ふられてんか

枕崎 純之助

ふられてんか

 アタシの名前は浦辺天花うらべてんか

 小学校時代のあだ名は『ふられてんか』。

 不名誉ふめいよなあだ名だ。

 これは小学生時代に好きだった同級生の直人くんに告白をしてフラれ、最悪なことにその直人くんがそれをクラス中に言いふらしたせいで同級生たちから名付けられたのだ。


「何や浦辺。フラれたんか」

「浦辺天花やなくて、ふられてんかやな」


 そう言って同級生らにからかわれたことがアタシにのろいをかけたかのように、その後のアタシの恋愛はことごとく上手くいかなかった。

 中学、高校、大学と「ふられてんか」の実力をいかんなく発揮はっきして失恋が続き、社会人になってから出来た彼氏にもつい先ほどフラれたところだ。

 半年程度の短い付き合いだったけれど、ダメージは思いのほか大きい。

 またダメだったという思いがアタシの心の奥底に油汚れのようにこびりついている。

 今夜彼氏と出かける予定だった居酒屋で、アタシは八つ当たりのように1人孤独なやけ酒をあおった。


「何やねんアイツは。LINEでサヨナラとか薄情すぎるやろ」


 急ピッチで酒を飲み続けると今までの失恋が走馬灯のように頭によみがえり、ますます頭にきては酒をあおるという悪循環で、アタシはあっという間にベロベロになっていた。

 まだ時刻は午後6時になったばかりだというのに、すっかり出来上がってしまっている。

 しかも悪いほうの出来上がり方だ。


 この先もアタシにはロクな恋愛が訪れないに決まっている。

 すべては小学生時代のあののろいのせいだ。

 アホ直人め。

 人の真剣な想いをもてあそびくさりおってからに。

 アタシはアホ直人が今頃どこかで女に刺されて死んでいますようにとのろいながら思わず1人つぶやいていた。


「どうせアタシは……ふられてんかや。アホくさ」


 そんなアタシの言葉に前の席でアタシに背を向けて飲んでいた客が反応して後ろを振り返った。

 50近い年齢のオッサンやった。

 オッサンはおもろいもんでも見るかのようにニヤリとすると気安く声をかけてきた。


「何や姉ちゃん。ふられてんか? それ何の話や?」


 オッサンは興味ありげにニヤニヤとしてそう言った。

 何やこのオッサン。

 馬鹿にしとんのか。

 アタシは酒の勢いもあってぞんざいな口調でオッサンを追い払おうとした。


「見せもんとちゃいますよ。ってか話しかけんといて下さい。友達ちゃうんで」

「ええやんか。そないにガバガバ飲むほど嫌なことがあった日は、吐き出したらええねん。あ、酒は吐き出したらあかんよ。店に迷惑やさかいな」


 腹立つオッサンやな。

 それでもアタシはオッサンを追い払うのも面倒くさくなって、酩酊めいてい状態のままツラツラと過去のあだ名エピソードをオッサンに話していた。

 見ず知らずのオッサンにこんな話をするとか、アタシもどうかしとるわ。

 けどオッサンはニコニコしながら話を聞いとったかと思うと、急に自分のことを語り出した。


「ワシもガキの頃のあだ名、ベン・ジョンソンやってん。知っとるか? 有名な陸上選手のベン・ジョンソン」


 知らんわ。

 オッサンの話す「昔すごかった人」の話はたいてい知らん人や。

 アタシが白けとるのも構わずにオッサンは興が乗ったように話を進める。


「何でベン・ジョンソンと呼ばれとったか教えたるわ。ワシ、ガキの頃から頻尿ひんにょうやってん。トイレが近くてな。ほんで便所ンソンや」


 しょうもな!

 何やねんそのしょうもないエピソード。

 アタシはその話にどないな返しをしたらええねん。


「学校の授業の合間の休み時間になるとな、同級生らにようけからかわれんねん。トイレ行かんでええんか便所ンソン。便所へ100メートル9秒83で走らんかい便所ンソン。ってな具合にな」


 悲しくなるからやめてくれ。

 イジメられとるやないか。

 アタシがげんなりした顔をしているのを見たオッサンはガハハと赤ら顔で笑う。


「そこは盛大に笑うとこやろ。姉ちゃん」

「笑えませんよ。悲しい話やないですか」

「そうか? けどな、ワシがベン・ジョンソンと呼ばれとった理由はもう一つあんねん。こう見えてワシ、めちゃくちゃ足速かってん」


 出た。

 オッサンの武勇伝。

 昔はすごかった話。

 これほど聞くのがバカバカしい話はない。


「へぇ。すごいですね」

「アホ。すごいどころやないで。大阪の地方予選で中学1年から3年連続で1位やったんやぞ。それで陸上でスポーツ推薦すいせんもろて強豪高校に入ったんや」

「へぇ。大したもんですね」


 適当に聞いとるのが丸分かりなアタシの返しにもオッサンは気を悪くすることもなく話を続ける。


「不良生徒らに便所ンソンと馬鹿にされ、カツアゲやイジメの標的にされそうになった時は、その足の速さが役に立ってん。ワシ、一目散に逃げたんや。普段ダラダラしとる不良生徒どもはワシに追いつけるはずもない」

「そらそうですね」

「ワシ、短距離だけやなく長距離もそこそこ得意やったからワシが逃げると不良生徒ども誰1人としてついてこられん。あいつらヤニ吸うやろ? すぐ息切れすんねん」

「ぷっ」


 不覚にもオッサンの話にアタシは少々おかしくて噴き出してしまった。

 それに気をよくしたオッサンの口はますますよく回る。


「あいつら腕っぷしは強くても持久力ないからなぁ。ワシが走ると後ろからヒイヒイ言いながら必死について来ようとすんねん。待たんか卑怯ひきょう者。逃げるな言うてな。んで500メートルくらい走って後ろを振り返ると、不良ども地面に全員倒れとんねん。息も絶え絶えや」

「ぶははははは! コントか! 話盛り過ぎやろ」


 不良生徒どもがぶっ倒れとる絵を想像したら、何や爆笑してしもた。

 若い娘を笑わせたったとオッサンはもう有頂天になって饒舌じょうぜつに語る。


「それから陸上で結果を出すたびにワシのベン・ジョンソンというあだ名は不名誉ふめいよなそれから名誉めいよなそれに変わっていったんや。マンモス校やったから学年10クラスあったんやけど、全然知らん生徒からもベン・ジョンソンやって言われるようになってな。ワシの本名知らん奴らもベン・ジョンソンの名前だけは知っとったわ」


 何や……このオッサンもしかして、落ちこんどるアタシをなぐさめようとしとるんか?

 そんなええ話風に仕上げても心に響かんよ。

 そんな安い女とちゃうねん。

 

「3年生の地方大会で優勝した時なんか、校長先生まで全校朝礼でワシをめてくれてな。ベン・ジョンソン君は我が校の誇りや言うて。いやそこは本名言うところやろって盛大に突っ込んだったわ」

「いくら何でも話盛り過ぎとちゃうん?」

「せやけどな。そんなワシにも追いつけん奴が1人だけおった」

「へぇ。誰なんです?」

「逃げたよめや」

「に、逃げられたんですか」

「ああ。ジョイナーみたいな速さで逃げて行きよった。ジョイナーやで」


 知らん。


つめも長くてよう顔を引っかかれたわ。どや? ワシの元よめ、ジョイナーやろ?」


 いや、だから知らんて。

 何やこれ。

 オッサンの鉄板ネタか。

 しょうもな。


 そこまで話を聞いて、ガブ飲みした酒のせいか急にトイレに行きたくなり、アタシはフラフラとトイレに向かった。

 ほんで用を足して席に戻ると、さっきのオッサンはもういなくなっとった。


「何や……帰ったんか」


 拍子抜けして一人そうつぶやいたアタシはふとテーブルの上を見る。

 するとそこには真新しいコースターが置かれていて、それには下手くそな字でこう書かれとった。


【「ふられてんか」も名誉めいよなあだ名に変えたったらええ。君をフッた男らが後悔するようなええ女になり】


 ふん。

 何を月並みなことを言うてんねん。

 よめに逃げられとるくせに。

 そこでふと気付くと、プラスチックの筒に差し込まれとったアタシの伝票がないことに気付いた。

 アタシがキョロキョロしているとそれに気付いた店員のオニーサンが声をかけてくれる。


「お客さんのお代、ベン・ジョンソンさんが払ってくれましたよ。毎度あり」


 ……マジか。

 というかあのオッサン……店員にもベン・ジョンソンと呼ばれとる。

 アタシは思わず口元がほころぶのを抑えられなかった。


「逃げ足も速いオッサンやな。さすがベン・ジョンソン。誰か知らんけど」


 そう言って店を後にするアタシは、彼氏にフラれた気分の重さが少しだけ軽くなっていることに気付くのだった。


終わり

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