第3話 終

 ――全身が重くて指一本さえ動かすのが億劫だ。


 ぼんやりと浮上した意識でミツヤが正直に思ったことだった。まぶたさえも、鉄板か何かを仕込まれているのではないか、と疑うほどの重さである。


「おそよう。随分寝てたな。丸三日は最長じゃないか?」


「……オガタ、」


 目を開けてぼんやりとしていると横から声がかかった。オガタは読んでいたらしい古い文庫本を閉じると、立ち上がってミツヤの顔の真横に立ち――中指で思い切りミツヤの額を弾いた。


「イテェ」


 こっちは怪我人だぞ、と思いながらミツヤはオガタをにらんだ。


「今はこれで勘弁してやる。あとでカンナちゃんが来たらちゃんと謝れよ」


「……? 仕事に穴開けたことか?」


「違う」


 では何に対する謝罪だ、と言わんばかりの顔をするミツヤにオガタは爆弾を落とす。


「二年前の話。オマエがベロベロに酔って帰ってカンナちゃんに手を出しかけたときのこと、ちゃんと謝っとけ。命拾いしたんだからな」


「……は⁈」


 ミツヤの起き抜けの頭ではオガタの発言を理解するのに十数秒かかった。あまりの衝撃に起き抜けとは思えない音量の声を上げてしまい、盛大に咳き込む羽目になった。


「な、っんだ、それ、」


「あ、本当に記憶になかったのか」


 動揺するミツヤにオガタがのんびりと言う。


「オマエがカンナちゃんについた嘘かと思ってたよ」


「……そんなことでしょうもない嘘なんかつかねえよ」


「でも泥酔して帰った理由は話してないんでしょ」


「話す必要、ねえだろ、あんな胸糞悪い話」


 ミツヤはそう言ってオガタから目線をそらした。その日、ミツヤが泥酔したのには訳があった。男所帯の中で女と組んでいるミツヤは目立つ。他にも男女で組んでいるのはいるが、その時ミツヤが所属していた部隊ではミツヤとカンナだけだった。そのため嫉妬の対象にもなりやすく――その日は下卑た言葉でカンナを蔑んだ当時の上官と飲み比べをすることになった。ふらふらになりながらも最後まで飲んでいたのはミツヤであり、送ると言ったオガタを含む隊員の制止を振り切って自力で家まで帰った。そこまではミツヤもぼんやりと覚えている。


「うん、あれは上官もひどかったね。でもオマエ、その後の行動がいただけなさすぎるでしょうが」


「……部屋間違っただけだと思ってたんだよ」


「おめでたいアタマだこと」


 盛大なオガタの皮肉をミツヤは黙って受け入れた。確かに、今考えれば翌日のカンナを少し不自然に思ったことはあった。それを見ないふりしたのは間違いなくミツヤ自身だ。


 黙ってしまったミツヤを見てオガタはやれやれ、とため息をついた。


「じゃあ俺は医療班に伝えて、仕事に戻るから、おとなしくしとけよ」


「心配しなくても動けねえよ……」


「あと俺にも礼を言え。貴重な血を輸血用に提供してやったんだからな」


 医療班が血液型の合致する人間に片端から声をかけて回ったおかげで、なんとか救った命である。


「……それはどうも。恩に着る」


 おかげで助かった、と珍しく殊勝なミツヤにオガタは「早く復帰しろよ」と月並みの励ましの言葉を残していった。



 次にミツヤが目を覚ますと、あたりはすっかり暗くなっており、薄いカーテン越しに月光が差しこむのみだった。オガタが帰ったあとあれこれ検査をされ、完全に傷がふさがるまでは安静を言い渡された。そしてどうやらそのまま眠ってしまったようだ。


「あ、起きた?」


 女としては低いが、丸みを帯びている声がミツヤの頭上から降ってきた。ミツヤがよく知っている声だった。


「お前……もうここに入れる時間過ぎてるだろ」


「入れるようにオガタが書類を作ってくれた。持つべきものはいいトモダチだね、ミツヤ」


 フフフ、とイタズラが成功した子どものように笑うカンナにミツヤは毒気を抜かれた。


「ミツヤ、訊きたいことがあるんだけど」


「なんだ?」


 婉曲表現という単語が最も似合わないカンナは前置きをすることなく本題に入る。その性質はミツヤにとって好ましかったが、今日この時ばかりはそれを良しとしてきた自らを恨みたくなった。


「ミツヤが寝てる間にオガタと話をしたんだけど、その時に、ミツヤはガサツで雑だし、人の機微に疎いけど、私のことは昔からずっと大事にしてる、ってオガタが言ってた。それ、本当?」


 ミツヤが覚悟してたのとは別のことを訊ねられて、一瞬言葉に詰まり、同時に落胆もした。ミツヤ自身、自分の振る舞いがすべてカンナに伝わっているとは思っていなかったが、これは想像以上に伝わっていない。


「……違ったら、ごめん」


 ミツヤが言葉に詰まったのを見てか、カンナは謝罪を付け加えた。その声がかすかに震えていたことはミツヤにしかわからない。何を謝らせているのか、とミツヤは慌てて否定した。


「いや、違わない。違わないから謝るな。俺なりに、お前のことは大事にしてきたつもりだ」


 その言葉にカンナはホッとしたように目許を緩めた。


(――頼むから、そんなふうに笑ってくれるな)


 美しく研ぎ澄まされた刃のような女。その表情が柔らかく崩れる様を、頼むから他の誰も見ることがないように、とミツヤは思う。


「でもお前には伝わってなかったことがよくわかった」


「……そんなことない」


 ムッとしたように否定するカンナにミツヤはなおも言い募る。


「いや、ある」


「ミツヤ、私がばかだと思ってるでしょ。この組織にいて、女の私が今まで人間扱いされてきたのはミツヤのおかげだって知ってるよ。……あの日だって、そうだったんでしょ」


 そう言ってカンナは目を伏せた。あの日、というのがいつを指しているのか、いやでもミツヤは理解した。先程オガタが特大爆弾として放っていったあの日だ。


「……否定は、しない」


「私には聞かせられない話?」


「聞かせたくない話だ」


 ミツヤの答えにカンナは驚きに目を見開いたのち、微笑んだ。


「過保護」


「なんとでも言え」


 不貞腐れたような口調で言うミツヤにカンナは今度こそ声を出して笑い、ミツヤの手を取る。油気がなくかさついて、マメやタコがたくさんできている手だった。そして、ぐい、と身を乗り出してミツヤの耳元に囁く。


「……あのね」


 ――私、ミツヤなら、悪くないと思ってるから。


 その瞬間、ミツヤとカンナの目線がパチリ、と合った。が、すぐにカンナはふい、と視線をそらして立ち上がった。


「また来る。早く治してね」


「おい、」


「じゃあね」


 動けないミツヤを置いて、カンナは病室を出て行く。待て、言い逃げなんてずるいぞ、とミツヤが言う暇もなかった。


「クソ、あいつ……!」


 ――煽るだけ煽って逃げやがって、


 覚えとけよ、とおよそこの場にふさわしくない物騒なセリフをミツヤは小さくつぶやいた。


〈END〉


CAST

ミツヤ…御津矢 アマネ

オガタ…緒方 大和ヤマト

カンナ…貫名 千草チグサ

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