夢遊病の俺が、知らぬ間に“夜の英雄”と呼ばれていました

ロッテ零式

第1話 黒衣の夢

夜の王都リスフィアは、静かで、どこか息を潜めていた。

 灯りの落ちた通りを、月光だけが淡く照らしている。


 だが、その闇の奥で、ひとつの影が舞っていた。


 黒衣を翻し、剣を抜く音がした。

 地を裂くような衝撃。鉄と鉄がぶつかり、閃光が散る。


 黒い外套の男――いや、それは外套ではなかった。

 月光に照らされた布地は、どこか見覚えのある質感だった。

 しわくちゃの……シーツ。


 剣が振るわれるたび、風が唸り、鎧が粉砕される。

 倒れ伏した賊たちの向こう、縄で縛られた少女が震えていた。

 長い金髪に薄紫の瞳。高貴なその面影には、誰もが知る“公爵家の令嬢”の印があった。


「怖がるな。」

 黒衣の男は、短くそう告げて剣を収めた。

 その声は、低く、穏やかで、どこか眠たげだった。


 ――そして彼は、ふっと消えた。


 少女が顔を上げたとき、そこにはただ、夜風に揺れるシーツの切れ端だけが残っていた。


 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 


 朝。


「……うわ、寝不足だ……」


 ネミは、目をこすりながらベッドの上で伸びをした。

 寝間着はよれよれ。机の上には、乾いた血のような赤い染みがついたシーツが一枚。


「鼻血でも出したのか? 最近夢見悪いなぁ……」


 ぼんやりとした頭でそれを丸め、魔道具である洗濯器に放り込む。

 外からは、王都の喧騒と共に――

 「黒衣の剣士、また賊を討ったらしいぞ!」という噂が聞こえてきた。


 ネミはあくびをしながらつぶやく。

「へぇ、物騒だな……。俺も寝てばっかりいないで少しは運動でも――」


 そう言って窓辺にかけた黒いシーツが、風にひらめいた。

 まるで“剣を抜いた影”のように。


 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 


 王都リスフィアの朝は、夜よりも賑やかだ。

 露店ではパンの焼ける香り、魔導車のエンジン音、学生たちの喧騒。

 ネミはその人混みの中を、少し俯き気味に歩いていた。


「……ついに今日から、学園生活かぁ」

 肩にかけた鞄がやけに重く感じる。中身は教本と……昨夜の寝不足。


 王立アルセリア学園――

 剣士・魔導士・学者・貴族子弟まで、多くの若者が集う総合学園だ。

 卒業時に授与される「紋章資格」は、王国で生きるための名刺にも等しい。


 ――つまりここで目立てば、人生が変わる。

 そんな場所に、“冴えない一般市民”のネミが通うというのも奇跡に近かった。


「推薦試験ギリギリ通過、か……。俺、ほんとによく受かったよな」

 苦笑いしながら門をくぐる。


 整然と並ぶ石畳、広がる芝生、中央塔には“マナの結晶”が輝く。

 入学初日の朝礼にはすでに多くの新入生が集まっており、制服の色で所属科が分かれているのが一目でわかる。

 剣士科は青、魔導科は白、そしてネミの一般科は灰色。


「灰色か……。ま、俺っぽいよな」


 そんな独り言をつぶやいていると、不意に視界の端に金髪が揺れた。


 整った横顔、どこか気品を感じさせる立ち姿。

 昨日の夜、夢の中で助けた“あの少女”に酷似していた。


(……え、まさか? いやいや、偶然だろ)


 その瞬間、彼女がこちらを振り向く。

 紫の瞳が、一瞬だけネミの瞳をとらえた。

 だがすぐに、視線を逸らして取り巻きの貴族生徒たちと談笑を始める。


それをぼんやり眺めていると背後でひときわ弾んだ声が上がる。


「公爵家のセリア嬢だよあれ! あの人、ほんとに綺麗だよな~!」

「でもさ、昨日の“誘拐”の噂、あれ笑えるよな。公爵令嬢がさらわれるわけないじゃん」

「そうそう。それに“黒衣の剣士”とか、誰が信じるんだよ。おとぎ話かっての」


 小さな笑いが起こり、すぐに別の話題に流れていく。


 ――まさか、な。


 講堂の鐘が鳴る。入学式の開始を告げる音だ。

 ネミは深呼吸をして列に並ぶ。

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