『俺達のグレートなキャンプ172 虫歯なのを内緒に普通のキャンプしよう・・・』
海山純平
第172話 虫歯なのを内緒に普通のキャンプをしよう・・・
俺達のグレートなキャンプ172 虫歯なのを内緒に普通のキャンプをしよう
「よっしゃああああ!今回のキャンプはな!」
石川が両手を高々と掲げながら、キャンプ場の駐車場で絶叫した。朝の爽やかな空気を引き裂くようなその声に、隣で荷物を降ろしていた老夫婦がビクッと肩を震わせる。石川は全く気にせず、満面の笑みでこう続けた。
「普通のキャンプだあああああ!」
「……は?」
千葉が荷物を抱えたまま、ぽかんとした表情で固まった。富山も車のトランクから寝袋を引っ張り出す手を止め、眉をひそめる。
「普通の、キャンプ?石川、あんたそれ本気で言ってんの?」富山の声には明らかな疑念が滲んでいた。これまで172回のキャンプで、「普通」という言葉とは最も縁遠かったのが石川という男だ。第147回「逆立ちしながら料理するキャンプ」、第158回「終始ラップで会話するキャンプ」、第165回「他のキャンパー全員に挨拶して回るキャンプ」――どれもこれも奇抜を極めていた。
「おう!今回はマジで普通だ!テント張って、焚き火して、飯食って、寝る!以上!」石川がドヤ顔で胸を張る。その表情は妙に爽やかで、むしろ不気味なほどだった。
「いやー、いいっすね!普通のキャンプ!俺、普通のキャンプって初めてかもしれないっす!」千葉が目をキラキラさせながら荷物を置いた。彼のこの純粋な反応こそが、石川の暴走を172回も許してきた最大の要因である。
富山は疑わしげな目で石川を見つめた。「本当に?本当に普通なの?裏がないの?」
「ないない!100パーセント普通!俺もたまには普通のキャンプがしたくなったんだよ!」
石川がそう言った瞬間、彼の頬がピクリと引きつった。ほんの一瞬だったが、富山はそれを見逃さなかった。
「……なんか、顔色悪くない?」
「気のせいだろ!ほら、テント設営すっぞ!」石川は慌てたように荷物を掴み、サイトに向かって早足で歩き出した。その背中を見ながら、富山は小さく溜息をついた。「絶対何かあるわ……」
サイトは林間の中にあり、木々の間から差し込む朝日が心地よかった。隣のサイトでは若いカップルがコーヒーを淹れており、向かい側では小学生くらいの子供を連れた家族が朝食の準備をしている。実に平和で、実に普通のキャンプ場の光景だ。
「よーし!まずはテント張るぞ!」石川がテントバッグから道具を取り出し始めた。その瞬間――
「っ゛づ゛っ!」
奇妙な声を上げて、石川が顔を歪めた。手に持っていたペグが地面に落ちる。
「どうしたんすか?」千葉が心配そうに駆け寄る。
「な、なんでもねえ!ちょっと手が滑っただけ!」石川は慌てて笑顔を作り直したが、その笑顔は明らかに引きつっていた。左の頬を手で押さえながら、彼は深呼吸をする。
富山が鋭い視線を向けた。「石川……」
「大丈夫大丈夫!テント張ろうぜ!」
三人でテントを広げ始める。石川がポールを組み立てようとした時だった。金属のポールが噛み合う「カチッ」という音が響いた瞬間――
「んんんんん゛ーーーーっ!」
石川が歯を食いしばりながら、まるで腹筋をしているかのように前屈みになった。その様子は明らかに異常だ。
「石川さん!?」千葉が驚いて声を上げる。
「だ、大丈夫!今のは、そう!新しい体操!キャンプ前の準備体操!」石川が必死に言い訳しながら、ぎこちない動きで屈伸を始めた。その顔は引きつったまま、額には汗が浮かんでいる。
「体操にしては痛そうだけど……」富山が腕を組んで冷静に観察している。
「痛くない痛くない!気持ちいいー!」石川の声は明らかに裏返っていた。
テント設営は何とか完了した。しかしその過程で、石川は合計七回も「んんっ」「ぐっ」「ふぎゃっ」といった奇声を発していた。しかも毎回、左の頬を押さえる仕草をしている。
「石川、あんた絶対何かおかしいって」富山が直球で指摘した。
「何もおかしくねえって!ほら、次は焚き火の準備だ!」石川は話題を変えようと必死だった。
焚き火台を設置し、薪を組む作業に移る。石川が薪を手に取り、組み始めた時だった。冷たい風がふわりと吹き抜けた。秋のキャンプ場ならではの、心地よい涼風だ。
「うおおおおおおおっ!」
突如、石川が絶叫した。薪を放り投げ、両手で口元を押さえる。その様子はまるで、口の中で爆弾が爆発したかのようだった。
「何!?何なの!?」千葉が慌てふためく。
「か、風が、風がちょっと冷たくてな!びっくりしただけ!」石川の説明は完全に破綻していた。
富山がゆっくりと石川に近づいた。「石川、口開けて」
「は?なんで?」
「いいから開けて」
「やだ」
「開けなさい」
富山の迫力に押され、石川は観念したように口を半開きにした。富山が覗き込むと――左奥の歯茎が明らかに腫れており、その周辺が赤く炎症を起こしているのが見えた。
「……虫歯じゃん」
「ち、違う!これは、口内炎!」
「嘘つけ。どう見ても虫歯。しかもかなり進行してるやつ」富山が呆れたように言った。
千葉も覗き込んで「うわ、本当だ。めっちゃ腫れてるっすよ石川さん」と素直な感想を述べる。
石川は観念したように肩を落とした。「……バレたか」
「最初からバレバレだったわよ」富山が腕を組んで溜息をついた。「で、なんで虫歯なのにキャンプ来たの?しかも『普通のキャンプ』なんて言って」
石川が重い口を開いた。「実は三日前から痛くてな……。でも、今週しかキャンプ行けないし、歯医者行ったら『キャンプ禁止』って言われそうで……」
「当たり前でしょ!」富山が即座にツッコんだ。
「だから!せめて普通のキャンプにすれば、痛みを隠し通せるかなって……」石川の声は次第に小さくなっていく。
千葉が首を傾げた。「でも石川さん、全然隠せてなかったっすよ?」
「うるせえ!わかってんだよ!でも、せっかく来たんだから、このまま帰りたくねえんだよ!」石川が必死に訴える。その目には、キャンプへの情熱と、虫歯の痛みに耐える覚悟が入り混じっていた。
富山は呆れながらも、少し表情を緩めた。「……はぁ。まあ、来ちゃったもんはしょうがないけど。とりあえず痛み止めは持ってきたの?」
「それが……忘れた」
「最悪じゃん!」
隣のサイトのカップルがこちらをチラチラと見ている。石川の奇声と絶叫で、すでに周囲の注目を集め始めていた。
「よし、じゃあこうしよう」千葉が明るく提案した。「石川さんの虫歯が悪化しないように、みんなで気をつけながらキャンプしましょうよ!」
「気をつけるって、どうやって?」富山が疑問を呈する。
「えーっと……冷たいものは避けて、熱すぎるものも避けて、硬いものも避けて……」
「それ、ほぼ何も食えないじゃん」石川が頭を抱えた。
「大丈夫っすよ!『虫歯に優しいキャンプ飯』を作りましょう!これも一種の奇抜なキャンプってことで!」千葉の提案に、石川の目が輝いた。
「おお……それだ!『虫歯なのを内緒に普通のキャンプ』じゃなくて、『虫歯に配慮した優しいキャンプ』にシフトだ!」
「いや、最初から言えよ」富山が呆れながらも、すでに何を作るか考え始めている。彼女もまた、172回のキャンプで鍛えられた対応力を持っていた。
「よっしゃ!じゃあまずは買い出しだ!近くのスーパー行くぞ!」石川が立ち上がった瞬間、また冷たい風が吹いた。「ひぎゃああああっ!」と絶叫し、再び口を押さえる。
「……本当に大丈夫なの?」富山が心配そうに見つめる。
「だ、大丈夫!これくらい!キャンプ172回やってきた俺を舐めるな!」石川が涙目で強がった。
三人は車に乗り込み、近くのスーパーへ向かった。車内で石川は「うー」「んー」と唸り続けている。信号待ちで停車するたびに、彼は左頬を押さえながら窓の外を恨めしそうに見つめた。
スーパーに到着し、店内を歩き回る。富山が主導権を握り、「豆腐、おかゆ用の米、柔らかい野菜、プリン……」と虫歯に優しい食材をカゴに入れていく。
「プリンいいっすね!デザートもあった方が楽しいっすよ!」千葉が嬉しそうに様々な味のプリンを手に取る。
石川は痛みを堪えながらも、食材を見ているうちに少しずつテンションが上がってきた。「おお、このとろけるチーズとか良さそうじゃね?」
「硬いもの噛まなきゃいけないからダメ」富山が即座に却下する。
「じゃあこの柔らかステーキは?」
「温度管理難しいからダメ。熱すぎたら痛いし、冷めたら硬くなる」
「厳しい……」石川がガックリと肩を落とした。
買い物を終えてキャンプ場に戻る頃には、昼近くになっていた。サイトに戻ると、隣のカップルがバーベキューを始めていた。ジュージューと肉が焼ける音、食欲をそそる香り。
「うわー、いい匂いっすね!」千葉が鼻をひくひくさせる。
石川も思わず深呼吸しようとして――「ぎゃああああっ!」――冷たい空気が虫歯に染みて絶叫した。
隣のカップルが驚いてこちらを見る。女性の方が小声で「なんか、すごい人たちね……」と男性に囁いているのが聞こえた。
「す、すみません!ちょっと、その、テンション高いだけで!」富山が慌てて頭を下げる。
石川は口を押さえながら、自分のサイトの椅子に崩れ落ちた。「痛い……痛いよぉ……」
「ほら、弱音吐かない」千葉が励ますように肩を叩いた。「俺たち、172回もいろんなキャンプやってきたじゃないっすか。今回だって絶対楽しくなりますよ!」
「そうだな……千葉の言う通りだ……」石川が涙目で頷いた。
富山が焚き火台に火を起こし始める。「とりあえず、お昼はおかゆにしましょう。胃にも優しいし」
「おかゆかぁ……キャンプでおかゆって新鮮だな」石川が少し笑顔を取り戻した。
米を研ぎ、多めの水で炊き始める。その間、千葉が「石川さん、何か気を紛らわすことしましょうよ」と提案した。
「気を紛らわす?」
「そう!いつもみたいに、周りのキャンパーさんと交流とか!」
「それだ!」石川の目が輝いた。痛みを忘れるには、彼の得意分野――人との交流が一番だ。
三人は隣のカップルのサイトに向かった。バーベキューを楽しんでいた二人は、近づいてくる石川たちを見て、若干警戒した表情になる。
「こんにちは!隣でキャンプしてる者です!」石川が爽やかに挨拶した。痛みを必死に堪えているため、その笑顔は若干引きつっているが。
「あ、ど、どうも……」カップルの男性が恐る恐る返事をする。
「いやー、バーベキューいいっすね!俺たちもさっきまでやろうと思ってたんすけど、急遽おかゆになっちゃって」千葉が人懐っこく話しかける。
「お、おかゆ?」女性が不思議そうに首を傾げた。
「そうなんすよ!実は石川さんが――」千葉が言いかけた瞬間、富山が慌てて彼の口を塞いだ。
「胃腸の調子がちょっと悪くて!だからおかゆなんです!」富山が慌てて言い訳する。
石川は内心「虫歯の方がマシじゃん」と思ったが、黙っておくことにした。
カップルとの会話は意外と盛り上がった。彼らも月に一度はキャンプに来るというベテランで、オススメのキャンプ場情報などを交換する。石川は痛みを堪えながらも、会話に夢中になっていた。
「へー、そっちのキャンプ場いいっすね!今度行ってみます!」千葉がメモを取っている。
会話の途中、カップルの女性が「よかったらビール飲みます?」と冷えたビールを差し出した。
「おお!いただきま――」石川が手を伸ばしかけた瞬間、富山が素早く遮った。
「ありがとうございます!でも彼、今日はアルコール控えてるんで」
「え、俺?」石川が驚いて富山を見る。富山は目で「冷たいビールなんて飲んだら地獄よ」と訴えていた。
「あー、そっか。胃腸悪いんでしたね」男性が納得した様子で頷く。
結局、富山と千葉だけがビールをいただくことになった。石川は二人が美味しそうにビールを飲む様子を、羨ましそうに、そして悔しそうに見つめていた。
「うう……俺も飲みたい……」小声でぼやく石川の背中は、なんとも哀愁が漂っていた。
サイトに戻ると、おかゆがちょうどいい具合に炊けていた。富山が器によそい、少し冷ましてから石川に渡す。
「はい、召し上がれ」
「……おかゆか」石川が複雑な表情で器を受け取った。
「文句言わない。これが今のあんたに食べられる唯一のまともな食事よ」
石川は慎重にスプーンでおかゆをすくい、口に運んだ。熱すぎず、冷たすぎず、絶妙な温度。そして柔らかく炊けた米は、噛まなくても食べられる。
「……うまい」
涙が出そうだった。こんなに美味しくおかゆを感じたのは生まれて初めてかもしれない。痛みに怯えながら食べる必要がない、この安心感。
「よかった。じゃあ私たちも食べましょう」富山と千葉も自分たちの分のおかゆを食べ始めた。
三人で静かにおかゆを食べる。焚き火の音、鳥のさえずり、遠くで聞こえる子供たちの笑い声。実に平和な、そして本当に普通のキャンプの昼食風景だった。
「なんか……これはこれで、いいな」石川がぽつりと呟いた。
「でしょ?たまには普通のキャンプも悪くないって」富山が微笑む。
「普通っていうか、虫歯対応キャンプっすけどね」千葉がニヤニヤしながら言った。
食後、少し休憩することにした。石川は痛み止めがないため、痛みと闘いながら椅子に座っている。表情は時折歪むが、それでも彼は楽しそうだった。
「あ、そうだ」千葉が何かを思い出したように立ち上がった。「石川さん、虫歯の痛みって、気を紛らわす方法あるらしいっすよ」
「マジで?どんな?」
「えーっと、確か……楽しいことを考えるとか、体を動かすとか」
「体動かすのは逆効果な気がするけど……」富山が冷静にツッコむ。
それでも石川は「やってみる価値あるな!」と前向きだった。そこで三人は、軽い散策をすることにした。
キャンプ場内を歩きながら、石川は左頬を押さえつつも周囲を観察している。「あそこのサイト、めっちゃいいテント使ってんな」「あの家族、子供三人か。賑やかでいいな」などと、いつもの調子でコメントしていく。
途中、管理棟の前で若いグループと出会った。大学生くらいの男女五人組だ。
「あ、さっきの絶叫してた人だ」その中の一人が小声で言うのが聞こえた。
石川は気まずそうに笑った。「あー、すみません。ちょっとテンション高くて」
「いえいえ!むしろ楽しそうで羨ましいです!」グループのリーダー格らしき男性が明るく返してくれた。「僕たち、キャンプ初心者なんですけど、何かコツとかあります?」
石川の目が輝いた。これだ。これこそが彼の真骨頂――キャンプの楽しさを人に伝えること。
「コツね!まずは焚き火だな!焚き火は心を癒してくれるんだ!あと料理!キャンプの料理は家で食うより100倍うまい!それから――」
石川が熱く語り始めると、学生たちは興味津々で聞き入った。富山と千葉は少し離れたところで、微笑ましく見守っている。
「石川さん、ああやって人と話してる時が一番生き生きしてるよね」千葉がしみじみと言った。
「そうね。痛みも忘れてるみたい」富山も頷く。
しかし、その直後だった。石川が大きく口を開けて笑った瞬間――
「ぎゃああああああああっ!」
またしても絶叫。学生たちがビクッと飛び上がる。
「す、すみません!ちょっと、その、虫が!虫が口に入りそうになって!」石川が必死に言い訳するが、もはや誰も信じていない表情だった。
学生たちと別れた後、三人はサイトに戻った。石川はグッタリと椅子に座り込む。
「もう限界かも……」彼の声には弱音が滲んでいた。
富山が心配そうに覗き込む。「やっぱり帰る?今から出れば、夕方には歯医者行けるかもよ」
「いや……まだだ。まだ諦めない」石川が歯を食いしばる。その表情には、意地とプライドが混ざり合っていた。
「石川さん……」千葉が感動したように見つめる。
「だって、せっかくのキャンプだぞ?172回目だぞ?虫歯ごときで途中で帰るなんて、俺のプライドが許さねえ!」
「プライド高すぎでしょ」富山が呆れながらも、その姿勢は認めているようだった。
夕方が近づき、夕食の準備を始める。メニューは柔らかく煮込んだ野菜スープと、豆腐のステーキ、そしてデザートに例のプリン。
富山が手際よく調理を進める中、千葉が「そういえば」と切り出した。
「石川さん、今日のキャンプって、結局普通のキャンプになってないっすよね」
「え?」石川が首を傾げる。
「だって、虫歯に配慮した特殊な料理作って、石川さんの絶叫が何度も響いて、周りのキャンパーさんたちとも変な感じで交流して……」千葉が指を折りながら数える。「これ、十分奇抜なキャンプじゃないっすか?」
言われてみれば、その通りだった。石川は「普通のキャンプ」を目指していたはずなのに、結果的にまた奇抜なキャンプになっていた。
「あー……確かに」石川が苦笑いする。「でも、それが俺たちらしいってことか」
「そうっすよ!『俺達のグレートなキャンプ』ですから!」千葉が嬉しそうに言った。
夕食の時間。スープは適温まで冷まされ、豆腐ステーキも柔らかく調理されている。石川は慎重に、しかし確実に食事を楽しんだ。
「うまい……本当にうまい……」感動のあまり、また涙が出そうになる。
「よかったわね」富山が優しく微笑んだ。
食後、三人は焚き火を囲んで座った。パチパチと薪が爆ぜる音、立ち上る煙、揺れる炎。これこそがキャンプの醍醐味だ。
「なあ、二人とも」石川が静かに口を開いた。「今日は色々と迷惑かけたな」
「今更っすか」千葉が笑う。
「でも、ありがとな。おかげで楽しいキャンプになった」
富山が焚き火を見つめながら言った。「石川、あんたいつもこうよね。無茶して、周りを振り回して、でも結果的に楽しいキャンプにしちゃう」
「それが俺の才能だからな!」石川が得意げに胸を張る。そして――「いでででで」――また痛みで顔を歪めた。
「調子乗るから」富山が呆れながらも、笑っている。
夜が更けていく。周囲のキャンプサイトも静かになり、星空が綺麗に見えてきた。石川は時折痛みで表情を歪めながらも、焚き火を見つめていた。
「次のキャンプはさぁ」千葉が言った。「ちゃんと歯医者行ってからにしてくださいね」
「わかってるよ。明日朝イチで行くわ」石川が苦笑いした。
「それで、虫歯治したら次は何するの?」富山が興味深そうに尋ねる。
石川の目が輝いた。「そうだな……『全部の料理を辛くするキャンプ』とか?」
「却下」富山が即答した。
「じゃあ『終始逆さ言葉で会話するキャンプ』は?」
「それも却下」
「厳しいなぁ」石川が笑いながら言った。
三人の会話は続く。バカバカしい提案、それに対するツッコミ、時折混ざる痛みの絶叫。それでも楽しい時間は流れていく。
やがて、就寝の時間になった。テントに入る前、石川は夜空を見上げた。満天の星空が広がっている。
「いいキャンプだったな」彼がぽつりと呟いた。
「虫歯抱えてよく言うわ」富山が笑う。
「でも本当に楽しかったっすよ!また来ましょうね!」千葉が嬉しそうに言った。
三人はそれぞれのテントに入り、眠りについた。石川は痛みと闘いながらも、満足そうな笑顔で目を閉じた。
翌朝、撤収作業をしながら、石川は改めて思った。172回のキャンプ、どれも奇抜で、バカバカしくて、でも最高に楽しかった。今回も例外ではない。虫歯という予期せぬトラブルすら、思い出の一部になる。
「よし、次は173回目だな!」石川が荷物を車に積みながら宣言した。
「その前に歯医者ね」富山が念を押す。
「わかってるって!でもさ、今回の経験を活かして、『体調不良キャンプシリーズ』とかどうよ?」
「最悪の発想ね」富山が呆れながらも、どこか楽しそうだ。
撤収を終え、車に乗り込もうとした時だった。隣のカップルが手を振ってきた。
「お疲れ様でした!」
「あ、どうもー!」石川が爽やかに手を振り返す。
「昨日はすごい元気でしたね。胃腸の調子、もう大丈夫なんですか?」女性が心配そうに尋ねてきた。
石川は一瞬言葉に詰まったが、すぐに満面の笑みを浮かべた。「ああ、おかゆが効いたみたいで!もう完璧っす!」
そう言った瞬間、また冷たい風が吹いた。
「ひぎゃっ――」石川が反射的に声を上げそうになったが、必死に堪えた。顔を真っ赤にして、両手で口を押さえながら、ぎこちなく笑顔を作る。
カップルは不思議そうな顔をしていたが、「それはよかったです。気をつけて帰ってくださいね」と笑顔で見送ってくれた。
車に乗り込んだ途端、石川は崩れ落ちた。
「もう限界……マジで限界……」
「だから言ったじゃない」富山が運転席でため息をついた。
車を出発させると、キャンプ場の出口で管理人のおじさんが手を振っていた。石川たちも窓を開けて手を振り返す。
「また来てくださいね!賑やかで楽しいお客さんでしたよ!」おじさんが笑顔で言った。
「賑やか……」富山が小声で呟く。「絶叫のことね」
「うるせえ」石川が左頬を押さえながら反論した。
車は山道を下り始めた。後部座席の千葉が、スマホで今回のキャンプの写真を見返している。
「あ、この写真いいっすね!石川さんが痛みを堪えながら笑ってるやつ」
「見せんな!」
「でもいい表情してますよ。なんか、必死さと楽しさが混ざってて」
千葉の言葉に、石川は少し表情を和らげた。「そっか……まあ、確かに楽しかったしな」
富山がバックミラー越しに石川を見た。「で、本当に歯医者行くのよね?」
「行くよ。約束する」
「信じていいのね?」
「信じていい。だって――」石川が窓の外を見ながら続けた。「次のキャンプまでに治さないと、もっとグレートなキャンプができないからな」
「もうグレートはいいから、普通でいいから」富山が苦笑いした。
「でも石川さんの『グレート』、俺は好きっすよ」千葉が明るく言った。「毎回予想外のことが起きるし、それが全部いい思い出になるし」
「だろ?だから次は――」
「次の話はまず歯を治してから!」富山が遮った。
車内に笑い声が響く。痛みを堪えながらも、石川は笑っていた。
山道を抜け、平地に出た頃、千葉が思い出したように言った。
「そういえば石川さん、結局『普通のキャンプ』って何だったんすか?」
「ん?普通のキャンプは普通のキャンプだろ」
「でも全然普通じゃなかったじゃないっすか」
石川は少し考えた後、にやりと笑った。「俺たちにとっての『普通』は、他の人にとっての『奇抜』なんだよ。それが俺達のグレートなキャンプってことさ」
「かっこいいこと言ってるつもりだろうけど」富山が冷静に指摘する。「要するに毎回変なことしてるだけよね」
「そういう言い方すんなよ!」
また笑い声が車内に響いた。
コンビニで休憩を取った時、石川は痛み止めを買った。「なんで最初から買っとかなかったんだよ自分……」と後悔しながら、すぐに服用する。
「少しは楽になった?」富山が心配そうに尋ねる。
「ああ、大分マシになった。でも歯医者は行くよ。もう二度とこんな思いしたくねえ」
「賢明ね」
車に戻る途中、千葉が自動販売機の前で立ち止まった。
「あ、これ買ってもいいっすか?」
彼が指さしたのは、冷たいカフェオレだった。
「いいけど、どうしたの急に?」富山が不思議そうに尋ねる。
「石川さん、昨日ビール飲めなかったじゃないっすか。だから、家帰ったら、歯が治ったらって思って。その時に一緒に飲むやつを今買っておこうかなって」
石川が千葉の肩を掴んだ。「千葉……お前、いいやつだな……」
「いやいや、そんな」
「でも今は飲めないけどな!」
「わかってますよ!治ったらっすよ!」
三人は笑いながら車に戻った。
帰り道、石川はふと思った。キャンプ172回。全てが奇抜で、全てが思い出深い。虫歯を抱えての今回も、間違いなく特別な一回だった。
「なあ、二人とも」石川が後部座席から声をかけた。
「なに?」
「次のキャンプはいつにする?」
富山が呆れたように言った。「だから!まず歯医者でしょ!」
「わかってるって!歯医者行って、治療して、それで次のキャンプ!計画的だろ?」
「全然計画的じゃないわよ……」
千葉が笑いながら言った。「でも石川さん、次は何するんすか?もう172回もやってきて、ネタ切れとかないんすか?」
「ネタ切れ?」石川の目が輝いた。「そんなもんあるわけねえだろ!キャンプの楽しみ方は無限大だ!」
「例えば?」
「そうだな……『全員サンタの格好でキャンプ』とか」
「季節外れにも程があるでしょ」富山がツッコむ。
「じゃあ『キャンプ場で出会った人全員と写真撮るキャンプ』は?」
「迷惑すぎる」
「『料理を全部デカ盛りにするキャンプ』!」
「それはちょっと面白そう」千葉が食いついた。
「でしょ!やっぱ千葉はわかってるな!」
富山は呆れながらも、微笑んでいた。こうして石川は、どんな状況でも次のキャンプのことを考えている。それが彼の魅力であり、同時に困った部分でもある。
やがて街中に入り、見慣れた景色が広がってきた。
「よし、じゃあ俺の家の近くで降ろしてくれ」石川が言った。
「歯医者は?」富山が確認する。
「明日朝イチで行く。ちゃんと予約も入れた」石川がスマホの画面を見せた。確かに翌朝9時の予約が入っている。
「本当に行くのよ?」
「行くって!だって次のキャンプのために絶対治さないとだし」
富山の家の前で車を停めた。石川が降りる際、富山が声をかけた。
「石川、お疲れ様。今回も楽しかったわよ」
「おう、次も楽しくするからな!」
千葉も後部座席から顔を出した。「石川さん、歯治ったら連絡くださいね!次のキャンプ、楽しみにしてます!」
「任せとけ!173回目も、絶対グレートにしてやるからな!」
石川は荷物を持って車を降りた。富山が車を出そうとした時、石川が窓を叩いた。
「なに?」
「ありがとな、二人とも。虫歯の俺に付き合ってくれて」
富山が優しく微笑んだ。「バカね。当たり前じゃない。私たち、キャンプ仲間でしょ」
「そうっす!これからもずっと一緒にキャンプしましょうね!」千葉が元気よく言った。
石川は満面の笑みで手を振った。車が走り去るのを見送りながら、彼は左頬を押さえた。
「いてて……でも、楽しかったな」
夕日が街を照らしている。オレンジ色の光の中、石川は自分の家に向かって歩き始めた。
その夜、石川は自宅でソファに座りながら、今回のキャンプを振り返っていた。スマホには千葉から送られてきた写真が並んでいる。痛みを堪える自分の顔、優しく見守る富山、笑顔の千葉。
「やっぱいいキャンプだったな」彼は一人呟いた。
翌朝、石川は約束通り歯医者に行った。待合室で待っている間も、彼は次のキャンプのアイデアを練っていた。
「石川さーん」看護師に呼ばれて診察室に入る。
歯医者の先生は石川の歯を見て、少し呆れたように言った。
「これ、かなり進行してますよ。痛かったでしょう?」
「まあ、それなりに……」
「何かありました?この腫れ方、昨日とか無理してませんでした?」
石川は少し考えて、にやりと笑った。
「ちょっと、キャンプに行ってまして」
「キャンプ!?この状態で!?」先生が驚いて声を上げた。
「はい。でも楽しかったんで、大丈夫です」
先生は呆れながらも、少し笑っていた。「まあ、楽しかったなら良かったですけど……もう無理しないでくださいね」
治療が始まった。麻酔を打たれ、痛みが引いていく。その安心感といったら、キャンプ場でおかゆを食べた時以上だった。
治療を終えて外に出ると、スマホに千葉からメッセージが入っていた。
『石川さん、歯医者どうでしたか?治療終わりました?次のキャンプ、いつにします?』
石川は笑いながら返信した。
『治療終わった!来週末、キャンプ行くか?今度は"全員サンタコスでキャンプ"で!』
すぐに千葉から返事が来た。
『季節外れすぎるwww でも面白そうっす!やりましょう!』
続いて富山からもメッセージ。
『ちょっと待って。サンタコスは却下よ。もっとまともなのにして』
『じゃあ"料理デカ盛りキャンプ"は?』
『……それなら許可する』
石川はスマホを見ながら、大きく笑った。口を開けても、もう痛くない。次のキャンプまでには完全に治るだろう。
空を見上げると、雲ひとつない青空が広がっていた。
「よし、173回目も盛り上げるぞ!」
彼はそう呟いて、歩き始めた。次のキャンプに向けて、また新しいアイデアを練りながら。
虫歯という予期せぬトラブルを抱えながらも、最高に楽しいキャンプができた。それはきっと、一緒に楽しんでくれる仲間がいたからだ。富山の心配そうな顔、千葉の無邪気な笑顔、そして周りのキャンパーたちとの交流。
キャンプ172回。これからも、この奇抜でグレートなキャンプは続いていく。
そして数日後、三人のグループチャットには、こんなメッセージが流れていた。
石川『次のキャンプ場予約した!来週末な!』
千葉『了解っす!楽しみ!』
富山『で、結局何するの?まさか本当にサンタコス?』
石川『大丈夫、ちゃんと考えた。"デカ盛り料理と巨大テントキャンプ"!』
千葉『巨大テント!?どんなの!?』
富山『嫌な予感しかしない……』
石川『大丈夫大丈夫!今回は虫歯もないし、完璧だから!』
富山『それが一番不安なのよね……』
こうして、俺達のグレートなキャンプ173回目の計画が動き出した。虫歯から解放された石川が、どんな奇抜なキャンプを繰り広げるのか。それはまた、別の物語である。
でも一つだけ確かなことがある。
それは、どんなキャンプになろうとも、絶対に楽しいものになるということだ。
なぜなら――
「俺達のキャンプは、いつだってグレートだからな!」
石川の声が、青空に響き渡った。
【完】
『俺達のグレートなキャンプ172 虫歯なのを内緒に普通のキャンプしよう・・・』 海山純平 @umiyama117
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