腐灰の歩んだ未知導べ

人(仮)

「勇者は死んでいる」

XXが翻った彼に差し向けられる救いの手にはいつも剣が握られていた。

その剣は善意でも悪意も込められていない。

殺意も慈愛も込められていない。

ただの使命感だ。

しかし、使命感では彼を救済に辿り着けない。


だって〝勇者は虚構に堕ちた〟のだから


「…………」

 大衆食堂の昼飯時、無言の視線にある男が晒されていた。その男は、若い見た目に加えて、ボロボロの布切れと化した服を身にまとい、身体からは香水なのかラベンダーの香りがする。

 そして、首にはくすんだペンダントと錆びたネックレスを、腕には錆びてしまったブレスレットを、背中には鞘に入れられた剣を二本、片耳には花のピアスを、片耳には小切手が通されたピアスを、雑に結んである髪には大きな小汚いリボンを、そして、腰には筒状に丸められた古い紙が連なった、サスペンダーの様になったものを垂らしている。

 そんな彼の格好が周囲の視線の的になっているわけではない。むしろそんなことすら気にならない程、彼の置かれている状況に対して周囲は軽蔑の目に晒されている。

 彼には帰る場所がない。少し前にこの食堂の店主に助けられたことで、彼は現在この食堂に寄生している。パンやミルクなどを彼は貰い、日々首の皮一枚繋がった様な状況で彼は恥を晒している。

 二十年以上前、彼は勇者であった。人間と敵対している魔族という名の害獣と戦い、多くの仲間と協力し、多くの犠牲を払い、多くの年月の果てに魔族の大将である魔王は死んだ。その直後は彼も英雄として民衆からもてはやされていた。しかし、月日が流れていくと人間は戦争を始めた。英雄であった彼には戦争に出ることを期待された。

 しかし、彼はそれに出ることなく、今の今まで英雄を尊敬する人の善意に漬け込むように、乞食同然の生活を送っている。それだけならまだ人間とは戦いたくないという優しさの表れかもしれないという余地がある。

 しかし、現在彼の寄生先であるこの食堂は、戦争の影響で上がった原材料で経営が苦しくなってきている。そのうえ、小汚い勇者が居るせいで最近では嫌煙されている。それでも申し訳無さそうな顔をせず、死んだような顔をしている彼に対して、周囲は冷たい軽蔑の視線を送っている。それが今の状況だ。考えれば周囲の評価も無情にも適正のように思える。そして、そんな彼はパンやミルクを無駄に消費し、一つ礼を言い店から出る。彼が店を出たあと、店主の元にその息子話しかけにくる。

「親父!いつまであんな奴匿う気だよ……」

「そうは言ってもなぁ……」

「親父が見捨てない気持ちも分かるが、結局アイツが魔王を倒さなければ戦争なんて起きなかった訳だろ?いつまでももてなしてちゃ駄目だろ」

「でもなぁ……」

「このままじゃこの店が潰れちまうだろ!」

「…………」 

 息子のその言葉に、店主はとうとう言葉が詰まる。店主は自分の行いが家族に負担をかけていることを自覚していた。それでも、魔物の被害を知る店主は彼を見捨てる決意を持てずにいる。息子もそれを分かっていた。

「そんなに追い出せないんだったら、俺が追い出してくるよ……ッチ」

 息子はそう吐き捨てるように言い、店から飛び出した。不甲斐ない店主は、その姿を呆然と眺めることしか出来なかった。

「おいおい、良いのかよ旦那。飛び出しちまったぞ」

「………おそらく勇者様の事だ。手荒な事はしないと思いたいが……」

 常連客の言葉に願望を返す店主の姿は、どこか情けなさを感じさせる。勇者が勇者であった時代を知っている店主としては、その憧れであった勇者を見捨てることなんて出来ない。だから、息子に見捨てるということを代理させるのは、本当に不甲斐ない。しかし、結局店主が勇者であった彼を見捨てない理由は憧れというただそれだけの理由だ。実際に魔族の被害を直接的に受けていない店主は、息子に強く反対することも出来ないのだ。

 店から飛び出した少年は、感情をあらわになったまま例の勇者を探す。表通りには出店なども多く、そこに居るだろうと思い、辺りを見渡し探し始める。

 しかし、表通りを探せど探せど彼の姿は見えない。息子がまた明日言おうと、諦めて店の方へ戻ろうとした。その道中、路地裏に少しガラの悪い人間が居ることに気がついた。

 それを見て息子はまた下らないものを見たと思い、素通りしようと思った。しかし、少しの違和感を視覚に感じて立ち止まる。そして、もう一度奴らの方を注視する。すると、ガラの悪い奴の股の下に探していた彼の姿が見えた。

 路地裏に近づき、聞き耳を立てる。どうやら、元勇者である彼にカツアゲをしようとしているようだ。あんなみすぼらしい彼からカツアゲをしようとは、コイツラは馬鹿か?とも思ったが、おそらく度胸試し的な側面があるのだろう。馬鹿の考えることはよく分からないが、しそうなことが分かるというのが人間というものだ。

 馬鹿のドスの効いた低音が響く。それを聞いても、彼は眉一つ動かさず座り込んでいる。その態度が気に食わなかったのか、馬鹿の一人が彼の首のネックレスを引っ張る。

「………は?」

 彼のネックレスを引っ張った直後、馬鹿の一人が戸惑いの表情を見せる。それは壁に付けられた鎖を引っ張るような、どれだけ引っ張っても動かせないし動かない。彼を引っ張った馬鹿が逆に囚われている様な、〝人の上に人を作らず〟という言葉とは一体何だったのか、机上論ですら想定されていない差がそこには存在していた。

 戸惑いを隠しきれない男がネックレスから手を離す。戸惑いや感じたことのない感触に、若干男の身体が震える。その震えからか、男の懐からタバコの箱が落ちる。

「…………」

 それに興味を示したのか、彼はタバコにゆっくりと手を伸ばす。それを見た男が彼の足を踏もうとする。実際、踏むことには成功した。しかし、男の感触は階段を登るときと全く同じだった。段差がそこにあるような、体重をかけても全く落ちる気配のない男の足は、彼が手を引くと同時に転びそうになり、慌てて足を戻す。

 タバコを手にした彼は、箱からタバコを一本取り出す。そして、自身の髪の毛を三本ほど抜き、指に巻き付けそれを地面に当てる。そして、彼は地面に高速でそれをこすると、彼の指は炎につつまれる。それでタバコの先端に火を着ける。

 それを見た馬鹿達は、眼の前に居るのが明確に触れてはいけない存在という事に気がついた様で、そそくさと逃げるようにして去っていった。それを傍から見ていた店主の息子は、少し決心の時間を設けた後に彼の前に現れる。

「……さっきぶりですね……勇者さん」

 息子の言葉に彼は横目を向ける。そして、横目を向けた彼のタバコはやがて灰に変わっていく。それの持ち手が半分程度になった頃、彼はようやく口を開いた。

「良いよ」

「……え…?」

 彼の言葉に息子は戸惑いを見せる。まだ何も言っていないのにも関わらず、こちらの考えを見透かしている様な、彼の言動に今までのみすぼらしい乞食の彼とは明らかに違う一面が見えたからだ。

「まだ何も言ってませんよ……?」

「………」

 気になれば聞く、大切なことだ。しかし、それに彼は言葉を返さない。やがて、彼はタバコの火を自身の手で消し、その場を後にした。残された息子は、なんとも言えない奇妙な感覚を覚えた。

 心を読まれたという感覚ではない。むしろその逆、今まで聞かれたことを気づかなかった事に今気付いた様な感覚だ。そうだと仮定すると、一つの疑問が浮かび上がる。どうして彼は居心地の悪い場所に、わざわざ自分の悪口を聞くためにその場に居たのか?彼が店から出て少しした後に話した。それを考えると、彼はあの場にわざと残っていたということになる。そんなこと、普通するだろうか?

 それに、あれだけの力があって何故彼はこんな惨めったらしい乞食生活をしていたのかが分からない。どれだけ怠惰な人間でも、腹が減ったらゴミ袋でもなんでも漁るし、身につけている装飾を売ればそれなりの額になるはずだ。少なくとも、尊厳を破壊するような行為をする必要はなくなるはずだ。

「……はぁ……」

 一つのため息を吐き、店へと踵を返す。まだ太陽は真上にありギラギラと輝いている。これから徐々に客足も遠のくだろう。客の多いうちに戻ろうと、息子は次第に駆け足になっていった。



 カラスが鳴いた。

 それはそれは大勢のカラスが鳴いた。

 何かを伝えるために、それはそれは大きな声で。

 そして、伝え終わったのか、伝えさせないためか、一羽、また一羽と鳴き声が消えていく。

 その状況に彼はなんとも言えない懐かしさを感じ、おもむろに立ち上がり、大通りへと歩みを進める。夜なのに昼のような明るさと癒やされるような音。それに加えて昼間のような人々が入り交ざった様な声と一生懸命さが伝わる声。一生に一度も見られない、けれど有事の時にはよく見られる、見ざるを得ない光景、そんな説明すればするほどチグハグさを感じてしまう光景だ。それを見ているうちに彼の表情はほんの僅かに表情筋が緩んだように思えた。

 何かを懐かしむように歩みを進めていると、動物に出会った。多くの動物が街中をかけては人間と鬼ごっこをしている。その動物の中でも、一際目立っているモノがあった。その動物は独特の風合いをしている。

 ムチの様に靭やかな尻尾と、宝石の様に真っ赤な瞳、部屋の飾りにちょうど良さそうな角、ひと目見た瞬間、獰猛性次第では狩尽くされてしまうのでは無いかと心配するような、魅力的な身体をしていた。

「………」

 動物が彼の方へと向かって駆け出した。彼は駆け寄ってきたそれの…頭を撫でて腰を下ろした。その手つきは妙に優しいものの様に思え、撫でられた動物は身体を震わせ彼の手に頭を擦り付けるような動きを見せる。

「懐かしいなぁ…昔飼っていたワンちゃんも…こんな感じでしたね……」

 懐かしんで思わずこぼれ出たその言葉。その言葉を聞いた動物がピタリと止まり、〝彼〟の瞳を見つめる。動物のそれを見た彼は、首に巻き付けているリードを持ち、嫌がる動物を無理やり引きずるように再び歩みを始める。

「ほら、散歩は終わりですよ。帰りましょ?」


 カラスが鳴いていた。

 炎の燃える静かな音の中に混ざる皆の悲鳴、そこら中に居る魔物が立てる咀嚼音、現実を拒む人々の口からでる晩餐歌。その全てが身体を言葉から動くことを拒む。ここから出ては駄目だ、と。

 腐敗した食べ物の匂いが身体に纏わりつく。もう慣れてしまった子供にとってそれは大した臭いに感じないが、慣れないモノにとってはそれは激臭足りうる。そのおかげか、人間の匂いはかき消され、まだ魔物には見つかっていない。

 足音がなった。凹凸のある道路を歩くゴツゴツとした砂利混じりの音が。しかし、それが少年には聞こえなかった。心臓の音が、自分の呼吸が、自分にしか聞こえないはずの、いつもは大して聞こえないそれがやけに聞こえる。防衛本能のそれなのか、そのお陰で震えも少なく済んでいた。

 けれど、世界は理不尽なものだ。思ったより人間を喰えなかった魔物により、ゴミ箱が蹴られた。運命か神の悪戯か、それがたまたま子の入ったゴミ箱であった。

 ゴミ箱が凹むほどの威力だったそれをもろに喰らい、あまりの痛みに身体が動かなくなる。しかし、最後の防衛本能なのか、あまりの痛みに声が出ない。それに蹴り飛ばされた位置もちょうど良い距離であった。このまま奴らが去るのを待つだけ…だと思った。

「今日も多いわね。アタシの踊りはそんな安いものじゃないのだけれど」


 〝彼があらわれた〟

 

 いつもと違う彼の雰囲気に、得も言えぬ奇妙な感覚を覚える。手には誰かの尻尾を持っていて、手の動きや歩き方がどこか妖艶で引き込まれる様な魅力があった。そんな彼のもとに、二体の魔物が向かって行った。

 彼は上下に手を移動させ、優雅に踊りだした。その動きはとてもゆっくりとリラックスしている様に見えた。そのゆっくりとした動きで、不思議な程綺麗に魔物の突撃を通り抜けるように回避する。その動きは静かに段差に流れる水の如く、一連の動きがまるで繋がっている様に見える程滑らかに感じた。

 彼が通り過ぎたのに合わせて魔物も振り向く。まるで彼に釘付けになっているかのように、視線の動きは滑らかであった。躱された事に興奮したのか、今度は魔物に飛びかかる。

 彼は音も立てずに地面を蹴って宙に舞う。彼のボロボロの服の解れた布の切れ端が、宙を舞い、月夜の光に照らされた彼の影がまるで月下美人の様に広がる。

降臨する月華の光陰クイーン・オブ・ザ・ナイト

 次の瞬間、地に咲いた影が中心に居る魔物を呑み込む。そして、そのまま枯れて灰になるように崩れるように闇に溶けて何処かへいってしまった。そして、彼がゆっくりと足を地面に着けた。

 一連の流れがやけにゆっくりと見えた。それも彼に釘付けになっているからであろう。今、これを見ている少年の情報処理の全ては彼の動作に使われている。呼吸時の胸の僅かな膨らみ、瞬きの瞬間、僅かな風で揺らぐ布端、その全てが視覚で鮮明に認識出来ていた。

「始めの回避要らなかったかしら…でも、位置調整も考えると……」

 少年は今更ながら彼に助けを求めようと声をあげる。それに気づいた彼は、再び雰囲気を変え、少年へと歩みを進める。

「いつからだろうな。俺達が罪悪感を感じられなくなったのは」

 その歩みは、少し後ろめたい気持ちがあるようで、とても重苦しいもののように思えた。けれど、少年は彼が一歩、一歩と進むごとに助けてくれると思い、安堵の感情が湧いて出てくる。

「……そうだ……〝セルシウス〟が殺された……あの時からか」

 彼の腰元に携えられた剣が抜かれる。それを見た少年は…ようやく自分の置かれている立場…そして彼について理解できた。


〝彼が人間と魔族の区別もついていないことを〟


 剣に付着した血を拭い、大通りに向かい歩みを進める。すると、人間を食い散らかしている魔物達がそこら中にのさばっていた。

「どうするべきか、この状況を「別にどうしょーも無いんじゃないかな。魔物もまだまだ居るし「そうか…後は任せても良いか?「良いよ「勿論です」

 奇妙な喋り方をする彼を、魔物達は気づいているようだ。しかし、それでも彼を襲いかかろうとはしない。魔物は大した知能を持たない。普段は魔物を束ねる知能に優れた魔族が命令を出し、魔物はそれを本能の赴くまま実行する。しかし、知能に優れた統率役である魔族が死んだ今、魔物たちは自由に行動出来るはずなのだ。

 それでも、彼を襲おうとはしない。それは何故か。生存本能が警鐘を鳴らしているのか、統率者が殺され恐れ慄いて居るのか、それとも……


「水平線に沈む夕日。最後に見上げる観覧車の特等席。去り際まで残るそらとぶ風船枯れた後の虚しさ」


(水平線に沈んでく月。冷めぬ熱意と焦燥に、愚者の白息吐く絶望)


『交祈詩:持つ影鮮明さに焼き焦がれハイ・ヌーン=サンシャイン


 はたまた同類に見られたのか。それはもう…影に焼かれた後ではもう分からない。




【To be continue:最強の定義】

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