに「馬鹿だから」と付け足されてしまった。

「なんだよ〜」

 と悔しそうに肩を落とすも、真に受けてはなさそうである。そんな馬場の姿を見て、みんなが笑顔になった。だがアサヒだけは上手く笑うことが出来ない。ミユキもミユも、自分の事を馬鹿にしている訳ではない。浮かべているのは純粋な笑顔だと分かっているのに、どこかで「アサヒくんもそういうタイプなんだ。夢とか追っちゃう系なんだ」と言われているような気がした。


 それから薄明光線探しは慎重にならざるを得なかった。うかうかと街に出ていくことはせず、家の窓から探すのみにとどめた。だが、ある日、もう日課となってしまった朝6時の起床を果たすと、窓の外に光が差しているのが見える。薄明光線だった。パジャマ代わりに着ていたTシャツのまま、家を飛び出す。家族は誰も起きていなかった。自転車を走らせると、全速力で坂を登る。光の角度的に、今日はどうやら桜公園に陽だまりが出来ているようだった。ペダルを漕ぐ。後三つ角を過ぎれば、桜公園だ。息が上がった。血の味がする。空気が薄い。空は暗い。でも、この街で一箇所だけ、これでもかと言うほど光り輝いている場所がある。そこに行きたい。その下で、光を浴びたい。天使に逢いたい。強く願えば願うほど、力が沸いてきた。後一つ。最後の交差点。そこを渡れば、桜公園が見えてくる。その交差点。そこでアサヒはトラックに撥ねられた。


 目を覚ますと、頭から血を流して車道に倒れている自分の体が見える。いつの間にか薄明光線は移動していて、スポットライトのようにアサヒの体と周囲を照らしていた。自分は何をしているのだろうと思って、下を向くも見えるのは自分の死体だけだった。頭上(と言っても今の自分に頭があるのか分からない)から、誰かの声が聞こえる。声は光が差す方から聞こえた。見上げると、光が眩しい。だが眩しさの中にぼんやりと梯子のようなものが伸びてきているのが見えた。どうやら梯子は雲の上まで繋がっているらしい。そしてアサヒの数メートル上のところに、馬場がいた。馬場は、片手で梯子に捕まっている。背中には羽が生えていた。頭の上に、うっすらと輪っかも見える。安っぽい天使だなと思った。

「お前も薄明光線から逃げられなかったのか」

 とアサヒは聞いた。

「俺はお前とは違う」

 と馬場が上から言ってくる。

「俺たちは、曇り空の下を生きていく勇気が無かった」

 天使は言った。

「薄明光線は一体何だったんだ」

 アサヒは聞く。天使は答えない。

「希望じゃ無かったのか」

「そうとも限らない」

 馬場が言う。

「ただ求めるべきものでも無かった。その点で、俺もお前も間違えていた」

 天使になった馬場が梯子を降りてきて、アサヒの死体の側に立つ。

「俺たちみたいな馬鹿がそれを学ぶためには、犠牲が必要だったらしい」

 馬場は、アサヒの死体を起こすと、瞼を開いたり、鼻を摘んだりしている。そして「うん。まだ使えるな」と小声で恐ろしいことを呟くと、こっちを見て笑った。

「だが犠牲は、俺1人で十分だ」

 そう言うと、天使が指を鳴らす。

 その瞬間、意識が戻った。目が覚めたみたいに視界が開いて、目の前が眩しくなる。見ると、目と鼻の先に薄明光線が差していた。だが視界の端から、運送会社の青いトラックが迫ってきているのが見える。すべてがスローモーションだった。

「どうすれば良い?」

 アサヒは胸の中で叫んだ。すると馬場の声が聞こえる。

「引き返して、雲の下を生きろ」

 だが自転車は止まらなかった。陽だまりがすぐ側にあって、ポカポカと温かい。このまま光の中に吸い込まれて仕舞えば、どれほど幸せか。もしトラックに撥ねられても、それはそれで良い気がした。それほど薄明光線の吸引力は凄まじい。

 だがその時、背後から声がして、それが天へと昇りかけたアサヒの意識を地上に繋ぎ止めてくれた。

「危ない!」

 ミユキの声が耳の中で轟き、咄嗟にブレーキを踏む。するとすんでのところで自転車は止まり、目の前をトラックが過ぎ去っていった。青い車体と、鋼色のコンテナで視界が埋め尽くされる。後ろからミユキとミユの駆け寄ってくる声が聞こえた。

 トラックが通り去っていき、視界が開ける。そこには交差点の端で、血を流して倒れている馬場の姿があった。馬場の周りには薄明光線が差している。

「馬場くんっ」

 ミユキが馬場の元へ駆け寄ろうと、薄明光線に身を投げ入れようとした。その手首を、アサヒは必死に掴み止める。

「入っちゃダメだ」

「どうして」

 ミユキに、キリッと睨まれる。

「聡明なミユキなら、分かるはずだ」

 アサヒは静かにそう言った。

 その後、通りすぎたと思ったトラックの運転手が通報をして警察がやって来た。アサヒたちも質問をされたけれど、誰も馬場の死を目撃していないので、何も答えることは出来なかった。轢き殺した犯人も見つかっていない。だが唯一分かっていたのは、馬場は天使になったということだけだった。

 それからしばらくすると高校を卒業する時が近づいて来て、アサヒはミユキに告白したけれど、笑顔で振られてしまった。するとさらに少し時間が経って、哀れに思ったのかミユの方から告白してきてアサヒは付き合うことになる。側から見ればみっともないと思うかもしれないけれど、当人たちは結構幸せだった。卒業式の日、また三人で教室の窓際に集まり外を眺める。すると遠くの方に薄明光線が見えた。でも天使の姿は見えない。光から目を逸らすように、曇天のグラウンドを眺めてみるけれど、そこは思ったよりも暗くは無かった。

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薄明光線 譜久村 火山 @kazan-hukumura

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