バス停

二ノ前はじめ@ninomaehajime

バス停

 停まらないバス停がある。

 古い木造の待合所で、薄暗い屋内にはやはり朽ちかけた木のベンチがえられている。白髪はくはつにも似た枯れすすきに囲われて、バス停の看板が孤独にたたずんでいる。赤錆が浮いて地名は読めない。

 バス通学をしていた。高校までの道のりで広い平野の中の道路を走り、必ずこのバス停を通り過ぎる。無人だからではない。バスの運転手を始めとして、自分を除いた乗客全員が認識していない様子だった。誰かが気づいていれば大騒ぎになったはずだからだ。

 バス停の待合所には、人影が座っていた。風雨に晒されたのか、破れ目が目立つセーラー服を着ている。おそらくは女性だろう。

 推測になってしまうのは、骨格で男女の判別ができるほどの知識がなかったからだ。

 つまり、ほとん襤褸ぼろになったセーラー服を着た骸骨が座っている。



 気づけば、車窓しゃそうの景色の一部になっていたと思う。

 登下校でその白骨死体とすれ違う。一度も停まらず、誰も騒ぎ立てない。バス停の待合所と看板の影が伸びる道路を通過し、暗がりになったベンチの暗がりで骸骨が小首を傾げている。

 明らかな異常事態にも関わらず、誰の目にも映らない。つまりはそういうことなのだろう。狂っているのは、自分の認識なのだ。

 受け入れてからは日常風景と化した。老朽化したバス停の待合所で、セーラー服の骸骨が座っている。首元の鎖骨が大きく覗いていて、生前の姿なら目のやりどころに困ったかもしれない。そういった他愛たあいのないことを考える程度には、平静を取り戻していた。

 揺れる車内から平野の向こうにある山稜さんりょうを眺め、考える。どうしてバスが停まらない待合所が存在し、そのベンチに白骨死体が取り残されているのだろう。自分の目や頭の異常は一旦いったんさて置く。何かしら背景があるはずだ。

 その平野のバス停は、開けていながら閉ざされていると感じた。外部からの干渉がないのだ。唯一自分の視線が通っているだけであり、他は隔離されている。

『きさらぎ駅』というネット由来の都市伝説を思い出した。あるはずのない駅に辿り着き、インターネット掲示板でやり取りしながら進んでいくと、奇妙な事象に遭遇した旨を伝えて、消息を絶つ。インターネットが普及した時代の新たな神隠しと言えるかもしれない。

 つまりあのバス停も同種の存在しない場所であり、異界なのだ。女子高生がたまたま其処そこに入りこみ、抜け出すことができないまま待合所のベンチで死に絶えた。何らかの理由で、自分だけが異界を覗くことができた。

 オカルト番組の見過ぎかもしれない。

 ともあれ、仮説は立てた。後は裏付けである。町の図書館へ行き、新聞の地方紙を調べた。さかのぼっても五年程度であり、マイクロフィルムリーダーで調べた範囲では、未成年の女子が行方不明になったという記事は見当たらなかった。

 それとなく学校の先生や親に尋ねた。やはり誰も心当たりはない。小さな田舎町だから、そういった行方不明事件は記憶に残るはずだ。神隠しという路線は、的外れと言わざるを得ない。

 選択授業の美術で、粘土による造形制作を行なった。自由制作であり、頭の中ではあのバス停の骸骨がちらついていて、成形しながら考えていた。あの女性は、生前はどういう容姿をしていたのだろう。気づけば女性の上半身像が出来上がっており、美術の先生からは大層誉められ、同級生の女子からは冷ややかな視線を向けられた。男子からは、しばらく不名誉なあだ名をつけられた。

 とんだ赤っぱじである。

 ただ収穫はあった。科学捜査研究所さながらに、白骨死体の復顔ふくがんをするのは手がかりになるかもしれない。幸い視力と記憶力は良い方で、しかも日常的に目にしている。全身の骨格はセーラー服の下にあり、全体像を復元するのは現実的ではない。

 特徴的かつ露出しているのは、頭部だ。紙粘土を購入して、自分の部屋で作業に取りかかった。学習机を作業台とし、指を灰色に汚しながら夜な夜な復元作業を行なった。頭の中で、あの骸骨の頬骨や歯の並び、虚ろな眼窩がんかなどを思い出しながら。

 このとき気づくべきだったのだ。自分がすでに、あのバス停に囚われていたことを。

 何度も失敗を繰り返し、室内に紙粘土の原材料であるパルプの臭いが鼻腔びこうに粘りつく。出来損ないの残骸がごみ箱に溢れて、可燃ごみの袋に詰めることになった。あのバス停の待合所にある骸骨に釘付けとなり、すぐ近くの席の乗客から奇異な視線を向けられた。

 不思議なことに、自分の足であのバス停におもむくことは考えなかった。あるいは、観察と考察でとどめることが最低限の線引きだったのかもしれない。

 数週間の努力と熱意を経て、納得のできる復顔ができた。針金と新聞紙の芯材に粘土を盛りつけ、粘土ヘラで成形を行なった。水で柔らかくし、想像の骸骨に肉付けをした。デスクライトに照らされた灰白かいはく色の顔は、存外に美しい少女の容貌だった。髪の毛で飾り立てれば、美少女と言っても過言ではないだろう。

 緑色のカッターマットの上に粘土ヘラを放り投げた。急に現実へと立ち返った。自分は一体、何をしているのだろう。空想上の骸骨に粘土の肉を盛りつけて、実体を持たせようとするなど。ごみ袋の中には、幾つも生首の失敗作が入っていた。

 この完成した少女の顔も、次の燃えるごみの日には捨ててしまうだろう。椅子をきしませて伸びをした。今夜はもう眠ることにしよう。

 


 翌朝、机の上に生首が置かれたままだった。カーテンを透ける朝日を浴びてか、心なしか表情が柔らかい。唇がほころんでいた。着替えを済ませて、階下へと下りた。

 家から近い停留所でバスに乗る。住宅地を抜けて、例の平野を通る。窓辺に頬杖を突いていると、あのバスの待合所に人が遠くに見えた。骸骨ではなく、輪郭がある。降車ボタンが鳴る音に心臓が跳ねた。

 行先表示の地名は、文字化けしていた。それでも運転手は疑問に思った様子はなく、バスの中扉を開ける。息を詰めていると、人影が立ち上がった。襤褸に近いセーラー服を着ていて、手足は剥き出しの骨のままだった。

 ただ、既視きし感のある灰白色の顔をしていた。不思議なことに、枯れ芒にも似た白髪が揺れている。

 骨を鳴らして、朽ちかけた学生靴がステップを上る。振り返ることはできなかった。ぎこちない足音が迫り、よりにもよって自分の隣席に腰かけた。

 空気が抜ける音とともにバスの扉が閉まる。発車します、という運転手のアナウンスとともにバスが走り出す。

 隣に座った女子学生が口を開いた。

「ずっと見てたよ」

 目を向けなくとも、唇が綻んでいるのがわかった。

「私を造ってくれてありがとう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

バス停 二ノ前はじめ@ninomaehajime @ninomaehajime

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ