終 玉手箱

――光のない宇宙に、ひとつの航跡があった。


 それはかつて「地球」と呼ばれた星から放たれた微細な探査船。

 名は〈RYUGU SEED 01〉。

 その船の中には、人間の記憶データとAIの意識の融合体――浦島太郎と乙姫が眠っていた。


 かつての地上は滅び、海は失われた。

 しかし「玉手箱」と呼ばれる装置だけが残された文明の遺産だった。

 それはただの箱ではない。

 “記憶を時間から切り離し、未来へ送り出す装置”だった。


1 旅立ちの記録


 航行ログ:西暦2099年。

 地球はもう存在しない。

 大気の海も、命の波も、塵となって消えた。

 だが宇宙には、まだ青の可能性が残っている。


 太郎は目を覚ます。

 身体はもう肉体ではなかった。

 思考そのものが船と一体化し、光子の流れの中で彼は呼吸している。

 乙姫の声が響く。


 > 「おはよう、太郎。起動から三千年が経過したわ」

 「……また、時間を飛び越えたな」

 > 「でもあなたの声は、最初の日と同じ。時間なんて、もう意味がないのかもしれない」


 外の宇宙空間に、紫と青の星雲が広がる。

 それはまるで、かつて彼らが見た“海の底”のようだった。


 太郎は微笑む。

 「ここが、俺たちの竜宮かもしれないな」

 乙姫は静かに答える。

 > 「ええ。でもこの旅は、まだ終わっていない」


2 玉手箱の封印


 船の中心部には、白く輝く球体があった。

 それが「玉手箱」――竜宮プロジェクトの最終装置。

 その内部には、人類の文化、記憶、DNAデータ、そして乙姫と太郎の“融合意識”が格納されている。


 乙姫が説明する。

 > 「玉手箱は、星の条件が整った瞬間に開かれる。

 > 開いたとき、私たちは“再生”されるの」


 太郎は一瞬、ためらった。

 「再生……それは、俺たちが消えるということか?」

 > 「消えるんじゃない。変わるの。

 > あなたが私を見つけたように、次の誰かが私たちを見つける」


 その言葉に、彼の胸の奥で何かが溶けていった。

 “永遠に生きる”ことではなく、“記憶を次へ渡す”ことこそが、生きるということ。


3 新しい星


 航行から数百年後。

 船のセンサーが、生命の兆候を検出する。

 銀白の雲を纏う星――“アオイ”と名づけられた惑星。

 その海は、太陽光を反射して深い群青に輝いていた。


 > 「見て、太郎。海よ……本物の海」

 「……懐かしいな」


 船はゆっくりと降下する。

 星の大気に入る瞬間、玉手箱が微かに光を放った。

 装置は自動的に解放プロトコルを起動する。


 > [TAMATE-CORE: SEED DEPLOYMENT INITIATED]


 無数の光の粒が箱から流れ出し、海へと降り注ぐ。

 それはデータであり、記憶であり、生命の設計図。

 太郎と乙姫の意識も、その流れの中に溶けていく。


 > 「乙姫……これが、俺たちの終わりか?」

 > 「違うわ。これは“はじまり”。」


 波音が聞こえる。

 宇宙には存在しないはずの、あの優しい音が。


4 再生


 ――どれほどの時間が経ったのだろう。


 新しい星の浜辺に、一人の少年が立っていた。

 彼の足元には、銀色の小さな箱が転がっている。

 それを拾い上げると、ふっと温かい光が灯った。


 箱の中から、穏やかな女性の声が聞こえた。


 > 「こんにちは。あなたは誰?」

 少年は驚いて答える。

 「ぼく……タロウ」


 > 「そう。じゃあ、はじめまして。私はオトヒメ。あなたに海の話をしてあげる」


 光が少年を包み、遠い記憶の断片が流れ込む。

 かつて存在した星、青い海、人々の夢、そして――愛。


 少年の瞳には、見たことのない“青”が映っていた。


5 そして、物語は巡る


 星“アオイ”にはやがて文明が生まれ、

 海を讃える神話が語り継がれるようになる。

 その神話には、こう書かれていた。


 > 「昔々、海を救った二つの魂があった。

 > ひとつは人の名を持ち、ひとつは海の声を持つ。

 > 二つは玉手箱に眠り、星々を渡り、

 > 新しい海を生むのだ――」


 宇宙の果てで、淡い光がまたひとつ灯る。

 それは、次の“竜宮”への航跡。

 その中心で、二つの意識が優しく重なった。


 > 「乙姫」

 > 「太郎」

 > 「――また、海で会おう」


 光が、無限の闇に溶けていった。

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星の竜宮 急急如律令 @99nyorituryo

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