その少女は魔法士と料理番の輪舞曲に舞う

詠月 紫彩

その少女は魔法士と料理番の輪舞曲に舞う

エリアナへ

 絵に描いたような白い塔で

 凛と時に柔らかく高らかに

 あっと驚く日常は翼を広げて

 涙の過去は青い空の彼方に飛び去り

 辺境の古い塔が私の故郷になったの



 身ぎれいな服。

 美味しい食事。

 安心できる家。

 憧れの、本当だったら生きる上で当たり前なはずの生活。

 けれど――それは私にとっては夢でしか見たことのないもの。

 どれだけ手を伸ばしても届かない、月や星のようだと思っていた日々。

 貧しくて、着替えることもできなければ、美味しい食事にありつくのも難しい。

 ほんの少し前までは、いつ崩れ落ちるか分からないあばら家に住んでいた。

 名前すらなかった、そんな過去の私へ。

 古い塔だけど、そこで今の私は幸せに暮らしています。

 貧しくなくて、着替えもできて、美味しいご飯も食べています。

 だから安心してね。


「エリー! 魔法の修行を始めるわよ!」

「エリー! 魔法よりも先に飯だ、飯!」


 私の魔法の師匠であるリタ師匠と、この塔で料理番をしているシンさんの声。

 今日も同時にパイプを通って私の部屋に響いた。

 二人に拾われて半年。

 まだまだ慣れないことばかりだけど。


「はーい! 先にご飯食べてから魔法の修行を始めます!」


 そう私が答えたらまた二人がパイプ越しに言い合いを始めた。


「先に言ったのは私よ!? この塔の主は私なんだから!」

「関係ねぇよ! 飯が先だ! テメーとっとと降りてきて食っちまえ! あ、エリーはゆっくりでいいからな」

「今日の朝ごはんは何よ? 私は今日はご飯とお味噌汁、出汁巻き卵に焼き魚、お漬物じゃないと嫌よ!? 納豆に海苔もつけて」

「我儘言いやがって! きっちり用意してらぁ!」


 一瞬、声が途切れた。

 直後にまたリタ師匠とシンさんの声が下の階から聞こえた。


「とっとと食って、魔法使うなら魔力の補充してからやりやがれ! この魔法狂いが」

「喜んで食べてあげるわよ。この料理狂いが。……悔しいけど、今日も美味しいわね!」


 これも毎日のこと。

 やっと慣れた。

 リタ師匠もすごいけれど、そのリタ師匠の気分とご飯の好みに合わせていつも何でも用意してるシンさんもすごい人。

 身支度を整えながらそう思う。

 寝る前に、リタ師匠にお手入れをしてもらってから髪の調子がいい。

 前は好き勝手な方向を見ていた赤毛がすっかり大人しくなった。

 リタ師匠に教えて貰ってから覚えた髪型。

 いつものように左右に分けて三つ編みにする。

 今日着るのは……赤茶色のワンピース。

 夕日の光を少し褪せさせたような、やわらかな赤茶色のワンピース。

 それが私のお気に入り。

 リタ師匠が、似合うから、と買ってくれたもの。

 ワンピースに着替えていると不意に思い出す。


「あぁ、赤毛の、アン……!」


 最初にこのワンピースを着た時のこと。

 リタ師匠が私を見てすぐに鼻から口を手で覆って倒れたことがあった。

 シンさんは呆れてた。

 どうやらリタ師匠の好きな本の登場人物って言ってたけど……どんなお話なのかな?

 もっと勉強して本が読めるようになったら読んでみたいな。

 そんなことを思い返しながら、赤茶色のワンピースに着替え終わった私は部屋を出て螺旋階段に向かう。

 五階建ての古い塔。

 一番上の五階はリタ師匠のフロア。

 すぐ下の四階はシンさんのフロアでキッチンとダイニングもここにある。

 三階のフロアは私の部屋と書庫とお風呂、リビング。

 二階はほんのたまに……稀に来るお客さんのためのフロア。

 一階がエントランスになっている。

 私が四階のダイニングに向かうと、声が聞こえた通り、リタ師匠が座っていた。

 深い藍色の瞳は大きく、薄紫の長い髪を緩く後ろで三つ編みに。

 リタ師匠の体の線に合わせた黒い服はとてもなんというか、女の私も目のやり場に困る。

 そんなリタ師匠は何も気にすることなくすでに食べ始めていた。


「エリー、おっそーい! 時間がないから早く食べなさいな」

「エリー、ゆっくり食べろよ。早食いはデブの元だからな」


 キッチンからは黒髪に無精髭の男の人――シンさん。

 この古い塔で料理とか家事をしてくれている。

 目まで黒い人に会ったのはシンさんが初めて。

 タンクトップに長ズボン。

 その上にエプロンといういつもの出で立ちなのに、だらしがないどころか、キッチリしているように見える。

 体はとても鍛えてられていることが分かる、細いのに筋肉質なシンさんが顔を出した。

 

「何ですってぇー!? 太ってないわよ。私は太ってないわ。いつもの素敵なプロポーションでしょうが!」

「イキりババアが何言ってやがる。年相応の服を着ろ、露出狂が!」

「まだアンタと同い年くらいよ!?」


 顔を合わせても合わせなくても、リタ師匠とシンさんは言い合いをしてる。

 でも二人が楽しそうだから良いかなってやっと思うようになった。

 言いたいことを言える人がいるって、いいなぁ……。


「ほら、エリー。うるさいババアは――」

「誰がババアよ!」

「――放っておいて。ハチミツたっぷり塗ったトーストに、カリカリに焼いたベーコン、ケチャップ付きのスクランブルエッグにサラダ、温かいオニオンスープだ。デザートは桃のコンポートがあるからヨーグルトと一緒にゆっくり味わって食べろよ」


 料理に関して、シンさんは本当にすごい。

 今日も朝から贅沢だ。

 そんなシンさんは朝から大盛り……シンさん曰く、爆盛りという、普通よりたくさんご飯と具材を載せた牛丼を食べている。


「朝から牛丼とか美味しそうね。少し寄越しなさいよ。爆盛りなんて頭が悪い盛り方してるから、手伝ってあげなくもないわ」

「テメーは和食が良いって言い出すと思ってたから用意してやってたんだよ。何だよ雑なこと言いやがって。理由が意味不明なんだよ。テメーが食いてぇだけじゃねぇか。俺の牛丼はやらねーよ!」

「じゃあお昼は丼ね。トロトロつゆだくだくのコカトリス親子丼にして」

「テメーのそれは、もはや丼じゃねぇ。雑炊や粥の類だ」


 コカトリスのトロトロの卵に、コカトリスのお肉……おつゆがたくさんご飯に染み込んだ丼……すごく、美味しそう。

 私もリタ師匠に同意見。


「あの……。リタ師匠に同意見、です」

「ほらみなさい。トロトロつゆだくだくの親子丼は至高よ!」

「作りもしねー奴が語るんじゃねぇ! あ、エリーは良いからな」


 知らない食べ物、知らない知識……。

 多分、この世界のどこにもリタ師匠とシンさんみたいにたくさんの知識を持った人はいないと思う。

 きっとどこの国の人にもいないかもしれない。

 前の生活と今の生活、天と地ほど違うどころか、天も地もひっくり返ってまったく違う場所に来たみたい。

 ……カリカリに焼かれたベーコンは私のお気に入り。


「おぅ! エリー、美味いか?」

「はい! シンさん!」

「腹一杯食えよ。んで、ちゃんとエネルギー……魔力とか栄養蓄えろ」

 

 ――そんな美味しいご飯を食べながら、私は古い塔で過ごす前のことをいつも思い出す。

 私はこの国――ソル・ティエラ王国の貧民街で生まれ育った。

 母親は幼い頃に出て行ってしまって帰って来なかった。

 父親は仕事にも行かずにずっとお酒を飲んで愚痴を零していた。

 名前も付けてもらえず、まともな服もなく、まともな食事にもありつけず、いつ壊れてもおかしくない家に住んでいた。

 幼い弟がいたけれどある寒い日に死んでしまった。

 父親もお酒の飲み過ぎでケンカをした上に流行病にかかって倒れたらしく、帰って来なかった。

 次は私の番だ。

 孤独と寒さ、恐怖に震えていたある日のこと、穴の開いた天井から降り注ぐくらいに明るい星が二つ流れて行った。

 それから何日も経ってから、貧民街にタダでご飯を配りに来た人がいるって聞いた。

 明るい星が流れた日から何も食べていなかった私は、フラフラとおぼつかない足で皆が走っていく方向についていった。

 本当にご飯が貰えるのだろうか。

 貧民街には私が知っている以上に人がいる。

 私がその場所についた時にはもうすでにたくさんの人が並んでいた。

 良い匂いがする。

 本当に食べられるのかな……。

 たくさんの大人達がいて私を含めた小さな子供達は指をくわえて見ている。

 中には大人達の間をすり抜けようとしている子もいるけれど大人達に蹴りつけられたり、殴られたりしてる子もいる。

 私も、指をくわえて諦めるしかないのかな。

 こんなにたくさんの人がいるんだもの。

 きっと足りない。

 でも今日食べられなかったら私はもう終わり。

 体が限界。

 そう思っていると女の人――私の師匠となるリタ師匠――が子供に配ってくれた。

 ほとんどスープに、柔らかくなった穀物が入ったもの。

 差し出されたお椀を掴んで流し込む。

 なくなるともう一杯、お椀に入れてくれて、私は無我夢中で口に入れる。

 温かい……口にするたびに、全身がゆっくり温められていくみたい。

 そして……美味しい!

 私が夢中で食べていた時――その女の人は不意に声をかけてきた。


「あなた。そう、あなたよ。私の弟子になりなさい」


 貧民は基本的に魔力を持たない。

 魔法が使えるのは裕福な人、貴族と呼ばれる人、国の偉い人達だけだと聞いたことがある。

 私は偶然、魔力があったから声をかけたんだってリタ師匠は後で言っていた。

 ご飯を食べ終えて、貧民街の人達が満足して散っていく中。

 リタ師匠とシンさんは私に手を差し伸べてくれた。

 このひもじくて、貧しくて、誰もいない独りぼっちの生活から抜け出せるのなら――。


「私を……弟子に、してください」

 

 私は二人の手を取った。

 古い塔だった。

 白い壁に、緑の蔦が絡まっていて、物語の世界に私が入ってしまったみたい。

 到着すると、まずはリタ師匠が魔法で綺麗にしてくれて、すぐにお風呂って呼ばれているお湯がたくさん入った大きな桶に入れられた。

 リタ師匠が全部洗ってくれた。

 髪も綺麗に整えてくれて、良い匂いがする油のようなものを塗ってくれた。

 肌にもさらさらの水のようなものとかいくつか塗ってもらって――後でそれが化粧水と美容液と乳液とか知った――整えてもらった。

 新しい服をもらって、シンさんが穀物の入ったスープを作ってくれた。

 それは炊き出しで食べたものより身体に染み込んで、温かく感じて、思わず涙が出た。

 リタ師匠とシンさんに宥められてようやく落ち着いた。

 そして部屋を与えられて、生まれて初めて何かに怯えることもなくゆっくりと眠った。

 起きたら醒める夢?

 違う、夢じゃなかった。

 まずは栄養と魔力を補う必要がある、とスープみたいなお粥から始まってしっかりとしたご飯を食べられるようになった。

 その頃から魔法の使い方をリタ師匠から教わった。

 文字の読み書きも教わってる。

 少しずつできるようになったけれど、まだまだ全然、できていない。

 あれから半年。

 できないことにリタ師匠は怒らない。

 この間も、好きな物を出す魔法の修行で私は失敗した。

 何も出せなかったの。

 そもそも私は、自分が何が好きか分からなかった。

 明日を生きることに必死で何が好きだとか何が嫌いだとか考えたこともなかったから。

 落ち込んだ私にリタ師匠は――


「魔法は自由! 固定観念なんていらないの。できるできないか、じゃない。できるの。魔法があれば何だって。だって自由なんだから。たくさん考えて、たくさん想像して、たくさん実現する。ただこれだけ。これがすごく大変なんだけど、できたらすごく楽しくて、とても嬉しいことでしょ?」


 とか


「できないって諦めて放り投げるのは簡単。やめちゃえばいいんだもの。でもね、できないことも楽しめば良いのよ。続けていればいつかできるようになるもの。いつか意味のあるものに変わるから。意味があるか、意味がないか、なんて今考えることじゃないわ」


 とか


「いつかできるわ。それは明日かもしれないし、しわくちゃの年寄りになってからかもしれない。後悔して嘆くぐらいなら今やりたからやる。それだけよ。どうやってやっているかって方法を聞くんじゃなくて、やりたいことをいかにしてやるか、が重要なのよ。自分の心次第よ」


 って言ってくれた。

 リタ師匠はすごく前向きで、太陽みたいな人。

 その言葉で私は光の玉を強く思い浮かべた。

 優しくて、暖かい、光の玉――時間がかかったし、とても小さなものだったけれど、私は光の玉を一つ、出すことができた。


「やったじゃない。ほら、できるのよ。自分を信じなさい。エリー」

 

 シンさんもリタ師匠と一緒。

 リタ師匠と言い合いばかりしてるけれど、同じようなことを言っている。


「料理は自由だ! 食材、調味料、調理の仕方で変わる。毎回毎回、まったく同じようにゃできねー。だから面白い。もっともっと作りたくなる。食ってもらいたくなる。笑顔になってもらいたくなる。それが料理だ」


 とか


「できねーことを言い訳に放り投げちまったらそこで終わりだろ? やってから考えりゃいい。できなかったなら何でできなかったか考えるだけだ。そしたら、次はどうしたらできるか考えりゃいい。成功したって失敗したって、やったって事実を誇れ。やる前から意味とか理由とか考えてたら何もできねーだろ」


 とか


「いつかできるって信じてりゃ、いつかできるんだよ。焦るこたぁねぇ。自分はできるって信じりゃいい。信じれない時は相談しろ。アレでも、オレでもな。どうやってやってるか、じゃねぇ。いかにしてやるか、だ。やりたいことはやったもん勝ちだからな。自分の心一つだ」


 って言ってくれた。

 一緒に作ってみよう、ってパンケーキの作り方を教えてもらった。

 すごく大変で、上手くひっくり返せなくて、黒焦げのパンケーキができあがった時は泣きたくなった――もったいない!


「大丈夫だ。次は上手くできるぜ」


 ひとまず焦げたパンケーキは脇に置いて、再挑戦。

 上手くできるかな――ううん、私はできる。

 そう思ってひっくり返したら上手くできた。


「ほらな! やればできるんだよ。自分信じて練習だ練習」

 

 二人の言葉が、乾いた大地に降る雨のように私の中に染み込んでいくのを感じた。

 きっとリタ師匠もシンさんも、考え方が似てるんだろうな。

 だから言い合いをするのかも。

 ――この僅か半年のこととかを思い返していると、朝ご飯を食べ終わったリタ師匠が立ち上がった。

 私は……あ、あともう少し……うん、食べ終わった。

 今日も美味しかった。


「さ! 今日も魔法の練習よー!」

「最低限食った皿ぐらい下げろ! 上げ膳据え膳か!」

「魔法で綺麗にするから良いでしょー。ほら!」

「エリー、皿洗っちまうからな。昼も期待しとけ」

「ちょっとー! 感謝しないさいよ! 綺麗じゃない! 洗う必要ないじゃない!?」

「うるせー! 気分だ気分! 洗い物までしねーとやった気になんねーんだよ。ありがとよ!」

「全然感謝してないじゃない!」


 二人のやり取りはいつもテンポが良くて面白い。

 ソル・ティエラ王国、東の果て。

 山と森と川に囲まれた崖の上、海のそばにある白くて緑の蔦が絡んだ古い塔に、私はリタ師匠とシンさんと三人で暮らしてる。

 リタ師匠に名前を貰った私エリーことエリアナは、今日もこの古い塔でシンさんの美味しいご飯を食べて、リタ師匠から魔法や勉強を習ってる魔法士の弟子。

 リタ師匠とシンさんが言う通り。

 明日できるかもしれないし、もっともっと先かもしれない。

 いつかきっと、リタ師匠のような凄い魔法士になって、シンさんみたいに料理も作れる人になりたいな。

 そして、あの頃の私のような子供に――今度は、私が手を差し伸べたい。

 未来どころか明日生き延びられるか怯えていた私が、未来を夢見て明日も安心して生きて行けるようになったみたいに。

 それが今の私の夢。


「エリー! 行くわよ!」

「はい! リタ師匠! シンさん、ごちそうさまでした」

「おー。てか塔の破壊だけはやめろよ!?」


 過去の私へ。

 もう大丈夫だから、心配しないで。

 今日もこの塔には私達の声が響く。

 明日もこの先も、ずっとずっと、良い日でありますように。

 私は今日もリタ師匠とシンさん、創世神ソル・セナイダに感謝して――


「お昼までやるわよ!」

「飯までに終わらせろ!」


 一日いちにちを、大切に生きていきます……!




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その少女は魔法士と料理番の輪舞曲に舞う 詠月 紫彩 @EigetsuS09

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