第3話:いらぬまじお饅頭

複数の人が同じタイミングで受けた悲しさは、「それぞれに ひとつ」だと思う。

もちろん、受けた人の立ち位置によって、量や質やかたちは違う。

でも、辛く悲しかった出来事のときに貰う「おいしくないお饅頭」は、ひとりにひとつ。

ただし、それぞれの大きさは違う。


私のお饅頭は「半分」、別の人のお饅頭は「まるまるひとつ」、かもしれない。

でも、「おいしくないお饅頭を貰った」という、ざっくりとした事実は、同じ。


私は半分だったから、無理をしてでも食べることができたけれど、別の人はその倍のひとつ分を食べなくてはいけない。

きっと苦しいだろう。そう想像してしまう。

別の人がかわいそう…と、その人の半分の半分を食べてあげようと、してしまう。


誰かが幸せになっただろうか?

「ふたりとも、おいしくなかった」という嫌な思いは、変わらない。


自分だけ、たくさん食べさせられた

私もおいしくないのに、食べてあげた


結局、「おいしくないお饅頭」を貰った以上、おいしくなかった、という事実は変わらない。

食べる量が半分になったから、「おいしくなる」ことはなく、

半分余分に食べてあげたから、「おいしくなる」こともない。

まずいものは、まずい。

果たしてそれは、誰かが楽になった、と言えるのだろうか?


何が言いたいのかというと、きっと自分に与えられた「おいしくないお饅頭」は、自分が食べきるしかない。

そして、気安く人の分を背負って食べたとて、おいしくなかった、という事実がおいしかったね、に代わることはないのだろう。


おいしいお饅頭でも同じだ

私はひとつ貰った、別の人は半分しか貰わなかった。

それでは不公平だわ、あの人が気の毒…と、私の半分の半分を、その人にあげる。

私の手で千切りに千切ったその四分の一は、別の人を満たすだろうか。

汚らしいから、嫌だわ、そんなお裾分けはいらない、と思うかもしれない。


お饅頭を、安易に分け与えてはいけない。

そう思った。満月の夜。

いらぬまじ、お饅頭。

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いらぬまじ 花尾歌さあと @atoryo

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