その魔物は春に死んだ。

遊月奈喩多

墓碑を飾る花

 息子が死んだ。

 まだまだこれから、たくさんの夢と未来と、きっと私にはもう把握しきれないようなたくさんの出会いと経験と、いろんなものを経て大人になっていくはずだった息子は、高校生活を終えたその日に命を奪われた。


 高校の卒業式を迎えて、この春からはいよいよ大学生。ずっとなりたがっていた教師の夢に向けて大学でいろいろ学ぶんだと輝かせていた目は青黒く腫れた目蓋の奥に固くとざされて、「バイトもして母さんを楽させてあげるよ」なんて言っていた喉にはくっきりとロープの痕が付いている。

 昔は風邪もひきやすくて、どこか先天的に患っているではないかと心配させられたのが嘘みたいに健康に、そして丈夫に大きく育った身体の至るところにあざが痛ましい。


明宏あきひろ……嘘だ、こんなの」

 息子──明宏を見つけた警察から連絡を受けて確認した夫の言葉からは、一切の感情が抜け落ちたようだった。

 私はというと、ただ冷たくなって動かない明宏を見下ろしながら、在りし日の思い出を手繰り寄せていた。


 明宏は小さい頃から優しいし、賢い子だった。

 困っている子を見つけても自分で何とかしようとせずにすぐ大人に教えてくれていたし、成長すると自分でも少しずつ子ども同士のトラブルを解決したりしていたらしい。

 小学校の頃からみんなの中心になって、クラスの輪を形作ったり、中学校では生徒会長にまでなって、学校のみんなをまとめていた。高校でも文化祭やら修学旅行やら、いろいろなことをみんなと企画して取り組んでいるのだと、すごく楽しそうに話してくれていた。

 特別すごいことを成し遂げてほしいと思っていたわけではないけど、それでも明宏が聞かせてくれる話の内容は素直にすごいと思っていた。それに、それ相応に苦労していただろうに私たちに話してくれるというの顔が本当に楽しそうで、そんな姿を見ているのが私にとって何よりの楽しみになっていた。


 もう、あの顔を見ることはできない。

 楽しげな報告を聞くこともできない。

 明宏を出迎えることも、(明宏にとっては)余計なことを言って喧嘩になることも、少しずつ上手になっていく料理を楽しみにすることも、スマホに興じる丸まった背中に話しかけることも、長風呂を心配することも、遅く帰ったときにちょっとした小言をいうことも、たまに寝坊したときに声をかけたりすることも、もうない。

 何か必要なことがあって頼まれたときにと用意しておいたお金も、もう明宏のために使うことはない。他にも、他にも、他にも。


 ああ。

 この18年間、私たちの中心はいつだって明宏だった。修学旅行で数日いなかっただけで何をしたらいいかわからなくなるほどだったのに、これからどう生きればいいのだろう。


 それがわからなかったから、私は明宏を殺した犯人を探すことにした。元々明宏に使うために蓄えていたお金を投じて、方々ほうぼうのツテや興信所など、手段を選ばずに探した。そうして探し出した犯人を家に呼び出した──幸い、全員私が連絡をしても不自然ではない相手だったから。

 何も知らないふりをして呼び出した彼らだったけど、さすがに関わっていた全員が一堂に会したところで何事かを察したのだろう、逃げ出そうとしたは夫に取り押さえてもらった。

 それでも多少抵抗はされたけど、相手が殺人犯だと思えばをすることに躊躇なんてなかった。ひとりが虫の息になる頃には、もう全員逃げるのを諦めて、大人しく椅子に縛られてくれた。ようやく本題に入れる。


「ねえ、どうして明宏を殺したりしたの? あなたたち、みんな明宏と仲良くしてくれてたのに」

 犯人たち──明宏の友人だと思っていた子どもたちは、皆一様に押し黙ったまま。まだ足りないか──溜息をついて、私は何本目かの包丁を取り出す。使い道も、使うことに躊躇がないことも、もう彼らにはわかっているはずだ。みんな揃って顔を伏せて、やがてひとりが忌々しそうに口を開いた。


「やっぱりあいつ、おばさんの子どもですね。今のおばさん、あいつにそっくりだ」

「は?」


「俺たち、あいつに復讐したんですよ」

「やらなきゃ俺たちが殺されてた」

「現に、華菜実かなみなんて……っ」


 それからは、彼らの恨みがましい言葉を聞く羽目になった。


「明宏のやつ、大人の前じゃいい子ぶりっ子してましたけど、俺たちの前じゃ最悪だったんです。乱暴で、狡猾で……、暴君そのものっていうか」

「あいつ、最初に暴力で脅して俺らに悪いことさせるんです。それからは『親に言いつけるぞ』って。それでどんどんエスカレートさせられて、もう誰にも打ち明けられなくなってて……」

「あんなことになるなら、万引きさせられて捕まったとき洗いざらい話せばよかった……。でも、どうしてもあいつが怖くて」

「産休に入ったっていう先生だって、本当は違うんだ。産休なはずはない、あんなことになったんじゃ、お腹の子はもう……」


 彼らは何の話をしているのだろう。

 いや、誰の話をしているのだろう。

 私は、明宏の話を聞いているのに。

 知らない子の話を聞かされている。


「明宏の気に入らない先生の猫を蹴らされたりさ……すっげぇ人懐っこい子だったのに、おれ、あの子のお蔭で猫好きになったのに……もう猫見るとあのときの弱ってく鳴き声思い出して……うっ、」

「……華菜実だって、華菜実はあの日たまたま塾があったから断っただけだったのに……それであいつ変なやつらけしかけて……!」

「悪魔なんだ、あいつは。化け物だ」

「殺さなきゃ一生あのままだった。あのままあいつの言いなりになって、俺たちは罪を重ね続けてたんだ……っ、」


 口々に呟かれる恨みの言葉は。

 明宏の話とは思えない内容で。

 ただ彼らの涙は心底辛そうで。

 疑い続けるのも難しいくらい。

 彼らの言葉も本当なのだろう。


「…………そのこと、ずっと黙ってたの? 誰にも言えないまま、胸に抱えて?」

 努めて平静な声を繕って、彼らに尋ねる。

 返ってくるのは、「言えるわけないでしょ」という悔しげな声。だけど、彼らの声には明宏を殺したことへの後悔は微塵もなかった──それならば、彼らの心を先に殺したのは明宏の方だったのかも知れない。


 夫に至っては、「明宏がそんなことしてたなんて……」と放心している。今まで私たちに見せていた顔とはまったく違う、私たちの知らなかった明宏の話に心を囚われてしまっているらしい。いい気なものだ、本当に。

 私だってそうなれたら楽だった。

 ただ絶望していられたら、楽だよね。

 でも、私たちはあの子の親だから。

 それなら。

 責任を取らなくちゃ、いけないよね。


「今まで辛かったね。苦しかったね、そんな状態で生きてて」

 私は最初に話してくれた子──明宏の幼い頃から親友だった男の子を優しく抱き締める。何も知らなかった昔、よく『明宏と遊んでくれてありがとう』と抱き締めたのと同じように。


 そして。

 ──────。


 義母のわがままで庭に植えさせられた、桜の木に思いを馳せる。おあつらえ向きに、あの木が植えられたのはちょうど明宏の部屋からよく見える位置だった──今にして思えば、義母が生前唯一してくれた善行かも知れない。人生万事塞翁が馬……とはこういうことか。


 きっとしばらくは、綺麗な花を咲かせてくれるだろう。かなりの数、埋めたから。

「楽しみだね、明宏」


 静かになった家のなかを片付けながら、小さく呟く。汗が冷えて肌寒いけど、服を汚すわけにはいかない。

 まだ、冷える夜は長そうだ。さっき泣き言を漏らし疲れて眠ってしまった夫にも、タオルケットをかけたところだ。まったく、世話の焼ける人。

 これからは、この人とふたり暮らしになる。


 春眠暁を覚えずとはいうけれど。

 いっそ全部夢ならよかったのに。


 これほど早く眠りたい夜も久しぶりだ。

 溜息を飲み込んで、私は片付けを再開する。

 春の夜の月が、いつまでも私を見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

その魔物は春に死んだ。 遊月奈喩多 @vAN1-SHing

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ