第1話ーー10年ぶりの君

それは偶然の再会だった。


仕事帰り、疲れた体に酒を流し込みたくて、ふらりと友人のやっているBARに立ち寄った。

この店は穴場だ。人も少なく、静かで落ち着ける。俺にとっては隠れ家みたいな場所。


いつものようにカウンターに腰を下ろし、友人と軽口を交わしながら酒を飲む。


ーーただ、一つだけ違った。


カウンターの端に座る女が、やけに気になったのだ。




綺麗な艶のある長い黒髪、真っ白な肌。

澄んだ茶色い目でジッと酒の入ったグラスを眺めてるその女。


昔の知り合いによく似ていた。



まさか、な…。



気になってずっと見てると、俺の視線に気がついたのかこっちを見てきた。



ーーーなんだ、本人じゃん。



ニヤリと笑った。


まさかな、なんて思ったけど。


俺が見間違えるわけない。


久々に心がざわついた。



「なぁ、涼香だろ?」


声をかけると、相変わらず無の表情でこっちを見てきた。



「誰‥?」


「誰って、元カレの顔も忘れたのかよ〜」



軽く冗談混じりにそう言うと、彼女はポツリと呟いた。



「蓮‥?」


「ピンポーン、正解!」



この女は夏目涼香なつめりょうか。


俺が高校時代、3ヶ月だけ付き合った元カノだ。


未練とかないけど、何故か忘れられない存在だった女。


もう会うことないだろうなーなんて思ってたら、まさかこんな場所で再会するだなんてな。



俺、ある意味ついてる!



「元気だった?」


「まぁ‥」


「何だよそれ〜。相変わらず釣れない奴だな」



昔と変わらない姿に俺は笑ってしまった。



本当、昔っから可愛げがないんだよなコイツ。


他の女は俺に甘えた声で近寄ってきたり、俺がフラフラするせいで泣いて怒鳴ったりしてきたのに涼香だけは違ったんだよな。


なんなら別れた時なんて、普段あんまり笑わない癖に「今までありがとう」ってその時だけ静かに笑ったっけ?


涼香だけだった、喧嘩別れしなかったは。


だから別れた後、少し寂しかったんだよな俺。

俺ってやっぱ必要じゃなかったんだろうな、なんて思ったりして。


大抵は俺がフラフラしてたせいで振り回して泣かせてばっかだったから拍子抜けだったと言うか。



それは今も変わんないけど。



「なぁ、俺さぁこの後暇なんだよねー」


「そうなんだ」


「だからさ、俺の家来る?」



相変わらず、無愛想だけど見た目だけは他の女に比べて格段に綺麗な涼香に俺は下心丸出しでそう言った。


ま、でも涼香がこんな誘いに乗るわけないかぁ。



「いいよ」



「だよな〜…は?」



何だって?



心臓が少し跳ねた。俺は一瞬、どう反応すればいいか分からなく、目を丸くしてしまった。



「何だって?」


「だから、良いよって言ってるの」


「マジか」



午後十一時。


部屋の中には、ほのかにアルコールと煙草の匂いが残っている。

ベッドの縁に腰をかけて、火のついたタバコをくゆらせた。


シーツの上では、涼香が静かな寝息を立てている。


たぶん、夢を見てるんだろう。

その表情は穏やかで、十年前の記憶と重なった。


正直、今でも信じられない。


理性なんてとうに吹き飛んで、気づいたら彼女を抱きしめていた。


けど、これは本当に“嬉しい”のか、

それとも、ただ“寂しさ”を埋めただけなのか。


そんなことを考えている自分に、少し驚いた。


寝返りを打つ涼香の髪が、俺の指先に触れた。


あぁ、そうだ。

俺、昔からこの髪を撫でるのが好きだったんだよな——。


ーー翌朝ーー


「……なんっでだよ!!」


朝から俺はムカつきながら、枕元に置かれていた置き手紙を握りつぶした。


その理由はもちろん、隣にいたはずの女のせいだ。


『お邪魔しました』


たったそれだけ。

きれいな字で書かれた短い一文。


まるで、割り切ってますよとでも言いたげな筆跡だった。


余計に、胸の奥がざわついた。


床に脱ぎ捨てたはずの服も、彼女の香りも、全部きれいに消えている。


「……何なんだよ、あいつ」


思わず独り言が漏れる。


連絡先も聞きそびれた。

どこに住んでるのかも知らない。


ほんの気まぐれで誘ったつもりだった。

なのに、置いていかれたのは結局、俺の方だった。


シーツのしわをぼんやり見つめながら、

ふと笑えてきた。


ーー置いていかれるのは、いつも俺だ。



「なにイラついてんだよ〜」


「別にイラついてねぇよ!!」


その夜、俺はまたあのBARへ行って、

タバコを吸いながらウイスキーを飲んでいた。


カウンターの向こうで、友人がケタケタ笑っている。


「お持ち帰り、失敗したのか?」


「してねぇよ。……してないけど」


「は?どっちだよ」


「朝起きたら、いなくなってた」


そう言うと、友人はぷっと吹き出した。


「うわ、蓮が寂しがってる!」


「うるせぇ!!」


「てかあの子、本当に元カノなのか? スッゲェ綺麗だったじゃん。

いくらお前でも、あんな子無理だろ」


「元カノだわ!……三ヶ月しか付き合ってねぇけど」


「それ、付き合ってたって言わねぇよ」


「うるさいって!」


なんで俺がこんな茶化されなきゃいけねぇんだよ。


「あー、くそ……」


吐き出した煙が、店の照明の下でゆらゆらと消えていく。


俺だってわかんねぇよ。

なんであいつのこと、こんなに気にしてんのか。


別れたとき、未練なんてなかったはずなのに。


……はず、だったのに。



「珍しいよな〜。蓮って、ここに二日連続で来ることまずないし」


「……何が言いたいんだよ?」


「別に〜」


からかうような口調に、カチンときた。


絶対、俺が何しに来たかわかってるくせに。


「俺もさ、あの子、初めて見たんだよね」


「え、そうなの?」


「おう。ずっと通ってるけど、あんな綺麗な子いたら覚えてるって。

……たぶん、誰かに狙われてんじゃね?」


そう言われて、胸の奥がざらついた。


あいつ、高校のときからそうだった。

告白されたことは少なかったけど、

本人が“近寄りがたい”だけで、

いつだって周りの目を惹いていた。


「可愛いよなー」「美人だよなー」


そんな声が、今でも耳に残ってる。


「また来たら、教えてやろっか?」


「……うん」


引くくらい、

自分でも涼香に会いたいと思っている自分がいた。


涼香と再会して、もう二週間が経った。


仕事もあるから毎日は行けないけど、BARには時々通っている。


通勤の途中でも、街を歩く人たちを無意識に探してしまう。


……だけど、どこにもいない。


まるで幻だったみたいに。


「はぁ……」


「市原先生、何ため息ついてるの! ほら、患者さん入れるわよ!」


「あ、すいません」


昼下がりの診療室。


俺の職業は、まさかの歯科医師。

理由は単純——代々医者の家系に生まれたからだ。


市原家の中では落ちこぼれ。

医者にはなれず、歯科の道に進んだ。

今は研修医として、毎日走り回っている。


やりがいはある。けど、正直、メンタルはすり減る。


患者には「タバコは歯周病の原因になりますからね〜」なんて言っておきながら、

自分は相変わらず手放せない。


涼香のことがあって、最近は本数も倍増。


ベテランの衛生士に「しっかりしなさい!」と喝を入れられる日々。


「のあちゃーん、中にどうぞ〜」


衛生士が患者を呼び入れ、俺は慌てて気を引き締めた。


医者モード、オン。


にっこり笑って、診察台へと向かう。


——そして。


「え……」


目を疑った。


四歳くらいの女の子の隣に、

俺がずっと探していた涼香が立っていた。




「……」


さすがの涼香も、俺の姿を見て目を丸くしていた。


「……先生?」


「はっ!? こ、こんにちは〜、のあちゃん!」


——な、なんだこれ。どういう状況!?


頭が真っ白になった。


え、子ども!?


カルテを確認すると、【夏目 希空(のあ)】、4歳。


艶のあるまつげ、くりっとした目。

どう見ても、涼香に似ている。


大きくなったら、きっと美人になる。


「のあちゃん、今日歯みがきしてきた?」


「うん、パパとしてきたー!」


……パパ!?


——ガーン。


頭の中で鐘が鳴り響いた。


(まさか……結婚してたのか?

だから、あの夜もあっさり帰ったのか!?)


チラッと涼香を見る。


一瞬、驚いた顔をしてたくせに、

今はもういつもの“無”の表情に戻っていた。


……なんなんだよその余裕。

余計に不安になるだろ。


「先生? だいじょうぶ??」


「はっ!? あ、うん、ごめんごめん」


いかん、このままじゃ仕事にならん。


とにかく“先生モード”を取り戻さなきゃ。


俺は幼稚園の先生ばりの笑顔で言った。


「じゃあ今日は、バイキンマン退治、がんばろうね〜!」


「うんっ!!」


……誰か俺の心のバイキンマンも、マジで退治してくれ。


なんとか虫歯の治療を終わらせ、

涼香に向かって、他人行儀に写真を見せながら説明した。


「ここに虫歯があったんで、削って、プラスチックの材料で詰めてますね〜」


……辛い。誰か俺を殺してくれ。


この距離、この沈黙、この空気。しんどすぎる。


「のあちゃん、頑張ったね!」


「うんっ!」


おばちゃん衛生士が、希空ちゃんを褒める。


「お母さんからご褒美、もらえるんじゃない?」


そう言って、ちらっと涼香の方を見る。


(ぐはっ……)


その何気ない視線に、俺の心はまたズタズタにされた。


「ママじゃないよ?」


「へ?」


誰よりも早く反応してしまったのは、俺だった。


「ママじゃない?」


「リョウちゃん、パパのおねーちゃんだよ?」


……姪っ子!?


「は、ははっ……」


マジかよ。


嬉しさのあまり、顔が勝手にニヤけていく。


「そうだったんだ〜」


言葉がうわの空だ。

抑えようにも抑えきれない。

頬が緩みっぱなしで、ヤバい。


診療室じゃなければ、

間違いなく飛び跳ねてガッツポーズしてた。


——嬉しすぎる。


生きててよかった。マジで。


涼香と希空ちゃんが診療室を出ようとしたとき、

俺は誰も見ていない隙を見計らって、

ワゴンの上のメモ帳を破り、携帯番号とLINEのIDを書いた紙をそっと涼香の手に滑り込ませた。


まるで学生時代に戻ったみたいな、くだらない緊張。


俺は嬉しくて仕方がなかった。


……けど。


涼香は紙をチラッと見ただけで、

何も言わずにポケットへ突っ込んだ。


そして、冷ややかな目で俺を見る。


すぐに視線を外して、何も言わずに去っていった。


(……ま、また会えたし? いいじゃん?)


無理やりな言い訳が、心の中でループした。


ーーー普通に、会えてなければ連絡すら来ない。



あれから三日。


涼香からは、一通のメッセージも来ない。


……あいつ、本当にワンナイトのつもりだったのか。


ありえねぇ。


俺はいつも“追われる側”だった。


惚れられて、振り回して、泣かせる。

それがパターンだったのに。


今は——虚しい。


虚しいのに、ムカつく。


そして、もっとムカつくのは……


「会いてぇ」と思ってる自分だ。



仕事帰りの夜。


また街を歩いていた。


無意識に人混みを見渡す。

誰を探してるかなんて、分かってるくせに。


「もう……会えないのかな」


ポツリと呟いたそのとき——


「離してください」


聞き覚えのある声。


反射的に顔を上げる。


「……涼香?」


いた。


俺がずっと探してた女が、そこにいた。


けど——その腕を、髭面の男が掴んでいた。

ニヤついた顔で、しつこく話しかけている。


(何してんだ、あいつ……)


相変わらず、涼香は動じない。

スパッと拒絶して、きっぱりとした口調で男を突き放す。


その姿を見て、

「ほんっと可愛げのない奴だな」と思いながら——


気づいたら、体が動いていた。


駆け寄って、涼香の腕を引き寄せる。

そのまま抱き寄せた。


「え……」


涼香が、珍しく目を丸くする。


男も、俺を見て一瞬たじろいだ。


「何か、彼女に用でも?」


俺はにこやかに言った。


でも、目は笑ってなかった。


「な、何でもない!!」


男はそう叫んで、逃げるように去っていった。


「何なんだ、あいつ……」


高嶺の花の涼香様でも、あんな髭面のオヤジにナンパされるんだな。


……って、感心してる場合かよ。


「ありがとう」


そっけなくそう言って、涼香は俺の腕からすり抜けた。


ほんっっとうに、可愛くない奴だな。


少しくらい、怖がった顔見せてもいいだろ。

……って思ったのに――


ふと視線を落とすと、涼香の指先がプルプル震えてた。


「怖かったの……?」


聞くと、涼香はすぐに顔をそむけた。


「別に」


「何だよ、素直に“怖かった”って言えばいいのに」


「そんなんじゃない。ただ、びっくりしただけ」


俺はつい、クスッと笑ってしまった。


ふいっと前を向いて歩き出す涼香。

俺も自然とその横を歩く。


「……何?」


「ん?別に〜。送ってるだけ」


「送らなくていいよ」


「俺がしたいからしてんの〜」


口元が緩む。

久しぶりに、心がふわっと温かくなった気がした。


懐かしい。

本当に、懐かしい。


高校の時も、こんな風に――

本を読みながら黙って歩く涼香の隣で、

俺は鼻歌を歌って歩いてた。


あの頃と、何も変わってない気がして。

でも、全然違ってしまった気もして。


それでも今、この時間が――

やけに心地良かった。



「蓮って、歯医者だったんだね」


「んー?まぁ。俺の家医者の家系だからね」


「そうだったんだ」



そう言えば涼香には話したことなかったっけ?



「結構有名だったけどな俺」


「そう言うのあんまり興味なかったから」


「ふーん、そっか!」



そこがまた良いんだよな涼香って。


周りに影響されなくて、自分の軸がある所。



「涼香って今何の仕事してんの?」


「普通にOL」


「わは!めちゃ想像できる!」


「蓮は意外すぎるよ。歯医者のくせにタバコ吸って良いの?」


「仕方ない、依存にはかなわないからな〜」


「呆れた」



涼香の家までの帰り道、何気なく話した世間話。


俺にはそれがとても嬉しい事だった。


今まで付き合ってた女とはこんな話した事なかったから。


なんならあんまり興味もなかった。



だけど、涼香の話はとても気になって知る度に嬉しかった。




煉瓦造りの今時風のアパートに辿り着き、ピタリと足が止まった。



「家ここだから」


「おう」


「ありがとう」


「待てよ」


涼香が振り返った。



「俺、お礼もらってないんだけど?」


「は?」


ポカンと口を開けたままの涼香に、俺は言った。


「スマホ、出せ」


「は?」


「いいから」


涼香が戸惑いながらスマホを差し出すと、

俺は自分の番号とLINEを登録して、にやっと笑った。


「はい、登録完了」


「……何?」


「また会おうな、涼香」


そう言って、頭を軽くぐしゃっと撫でた。


キスのひとつでもしたかったけど、

たぶんそんなことしたら、また冷たい目で見られるんだろうな。


……それでもいい。


これで涼香との繋がりは持てた。

あいつはもう、俺を完全には切れない。


ずるいのは分かってる。

でも、連絡くらいしても――いいだろ。


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2番目の恋人 るか @hkr_0729

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