ライター借りていいですか
九分九りん
第1話
「すいません、ライター借りていいですか」
ちょうど2本目を吸い始めたところだった。肯定の意味を込めて頷きとお辞儀の間くらいで、3回くらい頭を下げた。
ほんの数秒で自分の手元に帰ってくるライターを見て、この人はこの後どうするのだろう、と考える。コンビニへ行ってライターを買うのが相場だと思うが、もしこの人がライターを持たない信条がある人だったら?そんなしょうもないことを考えて、灰皿へ煙草を捨てた。
喫煙所からは外が見える。ぼーっと人の流れを眺めてみる。キャリーバッグを引いて颯爽と歩くスーツ姿の人、電子掲示板を眺める人、ベンチでスマホを眺める人。ここにいる人たちは、あと1時間そこらで空の旅に出ることだろう。
私には、あと3時間ある。この3時間の消費方法について、思いを馳せていた。
現在朝9時。私は12時40分のフライトで東京へ帰宅する。
大きな荷物は郵送で自宅に送ってしまったから、預けるものもない。
もっとゆっくり朝をすごしてから来ても良かったのだが、昨日のうちに旅の目的を終えた私には市街地に滞在する意味も特に無いので、空港で時間を潰すことにした。
しかし、実際に空港へ到着した私はただふらふらするばかりで、煙草を吸いたくなるまでの時間稼ぎに散歩をしているような状態だ。
「あの、すいません」
「えっ、あ、はい」
喫煙所から出るとすぐに、若い女性から声を掛けられた。突然の事に驚いたが、何やら困っているようなので、イヤホンを外して耳を傾ける。
「人を探してて。黒のニット帽と、あと背が高くて、ええっと……虎がついたパーカーの男なんですけど」
虎がついたパーカー。もしかしたら、ライターを貸したあの人かもしれない。ニット帽や身長についてはあまり覚えていないけれど。
「喫煙所にいたかもしれないです。あ、もう少し前に出ていっちゃいましたけど」
「あの、その人ライター持ってましたか」
「え?あ、いや、貸してって言われました」
女性は私の言葉を聞くと、悪い知らせを聞いたみたいに顔色を変えた。ライターを貸した時の私のように数回頭を下げて、女性は小走りで去っていく。
ライター、何かあったのだろうか。
例えば2人がカップルだとしよう。そして、女性にとって特別なライターがあった。なんだろう、贈り物とか。それで、そのライターを男性に貸していて、そのまま喧嘩をしたものだから連絡もとれず、ライターを捨てられてしまったかもしれないと危惧している……みたいな。
他に考えられる線としては、あの男は妖怪ライター借りで、女性は何らかの理由でそいつを探している。服は着替えられるかもしれないから、ライターを借りるという特徴から特定しようと思った……とか。
なんだよ、妖怪ライター借りって。まあ、前者かな。
答えは出ないので自分の中で納得するしかない。私はまた時間を潰すために歩き始めた。
少し開けた空間に、人混みができている。ツアーのために集まった人たち、といった様子でもない。皆が一箇所を見つめていて、こそこそ何か話しているようだ。
なにか事件でもあったのだろうか。野次馬のようで気が引けるが、今の私は時間を消費できる何かに飢えている。ゆっくり、なるべく自然にその人混みの中に混じって、視線の先に目を向けた。
ガラスで仕切られた向こう側。保安検査通過後のあちら側で、女性が暴れていた。
空港職員や警察なんかがたくさんいる。女性は羽交い締めにされて、手に持っている何かを取り上げられた。
大量の、ライターだ。
「あの、その人ライター持ってましたか」
数十分前の記憶が蘇る。
暴れている彼女は、私に声をかけてきたあの女性だった。
「ライター?」
「ライターって、持ち込み一つだけじゃない?」
「それで?ええ〜、やば」
周りの人々がこそこそと話す。暴れる女性、取り上げられたライター。ガラスの壁を隔てたこちら側から予想できるのは、ライターの持ち込みを拒否された女性が、ゲートを強行突破して大暴れしているのだろう、ということだけだった。
ライター。
特別な、ライター?
なんだか動悸がする。
なにかとんでもないドラマの登場人物の一人にされてしまったような、そんな気分だった。
女性は地面に伏せる形で取り押さえられて、大人しくなった。苦虫を噛み潰したような顔をして、遠くを見つめている。野次馬たちが徐々に興味を失い減っていく中で、私一人がぼーっとその様子を見つめ続けていた。
どれだけあの場にいただろう。時計を確認してから、少し早歩きで喫煙所へ入った。火をつける。落ち着いて考え事をしたかった。
そうだな、辻褄を合わせるならば、特別なライターは見た目では判別ができないのだろうか?
そのライターが特別なのは別に贈り物だからでは無く、共にすごした時間だとか、人生のターニングポイントに関与していただとかそういう理由からであって、見た目は普通の百円ライターなのだ。
だから彼女はそれを取り返すために、目に付いたライターを全て手に入れた。捨てられたものだとか、喫煙所に放置されたものだとか、とにかく全てを。だからその全てと共に飛行機に乗る必要があった。しかし機内に持ち込めるのは一人一個だけなので、彼女は追い込まれてしまった。
いや、しかし、待て。取り上げられた大量のライターは、色とりどりだった。流石に同じ百円ライターとはいえ、色くらいは覚えているはずだろう。つまり彼女は、特別なライターの見た目を知らなかったのだ。
そうなると残された可能性はひとつ。彼女は彼から言伝だけで聞いていたのだ。自分が持つこのライターには特別な何かがある、と。何としてでもそれを持ち帰る必要があったのだ。
ライターに付与できる特別な何か。しかも、あんな大暴れするほど特別なのだ。思い出なんかでは足りないか。
液体?オイルの代わりに何かが入っていた?ならば彼は、何故別でもうひとつライターを用意しなかったのだろう。ただ単純に忘れていた?なくしてしまった?それとも、
「すいません、ライター借りていいですか」
「え、あ」
黒のニット帽、背が高くて、虎がついたパーカー。
「ごめんなさい、嫌だったら」
「あっ、わっ、あの!ら、ライター!」
自分の耳に届いた自分の声が、予想より大きすぎた。灰皿横に置いていたライターが、音を立てて床に落ちる。どくんどくんという心臓の音も重なって、ライブ会場みたいだ。喫煙所にいる人達は、みんなこちらを見ていた。汗がどっと溢れる。
「えっと、ええっと……あ、あなたを探している、女性がいて」
「はあ」
「それでその、ら、ライターをたくさん持って、暴れていたんですけど」
「へえ」
「ぼ、ぼくに聞いたんです。あなたがライターを持っていたかって」
「それで?」
彼の表情は、変わらない。世間話を聞くみたいな態度で、眉ひとつ動かない。
「それで……それで、あの、ええっと……」
それで?私は何を聞きたい?彼女はもう捕まってしまったから、人探しの手伝いをすることは出来ない。その時点で私の役目は終了していたのだ。
私の頭の中で繰り広げられたストーリーを、見ず知らずの彼にぶつけてどうする気だったのだろう。変な人だと怪訝な顔をされて終わりだ。
「ええと、ただ、ちょっと、気になってしまって」
「そうですか。あの女は使えなくてダメでした。それより、」
ピンポンパンポン
喫煙所内に、いや、空港内にアナウンスが鳴る。
「12時40分発東京行きは、まもなく致しますと搭乗手続きを締め切らせていただきます。まだ搭乗手続きがお済みでないお客様は、お急ぎ出発カウンターまでお越しください」
まずい。私の乗る飛行機だ。アナウンスを聞いて表情を変えた私に気が付いたのか、彼は話を止めた。
「すいません、じゃあ……」
「ちょっと待って」
そそくさと喫煙所を出ようとする私を、彼は引き止める。それからしゃがんで何かを拾った。
「ライター、落としましたよ」
「あ……どうも」
「これだけ、火付けてもいいですか」
彼は申し訳なさそうにそう言って、手に持っていた煙草を見せた。
「はい……どうぞ……」
やっぱり、妖怪ライター借りだ。
私はただ呆然と、煙草に火をつける彼を見つめることしかできなかった。
ライター借りていいですか 九分九りん @9bu9rin
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