第10話 はじめてのデート、映画館で手を探す

 休日の朝。

 アラームが鳴る前に目が覚めた。

 スマホの画面には「今日10時、駅前集合」の文字。

 送ったのは俺、返信してきたのは真咲。

 “了解♡” のハートマークが、いまだにじわじわ効いている。


 ──初デート。


 頭ではわかってたけど、実感が追いつかない。

 “付き合う”って言葉は昨日までの延長みたいで、

 でも、“デート”ってなると、一気に現実っぽくなる。


「服どうしよう……」


 鏡の前で悩む時間が、いつもより倍かかった。

 何を着ても落ち着かない。

 最終的に選んだのは、シンプルなシャツと黒のジャケット。

 母さんに見られたら何を言われるかわからないので、静かに家を出た。



 駅前は人でにぎわっていた。

 噴水の前、待ち合わせスポットにはすでに真咲がいた。

 薄いベージュのワンピースに、デニムジャケット。

 髪は軽く巻いていて、いつもより少し大人っぽい。


 見た瞬間、息が詰まった。


「……かわいい」


 思わず声に出てしまった。

 真咲がびっくりして、少しだけ頬を赤らめる。


「いきなりそれ言う?」

「いや、口が勝手に」

「減点」

「また採点制か」

「でも……ありがと。ゆうとも、かっこいいよ」


 今度は俺が照れた番だった。


「じゃ、行こっか」

「うん」


 並んで歩き出す。

 通りのショーウィンドウに、二人の姿が映る。

 “カップル”ってこういうことなんだな、と思った。



 映画館のロビーはポップコーンの匂いで満ちていた。

 チケットを渡して、暗い廊下を進む。

 座席は後ろのほう、隣同士。


「ねえ」

「ん」

「こうやって並んで座るの、ちょっと緊張するね」

「そう?」

「うん。ドキドキする」

「俺も」


 映画が始まるまでの数分間、スクリーンの光だけが揺れていた。

 音が静かで、息の音が聞こえるくらい近い。

 真咲が小さく動くたび、俺の心臓が反応する。


 ──手、つなぎたい。

 でも、どうすれば自然だろう。


 画面の中では恋人たちが寄り添っていて、

 俺たちは、ただ静かに見つめている。

 真咲がポップコーンを取るとき、指先が少し触れた。

 ほんの一瞬だったのに、時間が止まったみたいだった。


 真咲が小声で言う。


「……ゆうと」


「ん」


「手、出して」


「え?」


 真咲は少し顔を伏せて、こっそり笑った。


「映画、暗いから……バレないよ」


 言われたまま、手を差し出す。

 次の瞬間、柔らかい指先が触れて、ゆっくり重なった。

 手のひらの熱が、静かに広がる。

 スクリーンの光が指のあいだからこぼれて、

 映画よりも、彼女の温度のほうが鮮明だった。


 真咲の肩が少しだけ寄り添ってくる。

 息が混ざって、鼓動が重なる。

 画面の中のセリフが、遠くの世界みたいに感じた。



 映画が終わっても、手は離さなかった。

 出口に向かう途中、周りのざわめきが遠く感じる。

 ロビーの光がまぶしくて、目を細めた。


「おもしろかったね」

「うん。……途中、全然内容入ってこなかったけど」

「わたしも」


 二人して笑う。

 その笑いが、なんか、もう特別だった。


「お昼どうする?」

「映画館の下にカフェあるよ」

「行こっか」


 注文を待つ間、真咲がストローをくるくる回していた。

 その指先を見て、なんとなく聞いてみた。


「緊張してる?」

「うん、ちょっとだけ」

「俺も」

「ふふ、変なの。昨日まで普通だったのにね」

「“恋人”って言葉のせいだろうな」

「ね。でも、悪くない」


 真咲がストローを止めて、目を上げる。

 少し真面目な声で言った。


「わたしね、昨日“好き”って言えたとき、泣きそうだったんだよ」

「え?」

「やっと言えたって思って。ずっと言いたかったのに、怖かったから」


 真咲は照れくさそうに笑った。

 俺は、静かに頷いた。


「俺も。ずっと言いたかった」


 しばらくの沈黙。

 カップの中の氷が、カランと鳴る。


 真咲が、テーブルの下でそっと俺の手を握った。


「これで、また記念日だね」

「また?」

「“はじめてのデートで手をつないだ日”」

「もう記念日多すぎだろ」

「いいの。増えるたびに、ゆうとを思い出せるから」


 そう言って笑った真咲の横顔が、光に透けてきれいだった。



 夕方。

 駅までの道を歩きながら、真咲がふと立ち止まった。


「ねぇゆうと」


「ん?」


「これからも、ちゃんと好きって言ってね」


「もちろん」


「わたしも言うね。いっぱい」


 彼女の手が、俺の手をぎゅっと握る。

 その力が、やさしいのに強くて、

 俺はただ頷くことしかできなかった。


「今日はありがとう」

「こっちこそ」


 真咲は少し笑って、前を向いた。

 夕陽の中に、長い影が並ぶ。

 その影が、まるで一つに重なったように見えた。

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君の隣で、春になる あか @kato14

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