第1話・I'll catch it someday
私の名前は
中学三年生で江戸川乱歩と有栖川有栖を読んで推理小説の世界に憧れるようになり、高校二年生で初めて書いて応募した短編小説『ブラックボックスの恋』で第三回推理えんためシナリオ賞を史上最年少で受賞し、推理作家としてデビューした。それから続いて中編作品『遺しもの』を発表して江戸川乱歩賞を受賞し、現在は自身のサイトで連載長編作品『旋条痕』を連載しながら高校生活を楽しんでいる。自分の才能が世の中に認められたことは嬉しいことだが、その反面、クラスメイトに新作の話や作品についてよくからかわれてしまうため「ペンネームにすればよかったな」と、内心小さな後悔を残していたりしている。
そんな私だが、今、個人的に挑んでいる難問がある。それは現在、日本を越えて世界中で注目されている大泥棒・怪盗マトリョシカについてだ。
怪盗マトリョシカは、日本や世界で注目されている大怪盗で、本名はもちろん、性別や年齢、出身地やその目的などは謎に包まれている。海外では「Mr.Fantastic」とも呼ばれており、最近では西木田財閥の所有する一千億円の絵画をたった一夜で盗み出したことで、連日ニュースで取り上げられている。
私もこの話題を逃すことは無く、新聞や雑誌の記事を切り抜いてスクラップブックを作り、怪盗マトリョシカについて様々な考察や推理を考えては消していた。時には考察を巡らせるあまり、三時間しか眠れなかったこともあった。それほどに、怪盗マトリョシカは私の心を動かし、胸の奥をざわつかせている存在だった。
「怪盗マトリョシカなんて、組織犯罪に決まってんだろ。超のつくセキュリティの建物に忍び込んで盗み出すなんて、個人で出来るかってんだ」
二歳年上の兄はそう言うが、私はそうは思わない。怪盗マトリョシカは、絶対単独犯で、今もこの日本の何処かに潜伏しているに違いない。
「じゃあお前の意見を聞かせて貰おうか?作家先生」
兄が意地悪く私にそう言うので、私は探偵ドラマの推理シーンを真似て自分の推理を兄に披露した。
「まず一つ目の根拠として、今回盗まれた絵画、大きさが二メートル近くあるらしいの」
「ほうほう。それで?」
「二メートルもの絵画を複数人で運ぼうものなら、すぐに運べるかもしれないけれど目立ちすぎる。それに、ただ一枚の絵画を盗みに入るのに複数人も必要だろうかという話なの」
「なるほど。だがよ、それは今回だけの話だろ?複数人なら今日は何人~とかって決めていくことも可能だぜ?」
「そこはさらに二つ目の根拠。それは三ヶ月前にイタリアで起きた宝石店での窃盗事件。この時、偶然にも怪盗マトリョシカらしき人物を見たという証言があるの。でもその人は「背の高い長髪の人物」としか証言していない。つまり、複数人説は低いってワケ」
「まぁその線もあるわな。だがなぁ……、やっぱ複数人いるんじゃねえの?」
「これの他にもいくつか私なりの推理はあるんだけど、それ言うとキリがないし、何より情報が錯綜している状況。二転三転しているから続報を追いましょ」
「それが言い訳じゃねぇことを祈るぜ」
兄はニヤニヤからかいながら言った。私はムッとしながらも、怪盗マトリョシカの正体について、誰よりも先に掴みたいという一種の欲望のようなものに駆られていた。霧の中に眩ましたその輪郭を、他の誰よりも、先に。
「絶対に正体を暴いてやる……!怪盗マトリョシカ!」
この時は気付かなかった。今思えば、もうこの時点で、私は怪盗マトリョシカという概念に、心を奪われていたのかもしれない。
───────────それから二週間後。
怪盗マトリョシカの事件は、あれからパッタリなくなってしまった。警察も様々な場所で待ち伏せたり、海外ではFBIまでも乗り出して怪盗マトリョシカが来ないかと待つ日々を送ったが、新たな事件が起きることは無かった。
ニュースでも怪盗マトリョシカが現われないことに戸惑うニュースが報道され、様々な有識者が持論を展開し、一人の大怪盗の行方に注目していた。
私はニュースを見ながら、どこか寂しさで落ち込んでいた。こうしている間に、もしかしたら怪盗マトリョシカは遠くに行ってしまっているかもしれない。もう二度と、日本には来ないのかもしれない。そんな、実際どうだかもわからないことが心配になり、新作にも手が出せなくなっていた。
「さすが小栗先生といったところよ。そこまで怪盗マトリョシカに夢中になれるなんて。まさに推理作家精神というべきかしら」
編集担当についてくれた谷口さんはそう言ってくれたが、私はどうしても、怪盗マトリョシカを忘れることが出来なかった。
この日は谷口さんとファミリーレストランで編集会議をしていた。次に文芸誌に掲載する短編についての会議だ。今回は有名なイラストレーターの挿絵もついた、いつもより豪華な掲載となるらしい。
「でもこれで、しばらくは何事もないんじゃないかな」
谷口さんは注文したホットコーヒーを飲みながら、印刷した原稿を読んでいた。
「谷口さん。谷口さんは、怪盗マトリョシカって何者だと思いますか?」
「面白いことを聞くわね。そんなの、神出鬼没の大怪盗でしょ?どこかエンターティナーみたいな扱いを受けてるけど、実際はあちこちに逃げ惑う窃盗犯なんだけどね」
「まぁ、現実はそうですよね……」
「でもまぁ、あれだけ綺麗に盗んで逃げられるなら、神格化もされるか」
谷口さんは印刷したゲラに赤ペンを入れていた。私はそれに応えながら、その日の編集会議は終わった。
帰り道、私はスマホのニュースサイトを開きながら、怪盗マトリョシカについての記事を見ていた。あの頃は世間の誰もが、怪盗マトリョシカという正体不明の解凍を追いかけていた。みんなが鬼ごっこの鬼となって、逃げ続ける怪盗マトリョシカを追いかけていた。けれど、誰も輪郭すら追えていない。
そして今は、鬼ごっこではなく、かくれんぼになっている。今度はみんなが、怪盗マトリョシカに「もういいかい」と叫んでいる。応答なんて、聞こえないまま。
夕暮れが夜に変わっていく。すっかり辺りは暗くなり、街灯が灯り、街はもう一つの顔を見せ始める。
ふとぼんやり、遠くの高い展望台を眺めていた。この街のシンボルとも言える、大きな展望台。ここから眺める景色はとても綺麗で、ある年にはそこが映画のロケ地になったこともあったらしい。
そんな展望台を眺めていた時、私の目は、妙なものを捉えた。
「あれは……、何……?」
私の目が捉えたのは、展望台の上に座っているひとつの人影。足を子供のようにぶらぶらさせながら、何かを空に掲げているように見えるが、はっきりしない。
「……何してるんだろ?」
ただの興味の範疇だった。その気持ちだけで、私はその展望台まで歩いていた。身体が動くうちに、心の何処かでざわつく何かを感じていた。
三十分ほど経って、展望台に着いた。今日は展望台は休業していた日だったが、柵を飛び越えて奥へと入って行った。
展望台の上には、灰色のスーツに黒のスラックス、金色のハイヒールを履いて、黒のロングヘアをした人物がいた。穏やかな顔で、夕陽を眺めていた。
声をかけようか、迷っていた。その人を見るたびに胸騒ぎが高くなっていくのを感じていたというのに、声をかける勇気がない。口を開いても、言葉が出ない。
「……?」
しなばく見上げたまま立ち尽くしていると、向こうから私の存在に気が付いたらしく、こちらに目線を落とした。そして、ゆっくりと、降りて来た……。
「やぁ。綺麗な夕陽だね。お嬢さん」
「……は?」
声をかけられた。それは、あまりにも自然に話しかけられたために、どこか現実感がなかった。しかし、向こうがしっかりと実在している限り、これは限りなく現実なのだ。私は、これまでに感じたことのない気持ちになっていた。
「そ、そうですね……」
なんて、ありきたりな返答をしていた。
「ここの展望台はいいですね。この時間には夕陽が煌々と燃えているのがどこよりも綺麗に見える。そして天気のいい夜なら、どこよりも星空が綺麗に見える。
まるで美術の批評をしているかのような独特な語り口調。見た限りではほとんど歳の差を感じないというのに、この妙な感覚は、一体何なのだろう……。
目の前の人物のことをジッと観察していた時、私は次第にあることに気が付いた。
それは、黒く長い髪に金色のハイヒール、そして小指に嵌められた、間違いなく高価であろうトパーズの指輪……。
これらの特徴を見て、私の脳裏には一人の人物しか浮かばなかったが、その度に「そんなまさか」と自己否定してしまう。なのに、胸のどこかから広がる胸騒ぎと、あまりにも近しい特徴が多い目の前の人物に、私は落ち着きを失っていた。
(この人って……?)
私は深呼吸すると、意を決して恐る恐る口を開いた。
「あの……、あなたって〝怪盗マトリョシカ〟ですよね?」
私は、遂に、その言葉を放った。
その瞬間、その人は先程の穏やかな顔から一変して能面のような無表情になったが、すぐに表情を戻し、私の質問に答えた。
「そういうお嬢さんは、探偵作家の小栗游佳先生じゃありませんか?」
返って来たセリフは、あまりにも意外な言葉だった。
「……私の事を知っているの?」
「もちろんですよ!毎月楽しみにしているんですよ?先生の作品♡」
「私の質問には答えてくれないんですね」
「おっと……。これは失敬。でも私にも黙秘権というものがあるものでしてね?」
「認めるってことでいいのかしら?」
「頷いたら、どうする気なのかな……?」
「さぁ……、ね……」
私はスススと気付かれないように、右手を腰元に回し、スマートフォンを取り出そうとした。
が、しかし……。
「あれ……!?」
「おっと。これは失礼。あまりにも可愛らしいカバーを着けているもので、少し見惚れてしまっていました……!」
そのセリフが聞こえて前を向けば、なんと私のスマートフォンはあの人の手に渡っていた。一体、いつ奪ったというのだ……?
「返して!」
「持ち去るわけじゃないよ。だが、私と出会ってしまったからにはってところ、ありますから」
「……これで確信したわ。あなたが、怪盗マトリョシカね……!」
「いかにも。私は世間様から〝怪盗マトリョシカ〟と呼ばれている者です。以後、お見知りおきを」
ついにその姿を捉えた。怪盗マトリョシカ……。だが、私の想像している気分にはならなかった。スマートフォンを奪われたからだろうか、今率直に感じているのは、苛立ちに似たものだった。
「本物……、なんですか?」
「それは完全には答えないでおきましょう。その方が先生にも、都合がいいでしょうから」
「意外と社交的なのね」
「それはもちろん。怪盗として生きるのにも、必要なスキルでしてね」
怪盗マトリョシカは微笑んでいた。しかめっ面をしている私を、どこか宥めるような顔にも見えてくる。
「てか‥…、何よ?その〝先生〟って呼び方……」
「それはもちろん、貴女が探偵先生だからですよ。先月の『旋条痕』第三十七話、本当に最高でした!」
無邪気な笑顔で私の作品を礼賛する怪盗マトリョシカ。悪党に褒められるのはどこか素直に受け入れられないところがあるが、表情の無邪気さや、作品の展開をちゃんと答えている辺り、お世辞や機嫌取りではないのは確かに見えた。
「……ねぇ、怪盗マトリョシカ」
「何でしょう?探偵先生」
「あなたが本物の〝怪盗マトリョシカ〟であるなら、ひとつだけ訊きたいの」
「えぇ。答えられる範囲なら、何なりと」
「あなたは……、何のために、盗みを働いてるの……?」
私は、一番訊きたかったことを口にした。どんな手段で侵入しているのかとか、どんな人生を送って来たのかとか、そんな些細なことではない。一体なぜ、怪盗マトリョシカが「怪盗であり続けているのか」を、知りたかったのだろう。
質問を受けた怪盗マトリョシカは、少し目を閉じたあと、何も迷うことなく、むしろ自信を広げてこう言った。
「自分自身を試すためさ」
「自分自身を、試す?それって……?」
「これはゲームなんだ。世間様と開催した、禁断の鬼ごっこ。私がどこまで行けて、どこまで価値のあるモノを盗めるかのゲーム」
私は、想像の斜め上の回答に、ぽかんとしていた。辺りが暗くなっている展望台の下、星が綺麗に瞬いている。私は、ますます、怪盗マトリョシカとは何なのかが、分からなくなった気がした。
「では、逆に問い返そう。探偵先生……。先生はどうして、作品を書き続ける?」
「それは……、私が書くのが好きだし……、書いている時の私が、好きだから、とか?」
「きっとそれと同じですよ」
「な、何が同じだっていうの!?泥棒と作家を一緒にする気!?」
「違う違う……!誤解を与えて申し訳ない。私が言いたいのは、同じ〝芸術家〟であると言いたいのだよ」
「……はぁ?」
私は困惑を隠しきれなかった。なぜ、大怪盗と作家が、同じ芸術家だというのだろう。
「作家はというのは、価値のあるモノを書く仕事。そして怪盗とは、価値のあるモノを追い求める仕事。どちらも価値を求めているという点においては、同じ存在だと言いたいんだ」
「……怪盗なんて格好良く言っても、その素顔は犯罪者なんだからね!」
「それは重々承知していることです。誰よりも、私が一番ね。だからこそ続けているんです。そしてどこまで行けるのか、自分を試しているんです。それが、私が目指している〝怪盗マトリョシカ〟の姿なんですよ……」
私は、それ以上何も言えなかった。言い負かされたわけじゃない。認めたわけではなおさらない。だが、怪盗マトリョシカが唱えた「怪盗の美学」には、怪盗になった者にしか分からない感性があるのではないか。そう思った時、私は猛烈にこの気持ちを言葉にしたい気持ちに駆られた。
「……分かったわ。それが、あなたの答えなのね」
「私は、ただ、自分の存在を、刻みたいだけなんでしょう……」
「……そろそろ帰らなきゃ。暗くなってきたし」
「同感です。私も、次の場所へと参上しなければ」
「……次は、どこなの?」
「それは秘密です。ですが、近いうちに、また会えるでしょう」
「ふふふっ。それは、ごめんだわね」
そう言って、私は初めて、どこか可笑しくって、笑えていた。
帰り際、怪盗マトリョシカは約束通りにスマートフォンを私に返してくれた。こういうところが妙に律儀なのが、憎めないところなのかもしれない。
「それではまたどこかで。探偵先生」
「ふふ……。まだ裁判所には行かないでね。怪盗マトリョシカ」
「……
「え?」
「
そう言い残すと、
それはまるで、重く長い眩暈から、さっと醒めたような、実感の湧かない後味だった……。
『怪盗マトリョシカ』本編完。
怪盗マトリョシカ 伏見翔流 @Fushimi_Syouri
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