モンブラン、再び

DDD

第1話 モンブラン、再び

 甘いものは昔から好きでは無かった。

 珈琲はブラックしか飲まないし、チョコレートもビターしか選ばない。

 そんな私が唯一食べるのが、このカフェのモンブランだった。

 大通りに面した、お洒落なカフェテラスである。

 私は十年ぶりにそのカフェを訪れると、店の一番奥の席に腰を降ろした。

 珈琲とモンブランを注文する。

 この店は季節によって限定商品のケーキを販売するのが常で、秋はモンブランと昔から決まっている。

 甘さ控えめの上品な味付けで、私にとっては数少ない好んで食せるスイーツだったのだ。

 大通りを行きする車を眺めながら、暫し待つ。しのぎやすい時間帯なので、店内のテーブルは殆どが埋まっていた。

 座っているのは流行を気取った若い客ばかりだ。お洒落な学生と若い女。私は何だか場違いな所にいるような気分に陥り、腕時計に目をやった。

 約束の時間まであと五分程といったところか。だが彼女は必ず遅れてくるだろう。

 昔から時間にルーズな女だった。私は十分前行動を信条としているから、数十分待ちぼうけを喰らうのはザラだった。

 スマホでも見るか、とズボンのポケットへ手を伸ばす。十年前はまだこんな便利なモノは無かった。当時は所謂ガラパゴスケータイで、電話とメール位しか使いようが無かった頃だ。

 パスワードを入力してロックを外す。その直後にLINEが入ってきた。

 

 ――もう着いてる?


 彼女からだった。私はすぐに返した。


 ――店の中で待っている。


 するとすぐに返事が返ってきた。


 ――10分くらい遅れる。


 私は苦笑してスマホをテーブルに置いた。

 遅刻するのは想定内だ。むしろ連絡を寄越してくるだけ、昔より成長している。遅刻の常習犯のくせに、その事をこちらに伝えてくるどころか、涼しい顔でやって来て謝ることすらしない女だった。

 勝手な女だ。

 十年近く連絡など一度もていないのにも関わらず、ある日突然、まるで現在進行形で付き合っている恋人のような誘いのメールを送ってくるのである。

 それも昔、初めての放課後のデートで使った店を指定してくる。

 思わず私は自分が過去にタイムスリップしてしまったのではないかと、咄嗟に思ってしまった程だ。

 なので私は学生時代、彼女と付き合っていた時に足繫く通ったカフェに来店したのである。

 そういえば彼女と別れてからは、一度も訪れていなかった。


 よく言えば自由奔放、悪く言えば我儘で身勝手。そんな女だった。

 今思えば三ヵ月とはいえ、よく彼女と交際出来たなと我ながら思う。

 そもそも私と彼女は、まるっきり正反対と言える人間だったのだ。

 学生時代から派手な女だった。

 校則に引っかかるか、引っかからないかの絶妙なラインの化粧と服装で颯爽と校内を歩く。

 同級生の男子たちは勿論、女子達までもが彼女に羨望の眼差しを向けたものだ。

 対して私は中肉中背で、人ごみに埋没してしまえば二度と見つけることが出来ないような風貌だった。

 当然、所謂スクールカーストというものでは私は下層に位置しており、彼女は雲の上の存在だったのだ。

 本来は決して交わる事の無い私達だったが、たまたま席替えで隣の席になった事が運命を変えた。

 目立ちやがり屋の五月蠅い女だと敬遠していた私に対し、彼女は気さくに声をかけてくれたのだ。

 当時流行った言葉に陽キャ、陰キャという区分があり、私は陰の者で彼女は陽の者だった。

 私は当時、陽キャと呼ばれる存在は皆、無神経で傍若無人で身内以外には一切情を持たない冷血生物の類であると思い込んでいた。

 だが彼女と交流する中で、それが私の偏見に過ぎないと思うようになったのである。

 授業中や休憩時間などに、単なる世間話をするだけの仲だったが、私の意識を変えるのには充分であった。

 やがて彼女に対して興味が湧き、それが恋心に変わるまで、それほど時間はかからなかった。

 今になって思えば、誰がどう見ても釣り合いは取れていないし、彼女には恋人かもしれないと噂される男子が幾人かいる事も知っていた。

 それでも若気の至りというのは、無謀だと思える行動を簡単に後押ししてしまう。

 夏休みが空けたばかりのある日、私は彼女に交際を申し込んだ。

 玉砕覚悟であった。

 笑いモノにされる事も覚悟していたし、最悪の場合は二度と彼女とこれまでのように会話は出来ないだろう。

 それでも私は想いを打ち明ける事を選んだ。

 告白を聞いた彼女は、逡巡の後、差し出した私の手を取った。


「久しぶり」


 そんな言葉をかけられて、顔を上げた。

 目の前に彼女がいる。

 あの日、告白を受け入れてくれた時と同じ笑顔で、彼女はそこに佇んでいた。


「ごめんね、遅れちゃって」


「いいよ。思ったより早く着いてよかった」


 彼女は苦笑して、目の前の席へ腰を降ろした。


「十年ぶり位かな?」


「そこまではいってないさ」


「最後に会ったのは成人式だったよね?」


「佑人達の結婚式でも会ったはず」


 何度か顔を合わせる機会はあった。

 ただ私が極力、彼女を避けていただけだ。

 同じ空間にいる時も、話すことは殆ど無かった。

 だからだろうか、月並みな事しか喋れない。

 そんな時、店員が冷水の入ったグラスとおしぼり、そして私の注文したモノを運んできた。


「わ、モンブラン。いつもそれだったね」


「好きだからね」


 目を細めて彼女はテーブルに並べられた珈琲とケーキを眺めてから、紅茶とチーズケーキを注文した。


「まるで昔に戻ったみたい」


「ここに来るとそう思ってしまうな」


「……でも、君も変わったね」


「そうか?」


「煙草の臭いがする」


 店内は禁煙である。なので私はこの店に来る前の喫煙所で、一服してきた。


「社会人になってから、吸うようになった」


「不良の吸うモノって嫌ってた癖に」


「喫煙者じゃないと休憩が貰えない。そんな職場に入ってしまったからね」


 月日が経つという事は、人が変わるという事でもある。

 私はかつて毛嫌いしていた煙草を手放せなくなったし、内心小馬鹿にしていたような層の人間と共に働き、酒を交わす大人になっていた。


「ところで、どうして急に連絡してきたんだい? 用事なら、わざわざここで会う事も無いだろうに」


「理由なんて無いよ。ただ、ここでまた会いたかっただけ」


 理屈っぽい所も変わってないね、そう彼女は付け足した。

 自由奔放な彼女と、どちらかと言えば堅実な私は、やはり性格が合わなかったのだろう。

 結局、三か月で別れた。

 しかも私とつき合い始めた時、彼女には既に交際している男友達が三人もいたのだ。

 浮気とか不誠実とは思えなかった。彼女はその事を自分から話してしまうためだ。


「恋人は君を合わせて三人かな。あとは遊び相手が増えたり減ったり」


 あっけからんと、彼女は言うのだ。

 閉口する私に対して平然と話すその姿に、奇妙な大物感すら感じてしまう。

 だがやはり、私は自分以外の異性が彼女と交際している事を、我慢できるような器ではなった。

 疑心暗鬼の果てに、私は別れを切り出した。

 なので私が振ったという事になるが、誰の目にも私が彼女に捨てられたのだと映ったであろう。

 そういえばその時も、このカフェで向かい合って座っていた。


「奢ってくれるリストに、君が入ってた。それで誘ったの」


「酷い話だ」


 私が肩を竦めると、彼女は愉し気に笑った。

 目尻に皺がくっきりと浮かぶ。三十を過ぎてしまったためか、彼女は年相応に老けていた。

 だがそれでも同年代の女性たちよりは、綺麗に思えた。

 

「でも、君は来てくれた。優しいよね、相変わらず」


「お世辞なんか言っても、よりは戻さないぞ」


「残念。私、もう婚約者がいるの」


「それはおめでとう」


「でも浮気してるの」


「彼が?」


「どっちも」


 全く勝手な女だ。

 私は呆れつつもどこか懐かしさを感じて、頬を緩めた。

 初めてこのカフェに来た時から、彼女は変わっていない。

 傲慢で奔放で無責任で、しかし自由で快活で人生を謳歌している。

 だから私は彼女に惹かれたのだ。きっと今もどこかで惹かれているのだろう。

 

 彼女の注文したものが運ばれて来た。

 甘党な彼女は熱い紅茶に角砂糖を幾つも放り込んでいく。

 私はそんな姿を眺めながら、モンブランに口を付けた。

 昔より、甘い。そう感じた。

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