10.素敵な夜



ー2177年8月10日AM10:00ー



"コンコンッ"


──私はいま、32階の咲楽さんの部屋の前にいる。


咲楽さんのドアの隣は、空いたビール瓶でタワーアートが創られている。

お陰ですぐ分かったが、どこまでも独創的な人だ。


確かに、32階から捨てに行くのは大変だろうな。


『はーい』


──中から、声が聞こえた。


『あら、先生!おはよ〜!どうしたの?デートのお誘い?』


咲楽が、大悟を茶化す。


『おはようございます。まあ、そんな感じです。よければ今夜、日が暮れた辺りに、また屋上で一緒に飲みませんか?』


『なーんだ、今から連れ出されると思ったのに、今夜か。うん、良いよ‼︎ビール持っていくね〜!晩御飯どうしようか?』


『ありがとうございます。今日はお酒もご飯は私が用意するので、手ぶらで来て頂けると嬉しいです。』


『えー、先生が用意してくれるの〜?なんだろー?わかった!楽しみにしてるね‼︎またねー!』


『はい、また今夜。日が暮れたら、咲楽さんのタイミングで来てください。』


──咲楽さんは、笑顔で手を振りながら扉を閉めた。

ノーメイクの彼女も、可愛いらしい。


とてもほっこりした。


これで今夜の約束は確定したし、あとは蓮司のお店に行って、下準備をするだけだ。


私も、部屋に戻って少し休もう。


私は咲楽さん作の瓶ビールタワーアートを、もう1度眺めながら、少しご機嫌な足取りで部屋に戻った。


ー2177年8月10日PM3:15ー


"コンコンッ"


──咲楽さんを尋ねた後、部屋に戻り、

持ってきていた本を読んでいた。


誰かが、私の扉をノックしている。


『はい?』


──私が扉を開けると、管理人が立っていた。


『よぉ、兄ちゃん!1階にお客さんが来てるぜ。』


『お客さん?どなたでしょうか?』


──管理人が、真顔で答える。


『さぁ、そりゃ1階に行って確認しな。あんた、なんかいけないことでもしたのかい?』


『心あたりがありませんが、とりあえず向かいます。』


──誰だろう?この前のチンピラが尾行して居場所を、突き止めたのだろうか、それとも甲屋グループ関係か?


甲屋グループが、すぐにここを突き止めるとは考えにくいが、だとしてもなぜ今さらという疑問もある。

記憶がない部分に何か問題でもあるのだろうか。


管理人と軽く会話をしながら、

あれこれ考えているうちに1階についた。


『よお、旦那。急に悪いな。』


──1階にいたのは、蓮司だった。


『おお、蓮司。どうしました?』


『買い物リストの品を買ってきたんだが、旦那がどこにどうやって運ぶか気になったんでな。町の新しいやつは、悟さんに大体絡まれるから、なんか知らねぇか聞いてみたら、ここに泊まってるって言ってたから来たんだ。ご希望なら、運ぶの手伝うぜ。ありがとよ。近藤さん。』


『いいよ!蓮司ちゃん。どうだい?兄ちゃん、驚いたろ?ガハハハッ!』


──まったく。ここの管理人は、冗談がお好きなようだ。

近藤さんというのか。覚えておこう。

それにしても、悟さんを使って、ここまで届けにくる蓮司の仕事ぶりには、相変わらず感心させられる。


『さすがです。とても助かります。では、手伝ってくれますか?場所はここで大丈夫なので、一緒に荷物降ろしましょうか。』


──蓮司が、管理人のテーブルの灰皿でタバコの火を消し、動き出す。


『なら、話が早くて助かるぜ。んじゃ、早速降そうか。』


大悟と蓮司は車から荷物を降ろしだす。


『おや、椅子やテーブルまで。確かに必要なりそうです。記入してなかったですね。わざわざ、持ってきてくれたんですか?』


『何というか、買い物リスト揃えてたんだがな。椅子やテーブルがないのに、気づいたんだ。んで、俺が女とバーベキューするなら、あったほうが気が利くし、便利だと思って用意しておいたんだ。ほら。屋上でやるなら、風強かった時のためのブラケットもあるぜ。旦那がいらないって言っても、あって困るようなもんでもないしな。俺の推理合ってたかい?』


──やはり、蓮司は仕事が出来すぎる。買い物しながら、先を予測して私のミスを補うなんて、昔の部下以上に素晴らしい。彼が色んな経験をして、いまの地位があることを昨日からひしひしと感じる。彼と出会えたことが、本当に嬉しい。彼が、普通の社会で活躍していたらと思うと...。


いや、考えるのはよそう。


『とても助かりました。ありがとうございます。テーブルや椅子など他にも、私が忘れていました。これで相手も私も、快適にバーベキューを楽しむことができそうです。それにしても、先を予測して仕事するのが、蓮司のスタイルなのですか?』


『いや、これは旦那のおかげだ。初めて会ったときも、昨日も話していて思ったのは、旦那は"相手の立場になって考える"ことで、相手と交渉したり、追い詰めたりするだろ?敵を知り己を知ればってのも、そのためのものだと思ったんだ。だから、俺も旦那の立場になってバーベキューするなら、何が必要か考えてみただけだよ。あと旦那は、まだこの街に来たばかりだから、そんなに道具が揃ってないと思ってな。相手の良いところは、すぐに盗んで実践するのが、俺の仕事のスタイルだな。』


大悟は、エレベーターのボタンを押し、とても感心していた。


『蓮司は、やっぱり私の見込んだ通りです。かつての部下たちも、あなたには敵いません。やはり、昨日支払った料金は、適正価格でした。ありがとうございます。』


『まあ、後は金に余裕があったから、自由に動けたってのもデカいな。結局は、旦那なしじゃこんなに動けてないってことよ。お互い様だ。』


──彼とこれからどんな風に関わろうか、どんな話をしようか、想像しながら準備を進めた。


『よし、これでひとまず終わりだな。俺は、この後も仕事があるから戻るぜ。じゃあ、旦那楽しんでな。』


『ありがとうございます。蓮司のお陰で助かりました。蓮司なら、仕事は上手くやれるでしょうし、応援はいりませんよね。そのかわり、資料が出来たら、派手に食べて飲みましょう。いってらっしゃい。』


──こうして、私は蓮司と別れた。

蓮司のお陰で、余裕ができた。

下準備をしよう。


夕方までだいぶ時間はある。



ー2177年8月10日PM7:15ー


──下準備を終え、私はハーブとスパイスと3種類の塩で味付けをしたブロック肉を、アルミで巻き、低温でじっくり火を通している最中だ。


屋上は、さすがに風が強いので、壁側の風が弱くなるところで、ひっそりと焼いている。


ビールは、料理中も美味しく飲めるものだと初めて知り、最高潮に満ちた月が登ってくるのを眺めながら、微笑んでいる。


より味覚を研ぎ澄ませるために、筋トレもした。


運動後のアルコールは良くないが、

いまはそんなこと関係ない。


ビールが、疲れた身体に染み渡る。


前に近藤さんが言っていた、"良い人間は、良いビールを飲む"という言葉を、なぜか思い出し、気分も良い。


咲楽さんが、来るのが待ち遠しい。


今日の会話は、どんな風になるだろう。

彼女が食材を頬張る姿と、目の前でじっくりと火が通っていく肉、準備した食材を眺めながら、私は1人先に始めすぎているようだ。


私は、もう1つある普通の温度で焼くためのバーベキューコンロの炭の様子を確認しながら、頭の中でジプシージャズを流していた。


『ごめん!お待たせ〜!すごい良い匂いする!バーベキューじゃん!先生、ほんとに用意してくれたの?』


──咲楽さんが、驚きながら髪を耳にかけて私を見る。


『こんばんは。はい、ちょうどタイミングよく食材や機材を用意できたのと、今日はとても綺麗な満月なので、また咲楽さんと屋上に来たくなりました。』


『先生は、ロマンチックで用意周到だね〜!でも、先に飲んでてずるい!私も飲もー!』


──そういって、咲楽さんはアイスボックスから瓶ビールを取り出した。


『先生、乾杯!何から焼いてくれるの〜?』


『乾杯。まずは、旬のとうもろこしがあるので、早めに火を通したいのですが、生でも美味しいんです。食べてみますか?』


──私がそういうと、咲楽さんはすぐにとうもろこしを手に取りかぶりついた。

夏休みの少女のようで、その姿が月に照らされ、とても眩しい。


『んー、甘い!シャキシャキ!最高!今日、1日何も食べなくて正解だった!先生のバーベキュー、私の人生で1番楽しい!』


『まだ、始まったばかりですよ。これから、もっと美味しいものあるので、ゆっくり楽しみましょう。何も食べずに楽しみにしてくれていて、僕も用意した甲斐がありました。』


咲楽が急かすように、大悟に言う。


『ゆっくりなんてしてられないよ!早く焼こう!どれも新鮮で美味しそう!これ、全部有機野菜だし、肉も放牧とか上で出回ってる高級なやつでしょ?わざわざ買ってきたの?』


『いえ、買い出しを依頼して取り揃えて貰ったんです。お陰で今日は、快適なバーベキューができるようになりました。』


咲楽さんがナスを取り出し、網に置きながら話す。


『なるほどね!先生は、もうこの町にだいぶ馴染めたんだね!こんな用意もできるなんて、さすが甲屋グループの元御曹司だね!ビールが進む‼︎』


『私じゃなくて、仕事をしてくれた方が優秀なんです。おっ、ナスからですか。私も食べたかったです。ナスは火を通すとき、水分を吸うので、残りのナスはブロック肉焼けたあと、アルミホイルを再利用して肉から出た脂を吸わせて、食べてみませんか?』


咲楽が、ビールを飲みながら感激して大悟を見る。


『何それ!めっちゃ美味しそう‼︎先生は、私の胃袋掴んでどうする気〜?そんな美味しいものばっかり提案してたら、毎日焼かせるよ!』


『毎日ですか。でも、喜んでもらえて嬉しいです。他にも、咲楽さんが焼きたいものどんどん焼いてください。』


──咲楽さんが、次何を焼くか選んでいる姿は無邪気で明るく、選ばれた食材もそれに呼応して美味しくなりそうだ。


『えー、選べないよ!先生選んで!先生のコース料理が食べたい!それか次は、この太陽光パネルくらい大きなコンロ用意して!そしたら、全部のせれるじゃん‼︎』


──そんな彼女の独創的な発想が、この夜を更に彩る。


『ははっ、欲張りな咲楽さんも嫌いじゃないです。なら、キノコ類は比較的に火が通りやすいので先に焼いちゃいましょう。この人参も、アルミホイルで巻いてじっくりローストすると葉までパリパリで甘くなって最高です。』


──私は、そういってコンロの上を埋めていった。

今日も長くて甘い素敵な夜になりそうだ。


ー2177年8月10日PM9:40ー


──私たちのバーベキューは、まだ続いている。

私も咲楽さんもご飯を抜いていたので、箸もお酒も会話も止まらなかった。


『このステーキ、火の通り具合最高だし、先生はバーベキューでミシュラン取れちゃうよ!ワインにもビールにも合うなんてズルい‼︎何でもっと早くバーベキューしてくれなかったの?』


──相変わらず悪戯っぽい冗談が上手で、私の心は彼女手のひらの上で遊ばれている。


『もっと早く出会えていれば、もっと一緒に楽しめてましたね。でも、今日だから私は、楽しいと思ってます。咲楽さんのジョークと、天真爛漫で無邪気な姿のお陰で"素敵な夜"を過ごせてます。』


『先生は、本当に人を褒めるのが上手いよね!でもね...、』


咲楽がワインを一口飲み、少し間をあけた。


そして、儚げに空を眺めながら話し出す。


『先生はよく素敵って言葉を使ってくれて、わたしも言われると、とても嬉しい気持ちになるの。だけど、素敵って元は当て字かもしれないけど"素の敵"って書くじゃん?私がドレスで着飾ってて"素敵だね"って言われたとしたら、嬉しいんだけど、ドレスのことしか見てないような気がして寂しくもなるんだよね。この字考えた人の悪戯に思ったりするの。先生はどういう意味で素敵って言うの?』


──私は、咲楽さんの儚げな顔を見ながら、少し微笑み答えた。


『確かに、咲楽さんの言う通り"素の敵"と捉えることもできると思います。人はTPOに合わせて着飾ったり、仮面を被ったり、社会を生き抜くために、自分を華やかに魅せるときがあるでしょう。確かにそういった場面では、素の敵と捉えることになると思います。私は、それを素敵と表現することもあります。でも、私が咲楽さんの無邪気で天真爛漫で、少女のような姿のときも、素敵だと思うことが多いです。そういう場合は、やっぱり"素には敵わない"と思って、咲楽さんに素敵だと伝えています。私はこの2面性を兼ね備えた素敵という言葉は、とても秀逸で日本語の美しさを感じます。』


咲楽が大悟をじっと見つめ、微笑んだ。


『先生の答え、とても素敵だね。何だか...酔っちゃった。飲みすぎたかな?』


──月明かりに照らされた咲楽さんの顔が、赤く火照ってるように見えた。

その穏やかで愛くるしい表情が、私の心に焼きつく。


『お水ありますよ。飲みますか?』


『ううん、大丈夫。』


──そう言うと、咲楽さんが近づき、私を抱きしめた。


『咲楽さん?』


『ごめんね。ダメだってわかってるけど、先生は酷いよ。キザな台詞でキザだと思わせないんだもん。ちょっとだけこうしてたいの。』


──私は少し戸惑ったが、彼女の温もりや香り、そして、彼女の思いが、私を動かし、いつの間にか彼女を腕で包んでいた。


『先生。このまま誰もいない、誰も私たちのことを知らない遠い場所に2人で行かない?』


──彼女の涙が、私の袖を濡らしている。

どうして泣くのか、わかっていても言葉にしたくない。

このまま時が止まってほしいなんて、星に願うのは愚かなのかもしれないが、いまは少しだけ真剣に望んでいる。


『咲楽さん、すみません。咲楽さんと過ごす時間が、とても愉快で温かくて、何も考えずに言葉を...』


『今はもう何も言わないで。先生。もう少しだけこうしてたいの。』


──私は言い訳をしようとしていた。

いまは、咲楽さんの気持ちと私の気持ち。


2人の気持ちを、しっかりと受け止めなければいけない。


指を見るのはもうよそう。


月が静かに私たち2人を見つめ、照らしている。


彼女を包み込む力が、少しずつ強くなっていく。


私の中で、はくちょうがベガとアルタイルの間を通り抜ける。


素敵な夜は、まだ続いている。

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