第13話 まどわしの森の美女


 深夜の事務所の扉が控えめに二度叩かれた。レットソムは訝りながら顔を上げて「開いてるぜぇ」と応じる。

 厄介事万請負所は事務所に誰かがいる時は鍵がかかっていない。扱う仕事柄依頼人が飛び込んでくる場合が多く、入室時にノックする者など皆無だからだ。知り合いみんな我が家の如く扉を開けてずかずかと入り込んでくる。


 今夜の客は随分気取った人物か勿体ぶった人物らしい。


「なんだよぉ。開いてるって言ってんのに」


 しかも扉の向こうは沈黙しノブが回される気配も無い。頭を掻き立ち上がると大股で四歩ほどの入口へ近づき押し開けた。


「便利屋か」


 風のように密やかに届けられた声は女の物だが酷く素っ気無い。黒いフードのついマントを身に纏い目の前に立つ人物はほっそりとした身体に麻の衿付きシャツ、緑のズボンを着ている。フードから見える口元は緊張で固く引き結ばれており、細く華奢な顎と首の白さに真っ直ぐの黒い髪が眩しいほどだった。


「あんた、ルークの姉ちゃんか」

「中に」


 落ち着かない様子で、女は背後を窺い事務所の中へと入れて欲しいと要求する。苦笑いしながら「だから開いてるから勝手に入って来いって言ってんのによぉ」と扉に手を突いて押えたまま身を横にして退けると、女は最後にもう一度だけ振り返ってから中へと入って来た。

 念のためレットソムも暗い通りに視線を凝らすが怪しい人影も、なにかが起こりそうな予兆も感じられない。

 扉を閉めて机に戻ろうと踵を返すと女が丁度フードを後ろに落とした所だった。


「っ」


 思わず息を飲みレットソムはまじまじと女を見つめた。

 顎と肩の中程までの髪は切り揃えられ、神秘的な雰囲気の目元と鼻を更に魅力的な物へと変えている。青い瞳は理知的で、その中に強い警戒心を隠しもせずに見せていた。細い眉は頑なさと、形の良い唇には高潔さを漂わせ、凛とした姿で立っている。


「……なにか?」


 横目で問われ慌てて視線を外し、カメリアの席の椅子を引きずって女の傍に置いて勧めてから自分の椅子に腰かけた。


「便利屋のレットソムだ。リディア嬢に聞いて来たんだろぉ?」

「リディアには世話になった。感謝している」


 椅子に浅く腰掛けて女は面を軽く伏せた。そうすると濃くて長い睫毛が影を作り、透き通るような肌の白さと艶めく様な黒い髪の効果でこの世の者では無い美しさを際立たせる。

 女は感謝していると言いながらもその声には感情が込められていない。

 弟ルークの活き活きとした喋り方とは全く違う。


「弟が見つかったと」

「本人に確認できたわけじゃないから何とも言えんが。多分間違いなくあんたの弟だなぁ。あんな病的に白い肌をした奴は初めて見たし」

「……無事だったんだな」


 眉を寄せてほっと息を吐く姿に漸く人間らしい感情の欠片を見つけ、レットソムは苦笑いした。

 一族以外との接触をしない女が様々な国や町の人間が集まる場所にいるのだ。気を張り、心の休まらない日々は想像以上に辛いはず。それでも諦めて森へ帰らないのはただ弟の安否を知りたいがため。


「ルークは良い姉ちゃんを持ったなぁ」

「そんなことはない」


 即答して女は腿の上の手をぎゅっと握りしめ、更に首を横に振る。


「連れ去られたのではないのなら、きっと口煩い姉に嫌気がさして森を出たんだろう」

「口煩い?」


 淡々と言葉を紡ぐ女と口煩いという言葉が結びつかずレットソムは思わず問い返していた。

 女が感情を荒げる姿を想像できない。


「幼い頃に両親が死んでたった二人きりの姉弟だから、つい口出しをしてしまう。止めようと思っていても止められずに」

「あんたが心配しなくても、あいつは楽しそうだったぞぉ?副官殿にからかわれてはいたがなぁ」

「楽しそう?ルークが」


 顔を上げて驚いた様に目を丸くする。それに頷いて答えると女は「そうか」と無意識に呟き、次に飲み込みにくい物を嚥下した後のような顔でもう一度「そうか」と繰り返した。


 フィライト国では十五歳で色んな権利を与えられ子どもとして扱われなくなる。未熟だが自分で判断できる年だと認められるのだ。生き方も、将来も自分で決めることができる。

 ルークはもう成人と認められるだけの年齢に達しており、姉が心配する必要も無いように思えるが親代わりとして育ててきた気持ちをそう簡単には割り切れないのだろう。レットソムから楽しそうに暮らしていると聞いて落ち込む気持ちも、悲しいと思うことも当然なのだ。


「……会わずに帰るかぁ?」


 探していた弟が新しい人生を楽しんでいるのなら安心して森に帰ることができるだろう。

 だが彼女たちハスタータ一族の生活は脅かされ始めている。戻った所で安全は確約できない。もしかしたら帰る途中で女が襲われ、連れ去られる可能性もある。


「そう、だな。会わずに帰る」


 会いたいだろうに女は再び感情を押し殺して決断した。音も無く立ち上がると「世話になった」と囁いて去ろうとする。

 

 その背中に。


「盟約とはなんだ?」


 問いかけに女の背中が固まった。

 そして歩みも止まり沈黙が返る。


「フィライト国王となにを約束した?」

「……お前はどこまで知っている」


 背を向けたまま女が沈鬱に言葉を吐き、その響きに不穏な物も感じさせた。細く華奢な身体の女などこれっぽっちも恐くは無いが、失われた魔法に対する興味と警戒はある。


 未知の魔法がどんな効果と威力を持っているのか。


「あんたがハスタータという一族で、今普通に使われている魔法とは違う力で魔法を操ると言う事と――おいっ!」


 女が振り返った瞬間に空気を震わせてその手の中からなにかが飛び出してきた。予備動作も無く、精神を集中させることも無かった事から判断して、なんらかの武器だと思い目の前に迫った物を咄嗟に掴んだ依頼書の束で振り払う。

 払ったはずなのに床に武器らしきものが落ちる音はしなかった。ザクリと紙の束を抉るように切り裂く感触は確かにあった。


「これが、失われた魔法か?」


 飛んできた武器の速度が速すぎて見えなかったとは思えない。まるで透明の刃のようだった。


「お前らが邪道と決めつけた力だ。今更欲した所でなんになる」

「おいおい。待てよぉ!敵じゃない!頼むから話を聞いてくれ」

「盟約が破られた以上信じられるか」

「だから、その盟約の内容を教えてくれって言ってんだ!少しは協力できるかもしれないだろうがぁ!」


 声を張り上げて懇願するが女は冷めた瞳で射るように睨みつけてくる。気を抜けばまた見えない刃で襲われるかもしれない。

 ぐっと腹に力を入れてもう一度「頼む。力になりたい」と返した。


「一族のことを誰から聞いた」

「カーウィグ子爵夫人」


 強い詰問口調に素直に夫人の名を出すと、女はきゅっと唇を噛み締め眉を寄せる。

 まどわしの森に近い場所に領地を持っているカーウィグ子爵。その穏やかな村に年に数回足を運んで必要な物を買うのは、そこに住む住人や子爵が危害を加えることが無いと少なからず信用しているからだろう。

 事実トラカンから派遣されてきた者達に襲われながらハスタータの男が逃げ込んだのはカーウィグ子爵家の領地だ。


「夫人はひっそりと静かに森で暮らす害の無い人たちだと言っていた」


 それなのに失われた魔法を使って人を傷つけるのかと問い質せば、握り締めていた掌を開いて女が弱々しくため息を吐き出した。


「カーウィグ子爵は昔から私達一族のことを詮索せずにいてくれた。数少ない信頼できる人物だ」


 疲れたように足を運んでもう一度椅子に座る。フードを深く被り欲しい物を手に入れればそそくさと帰って行くハスタータの一族は村人からすると怪しげな人物に見えただろう。それでも商品を売ってくれる村人と、隣の森に住む隣人として黙って受け入れた領主。

 感謝しているのだと女の青い瞳は伝えてくる。


「ハスタータの男がカーウィグ子爵夫人にこの暴挙を止めて欲しいと言ったらしくてなぁ。夫人はその言葉を重く受け止めて、何らかの力になりたいと思ってるみたいだな」


 だから夫人は打ち明けたのだ。


 きっとあの食事会の場でまどわしの森の一族についてレットソムが聞かなかったとしても、別件でカーウィグ子爵夫人は頼んだに違いない。


 そもそも最初の依頼はレットソムの力がどれ程なのか知るための物だったのだろう。そして信頼できる男かどうかを試された。


 不可能を可能にする。


 それほどの力が無ければプリムローズ公爵の暴挙を止める事など出来無いからだ。


 最初の依頼でカーウィグ子爵夫人の信頼は勝ち得たのかもしれないが、不可能を可能にするだけの力を持っていると判断されるほどの働きはしていない。

 きっと、そうあって欲しいと願ってのこと。


 レットソムがコーネリアとフォルビア侯爵との繋がりがあることも大きいだろう。


「このままだと魔法都市トラカンの領主が王位に就くことになる。そうなっちゃ困るのはハスタータ一族だけじゃないんだぜ?公爵を押えるために必要な情報だ。どうか教えてくれないかねぇ?」

「盟約の内容、それで本当にあいつを止められるのか」

「情報は使いようだ。然るべき人物が手にし、活用することによってその効果は絶大な物になる。今回の情報も一番相応しい奴に必ず渡す。だから安心して教えてくれよ」

「別に隠すような内容でもない。ハスタータは自然の力を使い魔法を操る。さっき使ったのは空気と風を利用して斬り裂く魔法だ。お前たちが支持し、開発している魔法は威力も大きく派手だが無駄も多い。複雑に組み上げすぎて難易度が上がり、魔力の消耗も激しい。それに比べてハスタータの魔法は地味だが効率はいい」


 盟約の内容とは関係の薄い魔法について語られているが、黙って聞いておく。きっとノアールやフィルならば喜んで喰い付き、質問攻めにされただろうなと思うと口元が緩んだ。


 美女が困惑する姿は男には堪らない物がある。


「だが制約もある。ハスタータの魔法はその場に自然界の力がなければ操れない。例えば家の中では土魔法を使用することは出来ないし、水気の無い場所で水魔法を使うことも出来ない。それ故か便利さと派手さに圧されて自然魔法は邪道だと迫害された。元々生活に密着した中で生まれた魔法だ。自然と共に生きる。それが根底にあるからな」


 農作物を育て、家畜を飼育するのに自然魔法は役に立つだろう。多くを求める贅沢をせずに、質素だが実りある生活を望む者には素晴らしい力。


 だがその力を扱えるのはハスタータ一族のみ。

 フィライト国の辺境や田舎ではその魔法を欲しがる者もいるはず。


「勿体ねぇなー」

「豊かな国では必要のない力だ」


 鼻で笑われてレットソムは「そうでもないと思うぜ」と苦笑いする。


「ハスタータの魔法は戦うための物では無い。だからこそ侮られ、不要と見做された」

「王からも、か?」

「そうだとも、違うともいえる」


 女は細い指を持つ手を広げてじっと見下ろす。まるでそこにハスタータの使う魔法があるかのように愛おしそうな瞳で。


「居場所を失ったハスタータは王に新しい場所への移住を願い出た。その頃はまだ小さな国だったフィライト国は住民が減ることへの危惧と、ハスタータの魔法の流出を畏れた。取るに足らないと蔑まれた自然魔法が手の届かない所に行くと思った途端に欲が出たのかもしれない。王はまどわしの森への移住を許し、王以外のその地への介入をさせぬと約した。王は保護と権利を、ハスタータは自然魔法を他国に持ち出さぬ、をもって盟約とした」


 だが王は保護するという盟約を破った。


 恨みの籠った声がローム王を詰る。


「王は知らん」

「知らないわけが無い」


 即答されレットソムも女の言葉が正しいのだと解っていた。

 知っていても動けないのだと説明してもきっと女には解らないだろう。


「今は微妙で大事な時期なんだ。ローム王も迂闊に動いて公爵の怒りをかいたくはないんだよぉ」


 ロッテローザ王女の婚約と結婚。

 そしてカールレッド王子の病気。

 好戦的なプリムローズ公爵を王位に就かせないように打つ手はひとつしかなかった。だがそれは確実に公爵を反乱へと向かわせる。


 そしてフィライト国は二分され内戦となる可能性もあった。

 荒らさずに護るには弱みを握らなければならない。


 だから。


「もう少し辛抱して欲しい」


 両手を合わせるようにして拝むと女は怪訝そうな顔で「待てばなにか変わるのか」と確認してきた。

 約束はできないがそのために走り回っている者達がいるのだ。

 変わると信じて待ってもいいだろう。


「頼む」

「しょうがない」


 まどわしの森の女は呆れたように微笑むと「あと少しだけ」と続けた。

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こちら厄介事万請負所~王都に恋の嵐が吹き荒れる?~ いちご @151A

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