第51話 価値観の裂け目

 因課・灯影支部。

 海莉は、息が切れるのも構わず、医務室に向かって走った。


「海莉」


 白衣のポケットに手を突っ込んだ透子が、待ち構えていたかのように医務室前に立ちはだかっていた。


「由良さんは? 倒れたって……!」


 焦る様子の海莉に対し、透子の返答は静かで硬かった。


「桃井先生から。海莉は、この先に入っちゃ駄目」


「は……?」


 何を言われたか理解出来ず、海莉の口から間抜けな声が漏れた。

 透子は、海莉の前に片腕を伸ばし、医務室の扉を塞ぐように立つ。

 その表情は、緊張が混ざっていた。


「駄目って、どういうことだよ」


「あなたが一番わかるでしょ。祈里の最適個体との相性の話」


 それ以上、海莉は噛みつかなかった。

 ただ、少し苛ついたように廊下の長椅子に座り、前髪を掻き上げた。


「俺が行くと下手に反応する……か」


 低く呟いた海莉の言葉に、透子は頷いた。


「じゃあ、容態教えてくれ。まだ意識戻ってないとは聞いたけど」


 冷静を取り戻した海莉の隣に座り、透子はタブレットを開き、操作する。


「私も詳しくは知らない。見つけたのは、災害調整課の職員。そこからすぐに医務室」


「わかってる範囲でいい。教えてくれ」


 透子は画面をスクロールして口を開いた。


「倉庫で作業中、何かに吹き飛ばされたみたい」


 透子の声は淡々としたものだったが、その奥にはわずかな緊張があった。


「吹き飛んだ? 何かって……」


「分からない。ただ、近くに他とラベルが違う段ボールがあった」


 海莉は小さく息を飲んだ。


「因課の倉庫に危険物が……? それが原因なのかよ」


「……可能性があるというだけ。でも……その段ボール、もうないの」


「ない? ……どういうことだよ」


「……蓮が破壊したのよ」


 海莉は目を細めた。


「破壊? なんで、そんなことしたんだよ」


 海莉の疑問に正しい答えを出せないとでもいうかのように、透子は首を横に振った。


「危険物って判断したのかしら。止める間もなく、一瞬で粉砕した。本当に……一瞬だったの」


 透子は深く息を吐いて、目を伏せる。


「あの時の蓮……確実に殺意を持ってた。白楼にいた頃は、あの子があんな目をする人間なんて想像もしてなかった。……正直、ぞっとしたわ」


 目を薄く開いて透子はわずかに震える指を抑えた。


「強化人間なんて言っても想像が追いつかなかった。現実を見て理解したのよ……。あれは、人間の動きじゃない」


 透子の声は震えていた。

 恐怖ではない。

 混乱と失望に似た感情の揺れだった。


「私の中での蓮は、白楼の医療班の仲間。心配性で明るくて……そして、本当の医療者だった」


 白衣の裾を震える指で握りしめて、透子は俯いた。


「だから……あんな目をするなんて、信じたくなかった」


 海莉は震える透子を見ていた。

 触れるわけでもなく、慰めるわけでもなく。


 透子の言葉の重さ。

 本物の蓮。

 そして、祈里の容態。


 すべて、脳内で素早く整理する。


「……透子、誤解すんな」


 静かに口を開いた海莉の声は、落ち着きを持っていた。


「蓮は、由良さんが倒れた原因かもしれないそれに気づいて、排除したのかもしれない」


「気づいて……?」


 海莉は頷いて、透子を落ち着かせるように背中を軽く擦った。


「蓮の中の優先順位が動いた。危険だから破壊する。そんなプログラムみたいな判断を蓮はしたんだ」


「……プログラムって……あの子は、人間よ」


 透子のその声には、静かであれど語気が荒くなっていた。

 しかし、海莉はその気配に飲まれることなく、落ち着いたまま続けた。


「知ってる。でも、俺たちがいくら人間扱いしても蓮自身が人間だってことを拒んでる」


 透子の瞳がわずかに揺れた。


「拒んでる……?」


「あいつは、ストラタムの強化人間としての価値観しか知らねぇ。判断も行動も、それが基準点だ。今回の件も、危険を見つけたから排除しただけだ」


 淡々とした説明だが、そこにあるのは否定ではなく、現状を正確に言い当てている声音だった。


「だからこそ、話し合わないと……蓮自身が人間としての判断を覚えねぇと、壊れる」


 その言葉は、責めるでも擁護するでもない。

 ただの事実だった。


 透子は、ぎゅっと胸元を握りしめる。


「……そうね。話し合わないと。それが人間だもの」


「だな。例の段ボールの中身に関しても、聞かなきゃいけねぇし」


 小さく息を吐いた海莉に透子は頷いた。


「ええ。……その前に、祈里の容態と説明を……」


 透子が言いかけたとき、がちゃりと医務室の扉が開いた。

 そこにいたのは、少し疲れた様子の桃井だった。


「ふぅ〜! なんとかハッピーになれたよ。由良くん、目覚ましたよ〜。バイタルも脳波も回復したから、浅葱くんおいでおいで〜」


 軽い口調で手招きする桃井の様子は、一見普通ではあった。

 しかし、声の端は張り詰めたような緊張感が漂う。


 海莉は静かに頷き、ゆっくりと医務室の扉を開けた。

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白楼に陽が昇るまで、俺たちは戦っている 森鷺 皐月 @baket57

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