怪盗マトリョシカ
伏見翔流
第0話・Catch me if you can.
「
犯行は必ず夜間もしくは明け方に行われることが多く、必ず警備員の監視や警報機ひとつにも引っかかることなく侵入し、狙った獲物を盗み出す。犯行に気が付いた頃にはもう逃走を終えてしまっている。何処から入り、何処から抜けたかなど本人しか分かるまい。まさに神業である。
盗み出すものも、現金や資産家の所有物、芸術品といったものから、果ては車や兵器などと言った現実離れしたものまで多岐に渡っている。そのため、怪盗マトリョシカは個人ではなく、複数人による組織的犯罪なのではないかと推測する者も現れているが、いずれも真偽は闇の中である。
半ば未確認生命体(UMA)や都市伝説みたいな扱いを受けている人物だが、情報がゼロ、というわけではないようで、いくつか目撃情報や警視庁公安部が公開している情報が出回っている。
その情報によると、怪盗マトリョシカは身長一七〇センチほどで、体格は華奢でスラリとした細身。そのため、恐らく年齢は二十代前半か後半と推察されている。基本的には黒を基調とした服装が多く、最初に目撃された十月下旬から十一月上旬は灰色のスーツに黒のスラックス、髪の色は恐らく黒の長髪。顔には口髭を生やした男性のデザインの覆面を身に着けておりその素顔は不明。脚には金色のハイヒールを履いているという。
また余談だが、この「怪盗マトリョシカ」という名前は犯人が名乗った公式の名前ではなく、目撃者の証言による容姿が幾つものパターンがあることや、その掴みどころのない犯人像などをマトリョシカと重ねた警視庁が命名し、それをメディアが報道したことで知られるようになったコードネームのようなものである。海外では奇想天外な犯行手段や一度も手掛かりを掴まれていない点から、インターネット上で「Mr.Fantastic」と呼ばれている。従って、犯人に名前のようなものは最初からついていない。
そして今宵、またひとつ貴重品が盗まれた。
盗まれたのは超有名財閥・
絵画は正方形の額縁に納められており、全体の大きさは二メートル近くはある大きな絵画だった。しかしそれを盗まれた。一瞬にして。警備員の目も監視カメラにも、物陰ひとつ残さなかった。
三代目社長の
──────────「っていうのが、世間様が騒ぐ私の姿……」
月夜に照らされた高層ビルの屋上。満月の明かりは誰も彼もを分け隔てなく優しく照らしてくれる。その明かりは、神出鬼没の大怪盗にも、同じこと。
「さて……、今宵もスリリングで楽しい時間だったなぁ……」
私は顔を覆う面を取り払う。ここなら誰も私の素顔に出くわすことはない。封じられていた呼吸が解き放たれ、肺の奥に冷えて新鮮な夜風が流れてくる。このしんみりとした瞬間が、たまらなく好きだ。
そして鞄の中からプラスチックのグラスと赤ワインの瓶を取りだすと、グラスになみなみとワインを注いだ。黄金色に輝く月明りに、ワインの赤が混ざり合い、艶めかしく輝いている。
「この夜と〝怪盗マトリョシカ〟に、乾杯……」
私はグイッと一挙動に飲み干した。優しく喉を焦がすこのほろ苦さが美しい。緋と仕事を終えた後の味に相応しいと思う。
〝怪盗マトリョシカ〟と呼ばれている神出鬼没の大怪盗は、私の事だ。
本名は「
ま、そんな私が今、世間を騒がせている大怪盗に転生したってことなど、誰が知ることだろう。
どうして怪盗になったのか───────?
そんなの、大した理由なんかじゃない。事の発端だって、深夜の銀行の窃盗だった。
当時、行方不明になって数ヶ月目になった頃、たまたま宿泊していたネットカフェのパソコンで見つけた掲示板サイトでとある仕事の依頼を知った。それは長らく開いていない建物の鍵を、解体するために解錠して欲しいという内容だった。
成功報酬数万円。その輝いた餌に誘われた私は、まんまと銀行の窃盗に手を出した。そしてそこでの活躍を買われて、犯罪グループの一員として暗躍し、いくつもの犯罪に加担した。殺しや誘拐など、直接人が関わる犯罪に加担しなかったことが心の救いだったが、それでも何百件という窃盗事件に関与した。
そんな生活で大金を稼ぐ生活をしてから数年後、私の当時所属していた犯罪グループは警察に摘発され、私を除くメンバーは全員逮捕された。
それから私は独りで全国各地に逃げ回り、その先々で窃盗を繰り返し、いつしか世間から「怪盗マトリョシカ」と名前が付けられ、今に至っている。
と、ここまで語ったように、最初のキッカケだってチンケな窃盗の一件だった。それがここまでのことに育ってしまった。
あの日、ネットカフェで見つけた掲示板サイトの仕事に出会わなければ、私は数多くいる行方不明者のひとりのままだったのだろうか。
それは〝幸福〟と言うのか……?
はたまた〝不幸〟と言うのか……?
時々、自分の姿に迷いが生じる。今は誰の下でも動いていない。完全に自分の意思で〝怪盗マトリョシカ〟を演じている。それは誰かに強制されたことではない。全てのはじまりは、他でもない、自分自身なのだ。
「……悩んでも仕方ないね。もう、後戻りは出来ないんだから。今は世間様と開催した何億対一の禁断の鬼ごっこを、楽しもうか」
そう自分に言い聞かせ、私は二杯目のワインを飲んだ。月明りは今も枯れることなく、私の姿を照らしている。価値があるのかもわからない、
世間VS私。
勝負の行方はどうなるのだろう……。どんな結果に終わっても、私は、今と変わらない笑顔を、保てるのだろうか……。
前編(第0話)・完
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます