悪役令嬢、改造計画

金城由樹

「悪役令嬢」って呼ばれたけど、ただの天然でした。

 五月のある日の昼休み。

 土師山はじやま女学院高校の中庭には、噴水の音と、花壇のラベンダーの香りが満ちていた。

 青空はどこまでも澄み渡り、制服のセーラーカラーを風がやさしく撫でていく。


 ベンチに並んで座る二人の一年生――阿久津あくつ麗羅れいら佐々木ささき遥香はるか

 広げられたお弁当箱の中には、家庭の味とお嬢さまの味が並んでいた。

 手作りの卵焼きと、いかにも高級そうなローストビーフ。

 どちらも美味しそうではあるが、内容が違いすぎる。


「ねぇ、遥香。……わたし、イメチェンしようと思うの」


 その“お嬢さま”側の方――阿久津麗羅が、唐突にそう切り出した。

 長身で、背筋がすっと伸びている。

 黒髪は腰まで届くほどの長さで、まるで絹糸のような艶を放つ。

 吊り目ぎみの瞳には知性と緊張感が宿り、無意識のうちに人を圧する気品があった。

 それもそのはず、麗羅は”阿久津グループ”の社長令嬢。

 テレビやネットでその父親の名を見たことがある生徒も多く、“あの子があの大企業の娘らしい”という噂は、入学初日から瞬く間に広まっていた。


「イメチェン?」


 箸を止めて、佐々木遥香が首をかしげる。

 短めの黒髪に、どこにでもいそうな丸い瞳。

 身長も平均、成績も中の上。

 自分で「これといって特徴がない」と言うタイプの、 “普通代表”の女子生徒だった。

 けれど、表情はいつも明るく、頭の回転が早い。

 気づけば、天然発言を連発する麗羅の“ツッコミ役”を自然に担うようになっていた。


「どうしたの、急に? ヘアサロンでも変えるの?」


「ううん、そういうんじゃなくて――なんか、もっと根本的に。“人間としてのリニューアル”みたいな」


「壮大だな」


 遥香は苦笑して、お弁当のおにぎりを頬張る。

 麗羅は少し眉を寄せ、芝生の向こうを眺めた。

 輪になって笑い合うクラスメートたち。


「……最近ね、なんだか周りがよそよそしいのよ」


「え?」


「目が合うと、ちょっと引かれるの。あれ、気のせいかしら」


「うーん……気のせいじゃないかもね」


「やっぱり!?」


「まぁ、””って名前だけで、ちょっと構えられるのは仕方ないよ」


「そんなぁ……」


 麗羅は両手でお箸を持ったまま、肩を落とした。

 姿勢まで気品があるのが腹立たしい。


「しかもその見た目。ロングヘア、バッサバサのまつげ、つり目がちの目、背も高い。おまけに名字が“津”で、名前が”羅”。これはもう、“悪役令嬢”要素が満載だし……」


「悪役令嬢て……。わたし、誰もいじめてないのに」


「いじめてなくても、そう“見える”んだよ。人って、見た目と喋り方の印象で八割決まるんだから」


「そんな悲しい統計があるの?」


「ないけど、今わたしが作った」


「適当すぎますわ!」


 二人の声が噴水の水音に混じって弾けた。

 周囲のグループがちらっと視線を寄せる。麗羅は小さく肩をすくめた。


「……じゃあ、どうすれば“普通の子”になれるのかしら」


「まずは、“お嬢さま感”を減らすとこからかな」


「お嬢さま感……って、どこで出てるの?」


「うーん、まず喋り方。“~ですわ”とか“ごきげんよう”とか」


「あれはマナー講師の先生に教わったのよ!」


「だからそれがもう、悪役令嬢教育なんだって!」


「な、なんですって!」


 麗羅の目が、ますますつり上がる。


「その“なんですって!”がそれ! 完全に“庶民を見下す学園ドラマのセリフ”!」


「えっ、ほんとうに!?」


「うん、アニメなら今のところでバイオリンが流れる」


「ぐぬぬ……!」


 麗羅は唇を尖らせた。

 どうやら本気で悩んでいるらしい。

 いつもは大企業の社長の娘として毅然とふるまっているが、中身は人懐っこく、どこかズレたおっとりキャラ――つまり、根っからの“ボケ”だった。


「じゃあ、方言使ってみるとかはどう?」


 と、麗羅が提案する。


「方言?」


「関西弁とか。あれ、親しみわくじゃない。“なんでやねん”とか」


「いや、それ絶対似合わないって」


「どうしてよ!」


「今の“なんでやねん”が、完全に“宝塚の王子様”口調だったから」


「えっ、そんなこと……!」


「“庶民が憧れる高貴な人”のイントネーションだよ。わたし、ちょっと感動したもん。“芝居”として完成してた」


「芝居じゃないのにぃ……!」


 麗羅が頭を抱える。

 遥香は笑いをこらえながら、静かに水筒の紅茶を差し出した。

 中庭の木陰では、蝶が一匹、舞うように通り過ぎていく。


「じゃあ、髪を短くするとか」


 今度は、遥香が提案する。


「ダメ。お父様の秘書が泣くわ。“阿久津家の誇りが失われます!”って」


「家の誇りが髪の毛て」


「あと、“朝食には必ずアッサムティーを”っていう家訓もあるの」


「細かっ! それもう令嬢じゃなくて文化遺産だよ」


 麗羅は苦笑いした。

 その笑顔は、普段の“凛としたお嬢さま”の顔とは違って、柔らかい。

 ――こんな表情を見せれば、誰も彼女を「怖い」とは思わないのに、遥香はそう思った。


「ねぇ麗羅、無理に変わらなくてもいいと思うよ」


「えっ?」


「悪役令嬢っぽいって言われても、それって要するに“華がある”ってことだし。 みんなちょっと遠慮してるだけで、嫌ってるわけじゃないと思う」


「……でも、近づきがたいって言われたら、ちょっと寂しいじゃない?」


「じゃあ、“おもしろキャラ”路線を開拓する?」


「おもしろキャラ?」


「うん。“庶民に憧れるお嬢さま”を自称しちゃうの。“わたくし、今日初めて購買のパンを買いましたの!”みたいに」


「なるほど、それはちょっとウケるかも」


「そうそう。笑いは距離を縮める最強のツール!」


「でも、そんなことしたら……本当に“ネタキャラ”になっちゃうかも」


「ネタキャラでいいじゃん。愛され悪役令嬢!」


「愛され……悪役令嬢……」


 麗羅は小さく呟いて、空を見上げた。

 その横顔は、春の終わりの陽射しに照らされて、どこか誇らしげだった。


「ふふっ、そうね。いっそ振り切って、“悪役令嬢”を名乗るのも手かもしれないわね」


「まさかの開き直り」


「“阿久津麗羅ですわ! 庶民の皆さま、今日もごきげんよう!”って」


「ほらもう、怖い! 声のトーン上がると一気にラスボス!」


「えっ、これでもダメ!?」


「うん、今のは“期末試験で主人公を落第させる側”の声!」


「そんなポジションいやぁぁ!」


 二人は顔を見合わせて笑った。

 噴水の水音が弾むように響き、昼休みの風がスカーフを揺らした。

 しばらく笑い転げたあと、遥香が息を整えて言った。


「でもさ、麗羅のいいところ、ちゃんとみんな気づいてると思うよ」


「いいところ?」


「うん。真面目で、気遣いもできて、あと――ボケ方が天才的」


「ボケって褒めてる!?」


「褒めてる。ツッコミ冥利に尽きる」


「むぅ……。でも、そう言ってもらえるのは嬉しいわ」


「でしょ? だったら、このままでいいんじゃない?」


 麗羅は少し黙って、芝生に舞う影を見つめた。

 風が頬を撫で、髪を揺らす。

 彼女は深呼吸をして、笑みを浮かべた。


「……やっぱり、めんどくさくなってきた。このままでいいかもだわ!」


「結論早っ!」


「だって、キャラ変とか大変だし」


「努力の放棄を堂々と宣言するな!」


「でも、わたしの周りには遥香がいるし。それで充分よ」


「えっ、なんか今、名言っぽく言ったけど、照れるなぁ」


「ふふっ、面白いですわね」


「はい出た! “ですわ”復活!!」


 二人の笑い声が、昼下がりの空に溶けていった。

 五月の風はやさしく、まるでその笑いを運ぶように中庭を駆け抜けていく。



 阿久津麗羅――生まれながらの“悪役令嬢”と呼ばれた少女。

 佐々木遥香――平凡であることが最大の強みな“ツッコミ役”。


 二人の昼休みは、今日も静かに、そして愉快に続いていく。

 ――“悪役令嬢、改造計画”は、こうして初日で終了した。



(了)

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