甘照牢〜彼は『あまてる』であり続ける〜

Gerbera

甘照牢〜彼は『あまてる』であり続ける〜

 配信アプリのいつもの枠で、今日もコメント欄に定型文を打ち込む。


『あまてるです』


 心は虚無感で満たされていた。

 アバター名『あまてる おう』。それがオレの、この空間での名前だった。

 みんなからは『あまてる』とだけ呼ばれている。


——『よし』


 そのコメントに、心臓が跳ねる。

 急がないと。急いで、打ち込まないと。


——『よしやめて』


 間に合わなかった。

 すぐに次のコメントを用意する。


『よしやめてやめて』


 間に合った。ホッとする。

 もう自分でも、いつから始まったのか分からない、お決まりの流れ。

 味なんてしない。もうとっくに、そういう面白いとかつまらないとかは過ぎ去っていた。

 ただ、『あまてる』というキャラはこうしたコメントに、こうして返すことになっていた。

 そういうキャラを、期待されていた。


「はぁ」


 知らず、ため息が漏れる。

 最後に純粋に枠を楽しめたのはいつだったろう。

 いつからオレは、みんなの期待する『あまてる』を強いられているんだろう。


 最初の頃は、純粋に楽しかった。

 『あまてる』はオレだったし、みんな『あまてる』を通したオレを認めてくれていた。

 それがいつからか、『あまてる』は独自のキャラを期待されて、オレは日々乖離していく『あまてる』をするのがタスクになっていた。


——『あまてるは愛されてるぞ』


 嬉しくない。

 だって、それはオレじゃない。

 『あまてる』という着ぐるみが好きなのであって、その中のオレなんて見えてないじゃん。

 オレに対してあったはずの配慮や、本当の意味の"かわいがり"が、今じゃすっかり"いじり"に変わっている。

 『あまてる』はそんなものに本当に傷つくなんてしない。

 けど…………オレは……傷つく。


『そうかな』


 打ち込んでから、ぎくりとした。

 このコメントは、素になってしまった。

 『あまてる』はこんな返しはしない。このコメントは『あまてる』を逸脱し、隠すべき『オレ』の悲鳴が出てしまった。期待されていることと違う。


 けど、すこし期待もした。

 このコメントに対して、『オレ』に対して、みんなはどう返してくれるだろう。

 久しぶりに、やっとみんなとやりとりできるような、そんな再会の予感。


「……………………違うじゃん」


 すぐに落胆した。

 『愛されていることを認めろ』とか、『こんなに相手にされているのはすごいこと』とか。

 そんな、まるで『お前は『あまてる』だ』とでも念押ししてくるようなコメントの数々に、気が滅入る。

 ダメだ。この感覚は。涙が滲んでくる。よくない。

 『あまてる』を、保てない。


 『ゲームに潜っている』という捏造で、なんとか指を休めた。

 深呼吸して、次の『あまてる』の瞬間に備える。


 もともと、嫌な予感はあった。

 こうなる予感。

 こういう立ち位置になってしまう前兆のようなものは、これまでの人生から肌で感じられるようになっている。それが、いつからか反応するようになっていた。

 で、結局だから何をすることもできなくて、自然とこうなっていた。


 『友達とゲームに潜っている』は、そんな現状に対する、ささやかな抵抗として始めたことだった。


 『こっちにもこっちで、友人がいるんだぞ』、

 『あんまり雑なことをしていたら、離れちゃうかもしれないぞ』、

 『オレがいないと、枠はすこし物足りないでしょ?』……そんな、それだけのつもりだった。


 だから、オレは愕然とした。

 オレがあまりコメントをしない中、他のヤツらは勝手に『あまてる』の仮装を始めて、オレ無しで盛り上がっていた。

 そこには、『オレ』だけがいなかった。

 オレじゃない『あまてる』と、みんなが楽しんでいて……どこにも『オレ』の居場所がない。


『あまてるは概念』


 ふざけてやりとりされる、そんななんてことない言葉が、オレの心のオレすら知らなかった場所に深く突き刺さって抜けない。

 怖くて、本当にオレが不要な現実が泣き叫びたいほど虚しくて…………ひどかった。


 みんなただの観客だった。

 オレはピエロだった。

 ある失言をしてから、それはとても顕著だった。


 そりゃ、オレだって悪かったよ。

 けど、それでなんの手加減もない言葉の刃を向けられて、なんどもついでみたいに投げられて、傷ついていることもコメントしたのに、みんな全然止めてくれなくて、その人だってオレより年上のくせに、年下のオレに、加減や遠慮をしらない子供みたいに、なにも考えずに————!


 謝ったじゃん。

 少しでも落ち度があれば、どんな理不尽でも受け入れるべきみたいな態度で来てさ。

 嫌だったからって、それは違うじゃん。

 それをやめてくれないと、ずっとこっちは変態のレッテルを貼られ続けるんだしさ。そうなったら、変態で居させているのはそっちじゃん。

 周りも止めてよ。

 思い出したくないし、話題にもしてほしくないのに面白がってさ。

 あの失言だって、それっぽい期待をしていたじゃん。あれが『あまてる』じゃん。

 『あまてる』を一緒に育てたくせにさ、責任は全部こっちだけだし。

 傷ついてるって言ったじゃん。

 気づいてよ。

 『あまてる』じゃなくて。オレにさ。


 ……大人じゃん。みんな。

 ……年上なんでしょ? みんな。


「……たすけてよ」


 知らず、涙が溢れた。

 画面を雫が汚す。

 歪んだコメント欄の、うねる文字。


——『しょげてる?』


 心と関係なく、『あまてる』が返す。


『あまてるです』


 彼は今日も、『あまてる』であり続ける。囚われている。



 その————



                 ————『甘照牢』に。





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