第2話 夜に現れた人

 ◇公爵令嬢セリア視点◇

 

 ――賊の手口は、あまりにも巧妙だった。

 まるで知っていたかのように護衛の間隙を突き、私を攫った。

 口を塞がれ、視界を奪われ、足元の感覚さえ曖昧になる。

 気づけば、私は馬車の中に押し込められていた。

 縄のきつさと揺れが、確かに現実だと告げていた。


 逃げようにも、腕は縛られ、声も出せない。

 ――ああ、もう駄目かもしれない。

 そんな諦めが胸を満たし、涙となって溢れたその瞬間。


 夜気を裂くように、金属の音が響いた。

 数度の金属のぶつかり合う音、低いうめき声を最後に静寂が訪れた。


 どれだけ経っただろうか。


 扉の開く音、目隠しを外され月明かりがに目がくらむ。

 今日は満月であったなと、取り留めのないことを考えられる程には、不思議に落ち

 着いていた。


 黒衣の剣士は私に静かに囁いた。


 「怖がるな。」


 低く、落ち着いた声。

 感謝を述べ、名を問おうと目をあげたときにはもう、その姿は夜の闇に溶けてい

 た。


 残されたのは、切れた縄と、黒い羽のような布切れだけ。

 そのどこか馴染みのある手触りが、あの出来事が夢ではないと告げていた。


 ◇


「セリア様、本当に本日から登校なさるのですか?」

 侍女がそう心配そうに言ったとき、私は鏡の前で微笑んで見せた。

「ええ、怯えていても仕方ないもの……。護衛を増やすという話で、お父さまも渋々承諾してくれたわ。」


 王立アルセリア学園――貴族と平民が共に学ぶこの学び舎で、私は“公爵家の令嬢”というだけで何かと注目を浴びてきた。

 けれど、今日のざわめきはいつもと少し違う。

 校門をくぐった瞬間、耳に飛び込んできたのは、まさに昨夜の出来事を思わせる噂だった。


「また、黒衣の剣士が現れたんだとさ。下手な噂を立てたものだよな。」

「公爵家のセリア嬢を助けたとかも言われているぞ。本気で信じてる奴なんているのか?」

「いや、そもそも誘拐自体、嘘に決まってるだろう。」


 ――やっぱり、誰も信じていない。


 私は黙って歩を進めた。誰も知らなくていい。あの人のことは。

 けれど、心の奥で、どうしようもなく知りたくなる。

 “あの人”が誰なのか。どこにいるのか。


 そしてもう一度、あの声を――いや、沈黙の優しさを感じたかった。


 ◇


 放課後、私は学園の近くの住宅街にいた。

 護衛に無理を言ってまで来たのには理由がある。

 昨夜、助けられたときに見たあの黒い布――今、手の中で静かに握りしめている。


「セリア様、その布は?」

 小声で問いかけるのは、幼い頃から仕えてくれている侍女のマリナだ。


「内緒よ。……でも、この布の持ち主を見つけたいの」

「まさか、例の“黒衣の剣士”の……」

「かもしれないわ」


 冗談めかして笑ってみせたけれど、胸の奥は冷たく締めつけられる。

 だって、あの人がいなければ、私はもう――。


 そのときだった。風がひとすじ、木々の間を駆け抜ける。

 そして、ふわりと黒い羽のような布が舞い落ちた。


「……え?」


 見覚えのあるそれに思考が数舜とまる。だがそれはあり得ないことで……

 

「黒衣の剣士様の外套?」

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夢遊病の俺が、知らぬ間に“夜の英雄”と呼ばれていました ロッテ零式 @xdj

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