10日目-5 処刑の時間

 見間違いようもない。

 ぼくを陥れた張本人、直哉が、ニヤニヤと歪んだ笑みを浮かべて、そこに立っていた。

 制服のポケットに片手を突っ込み、もう片方の手でスマホをいじりながら、わざとらしくあくびをかましている。


「あ? 無視かよ陰キャ。せっかくオレが声かけてやったのによぉ。友達いないんだからありがたく思えや」


 足がすくむ。体はまだ、あの時の恐怖を覚えている。


「謹慎中だろ? 学校来たら退学だぜ? オレが先生に言いつけてもいいんだけどなぁ?」


 ぞろぞろと、奴の後ろから取り巻きの男子生徒たちが姿を現した。

 ニヤニヤ笑いながら、こちらを囲むようにじりじりと距離を詰めてくる。


「おー、マジで来てんじゃん犯罪者」「写真撮っとこ」「やべ、退学パーティーだなこれ」


 スマホを構える手が何本も上がる。

 下品な笑い声が廊下に響く。

 胸ぐらを乱暴に掴まれた。


「っ……!」


 制服の襟が締まり、呼吸が詰まる。

 至近距離で、直哉の湿った息がかかった。


「おいおい。謹慎中の分際で、どっか行こうとしてんのか? 学校来るんだったら、反省して土下座の一つでもしてからだろうが」


 鼻先にかかる、ねっとりした笑い声。


「被害者のオレに謝れよこの人間のクズがぁ!!」


 吐き気が込み上げる。


「そうじゃないなら……また、痛い目見てから帰るか?」


 わざとらしく、ぼくの脇腹のあたりを、ぐっと拳で押してくる。

 痛みが、ビリッと走った。


(……怖い)


 逃げたい。今すぐ、この場から消えたい。

 トイレの床で、汚水まみれになっていた自分の姿が、脳裏によみがえる。

 でも。

 ポケットの中で、スマホが小さく震えた気がした。

 さっきのREIの文字が、頭の奥で反芻する。


『男なら、自分から掴みに行け。今すぐに』


 ここで逃げたら、会えなくなる。


「……どけよ」


 絞り出すような声で、言った。


「あ? なんだって?」


「どけって言ってんだよ!!」


 自分でも驚くほど、大きな声が出た。

 胸ぐらを掴む直哉の腕を、震える手で振り払う。

 直哉の顔から、笑みが消えた。


「てめぇ、誰に口聞いてんだよ!」


 怒鳴り声と同時に、拳が振り上げられる。

 ごっ、と鈍い音がした。

 腕に走る衝撃。二回目だから予感できた。

 とっさに上げた腕で防ぎ、歯を食いしばって、足を踏ん張り、姿勢を保つ。


「あ……?」


 直哉が目を見開く。

 よろめきながらも、倒れなかった。

 

「……ぼくは、会うんだ」


 トイレの床に這いつくばった、あの日とは違う。

 あの日、レナさんが拭ってくれた汚れを、これ以上、上塗りさせたりしない。


 胸の奥で、ずっと言葉にならなかった叫びが、弾けた。


「お前なんかに、一秒だって奪わせてたまるかよ!!」


 レナさんの時間は、絶対に渡さない。




「調子乗ってんじゃねえぞゴミがぁっ!!」


 直哉が、鬼の形相でさらに拳を振り上げる――その瞬間。


「え、やば」「撮れてる?」「先生に送っとこ」


 周囲のざわめきが、じわじわと色を変えていく。さっきまで面白半分だった視線が、直哉のほうへ向かう。

 取り巻きの背後を取り囲む、野次馬の生徒たち。


「あれ、末永じゃね?」「一方的すぎない?」「ってことは、悪いの生田直哉じゃん」「やっぱそうだったんだ……」


 野次馬にはクラスメイトも混ざっていた。

 疑念が、確信に変わる。

 そして誰かの声が、決定打になった。


「レナに相手にされなかったからって、ダサすぎでしょ。一生そこで喚いてなよ、雑魚」


 それからは、もう、溢れたものは止まらない。


「てか直哉、オタクに殴られたって嘘ついて、教師に泣きついたんだろ?」「ダッッサ……!」「冤罪確定じゃん」


 嘲笑の矛先が、一瞬にして逆転した。

 さっきまで王のように振る舞っていた直哉が、今や、見世物小屋のピエロに成り下がっていた。


「……は? はぁ!? うるせえよ、お前ら」


 直哉が焦ったように周囲を威嚇する。だが誰も目を合わせない。  


「なんだよ……! おいてめぇら、誰の味方してんだよ!?」


 取り巻きたちでさえ、気まずそうにスマホをいじり、一歩、また一歩と距離を取り始めていた。

 味方など、最初からいなかったのだろう。ただの恐怖と損得だけで繋がっていた関係が崩れ去っていく。


「なんでだよ……。なんで、あんな陰キャばっか贔屓すんだよ……っ」


 直哉の視線が、ぼくを刺す。

 血走った目で、歯をむき出しにして叫んだ。


「なんでお前なんだよ! なんで、あんな爆乳が“オタク”なんか庇うんだよ!!」


 鼓膜がビリビリするほどの絶叫。

 その言葉に、周囲の空気がさらに冷えた。


「うわ……」「今日一番引いた」「言い方キモすぎ。あんな爆乳、はないわ」


「オレだって……っ、オレだって、あの体に抱き着きてぇ……っ。揉みしだきてぇに決まってんだろ! あのクソデカい爆乳をよぉお!! なんでオレじゃねえんだよ! ヤリマンのくせに、なんでオレには股開かねぇんだよ!? 地位も顔も、全部、オレのほうが上だろうが!!」


 しゃがれた声で吠える直哉。

 その必死さが、余計にみっともなく響く。


「オレのほうがイケメンだろ!? カーストも上だろ! なんで妃は俺を選ばねぇんだよ! ふざけんな……っ」


 人目もはばからず叫び出した直哉は、涙目で、なりふり構わず地団駄を踏んだ。


「なんで……なんで俺じゃなくて、こんなクソ陰キャなんだよぉおおお!!」


 底まで冷え切っていた周囲の空気が、さらに凍りつき、絶対零度へと堕ちて。


 ――シーン、と。廊下が、完璧な沈黙に包まれた。


「最低……」「ガチで引くわコイツ」「終わったな、生田。マジで無理」


 ドン引きの声が、さざ波のように広がる。  カーストの王のメッキが、完全に剥がれ落ちた瞬間だった。

 その輪の少し外側で、一人だけ、違う温度の視線が突き刺さっていた。


「キッショ」


 彼女の発言に、空気が凍りつく。


「フォロワー100万人のレナに、雑魚が釣り合うわけないでしょ」


 声の主は、派手な金髪をポニーテールに結んだ、一人のギャルだ。耳元でジャラジャラとピアスを揺らしている。

 彼女は、汚物を見るような目で、直哉を見下す。

 そして独り言みたいに、小さく呟いた。

 

「……あんたもだよ」

 

 それから、はっきりと、ぼくを指さすように視線を向けてきた。


「レナを奪った、クソオタク」






「そこ、何してる!」


 遠くから、教師らしき怒鳴り声が飛んできた。


「集まるな! もう予鈴鳴ってるぞ! 散れ!」

「先生、暴行されてます!」


 生徒の一人が叫ぶ。直哉が顔面蒼白になる。

 すぐそこまで教師の足音が近づく。

 直哉は膝から、跪いた。


「……クソ陰キャ……っ! お前のせいで、オレの人生めちゃくちゃになったらどうしてくれんだよ……っ!!」


 さっきまで余裕ぶっていた声は、面影がないほど、情けなく裏返っていた。


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2025年12月7日 21:51

不感症な爆乳ギャルの妃 玲奈(きさき れな)が、ぼっちのぼくにだけ身も心も許して堕ちるまでの100日間 @penosuke

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