第2話
その日、本部で待機をしていたオガタのもとに緊急連絡が入ったのは昼前のことだった。発信元を確認するとカンナであり、一体何事かと慌てたオガタは執務室の椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がった。
「応援行った⁈」
大慌てで副官に確認すると、副官はすらすらと「ゲリラ襲撃に合ったようで、実行犯五名は拘束済。ただし一名が逃走中ですので、近くの班を向かわせました。ミツヤさんとカンナさんは本部の救護詰所です」と答えた。
「二人とも怪我したの?」
「……聞きます?」
副官の苦い声にオガタは一瞬迷ったが「頼むよ」と答えた。
「ゲリラの銃撃によってミツヤさんが大腿部を負傷、それをカンナさんが担いで本部まで戻ってきたんですよ。カンナさんも血まみれだったので大騒ぎになったそうです」
「……容体は?速報レベルの情報でいい」
「ミツヤさんは出血がひどくて意識なしの重体ですが、カンナさんは無傷だそうです」
「わかった。ちょっと様子を見てくる。現場の指揮はよろしく頼んだ」
「承知しました」
副官はオガタに敬礼をすると去って行った。
○
「オガタ、」
「……ひどいな」
オガタが救護詰所に到着すると、すぐカンナに声をかけられて振り向いた。振り向いた先にはお世辞にも衛生的とは言い難い格好のカンナがたたずんでおり、思わず言葉が飛び出した。
血まみれだった、という副官の言葉は正しく、カンナの両手はべったりと血にまみれ、その手で顔をぬぐったせいか、額や頬にも血がついていた。支給された服は黒いため目立っていないが、おそらく血液がしみ込んでいるのだろう。
「シャワー浴びて着替えておいで」
そのままだと不衛生であるうえに、衣服が血で濡れている以上体温を奪われる。二重の意味で着替えることが望ましかった。
しかし、カンナは真っ直ぐオガタを見つめて言い切った。
「……いやだ、ここにいる」
その様子は駄々をこねる子どものようで、オガタは呆れた。自らが所属する部隊でもなかなか隊長に逆らうことはないだろう。ましてオガタはカンナとは違う部隊の長である。
「ここにいて、役に立つことがある?」
オガタの問いかけにカンナは唇をかみしめてうつむいた。なにもできることがない、というのはカンナ自身も重々承知しているのだろう。
「ミツヤが負傷した時の状況を教えてほしいから、シャワー浴びて着替えたら俺の部屋に来て」
「……わかりました」
カンナは渋々オガタの言うことを聞いた。これが他の人間では言うことを聞かせられなかっただろうな、とオガタは思う。ミツヤと関係が深いオガタだからこそなせる業である。だからこそ、副官はオガタがカンナの様子を見ると言ったときにあっさりと承諾した。どんなに扱いが難しくとも、貴重な人手だった。
(オマエ、本当に面倒な子を拾ったよ)
このまま死んだら恨むぞ、と思いながらオガタは白い雲が薄くたなびく空を見上げた。
シャワーを浴びて着替えてきたカンナの格好を見てオガタは苦笑した。黄色のフーディーに濃灰色のスウェットの組み合わせには見覚えがあった。おまけにカンナの体格に対して服のサイズが大きすぎる。
「……それ、ミツヤのだろ」
「着替えの補充、忘れてた。お互いに共用ってことにしてるの」
まさか下着もじゃないだろうな、と訊ねかけたが、寸でのところでなんとかこらえた。ミツヤとカンナの身長差は一〇㎝あるかないか、というところだが、体格はミツヤの方がよい。そこで、ミツヤのサイズに合わせた着替えをロッカーに常備することで、互いの予備として機能させていた。予備を拝借する頻度は明らかにカンナの方が高かったが。
「で、さっきの話だけど、ミツヤが負傷したときの状況は?」
オガタに求められてカンナは話をする。一通り聞き終わったオガタは「わかった」と言った。そのオガタにカンナが訊ねる。
「今度は私に教えて、ミツヤ、死ぬの?」
「……訊きたいの?本当に」
ストレートに訊ねられてオガタの方が動揺してしまい、思わず問い返したが、カンナは素直にうなずいた。オガタの元には〝輸血量が足りないままだと命を落とす〟という情報が届いている。
「ミツヤがいないなら私はここにいる理由がないから」
「――は?」
さらに思いがけないカンナの発言にオガタは素の声で返してしまう。
「どういうこと、ミツヤと何か約束してるの」
「約束じゃなくて契約。ミツヤが私と組む前に言ったの。『お前は俺の手足になれるし、目にも耳もなれる。でも、心臓にはなるな』って。どういうことって訊いたら『万が一俺が死んでも俺の代わりにはなるな、組織からも自由になれ。そういう契約だ』って答えてくれた。だから、ミツヤが死んだら私はここを出るって決めてる」
「本当に、自由になれると思ってる?」
オガタの言葉にカンナは目を細めた。
「オガタこそ、私を本当に拘束できると思う?」
部隊の中の誰よりも私が強いよ、と淡々と言うカンナにオガタは両手を挙げた。
「わかったよ、カンナちゃんの意思を尊重する」
「……ありがと。それで、ミツヤは」
「俺にもわかんない。でもこのままだと五割死ぬね。たまたま血液型が一緒だってだけでいきなり俺の血を抜く程度には出血がひどかったって」
その言葉にカンナは一瞬泣き出しそうな顔をしたが、すぐにいつもの表情に戻った。そしてぼそり、とつぶやいた。
「こんなことなら、あのとき抱かれてあげた方がよかったかな」
「は⁈」
二度目の素の声がオガタの口から飛び出た。先日ミツヤとは何も関係がない、という言葉をカンナから聞いたばかりだというのにあれは嘘だったのか、とオガタの脳内はめまぐるしく考えを巡らせた。
「なに、どういうこと、この間何もないって言ってなかった⁈」
オガタの詰問にカンナは渋々といった体で答えた。
「未遂、だし、オガタはミツヤのトモダチだから、言ったらミツヤが可哀想だと思って」
ミツヤの名誉のために黙っておくのがよい、と判断されたらしいことがオガタにも伝わったが、それにしても、と頭を抱えた。
「それ、いつの話」
「二年くらい前。一回、ミツヤがすごく酔っ払って間違えて私の部屋に帰ってきたことがあって、」
「……部屋、隣同士だったっけ」
オガタの確認にカンナは黙って首を縦に振った。治安維持部隊の生活基盤として提供されている寮は基本的にバディで隣同士になっている。通常バディは同性同士で組まれ――これは男性が多い組織だということもあるが――男女別のフロアになっている。しかし、ミツヤとカンナを筆頭とする男女バディは、ワンフロアに二部屋のみある別棟を生活の基盤にしていた。
「で、お互いの部屋の構造は同じだから、当たり前のように寝起きに使ってる部屋も同じで、そこに連れていかれて、やっぱりそういうことか……って思ってたけど、結局ミツヤがそこで寝たからなにも起きなかった」
実際にカンナは今でも当時のミツヤの体温や息遣いをはっきりと思い出せる。獲物を追い詰める肉食獣を思わせるミツヤの動きに、一瞬身体がすくんだが、それでもいいかと受けれようとしたこともよく覚えている。ただ、ミツヤは最後に一瞬正気を取り戻したのか「ごめん」と一言カンナに謝ったのちすぐに眠りこんでしまった。これはオガタには言う必要のないことだった。
「ミツヤはそれ、覚えてたの」
「ううん、翌朝起きたら私の部屋と自分の部屋を間違えたことさえ覚えてなかった」
「言いにくかっただろうけどそれ、当時言ってほしかったよ。あと一応訊くけど、合意を得る場、あったよね?」
オガタは恐る恐る確認するが、カンナからは煮え切らない返事があるだけだった。
「よし、絶対ミツヤは生かす。起きたら一発殴ってやらないと気が済まない」
「やめて」
そうなることが予想できたから当時も今も言うことを控えようと思ったのだ、と言うカンナにオガタは真剣に言い聞かせた。
「――どんなにカンナちゃんがいいと思っていても、ミツヤの行いはダメなんだよ」
「……だめなの?」
「ダメだよ。少なくとも合意も得ていない仕事仲間と肉体関係を持っちゃダメだ」
「……うん」
一応法律上は成人である彼女に何を説教しているのか、とオガタは状況の不毛さにため息をついた。
「まあでも、そのあたりもちゃんと確かめよう。ミツヤはガサツで雑だし、人の機微に疎いけど、カンナちゃんのことは昔からずっと大事にしてるから」
「……そう、かな」
首を傾げるカンナにオガタは深くうなずいた。
「そうだよ。でも、あいつのやり方はわかりにくいから、問い詰めてやるといい。カンナちゃんにはその権利があるし、ミツヤにも答える義務がある。このままあいつが死んだら、一生引きずらなくちゃいけない。……そんなの、いやだろ?」
オガタの問いかけにカンナは「いや」と答え、オガタはそんな彼女にいたずらっぽく笑いかけた。
「あいつが起きて元気になったら一発殴れるように今から鍛えとこう」
「うん」
パンチを繰り出す仕草をして笑うカンナに、オガタは心の底からホッとした。
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