疑いの殻

憂一(yuitsu)

第1話 かげぼうし

 私は生涯、追い求めたものがありました。


 その全貌をつかむことは叶いませんでしたが、惹かれました。


 電柱に群がる蛾。あるいは豚舎でケージに鼻を食い込ませて餌を待つ家畜のように在ったかと思います。


 したがえず、一目惚れなのです

所在なき思いをぶつける木偶として―─







 


 暗がりで一息整える。この街はあの手この手を使って衒ってくる。体は蛹のように硬直し、自ずと姿勢も低くなり、ぽっかりと空いた穴とは対照的にふさぐ。「結構当てにしてたのになぁ……啓発本」ぼさぼさな髪をぶしつけに搔きむしる。


 いつもウィンドウショッピングが中心で、親指のあたりが剝けた靴下を常用する自分が期待感を胸に購入し、おおよそ長編ファンタジーでも読むかのような心構えで読み込み、己が心の腫瘍に挑戦を試みた。だが、所詮焼け石に水である。不器用な手つきで折れ曲がった針金を戻そうとしても余計に自分を傷つけるに過ぎない。


「きっとこれは不可逆で付きまとうのだ アーメン」酔ったか酔ってないか絶妙な塩梅のセリフを添え、コンクリート塀に額をもって執拗にたずねる。


 ちょうど路地裏に入ったあたりで奇行を繰り返す。たぶん誰も見てないだろう、あるいは見られててもいいやという気持ちでいたと思う。


「蛹から羽化したと思ったらキツツキ?」不意に現実に戻され、思わず息を一息に飲み込んでしまって咳き込む。気が動転して目がちらつく。言葉に詰まり、二酸化炭素で喉元が熱を帯びる。


「そう、なりますかね」限りなく灰に近い曖昧な返事はその場から浮き、四散した。


 まだ見れぬ声の主は咳払いをし、私を立たせた。首の裏をつままれた猫のように情けのない様子の私に「風邪を引くよ」と言って突然、私の手を引いて足早に歩き始めた。


 歩くことを強制されながらも思考だけはなんとかできた。背格好は同じくらいか少し大きい程度だろうか、髪は肩にかからない程度で中性的……というか男か女かも怪しいな、とか色々。この人は正直得体が知れない。それでも、それをそのまま口に出すことはしなかった。こんな状況下でも、何故だか居心地がよく感ぜられたのだ。


  ぬくい風が頬を撫で、断続的な刹那が永遠かに思えた。その間も黙々と歩く私たちをつなぐものは触れ合った手ぐらいなものである。


「さて、このあたりかな」唐突に歩みを止め、呟く。気がつけば、辺りは暗く木々が鬱蒼うっそうと生い茂っている。街の中心からはだいぶ離れているようだった。


 そのうちに、この人はホームセンターで買ったであろう工具セットと木の板やわらで何やら作業を始めた。反射的に私にも手伝えることはあるかと尋ねたのだが、近くの木の根元辺りを顎で示されてしまった。


 コンコンと小気味こきみ良い音が鳴るのを尻目に、木々の間から星を見上げる。どれも煌々と光っている割には全体としてバランスが取れていて、どこをとっても絵になっていた。


 私はこれまで何不自由なく暮らしてきました。ごくごく普通の一般家庭の一人っ子として生まれ、愛情を注いでもらいました。向かう先についても私に一任して、私を第一に考えてくれていたかと思います。私にはとにかく余裕がありました。


 ですが、自由は時に酷なものです。なんにでも挑戦できた私の目標は、実際には始点と終点を縮めるためだけにあったようでした。(もっとも、それを挑戦というのも私の度数の強い色眼鏡がそうさせているのかもしれません。)それで、隙をさらしたのです。私は――



「大丈夫? 自分の名前いえる?」唐突に体を起こされる。どうやら眠ってしまったらしい。「ってかまだ聞いてないっけか」「そういえばまだわたしも名乗ってないじゃん!」「私は空中の空に水中の水、春夏秋冬の秋って書いて【からみず あき】よろしくね」


 今までがうそのように言葉が続く。辺りの雰囲気も相まって少々不気味だなと思いながらも後に続く、「ええと、僕は倉庫の倉に内側の内、文章の文で【くらうち ふみ】です よろしくおねがいします」 「ちょっと堅苦しいね」「はい?」「敬語やめてみようか」「分かりま……分かった」


 そんなことを話しているうちに、今までせき止められていた不安があふれ出してきた。辺りはすっかり真っ暗だし、ちょっと散歩するだけのつもりだったからスマホは家。おまけに甲斐性もないから自力で家に帰れるはずもなかった。そう思うと空水が途端に大事に思えてならなくなった。


「あの空水さん……」「さん付けもやめて」「……空水、ちょっと相談したいことが……」「あ! そういえばきみのために一つ、作ったものがあるんだよね」会話を遮られ続け、さすがに苛立ちを覚えつつも、これから助けてもらえればなんでもいいと思っていたため、追及はしない。


「実はさっき作ってたのこれなんだよね」空水が藁と木でできた何かしらを指さす「これって……?」「簡易ベットです! きみのね」言われた言葉の真意をなんとか探る。


「えっと野生動物の保護でもするのか?」「こんな大きいの熊でもなきゃオーバーサイズだよ」違うらしい。「大量に保護するとか……」「いいや一人用」違うらしい。「僕、ペットとか飼ってないよ」「だからきみのっていってるじゃん」違うのか……?


「はいはい、早く寝ないと風邪ひくよ」寝ても風邪をひきそうなのだがと思いつつも猛烈な睡魔に襲われ、文句の一つも言えずに藁のベットに敷かれ、寝てしまった。


 翌朝、辺りには人の気配はなく静かだった。帰れるか怪しかったが、ポケットにはなぜかスマホが入っていて、家路にはつけそうだった。すこしからだは火照っていた。



 






 



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