第3話
荷馬車を走らせ、王都から南西に広がる荒野を突き進む。早朝には景気よく言葉を投げかけてくれたベレンも、荷馬車に揺られている間は行き先を見つめたまま無言を貫いていた。きっと、彼には彼なりの思うところがあるだろう。目的地が近づくに連れ、ベレンはそわそわと落ち着かない素振りを見せた。
しばらくして、ずっと面白味のない殺風景な荒野を過ぎ去ると、周囲の景色も徐々に変化が見られるようになった。乾き切った野は一変してぬかるみを増し、辺りには木々も確認できるようになってきた。
清々しかった空も鬱蒼と曇りがかり、明らかに土地そのものの空気感が変化したのを感じる。
湿地帯を突き進むと、霧の向こうに何かが見えてきた。それは小さな建物であり、複数が密集している。
あれが……フェルガ村。
長いこと荷馬車に揺られ、ようやく例の場所へとたどり着いた。村の入り口で荷馬車を停め、三人はややぬかるんだ地面に降り立つ。
一見すると、普通の村のようにも見えるが……ここが本当に、いわくつきの村なのだろうか……。
ベレンを先頭に、三人は村の中へと入る。
「ひとまず、村長のところへ行きましょう。何も変わっていないといいんですが……」
行く先に視線を向けたまま、祈るように声を震わせるベレン。確かに、お世辞にも活気のある村とは言えない。この前行ったアズー村も落ち着きのある村だったが、あそこには人の温かさが確かにあった。しかしここはどうだ……。
ちらほらと人の姿こそ確認できるものの、怪しむような恐れるような目でこちらをにらみ、とても歓迎とはほど遠い。この村の静けさは、単純に人の少なさから来るものとは少し違う。ただただ冷たく、ただただ遠い。この感じは、まるで十三区域と同じ……。
その瞬間、先日のベレンの話がまったく誇張でもなんでもなかったと知る。ギルドで会ったときの彼の心境を、今ようやく理解した。
村の中を歩いていると、前方から一人の男がやってきた。男はイチタたちの前で立ち止まり、荒んだ目でこちらをにらむと、いきなり強い語気で言い放った。
「何しに来た?」
その一言で、場に緊張が走る。歓迎してもらえるような雰囲気でないことは、なんとなく察していたが、こうもストレートに来られるとは……。
理由は分からないが、この流れはあまりよろしくない。どうにか、彼の気をなだめようと頭の中で相応の言葉を模索していると、ベレンが小さな声で言った。
「……兄さん」
「え?」
唐突な彼の言葉に、イチタも思わず声が出る。あの人が、ベレンの兄……。
「ちっ……のこのこ戻ってきやがって。村を捨てたお前が、今更何の用だ?」
礼儀正しいベレンとは違い、目の前の男は血走った眼差しでさらに口調を荒げた。
「違うんだよ。スクラ兄さん。僕はただ、この村のことを思って……」
「……帰れ」
「村長に会わせてくれ。スクラ兄さん!」
「帰れと言っている。ここにはもう、お前の居場所なんてない!」
「この村を救いたいんだ! 話だけでも聞いてくれ」
「……お前は何も分かっていない。何も……」
それだけ言い残した後、スクラは少々ふらついた足取りで去って行った。互いの感情が飛び交った後には、再び冷たい静寂だけが残された。
「兄さん……どうして……」
強く握りこんだそのこぶしには、悔しさと悲しみの感情の念が表れている。
兄弟喧嘩なんて珍しくもないが……村の事情と両者の溝。この複雑に絡み合った縄を解くには、それなりの時間と根気が必要になるだろう。
ベレンが落ち着きを取り戻した後、三人は村長のもとへ向かった。
村の中でも比較的大きな小屋。どうやらここが、村長の家らしい。村の集会所も兼ねているというだけあって、この飾り気のない村においては、中々の存在感だ。
ーーコンコン。
入り口の前に立ち、ベレンが扉を数回ノックする。すると、ほどなくして目の前の扉が開いた。
中から出てきたのは、老齢の男性。白く長い髭と、古びた毛皮の衣服を身にまとい、村長の名を背負うにはいかにもといった風貌である。
家の中から出て来るや、村長は三人を見ると目を丸くした。
「お前さん……」
驚く村長に、ベレンは構わず勇ましい目を突き付けた。
「村長……話があります」
村長は「あぁ……」と声にならない声を上げると、目を逸らしたまま「入りなさい」と三人を優しく迎え入れた。
集会所としての名に恥じぬほど、家の中は広々としていて壁には鹿の頭骨の壁掛けや、床は豪華な絨毯と暖炉、中央には客人をもてなすためのソファーが置いてある。
案内されるまま、三人は中央のソファーに腰かけた。村長が向かいに座ると、ベレンは早速本題に入った。
「教えてください、村長。今この村に……何が起こっているのかを……村の者はもちろん、兄さんですら私とまともに話し合ってくれません。村の実情を把握するにはもう、村長だけが頼りなんです。どうか……」
彼の思いを耳にした村長は、少しの間沈黙を貫いていたが、やがて喉から重たい声を絞り上げるようにして答えた。
「いつかは……お前にも話さなければいけないと思っていた。正義感の強いお前のことだ。今の村の様子を見て、何も思わないはずがない……きっと、今がその時なのだろう……」
「私は今回、村の異変を解決するにあたって強力な助っ人をお連れしました。彼らの力を借りれば、フェルガ村を救うことができるはずです」
熱烈な呼びかけを受け、村長は視線をゆっくりとベレンから二人へ移す。村長は二人を見て、眉をしかめるわけでも、笑みを向けるわけでもなく、ただ無表情のまま、目の前の相手が発する何かを感じ取ろうとするような眼差しを向けていた。
そしてまた、視線をベレンへと戻す。その目にはどこか、覚悟の色が見えていた。
「お前の意思は理解した。村で何が起きたのか……なぜこうも変わり果ててしまったのか……今、すべてを話すとしよう」
村長は粛々と、当時の出来事を振り返る。
「お前が村を離れてまもなく、櫓の向かいにある家に住むラエナという女の子がある日突然倒れたのだ。どこかで毒のある実でも口にしたか……理由は定かではないが、ラエナは意識を失ったまま数日間、時折叫び声を上げながらもがき苦しんだ。村の者たち総出でできる限りのことを尽くしたが、どうすることもできなかった。そんな時、ある男が現れた」
「ある男……?」
「素性は分らんが、数多の土地を巡る旅人とだけは聞いていた。この村の慣習や歴史を知りたいと少しの間だけ村に滞在していたのだ。状況を聞きつけて、その男はラエナの元へやってきた」
◆
「ぐぅっ……があああああああああああっっっ!!!」
「ラエナ! ラエナ!」
ベッドの上で叫ぶ少女を前に、彼女の母親は娘の手を握りその名をしきりに呼ぶ。背後でその様子を見ていた村の者たちは、どうしていいのかも分らず唇を噛みしめる。そんな中、一人の村人が声を上げた。
「お、おい! 何か他の薬草はないのか?」
「だめだ……ヤツカシもルリヨモドキも効果がない」
「クソッ、どうすれば……」
「ああああああああっっっ」
対処法も見つからぬまま、部屋の中には少女の悲痛な叫びだけが響き渡る。その時、背後の扉がゆっくりと開いた。部屋の中にいた者たちは扉のほうへと一斉に振り返る。
扉の向こうに立っていたのは一人の村人と、その後ろに背丈のある一人の男。風貌からして村の者ではないことは確かだが、村人たちはその男を警戒することはなかった。というのも、彼の存在を村人たちは知っている。彼は流浪の旅人であり、休息のため先日この村を訪れた。
「あんた……」
「いいかな? 失礼して」
村人たちは返事をしなかったが、彼のために道を開けることでその意思を示した。男はこの場に似つかわしくない真っ白なフレアコートを揺らしながら、ベッドに横たわる少女の前に立つ。かすれそうなうめき声を上げる少女に、男は一言呟く。
「……ふぅむ。あまり芳しくないようだな」
状態を把握した後、念入りに彼女を観察し続ける男を見て、しびれを切らした若い村人の一人が言い放つ。
「おいあんた! 一体何……」
だが、すべてを言い終える前に、隣にいた壮年の村人が彼を制する。そして、代わるようにその村人が続けた。
「……何か分かるのか? この子がなぜこんな風になってしまったのか」
フレアコートの男は少女を観察し続けたまま、少し間を置いてからその問いに答えた。
「分かると言えば分かるし……分からないと言えば分からない……ただ、極めて複雑な状態であることは確かだ。とても……とても興味深い。私の力をもってすれば、この子に一つの可能性を示すことができる」
男の言葉を聞いて、村人たちはざわつき始める。そんなざわつきを打ち消すかのごとく、ベッド横に膝をついていたラエナの母親が男に懇願した。
「お願いします! この子を……ラエナを助けてください!」
ざわつきは一瞬にして消え、皆の視線は彼女へと注がれた。彼女の願いを受け、男は一つの答えを出す。
「この子の可能性には、私にとっても大いなる価値となるだろう。ぜひとも見届けたい。他の者たちには悪いが、一度退室を願いたい。少々長くなるやもしれないのでな」
男の言葉を信じ、村人たちは部屋から出て行った。
それからどれほどの時が流れたか……どれほどの願いを込めたかは分からない。
次の日になり。結局、村の者たちは一睡もできず、ただ静かに少女の生還を祈っていた。あの男がどんな手を使って彼女を救い出すのかは分からない。しかし、男が救出を試みてからというもの。少女の叫びが聞こえてくることはなかった。
そしてついに、少女のいる部屋の扉が開く。中から出てきた男は涼しい顔で憔悴した村人たちに目を向けると「彼女が示した可能性に祝福を……」と呟いた。
深い意味は分からないが、やれるだけのことはしてくれたのだろうと、村人たちは男の横を通り過ぎ、少女の元へと駆け寄った。
「……ラエナ」
変わらずベッドの上に横たわる少女は、昨夜の状態から想像もできないほど穏やかな様子で眠っていた。それを見て、村人たちはほっと胸を撫でおろした。ラエナの母親は涙を流しながら娘の手をぎゅっと握りしめた。
小さな村に起きた騒ぎは、村に訪れた謎の男の手によって解決した。村人たちは、彼女を救ってくれた男に礼を言おうと、急いで彼の元へと向かった。しかし、村中を探し回っても、彼の姿はどこにもなかった。
数日後、ラエナは元気を取り戻し、母とともに平穏な日々を送っていた。しかし、その平穏も長くは続かなかった。
「ラエナ、もうすぐ夕食ができるから、先にお皿出しといてくれる?」
「はーい」
ラエナは食器棚からいくつか皿を取り出し、ショートヘアを揺らしながらテーブルに持っていく……その時だった。
ーーガシャンッ!
突然、家の中に大きな音が響く。母が振り返ると、そこには飛散した皿の破片と、テーブルの横で倒れ伏すラエナの姿があった。
「ラエナ……? ラエナ!」
母は料理の手を止め、急いで倒れたラエラのもとへ駆け寄る。ラエナの肩をゆすって呼びかける。しかし、彼女に意識はない。
「ラエナ! しっかりして、ラエナ!」
すると、先ほどまで微動だにしなかった彼女の指先がピクリと動いた。母の賢明な呼びかけに反応したのか、ラエナはゆっくりと目を覚ました。
「ラエナ……良かっ」
しかし、悲劇はこれで終わらなかった。
「がああああああっっ!!!」
「きゃああああっ!!」
目を覚ましたラエナは、突然血走った目で母親に飛びかかった。理性という理性はなく、どうにも抑えきれぬままただただ母の虚しい悲鳴が響いた。
彼女の悲鳴を聞きつけて、村の者たちは何事かとラエナの家にやってくる。扉を開けると、中に広がっていた凄惨な光景を見て、村の者たちは息をのんだ。
「うっ……」
床一面に広がった真っ赤な血。血だまりの上で息絶えた母と、その隣に人の姿でありながら、人ではない何かがいた。
灰色に染まった長い髪と、床に突き立てた鋭い爪。フーフーと荒い息遣いで血だまりを凝視しながら、体を小刻みに震わせている。その仕草はまるで、わずかに残された理性との葛藤にも思えた。
衝撃のあまり、村人たちは無言のまま、その有り様を黙って見続けることしかできない。だが、この場に集った群衆の中の一人が耐え切れずにぼそりと声を漏らした。
「ば……ばけもの」
その一声により、目の前にいる人か獣かも分からぬそれは村人の方を見た。深い青に染まった瞳が小さく光る。
「ううう……」
唸り声とともに牙をのぞかせながら、村人たちをにらみつける灰色髪のケモノ。その姿にはどこか、ラエナの面影らしきものが残っている。
「うう……」
「く、くるな……」
ケモノはゆっくりと村人たちに近づく。一歩……また一歩と地面を這いながら近づき……そして……。
「がああああっっ!!!」
「うわあああああっっ」
「や、やめろ!」
--ドスッ。
前にいた村人が持っていた農具でケモノを一突きする。ドスっという鈍い音が鳴り、ほどなくしてケモノは動かなくなった。
後に残ったのは人と、人だった者の亡骸だけだった。
◆
「その生き物が後にラエナであったと気づくのに、そう時間はかからなかった。わしらはラエナの亡骸を、お山の中腹にある生贄の祭壇へ葬ることにしたのだ。かつてこの村で行われていたお山の怒りを鎮めるための生贄の儀式。その時に使われていたものだ」
「お山の怒り……」
「ベレン……お前も小さい頃から聞かされているであろう、魔狼の話。ラエナの不可解な死は、魔狼が村に災いをもたらしたせいだろうと、村の者たちもそう信じている。お前も知っておろう……夜な夜な村に響くあの唸り声を」
村に蔓延る脅威に怯えながらも、村長は事の経緯を詳しく話してくれた。話を聞いてなお、ベレンは依然として真実に迫る物言いで続ける。
「村長……魔狼の存在については、私も子供のころより耳が痛くなるほど聞かされてきました。そして、その話は今日まで一つの言い伝えとして、ある時は物語として私の中に大切に眠っていました。しかしそれは、今まで確かめる術がなかったから続いてきたものと言っても過言ではありません。私は知りたい。だからこそ、今日は彼らをここへお連れしたのです」
「ベレン……」
彼の熱弁に、村長は目を見開く。
「魔狼の存在が真実か、偽りか……それを解き明かす日が来たということです」
そこまで言うと、村長は勢いよく立ち上がり、今までの様子と打って変わって彼の試みを必死に否定し始めた。
「ならぬ! 絶対ならぬぞ! お山を探るなどっ、それだけは……」
急な粗ぶり様に、イチタは驚く。村長も場の空気を見て、さすがに熱くなりすぎたことに気づいたのか、乱れた呼吸を整えると力なくソファに座り込んだ。
「村長のお気持ちは分かります。しかし、だからと言ってこのまま問題を放置するわけには……」
「そうではない……そうではないのだ……」
ベレンの説得も実らず、村長はひたすらに首を横に振る。だが、それはただの否定と捉えるには早計で、言葉に乗せた感情のこもり具合からもっと複雑で根深い何かがあるとみた。
「ラエナの死からしばらく経った頃、村から子供の姿が次々に消えたのだ」
「え?」
「村人総出で探し回るも、ただ一人として見つけ出すことはできなかった。原因は考えずとも分かる……これはもう、お山のもたらした災いとしか言いようがない。近づいてはいけない。近づいてはならぬのだ……まして牙を剥くなど」
頭を抱え、声を震わせながら村長は繰り返し言葉にする。「近づいてはいけない」と……。
これ以上詰め寄るのは、さすがに気が引ける。それでも、村の異変を解決するにあたって、重要な情報を得ることはできた。今日のところは引き上げるとしよう。
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